2012年12月25日火曜日

感情のルーベンス - リヒテンシュタイン展

12月某日

ルーベンスは有名なのだろうけど、ルーベンス展というものには行ったことはなく、いくつかの美術展で見かけても取り立てて印象に残ったことはない。

例えば、フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展でみた「竪琴を弾くダヴィデ王」も白髪に表れる素晴らしい表現力には感動したが、それがルーベンス個人の関心へとは向かなかったし、大エルミタージュ美術館展の「ローマの慈愛」はちょっと目を背けたくなる奇妙な場面が記憶に残って、その筆致の独特さには注意が向かなかった。

  ルーベンス / 竪琴を弾くダヴィデ王 1616年頃-1640年代後半 ※展示なし

  ルーベンス / ローマの慈愛 1612年頃 ※展示なし

だけど、マウリッツハイス美術館展に飾られていた「聖母被昇天」には単なる宗教画を超えた魅力が感じられて、画家本人の「思い」といったようなものをチラリとうかがい知ることができたように思った。

  ルーベンス / 聖母被昇天(下絵) 1622-25年頃 ※展示なし

そして、リヒテンシュタイン展のこのチラシ。

これまで見たルーベンスとは全く領域の違う、あまりにも人間的な(現実的な)人物がこちらに語りかけるように描かれている絵を目にして、なにか感覚を揺すぶられるような感じがした。こんなことは初めてあった。

  リヒテンシュタイン展チラシ / 開催前バージョン


(つづく)

2012年12月5日水曜日

シャルダン、地味の品格
   - シャルダン展(三菱一号館美術館)

12月某日

国立新美術館のリヒテンシュタイン展を、そのバロック・サロンをどうしても体感したいと焦りを感じて急遽東京へ一泊。

延べ5つの美術展を回ったなかで、まず2日目の日曜午後に出向いた三菱一号館美術館のシャルダン展を簡単に。

シャルダン展 ― 静寂の巨匠

公式サイト : シャルダン展 三菱一号館美術館

東京駅周辺の4つの私立美術館(ブリヂストン、三菱一号館、出光、三井記念)のうち、夏に行ったブリヂストン美術館(ドビュッシー展)はなかなか立派な美術展を開催していて、(財団とは云え)日本の企業もなかなかいい金の使い方をするもんだと感心したものだが、初めて行った今回の三菱一号館美術館はまず贅沢な建物に驚かされた。

  三菱一号館美術館 / 茶色の建物

  シャルダン展入口 / 枯葉の落ちた木にピント

特に高層であるわけでもなく派手さもないのだけど、ヨーロッパの街並みを再現したらしき中庭と100年以上前からそこにあるかのようなレンガ造りの建物があまりに贅沢。

なかに入ってみて、さらに贅沢すぎてまいった。

  奥の展示室入口に続く廊下

2010年に完成したこの美術館は、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルが設計し1894年に完成した洋風建築(1968年に解体)を復元したものだという。1894年と云えば日清戦争の年だ。

外観だけでなく内装や構造も当時のままを再現していて、だけど各展示室をつなぐ扉がガラスの自動ドアだったりエレベーターがスケトルンだったり、新しい設備をふんだんに盛り込んでいる。なかを歩いているだけで楽しい。靴音が響く床板には賛否両論があるようだが、個人的にはほどよくカツカツするのはいい気分である。

シャルダンのどこまでも地味な静物画と人物画

ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)はフランスの画家。時代はちょうどロココの全盛期だが、シャルダンの絵はロココ風ではないのは明らか(個人的にはロココは苦手。みたことないけど)。もっとも、シャルダンについては相変わらずまったく知らず、木いちごをてんこ盛りにした絵ぐらいはみたことあるなという程度で、実際に絵をみてはじめて知ることばかりであった。

最初、会場で静物画ばかりが飾られているのをみてそれに関心があまりない人としては「こりゃつまらないかな……」と元気がなくなったが、三菱一号館の雰囲気がよかったせいが、結構楽しむことができた。

  シャルダン / 台所のテーブル 1755年

静物画といっても、オランダ絵画にあるような究極のリアルをつきつめた精緻すぎる静物画とは違って、シャルダンのそれはとにかく地味。グラスの透明感をこれでもかと表現し尽くしているわけでもなく、よくある頭蓋骨が置いてあるわけでも、知性をほのめかす書物や富を象徴する装飾物が置いてあるわけでもない。

湿気を表現したかのような暗さ・ぶつぶつ感がすべての絵にあり、ふつうは隠すべき家の裏側である台所が舞台である。それなのに、この作品のように、絵に品を感じてしまうのはなぜだろう。物の配置、色彩、すべてに品がある。

今回はカタログを買わなかったので、その秘密はよくわからない。

  シャルダン / 木いちごの籠 1760年頃

個人蔵の「木いちご」はみることができるだけで貴重らしいのだが、たしかに美しい絵である。ぶどうやりんごといった迫力のある果物ではなく、それぞれは小さな木いちごを籠に載せられるだけ載せてひとつの大きな、それでいて小さな果物をつくったかのようである。その表現の仕方も、地味な色合いながらも、いまにも(籠からだけでなく絵から)零れ落ちそうな「甘さ」が伝わってくる。たしかにおいしそうだ。

しかし、なんといっても、私がお気に入りだったのは人物画。

  シャルダン / 羽根を持つ少女 1737年

これも個人蔵の作品で、所有者から画像は広告などに使用してはならないと厳しく制限をかけられているため、公式サイトはもちろんチラシにも紹介されていない貴重な絵画。

あまり人間味がなく、人形のような描写である。実はそこに魅力があって、ざらざらした質感で全身がスエードのように見えるが、とても愛くるしくてかわいい。こればっかりは実物でしか伝わらないかもしれない。

この作品のヴァリアントも同時に展示されており(ウフィツィ美術館蔵)、シャルダンが自らの筆で複写したのか別の画家による模写なのかは現在わかっていないのだが、この同じ構図の絵を同じ部屋で見比べることができる。そうして実感するのは、ヴァリアントの作者はシャルダンではないということ。明らかに描き方が違うのである。ヴァリアントは造形の筆運びがギクシャクしており他人が写した感があって、なにより、ひとつの統一した精神が描いた作品には思えなかった。

それだからこそ、シャルダンの「羽根を持つ少女」の魅力がいっそう際立つ。シャルダンというセンスが描き上げた完璧な絵。画風は肖像というより漫画的なのだが、派手さのないどこまでも地味な描き方にどこかしら品を感じてしまうのが不思議だ。品のあるデッサン、といったら失礼か。シャルダンにしか描けない絵であろう。

この絵は当然のことながらポストカードにしてもらえなかったため、カタログでしか味わえない(なのに買わなかった自分を恥じる)。いまキーボードを打っているこの瞬間に、もう一度見たくなってきた。

  シャルダン / 食前の祈り 1740年

これはとても有名な絵らしく各国の王侯が求めたほどの人気を集め、シャルダン自身によるヴァリアントがいくつか存在し、今回はそのうち2作品が並べられた。私はあまり興味はそそられなかった。


会期は来年(2013年)1月6日まで。シャルダンを知っている人も知らない人も、特に三菱一号館美術館に行ったことのない人には、絶対におすすめできる美術展であった。