5月某日
島田紀夫『セーヌ川で生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)を読了。
過去の美術について、時系列として解説するのでも人物伝として解説するのでもなく、セーヌ川の上流から下流にかけて、河岸風景を描いた絵画ごとに解説する本。だから同じ画家が何回も登場する。絵画が生まれた背景にも触れているので、印象派のひとつの側面を知ることができる。
ひとつの側面とは、印象派の特徴である屋外写生と「筆触分割」。
アトリエで制作されることが伝統的な描き方だったところを印象派の画家たちは積極的に外に出て、対象の前で実際に描くことをしばしば実践した。その成果がセーヌ川を描くたくさんの絵画に表われている。セーヌ川の絵を集めれば、自然と印象派の絵ばかりになると云えるほど、彼らは足しげくセーヌにカンバスを持ちこんだ。
本書で一気にファンになってしまったのはアルフレッド・シスレー(1839-99)で、セーヌ川を描いた彼の作品のひとつが次の絵。
シスレー / ヴィルヌーヴ・ラ・ガレンヌの橋 1872年
そして、セーヌ川ではないが、シスレーの傑作名高い「モレの教会」。
シスレー / モレの教会 1893年
モネやセザンヌ、ルノワールのような刺激はないが、いかにも「印象」派的な絵であり、すばらしい魅力をもっている。夕日を浴びた、本来は白い壁であろう教会の黄色の温かみはどうだろう。屋外で、自然の感触を味わいながら描かなければ、実現しなかった絵に違いない。
最後の印象派=シスレー
シスレーは、一言で云えば、印象派に殉じた画家だった。というと唐突であるかもしれない。
この作品の制作年に注目してほしい。1893年は、実は印象派はすでに終わっていた年なのである。
第一回印象派展は1874年で、最後の印象派展は1886年。それから5年以上も過ぎている。1886年以降は集団としての印象派は存在せず、ルノワールやセザンヌなどがそれぞれ独自の絵画手法に挑戦していった頃だ。
だが、シスレーはひとり、印象派展の頃と変わらない理想を追いつづけた。印象派が理念として廃れていってもなお、彼は印象派でありつづけた。つまり、〈自分の目が見た光と影が織りなす自然の情景を、原色とそれに近い色彩で画面に定着することが「絵画の本道」である、という信念を疑わなかったのだ〉。
20世紀の美術史は内容よりも形式を重視するモダニズムに支配されたが、その泡をくってシスレーは過小評価され続けた。シスレーは現実に囚われすぎているというわけだ。しかし、形式にこだわるあまり抽象画の全盛を許した美術は、絵の本来の美しさを見失ったのではないだろうか。
筆触分割
印象派のもうひとつの特徴である「筆触分割」。
色彩の濃淡を表現するためには絵の具を混ぜなければならないが、そうすると明度が落ちてしまうという性質が絵の具にはある。そこで、あえて絵の具を混ぜずにカンバスにのせるのだが、それで微妙な色合いを表現できるのかと云えば、実は、絵に一定の距離を置いて眺めれば隣接する異なる色が見事に溶け合って見えることがわかった。人間の視覚をうまく利用した画期的な描法で、これが印象派の印象派たる所以だった。
モネ / ラ・グルヌイエール 1869年
ルノワールも同じ構図で描いたことで有名なモネのこの作品がわかりやすい。一定の距離で(モニターで見るならば拡大しないで)みてみれば、水面の波の高低がリアルに、劇的に表現されていることに感動する。しかし、近づいて(拡大して)みてみればわかるとおり、結構大雑把だ。3種類ほどの色しか使っていない。だが、離れてみてみると現実がそうであるように絵もそうなってる。不思議だ。
これが筆触分割の効果で、印象派はこの手法を多用した。彼らの描き方は雑に思えるけれど、それは「見える効果」を狙ったものなのであって、けしていい加減な意識をもっていたからではない。むしろ、伝統的な画家たちより意識的だ。そしてこの手法は、太陽の光を直接浴びる風景画においてもっとも効果を発揮する。筆触分割は屋外制作と密接なかかわりがあるのだ。
モネの絵と同位置、同時期に描かれたルノワールの作品はこれ。
ルノワール / ラ・グルヌイエール 1869年
ほかに水面の描き方がすばらしいと思った絵を、本書から2枚。
モネ / アルジャントゥイユの橋 1874年
モネ / セーヌ川の帆船 1874年