6月某日
内田樹『映画の構造分析』文春文庫を読む。
「構造分析」って聞くと、だいたい言葉遊び的なものが多いけど、事実、この本もそんな部分がなくはないのだが、正直とても面白かった。
映画を現代思想で分析するという一般的な方法ではなく、現代思想を映画で語る目的を明確にしているのだからわかりやすい。要は(映画ではなく)現代思想が好きか嫌いかなのだ。映画好きの現代思想好きなら当然たのしめる。
例えば『エイリアン』をフェミニズム=反レイプとしてみればそうみえるのであって、むしろそういう目的で映画が作られたのではないかとさえ思えてしまう。まったく別の視点から映画をたのしめるようになっているのだ。
『北北西に進路を取れ』も、特別な関心をもって映画を観ることができる。存在しないもの=スパイを中心として話が展開されるストーリーの、本質的に物語的な部分がみえてくるし(つまり物語の中心は空虚でなくてはならないということ)、と同時に人を騙す秘訣(=自分は騙されていると相手に思わせること=自分は騙されたというふりをすること)が物語をそうあらしめているのだと映画は教えてくれる。
とはいえ、本書でもっとも関心をひいたのは、アメリカ開拓時代の男女の人口比の話。当時のアメリカ(西部劇の舞台が終わるころまで)は女の人口に比べて男の人口が圧倒的に多く、それが男の特殊な思考に決定的な影響を与えたという。つまり、選ばれる男に対して圧倒的多数の選ばれなかった男たちは、なぜ自分が選ばれないかの理由を考えた。それは・・・・・・選ばなかった女が悪い、というものだった。そこからアメリカのオリジナルな歴史が始まる、という。世界にも稀な女性蔑視の文化。実際にそんな文化色がアメリカに強いかどうか、ちょっと疑問があるけれど、なかなか刺激的な物語だと思うね。
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