2012年4月29日日曜日

ミュシャとゴーティエ。あるいは坪内祐三の新刊

4月某日

アルフォンス・ミュシャの絵を観に、堺市まで出かける。これで二回目だ。

♯♯ アルフォンス・ミュシャ館 / 堺市立文化館 ♯♯

前回は人を連れていったためじっくり観ることはできなかったし解説文もじっくり読めなかったから、今回はすべてを堪能してみた。

〔前回〕
=  2012.3.23. ペダントリー - アルフォンス・ミュシャ館 =

詳細はあらためて書くとして、いくつか印象的なのを。

しばらく眺め続けたのは横幅が4メートル以上ある「ハーモニー」。壁のひとつを占領する大作である。

     ミュシャ / ハーモニー 1908年

絵だけの画像がみつからず、美術館の展示風景をそのまま掲載。とにかくでかい。いままで観た絵のなかで最もでかい。

近づいてよく観てみれば、細かく描いてある部分とおおざっぱに描いてあるところの違いがあって、にもかかわらず一定の距離をおいて眺めればうまく溶け合っている絵。力作である。

これは中央奥の神(のような人)の前に、無数の人々が集まっている図である。神は英知を表し、左側の人々は愛、右は理性を象徴し、愛と理性という二項対立に神なる英知が調和(ハーモニー)をもたらしている場面だ。あくまで宗教的(キリスト教的)なものであるから意味を深くとらえる必要はないだろう(それはミュシャ個人の思想に強く関わる話で、一般の私たちがそこまでとらえる必要はない)。

ただ気になったのは、中央の下にある「岩」のような黒い物体。どこにも書いていないし推測でしかないが、これは人のように見えた(耳らしきものがあった)。愛と理性の間に挟まれて屍のように横たわる人はいったい何を表しているのだろうか。

「白い象の伝説」

もうひとつ、ミュシャの挿絵で(いろいろな意味で)感動的だったのは、「白い象の伝説」の一連の挿絵。

     ミュシャ / 「白い象の伝説」挿絵 1893年

絵の解説文にはこうある。「白い象の伝説」は児童文学者ジュディット・ゴーティエ(1845-1917)の物語で、ミュシャはその本の挿絵を描いたという。

物語は、仲間はずれにされた白い象と人との間に生まれたちょっと感動的な話で、こんな筋書きだ。

――肌が白いというだけで仲間の象たちからいじめられていた白い象は人間のいる地域に迷い込み、捕らわれてしまう。しかし、白い象は人間にとって神のような存在だったため、厳かな歓迎を受けた(上の挿絵は白い象に人が平伏している場面)。

なんやかやで王の付け人となった白い象は王女にかわいがられ、王女の大切な友人となる。戦場では王子の命を助け、人々の絶大な信頼を得るようになった白い象だが、王女が政略結婚のため敵国の王子と結婚するとその王子に嫌われ、王国を去る。

すべてを失った白い象はサーカス団に連れられサーカスの象としてしばらく暮らした。しかし白い象にとってそれは不本意なことだった。そこにかつて自分を大切にしてくれた王女が偶然現われ再会を果たす。王女は涙を流しながら白い象を抱きしめ、白い象はふたたび王女と暮らすことになるのだった――。

この物語(小説)の挿絵をミュシャは数十枚描いたそうだが、そのうち堺市文化館が所蔵するのは22点で、そのすべてではないがいくつかが今回展示されていた。

なかでも素晴らしかったのは、白い象がサーカスで芸をしている場面を描いた絵と、王女と再会する場面の絵。

ネットでは見つけられなかったので紹介できないのが悔しいが、とても繊細で感動的な絵だった。墨で描いた水彩画なのに単色には思えない豊かな色彩で描かれていた。ぜひ美術館でちょくせつ観てもらいたい。

この「白い象の伝説」の物語が気になって本として出ていないか調べてみたが、出版されたものの、もう絶版になっているようだ。

アルフォンス・ミュシャ
ガラリエ・ソラ
発売日:2005-10-17

いちおう児童文学書であるから、子どもたちに読んでもらいたい本だ。もちろん、挿絵とともに、大人も楽しめる本だろう。

同日

アルフォンス・ミュシャ館の帰りにブックファーストに寄る。

目当ては坪内祐三の新刊なのだが、出荷が前日であると聞いていたのでまだ本屋には並んでいないかもしれない。実際、並んでいなかった。

かわりに、というわけではないが、吉本隆明の追悼コーナーで花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)をみつけたので購入。坪内祐三の文章でよく登場する本だから。

花田 清輝
講談社
発売日:2008-05-09

でも、買ったときに嫌な予感はしていた。その予感は帰宅してから当たってしまった。「復興期の精神」はすでに持っていたのだ。

私が持っていたのは講談社学術文庫版であったので、違うと云えば違う本である。文芸文庫版のほうは池内紀の解説があるので、それを買ったと思うことにしよう。

しかし今回「復興期の精神」を買おうと思ったのは、この本がタイトルからは想像できないことだが文学者や芸術家をそれぞれ取り上げた批評のパッケージだったから。なかにはマキャベリを語った文もある(帰りに読んだのはこのマキャベリのところ)。たぶん、いま買わなければずっと読まなかったに違いないのだから、買ってよかったのだ。

ブックファーストになかったので、あまり期待せずに紀伊国屋書店に寄ってみる。すると置いてあった。

坪内祐三
幻戯書房
発売日:2012-04-27


「あとがき」的な文章を読めば、この本は、かの名著(と個人的には思っている)『古くさいぞ私は』(晶文社)につづくエッセイ集第二弾だと云う。

これらのエッセイ集は雑誌や新聞に寄稿した短い文を集めたもので、このような文は(特に新聞のは)一度読み逃したらまず読むことはできず、すべての雑誌・新聞を網羅することはどだいできないのだから、当然単行本に収録されるまで待つしかない。

とはいえ、坪内祐三のエッセイは過去何度も単行本化されているのでは? と疑問がでてくる。(エッセイ風の連載の単行本化とは別に)書評・古本などひとつのテーマにしぼってまとめたものは確かに何冊かあるのだけれど、雑多な文のなかから雑多なまま収録するという形の本は、「古くさいぞ私は」以来ということなのだろう。

実際に目次を眺めてみれば、「訪書月刊」や「室内」(どちらも休刊)に書いた文も収められている。これは貴重だ。

本書はだが、一方で「en-taxi」に寄稿したものが多く含まれているので、個人的はすでに読んだものもある。あるのだが、発表当時に読むことと今読むことと、それはまた別の印象があるだろう。

ということで、目下、読書中。

そうそう、もう一冊忘れていた。

坪内祐三の本の隣にリービ英雄の新刊(『大陸へ』(岩波書店))も平積みされていたので、手にとって少し読んでみて、これも買ってみた。

リービ 英雄
岩波書店
発売日:2012-04-19

リービ英雄の本はいままで一冊も買ったことがない。興味がなかったわけではなく、ただきっかけがなかっただけだ。

このあいだNHKかなにかでリービ英雄が万葉集を語る番組があって(古今和歌集だったかもしれない)、その語り口に良いセンスを感じたことが大きかったかもしれない。先年、芥川賞を受賞した中国人作家が話題になったけど、外国人でありながら日本語で文を書く同じタイプの作家としてはリービ英雄のほうがずっと素晴らしいと聞いていたこともある。

本書は彼がアメリカや中国を訪れたときのエッセイ集のようなもの。彼は生まれはアメリカだが、子どもの頃に香港・台湾で過ごした経験をもち、その後日本にも住んでいたことがある。アメリカに戻ってからはスタンフォード大学などで日本文学の教授をつとめたが、それを辞めて日本に定住し、現在は日本語で小説を書いている。

おそらく3つの故郷をもつ人なのだろう。その彼が日本語によって今のアメリカと中国をどう描くのか、そこに興味をもったわけだ。

まだ20ページくらいしか読んでいないが、その感想としては、言葉の意識の強さをとても感じる文章(日本語)だなということ。て・に・を・はに若干違和感はあるものの、もの・ことをどんな日本語で表現すればいいか、苦心しながらも語りたい内容は読者に十二分に伝わってくる。つまり、とても文学的な文章だ(日本人でもなかなかこうはいかない)。

ひとつの場面を紹介。

オバマ大統領誕生のその日、​ワシントンを訪れていたリービ英雄は国会議事堂方面に向かう地下​鉄に乗り込む。同乗の客たちはみな同じ目的地を目指している。体​格の大きいアメリカ人たちはぎゅうぎゅう詰めなのにまったくいさ​かいを起こさずしずかにじっと立ち続ける(ふつうなら喧嘩沙汰になっているところだ)。

だれしも同じ感慨にふ​けっているのだ。「一人一人が歴史を意識しているの​が感じられた」。歴史、つまり黒人初の大統領の誕生という歴史的瞬間に立ち会っているという意識、数百年の間、社会のメインストリームから疎外されてきた黒人が社会のトップにたつという瞬間に、みなしずかな興奮をしているのだった。――

こういう感想は、その社会の内部にいた(いる)人たちにしかわからない実感だろう。最後まで読みとおすのが楽しみだ。






2012年4月15日日曜日

坪内祐三と福田和也の新刊3冊と印象派

4月某日

紀伊国屋書店に久しぶりに寄って、なにか新刊は出ていないかと棚をザザッと眺める。

まっさきに向かった文芸書コーナーに坪内祐三の新刊を発見。『文藝綺譚』(扶桑社)だった。

坪内 祐三
扶桑社
発売日:2012-04-14

少し立ち読みしてみると、雑誌『en-taxi』連載のエッセイ(批評)をまとめたもののようで、同誌からは『アメリカ』『風景十二』に続く単行本化だ。

その二冊はもちろん読んでいるので、今回も購入。

帰宅後に少し読んでみたが、連載中に読んだものもあり(例えば「第一夜 パーティー」)、つい読みふけってしまう。

「あとがき」によれば、タイトルの「文藝綺譚」は「ぶんげいきたん」ではなく「ぶんげいきだん」と読む、という。有名な永井荷風の「濹東綺譚」も、よく間違えられるが「ぼくとうきたん」ではなく「ぼくとうきだん」と読むらしい。私も間違っていた。

ところで「パーティー」だが、冒頭に川村二郎と出会う場面がある。野間文芸賞の受賞パーティーが開かれた夜のことで、川村二郎は選考委員の一人なのだ。

ここで整理しようと思う。いつも混同してしまうのだが、川村二郎と川本三郎は別人であり、しかも川村二郎は著述家で二人いるということだ。

ここに登場する川村二郎はドイツ文学者・文芸評論家で、日本芸術院会員もつとめた御大である。受賞パーティーの翌年、2008年に亡くなった。

もう一人の川村二郎は朝日新聞の編集委員のあと、文筆家としてフリーに。白洲正子の伝記も書いているが、基本的に文章術的な本を書く人。まったく自分には関係なさそうだ。

そして、川本三郎は、同じく朝日新聞を退職後、さまざまな著作のある評論家。「東京」や「荷風」についての本が多く、たぶん、私も(一部)読んだことがある。坪内祐三がよく名前をだすのは、この川本三郎のはずだ(『東京人』の編集委員をつとめたことがある、ということとは関係ないだろう)。

川本三郎が世間を騒がせたのは、指名手配犯のお手伝いをしてバレて有罪判決を受けた事件だろう。そのせいで朝日新聞を退職したのだが、その後の活躍は評価が高い。

ようやく三人の区別ができた。

この新刊のふたつ隣に、福田和也の新刊もあった。『村上春樹12の長編小説』(廣済堂出版)WEBサイトで連載していたエッセイ(批評)の単行本化である。

福田 和也
廣済堂出版
発売日:2012-03-14

同じサイトで連載していたものとして坪内祐三の『父系図』(廣済堂出版)があるが、これはちょうど今日読み終わったところ。そのサイトはちょくちょく見ていたから、福田和也のこの連載も少しだけ読んでいて、単行本化を待っていたから購入。

あいかわらず「あとがき」がないが、最終章「1Q84」は書き下ろしということでよしとしよう。この本は当面、積読だ。

もうひとつ、本屋の新刊コーナーにチラッと目をやったときに見つけたのが福田和也の岸信介の伝記。これは待ちに待った単行本化である。

福田 和也
扶桑社
発売日:2012-04-07

あいかわらず「あとがき」がなく、でも最終章の後編は書き下ろしだ。これも、しばらく積読だ。

もうひとつ、新書も一冊購入した。

島田紀夫『セーヌで生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)

このシリーズは(というより、第一弾の高階秀爾が)よかったので新刊がでればチェックするのだが(といいつつこの本がでたのは半年前)、この島田紀夫という人の名は美術展カタログで見たことがあるし、印象派ということもあるのですぐに読んでみたい。

島田紀夫について少し調べてみると、印象派だけではなく、アルフォンソ・ミュシャについての著作がある。そうか、ミュシャのカタログで見たのかもしれない(実際そうだった)。

※大阪府堺市にある「アルフォンソ・ミュシャ館」訪問記

そんなこんなで、しめて6,615円也。まぁまぁの買い物だった。



2012年4月7日土曜日

フェルメールの秘密 - 藤田令伊『静けさの謎を解く』

4月某日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)を読了。

藤田 令伊
集英社
発売日:2011-12-16

ひと言でいえば、「フェルメールがなぜこれほど人気を博すのか」を考察した本。読みやすさとは裏腹に、内容は奥深い美術本だ。

意外なことではあるが、フェルメール(1632-75)が活動した17世紀オランダの頃からおよそ20世紀の初頭まで、フェルメールの絵は他の画家のそれと比べて特別高い値段で取引されていたわけではないし、最高の評価を与えられていたわけでもなかった。だが、20世紀のいつ頃からか、もっとも人気のある画家となった。

それには当然、理由があるだろう。つまり、他の画家の絵とフェルメールの絵とは、どこがどう違うのか。その「違い」を探るひとつの試論が本書であり、著者の藤田令伊はフェルメールの絵がもつ「静けさ」に注目している。(なお、以下の文章は本書の内容と私個人の素材・意見を交えて書いている。)

数回前のエントリーで書いたことと少しかぶるが、フェルメールの絵の特徴は次のキーワードに集約される。

1. 青
2. 構図の簡略化
3. 非現実性(創造性)
4. 静かな動作
5. 非物語性
6. オランダの光
7. エラスムス

これらの要素を盛り込むことで、フェルメールは他の絵にはない独特な「静けさ」を獲得することができたのだった。本人が意図したものと、時代・環境によるものと、どちらもあるのだけれど。



フェルメールは当時では珍しい「青」を多用したことで知られるが、なぜ珍しいかと云えば、それは、青色をつくる原料がごく僅かで貴重だったということもあるが、なによりヨーロッパの歴史上長らく「青」という概念がなかったことが大きい。

中世においては白・黒・赤が基本色で、青は認識さえされなかったのである(海は「白」であるとされた)。原料の工夫で青がつくりだせるようになってからも、青は特殊な色とされ、一部の人たちだけが使うことのできる色でしかなかった。青は日常にはない色だったのだ。

フェルメールと同時代の画家たちが実際に何色で描いていたかを見ればよくわかるが、「絵画の主調色は黒と褐色で、そこに赤や黄で描かれるのが主流だった」。

  テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女 1659年

個人的にとても気に入っているテル・ボルフ(1617-81)のこの絵では、黒や茶色を基調色としたうえで赤と白がポイントとなっている。いっぽうのフェルメールの絵で、青が効果的に使われているのは次の2枚の絵だ。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃

  フェルメール / 窓辺で水差しを持つ女 1662-65年頃

絵のなかに青があるだけで、だいぶ違った印象を受けるだろう。もともとテル・ボルフの絵は暗いためフェルメールの明るさが目立つということもあるが、青を衣服に用いれば画面が明るくなり自然と落ち着いた雰囲気にもなる。どこか高貴な感じがするし、若々しさも伝わってくる。フェルメールの「青」は、つまりそういうことなのである。

構図の簡略化

フェルメールは一度描いた配置物を消してしまうことが多かったというのは有名な話である。

上の絵「牛乳を注ぐ女」でも、背景の壁に絵か地図を描いていたが途中で消してしまったという。当初の構図では、「窓辺で水差しを持つ女」がそうであるような感じだったのである。この2点の絵を比較すればわかるが、「牛乳を注ぐ女」のほうがよりシンプルになっているため、寂しささえ感じることができるだろう。それもまた「静けさ」につながる要因のひとつなのである。

フェルメールと同時代を生きたデ・ホーホ(1629-84)の絵を観てみよう。

  デ・ホーホ / 室内の女と子供 1658年頃

(これは先の「フェルメールからのラブレター展」にも展示されていた絵であるが、)床にも壁にも何も配置物はないのにどこか窮屈な感じがするのは、左側にタンスが置いてあったり左右両方に奥の部屋が続いていたりと、殺風景な部屋の中を描いた点では同じであるものの、「牛乳を注ぐ女」と比べて焦点の数がだいぶ異なっている。鑑賞者は特に右奥の部屋にある椅子や壁の肖像画にどうしても意識がいってしまう。もちろんそれが「悪い」というのではない。だが、フェルメールの場合は焦点の数をあえて絞ってさっぱりとした絵を描こうとしていたということだ。

それだけではない。

フェルメールと同時代の絵画を集めたラブレター展に足を運んだ人はすぐ気づいただろう(特に絵の素人である私のような人は)、当時の室内画の多くは大げさな身振りをする人間が描かれていることに特徴がある。酒を飲んでいたり、女性に云い寄っていたり、歌をうたっていたり、そういう場面だ。

  デ・ホーホ / 女と召使 1670-75年頃

同じくラブレター展に展示されていたもの。「牛乳を注ぐ女」と同じく女性が家事をしている姿の絵で、動作の少ない絵を選んだつもりである。それでも二人の女性が何を話しているのか、奥にいる男性は誰なのかなど気になるものだ。純粋に作業をしているだけの場面、とは云えない。逆に云えば、フェルメールの絵は純粋に作業をしているだけの場面でしかない。

  フェルメール / レースを編む女 1669年頃

その、純粋に作業をしているだけの場面を描いた絵のひとつが「レースを編む女」で、デ・ホーホの作品とは、女性が家事をしているという点では同じであるのに、汲み取られる意味の多さはぜんぜん異なる。これは、ただもう裁縫をしているだけの場面であって、余計な物語を想像することを拒否さえしているようだ。

デ・ホーホら当時の画家たちが人の動作や物の配置に暗示をこめるのは、そうでなければ「絵」ではなかったからだ。意味のない動作の一瞬を再現したところで価値のある絵にはならない。しかし、フェルメールは人の自然な動作としかるべく置かれた物だけを表現する新しい方法を選んだ。それが現代のフェルメール人気につながっているのは間違いない。現代は、形式を重視する美術思考だから。

非現実性(創造性)

絵が写真と異なるところは、創造性である。

けして見たままをカンバスに写すわけではく、写しとることができるわけでもない。そこに画家の主観が入るからだ。(写真にも主観が入る、だなんて野暮なことはここではなし。)

技術的な問題ではなく、画家が作為的に現実を歪めて描くこともある。現実に忠実に描いているように見せて、実はちょっとしたところで歪める。

しかし人間の身振りや表情を大袈裟にしてみたりすることに違和感はないが、空間を歪めてしまうのはいったいどうなのだろうか。フェルメールの時代にあって、それは異質なことであったに違いない。それとわからないようにしていたとしてもだ。

上で掲載した「牛乳を注ぐ女」では、左の壁とテーブルの位置関係が、よくよく見てみればおかしなことになっていることに気づく。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃 ※再掲

デーブルの右端の方向が壁の奥行きの方向と平行になっておらず、食べ物で見えないテーブルの奥の端は赤い坪と女性の間のどの位置にあるのかよくわからない。両者の間をうまく通すとすれば、テーブルは四角形ではなく五角形になっていなければならない。つまり、不自然なのである。

そうなったのは、テーブル上の置物をよく見せるためだったからに他ならない。つまり、部屋の構造とテーブルの配置は別個のものとして描かれたのであり、悪く云えばつぎはぎのようなものだ。

問題は、なぜフェルメールはあえてそうしたのか。そしてそれは絵画としての質を落とすことになるのではないか、という疑問である。

藤田令伊は云う。フェルメールは「現実からの乖離を恐れなくなった」のではないか。

現実にはこうあるはずという厳格性を無視して、「そのように見せたい」というフェルメール個人の考えがそこにはある。ではその考えが何かと云えば、フェルメール独自の「絵画芸術」がそれだ。「絵画芸術」については藤田令伊本人もこの本では詳細には明らかにしておらず、私もよくわからない。わかるのはただ、現実には囚われていないフェルメールの芸術観がそこにはあるということだけだ。

現実にとらわれない描写は、もちろん、のちの印象派を先取りするものである。

静かな動作

(やはり順番を間違えた)

非物語性

単に見たままを描いただけでは芸術にはなりえない。

むしろこう云った方がいいのかもしれない。描いただけで「意味」を、つまり「物語」を想像させるものが絵=芸術なのであると。

しかし、フェルメールはそれを拒否したのかもしれない。可能な限り「意味」を剥奪した絵、解釈を求めない絵――。

すべての作品がそうであるわけではないが、フェルメールがフェルメールらしさを存分に発揮したと評価されている作品はおしなべて、その目的を追い求めたものだったと考えられる。それが非物語性の意味だ。

「ルネサンス以来の伝統的な絵画には何らかの意味が込められているほうがふつうである」。いわゆる「寓意画」と云われるもので、宗教画や歴史画は云わずとも、日常を描いた絵にも教訓的なメッセージや人間の美しさ(あるいは醜さ)の表現といった意図が隠されている。室内画を多く描いたフェルメールはだが、そのような意図とは無縁であった(例外はもちろんあるが)。

トローニーという絵の様式がある。特定の個人を描いた肖像画とは違い、誰とはわからないある人物の姿(ときに架空の人物の)を描いた絵である。有名なのが「真珠の耳飾りの少女」。

  フェルメール / 真珠の耳飾りの少女 1665年頃

背景を黒一色に染め、描かれた少女は貴族でも神話上の人物でもないごくふつうの人物だ。実在の少女なのかどうかはわかっていないが、おそらく架空の人物であろうと云われており(いや、現在はフェルメールの娘ではないかとされている)、服装にも特別な意味はなく(当時流行のトルコ風の服であるようだが)、この絵がいったい何を表現しようとしたのかは不明、というより、一般的な絵画がもつような意味を何も表現していない。

それゆえなのか、ひとりの少女をそのまま描いただけなのにこの絵の現実感のなさはどういうわけだろう。青いターバンや黄土色の服が珍しいから、というわけではない。意味を剥奪された絵というのはある種の神秘性を帯びるものなのだろうか。

フェルメールは「現実の再現描写にとどまらない絵を探っていた」のではないかというのが藤田令伊の話。

それは芸術のための芸術である。フェルメールは芸術そのものを描こうとしたのかもしれない。

芸術がそれ自体「意味」をもち、「物語」性を獲得することができるとするならば。

オランダの光

(後日)

エラスムス



(後日)







2012年4月1日日曜日

フェルメールの「地理学者」 - 豊田市美術館

8月某日

すっかりメモするのを忘れていたが、昨年(2011年)の8月に愛知県豊田市まで絵を観に行った。片道3時間、高速で。

フェルメールからのラブレター展が開催されているちょうど同じころ、別のフェルメール作品が豊田市美術館で展示されていると知って、急遽、車をくりだした。

ちょっと無理しすぎかとも思ったが、結果的には観に行ってよかった美術展だった。

豊田市美術館

駐車場についたのは正午ころ。駐車場は無料だったが、豊田市美術館はそこから急斜面の坂をのぼってたどり着くような場所にある。

この坂を写真に撮らねばならない。そう思ってカメラを取り出したが、あっさりと地面に落下させてしまった。

背面の液晶が割れた。電源は入るしレンズも伸びたので使えそうだけれど、ファインダーのないデジカメなのでちゃんと写るのかどうかわからない。で、試しに撮ってみたのが次の写真。

   豊田市美術館への坂

不思議なボケ具合だ。

坂を登りきると、巨大な美術館が見えてきた。とてもお金のかかっていそうな建物で、至極、殺風景である。

   豊田市美術館

他の地方自治体が羨むほどの豪華な建物だといっていいだろう。やはりトヨタの支援があったのだろうか。

フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展

さて、絵である。

美術展のタイトルは「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」。ドイツのフランクフルト市にあるシュテーデル美術館の所蔵作品を集めた特別展だ。

美術ビギナーには「フランドル」が何なのか、「地理学者」とフランドル絵画は一緒なのか違うのか、よくわからなかったが、とにかくフェルメールの作品が「ある」ということで観に行ってみたわけである。

フェルメールは1点しか展示されないけれど全体の作品数は多くて、カタログの掲載数を基準にすれば95点にのぼる(カタログに掲載されていても実際には諸事情により展示されないこともあるから、単純にカタログ数では云えない)。実感としては他の展覧会よりかなり多く感じたが(すべて観るだけでかなり疲れた)、平均80点とすれば若干多めだったくらいか。

さて、入館早々、目当てのフェルメールへ。

夏休みの平日だったから若干多めぐらいの人の入りで、結構すんなり絵の目の前に立つことができた。飾られていたのは「地理学者」。

   フェルメール / 地理学者

(半年も前のことなのでだいぶ忘れたが)結構な大きさのある絵、というのが第一印象。

京都市美術館とは違い、至近距離で観ることができたのは幸運。ほんの1メートル、というか50センチくらいの間近まで接近で来た。絵の細部まで見つめることができた。

だだ、館内があまりに明るすぎた。部屋全面の白い壁が光を反射させ、その光が作品を前から横から後ろから包み込み、絵をじっくり観たいのに壁が気になって仕方がない。絵の趣きや静けさ、暗さまでもが等質化されてしまう。なぜ、壁の色を暗い、落ち着きのあるものにしなかったのか(先日リニューアルオープンしたオルセー美術館も、壁の色を暗い色に変更したことを最大のポイントとしていた)。

建物がそうであるように、これが現代の「粋」とでも云うのだろうか。無機質性や清潔感、建築の論理で絵を弄ばないでもらいたい。

それはともかく、実物の「地理学者」は間近で観ても遠くから観ても、とても美しい絵にみえた。というのは、無駄がないのだ。

机に布や道具、地図が置いてあり、奥の壁には絵や棚、地球儀があってごちゃごちゃしているようだが、実際はがっちりとまとまった、シンプルな構図であるように思った。それほど目立たず、主張もしない。部屋に飾るには最適な絵だと思う。

点描が印象的だった。布の縁や光のあたるところの随所にポチッと白い点が置かれている。現実にはそんな光り方はしないわけだから、主観的なものだろう。つまり印象派がそうであったように。

また、この絵の人物にはモデルとされる人がいる。

アントニ・ファン・レーウェンフックがその人で、以前書いたエントリー「フェルメールのデッサン」で紹介したが、フェルメールと親交があった生物学者。顕微鏡による生物観察を行なった初めての人である。

フェルメールはカメラの原型となったカメラ・オブスクーラを使用して絵を描いたらしく、フェルメールの絵の独特な立体感はその効果だと云われており、オブスクーラを知ったきっかけはレーウェンフックだったのではないかというのが福岡伸一教授の仮説。

いまとなっては個人的にはどうでもいい話だが、そんな逸話もあるのだった。

(つづく)

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展覧会名:
  フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展

期間:
2011念3月3日 - 5月22日, Tokyo
2011年6月11日 - 8月28日, Toyota

場所:
Bunkamura ザ・ミュージアム, 渋谷, Tokyo
豊田市美術館, Toyota

主な作品:
フェルメール / 地理学者
テル・ボルフ / ワイングラスを持つ婦人
ヘリット・ダウ / 夕食の食卓を片づける女性

公式サイト:
フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展 ※消滅
豊田市美術館
中京テレビ

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今年の見どころ - フェルメールを中心に


今年、来日するフェルメールの作品について。(随時更新中)



ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年

開催期間 : 2012年6月13日 - 9月17日

開催地 : 国立西洋美術館 上野、Tokyo

開場時間 : 9:30 - 17:30 (金曜日は20:00まで)

公式サイト : ベルリン国立美術館展 東京会場

【 巡回 】

開催期間 : 2012年10月9日 - 12月2日

開催地 : 九州国立博物館 大宰府、Fukuoka

開場時間 : 9:30 - 17:00

公式サイト : ベルリン国立美術館展 福岡会場


展示作品 :
  フェルメール / 真珠の首飾りの少女

自筆展覧会レポート :
1. 2012.7.1.「真珠の首飾りの少女 - ベルリン国立美術館展 」


マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝

開催期間 : 2012年6月30日 - 9月12日

開催地 : 東京都美術館 上野、Tokyo

開場時間 : 9:30 - 17:30 (金曜日は20:00まで)

※8月の4日間、夜間鑑賞会あり。19:30から21:30の間、500名限定。

公式サイト : マウリッツハイス美術館展 公式サイト

【 巡回 】

開催期間 : 2012年9月29日 - 2013年1月6日

開催地 : 神戸市立博物館、Kobe

開場時間 : 9:30 - 17:00

公式サイト : 東京展と共通 


展示作品 :
  フェルメール / 真珠の耳飾りの少女、ディアナとニンフ


自筆展覧会レポート :
1. 2012.9.30.「神戸市立博物館のマウリッツハイス美術館展」

展覧会レポート(参考になるサイト) :
1. フェルメールのススメ ※プレス用内覧会の様子
2. 「マウリッツハイス美術館展」 東京都美術館 ※同じくプレス用内覧会の様子
3. ギリシア神話絵はがき美術館 ※会場の様子、グッズの紹介が詳細
4. お一人様の美術館・博物館 ※会場の様子、絵の印象など秀逸。

メモ :
8月22日の夜間鑑賞会のチケットを購入した。神戸にも来るのに、待ちきれず、わざわざ大阪から東京まで足を運ぶことにした。500名限定というのは魅力だ(500はちょっと多い気がするが)。

ところで公式サイトについて。

公式サイトを新聞社のサイトのディレクトリ下に置いてしまううえに(ワシントン・ナショナル・ギャラリー展のときも日テレ内に設けていたが)、最悪なことに、サイトのタイトル、「朝日新聞社」を最初にもってくるとは朝日新聞は相変わらず下品なところ。日頃の清潔感が嘘だとよくわかる。