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2009年6月25日木曜日

小林秀雄と三島由紀夫の「声」


6月24日

昨日の続き。魯庵の云う「文学士」とはどうやら大学の学問を修めたものに与えられる「学士」のことのように思う。ところで、坪内祐三『慶応三年…』では、東京大学の英文科を修了した「英文学士」としては夏目漱石が二人目だと書いてある(一人目は無論、逍遥ではないが)。これは正確であろう。とすると、坪内逍遥の「文学士」もまた、(英文科ではないにしろ)珍しいものだったかもしれない。

とすると(個人的な)謎は解けた。魯庵の執筆時、明治末年頃の学者の「博士」より明治20年当時の「学士」のほうがはるかに「重視」されたということに違いない。たぶん。

で、今日も魯庵『思い出す人々』を読む。あまり進まず。むしろ江藤淳『人と心と言葉』のほうを熱心に読んだ。追悼文の章で、例えば。

小林秀雄の訃報を聞いて、亡き小林の実声を懐かしみ、そもそも日本語は「文字」ではなく「言伝え」の言葉ではないかと考えていたら、小林秀雄の講演を収録したカセットテープが登場して、こりゃいい、という話。他にも(というよりこっちの方が印象的だったりして。つまり、亡き山川方夫との会話を回想する文がとても素晴らしい。「君の漱石論はひとつしかないのだから」という山川の言葉が)読み応えのある文があったが、小林秀雄の声について今書いているうちにもっと大事なことを思い出した。

その後に本棚から偶然ひっぱりだした同じ江藤淳『離脱と回帰と』とかいう本を読んでいたら、昭和天皇の時代を振り返って、江藤淳が三島由紀夫の「声」について語っていた(対談本。相手は富岡幸一郎)。なんて語っていたかというと……、さっきまで覚えていたのに忘れた!しまった!!

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