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2012年9月30日日曜日

マウリッツハイス美術館展を楽しむために
  -神戸市立博物館

9月某日

待望のマウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)。

公式サイト : 神戸市立博物館 / マウリッツハイス美術館展

すでに8月半ば、東京のほうで観てきたため順番は前後するが、神戸のほうを先にまとめる。

9月29日開催の翌日に行ってみた。開催当初は込むだろうと思ったので10月に入ってからで十分と考えていたが、偶然にも台風が日本を直撃することとなり、「しめた。ガラガラに違いない」と急遽、神戸まで行くことにした。

高速もガラガラだったので30分ほどで到着(時刻は正午)。近くの駐車場(1日最大1500円)に車を停めて外にでたらものすごい強風だ。傘をさしてもあっという間に壊れて役に立たなかったけど、まだ小雨だったため少し濡れただけで済んだのは幸いだった(帰りはずぶ濡れ)。

   神戸市立博物館 / 最寄り駅は三宮駅

見てのとおり誰も並んではおらず、すんなりチケットを買って中に入れた。

マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝

   現バージョンのチラシ

   旧バージョンのチラシ

   東京都美術館バージョンのチラシ

    ※※※ 以下は入場後の屋内。1階は撮影可 ※※※ 

   1階ロビーのボード / いわゆる撮影スポット

チケットを切ってもらって中に入ると1階ロビーに入場待ちの列を制御する柵が用意してあったが、人がまばらなため使われることはなく、そのまま中央に置かれてあった。(館内に入場後にも絵のブースに入場するための列ができるということらしい。)

   1階ロビー / 奥のミュージアムショップは博物館常設のもの

順序としては3階が最初のブースなので3階まではエレベーターで上る。(現在は違って、まず2階までロビー中央の階段を使い、3階へは、奥にある階段をさらにのぼって行く。1階ロビーで規制されていなければ、1階からエレベーターを利用して一気に3階に行ったほうがかなり楽である。別に怒られません。)その階には風景画・歴史画の部屋があって、それらをぐるりと一周してから2階へは螺旋階段で降りる。2階の最初はフェルメール「真珠の耳飾りの少女」専用のブースで、奥に行けば肖像画、静物画、風俗画の各ブースがある。

   館内で配られる案内図 / 今回はひとり1枚のみ

最後のブースをでるとショップがあって、その出口から階段を降りて1階に戻ることになるが、これは最初に入場してきたロビーと同じところなので、そこから何度も3階に行って絵の前に戻ることができる。つまり、東京都美術館でもそうだったけど、ショップに入っても美術展の「出口」とはならない。ショップから直接ブースまで戻ることさえできてしまう。これは結構嬉しい(京都市美術館・兵庫県立美術館は不可能)。

 上が2階の特別展ミュージアムショップ / 階段で1階に戻ることに

美術展のボードの左にあるのは、「耳飾り」の額だけを用意したもので額の裏側に立って絵のように写真も撮れるという気配り。大人も子どもも大喜びの気配りだ。

肝心の美術展の感想だが、東京で2回も観ているので改めての特別の感慨はなし。東京については改めて書く予定。

ちょっとだけ鑑賞案内

ひとつ、「真珠の耳飾りの少女」のブースについては書いておこう。

部屋の広さは東京都美術館のそれと比べてひと回りかふた回り小さめで、また都美と同じく左側が最前列で観るための列をつくる柵が設けられ、こちら側では列に並べば絵の一番前で観ることができるが立ち止まることはできない。一方の右側には、一歩か二歩下がった距離で観るためのスペースがあって、そこは時間規制なしで存分に堪能できる。絵まで2メートルくらいだろうか。

個人的には右側のじっくり絵を観られるスペースがお勧め。少し遠いとは云え、「少女」と真正面で対面できる機会は貴重である。左側に並んで絵の前を通り過ぎたところであまり意味はない。昔、東京でドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」を同じように歩きながら眺めさせられたが、あんな惨めなものはなかった。

ところで、絵は額縁自体のガラスに加えて、ガラスをはめ込んだ壁の向こう側に絵が飾ってあるため、どのような観方にせよ、位置からは結構距離があると感じられる。

そこでお勧めは単眼鏡。

私はKenko製の単眼鏡(リアルスコープ8×20)を使っているが、これがあれば絵の細部まで観ることができて、このような展示がされる絵を堪能するにはとても便利な道具だ。「真珠の耳飾り」の光沢はもちろん、「少女」の唇の照かり具合もはっきりわかる(絵の傷も見えたりする)。

   Kenko リアルスコープ 8X20

また、「耳飾り」以外のブースにはソファが結構用意されているため、座りながら絵を鑑賞することも可能なので便利かもしれない。

ひとつ心配なのは、「耳飾り」のブースだけでなく、チケット窓口に並ぶスペースや1階ロビーの広さがあまりないこと。そのため、これから観客が増えればかなり窮屈な感じになると思われる。都美とは違って、行列が屋外に及ぶことが予想されるから、その点は注意したほうがいいかもしれない。(だから台風直撃の日に行ったのはかなり正解だったと思うのだった。)

   「マウリッツハイス美術館展」カタログ 2012年 2000円
   都美で購入したものだから何度も読んでて、くたびれている

カタログ(図録)は安めのお値段だが、クオリティもそれなりに低い(ペラペラだし読み応えがあまりない。なにより翻訳がちょっと下手)。ベルリン展のそれのほうがずっと作りもよくて内容充実だったので(2500円)、値段が安ければいいというものではないね。

ひとつだけお気に入りの絵を

   テル・ボルフ / 手紙を書く女 1655年

フェルメールより15歳年上のテル・ボルフが以前から気にいっていて、一見地味なこの絵を強く推したいのは私だけだろうか。

〔 フェルメールからのラブレター展 〕で初めてテル・ボルフの存在(とその作品)を知って以来、彼の絵をひそかに探している。

この「手紙を書く女」の女性はとても美人であるとは云えないけれど、丸顔や髪型など、どこか愛くるしさを感じる人である。背景は薄暗く手を抜いているような気もするが、それがかえって女性そのものを演出し、特に上着の華やかな色が背景と好対照をなしている。それがまた美しいのだ。

なかでも女性の耳のところにある青いリボンと真珠は、暗い展示室ではとても気づきにくいのだが、細かすぎるほどの筆致で描かれており、小さくてかわいらしさ抜群である。カンバスのほぼ中央に置かれたそれらが、この絵の最大の魅力だろう。

会場ではほとんどの人が素通りするこの「手紙を書く女」、ぜひとも立ち止まってじっくり眺めてほしい。

10月某日 別の日の混雑状況

10月7日(日)、はやくも二回目のマウリッツハイス美術館展。

大阪から神戸方面への阪神高速が結構込んでいて、前回の倍くらいの時間がかかった。

午前10時半頃に現地に着くと博物館の外に列ができており、10人ほど並んでいた。これはチケットを購入するための列で、館内のスペースが狭いため外にはみ出るわけだが、実際には窓口から20~30人ほどの人数でしかないのでそれほど待つわけではない。

チケット購入後に入場しても、上記の1階ロビーの規制線は使われておらず、すんなりエレベーターで3階までたどり着けた(午後は違っていたのだが、それは後述)。

だが一歩、展示室に入るとものすごい込み具合だった。それぞれの絵の前には10人ぐらいが集まっており、歩くスペースもかなり窮屈。会場が狭いため、これくらいの人数でも相当な混雑振りだ。

絵を最前列で見るためには5分、10分は並ばなくてはならないだろう。環境としてはかなり厳しいものがある。

2階の「耳飾り」のブースは当然のことながら人で溢れている。多すぎるため、3階から2階へ降りる螺旋階段の手前で入場規制が敷かれるほどである。だが、溢れているのは、左側の、「耳飾り」を直近で観るための行列のほうで、右側の、立ち止まって観ることができるスペースには5人くらいしかいない。多少離れていても、じっくり眺めることができる右側のほうがいいと思うのだが・・・。

さて、すべての絵を観終わったところで1階に戻ると、ロビーには規制線が活用されて行列ができていた。昼の12時すぎだったと思う。展示室への入場規制が始まったらしい。

さらに、エレベーターで3階に行く人がいないような気がする。どうやら、1階から3階までは、階段でのぼるように指示されているようだ。(さらに後日行ったときに確認したところ、1階からショップへの階段をあがってショップと反対側に進んだ先にある階段で3階に向かう順路になっていた。でも、規制されていなければエレベーターを使って3階に行ったほうがはるかに楽。


土日に行く場合は、朝一よりも昼前後よりも、おそらく夕方がいいのだと思われる。開館時間が7時まで延長される土日の午後5時くらいに到着すると、きっと快適に観られるだろう。次回はそうしよう。

11月某日 さらに別の日の混雑状況

そういうわけでさらにもう一回、美術展に行ってみた。

曜日は日曜、時間は午後5時入館。(土日は午後7時まで)

天気が悪かったためかもしれないが(雨上がり)、もちろん並ぶ必要はなくスムーズに中に入ることができ、しかも館内はガラガラといっていいくらいである。

それぞれの絵の前には1~2人、「少女」の前だって5人程度。絵の独占も可能だ。

しかし、ゆっくり絵を眺めて改めて思ったが、照明がよろしくない。額縁のガラスに光が反射することがときどきあり、通常の高さでもそうなのだから、子どもだと反射する角度からみるため満足に絵をみることもできないだろう。

そんなこんなで閉館まで残り30分くらいになると、おそらく館内には10人くらいしかいない。おそろしく開放的だ。東京の様子を知っているだけに、独り占めしていいのだろうかと申し訳なくなるくらい。

人がいないのでふと感じたが、かなり暗めの照明なので明るい色調の絵よりも暗闇をベースとした絵の部分的な光がよく目立って、よりいっそう雰囲気がでる。たとえばレンブラントの「シメオンの賛歌」など、じっとみつづけると絵の場面のその中にいるかのように感じてしまう。

   レンブラント・ファン・レイン / シメオンの賛歌 1631年

ということで、日曜の午後5時がおすすめである。

   午後5時の京都市立博物館

1月某日 閉幕直前の様子

最後のフェルメールと思い定めて、1月3日、神戸まで。

閉館前の2時間を楽しめれば十分だろうと、午後3時半に到着(平日は5時半まで、土日は7時まで)。

ところが博物館の外にまで行列ができていた。人数は100~200人程度。博物館を半周まわるかたちで人が並んでいる。


誘導の人によれば、チケット購入までの待ち時間は30分程とのことだが(実際は20分くらいだった)、閉館まであまり時間がないのにこの混雑では、昼間はもっと大変だったはず。やはり駆け込みは多かったようだ。

だがこの「30分」が曲者で、あくまで館内入口のチケット購入までの時間なのである。購入後、チケットを受付で切ってもらってからさらに並ぶのだ。これが長い……。

1階のロビーだけでは収まりきれない行列は、1階の各展示室をヘビのようにウネウネさまよってあらゆるルートを確保して、ようやく尻尾(頭?)までたどりつく。ここで30分以上を消化してしまう。つまり、合計1時間、待つことになったわけだ。

館内に入れば寒さは感じないが、外で30分以上待つとなるとかなり厳しいものがあるだろう。

ただ、外ではチケットを購入するために並ぶのであって、すでにチケットを持っていればここで並ぶ必要はない。そのまま館内の受付まで直行できる。今、コンビニなどでチケットを買うことができるのかどうかしらないが、チケット自体にこだわりがないのであれば、まえもってどこかで買ってから博物館に行ったほうがいい。

さて、館内も相当に混んでいる。こういうときは観るのを諦めるのが一番。閉館30分前までじっくり待って、人が少なくなるのを期待する。

そして予想通り、閉館まであと30分を切ると当初から4分の1以下の人数に落ち着いて、かなり贅沢に一枚一枚の絵を観ることができるようになった。

今日は、あまりの混雑ぶりに、急遽閉館を30分延長するという措置がとられたため、これも幸運だった。

観覧ルートの最初に戻れば、もう新たに人は入ってこないのだから当たり前なのだが、誰一人いない状況である。入館時の状況が嘘のようである。30分もあれば、お気に入りの絵に絞れば、十分に独占状態で絵を楽しむことができる。

そうして、ルーベンスやレンブラント、テル・ボルフ、そして「真珠の耳飾りの少女」をじっくり観てしまった。「少女」の絵の前にはさすがに1人だけということはないが、3人くらいいてもいいではないか。譲り合って、真正面から、対面したのだった。

もう6回も観ているので実際は感動はないけど、それでも「少女」と一対一で向かい合えば、「少女」の病的な白い肌に吸い取られそうになって、赤いくちびるに惑わされそうになって、しまうのである。

でも、今日の収穫はレンブラントの「自画像」だった。

(随時、更新中)


2012年9月21日金曜日

バーン=ジョーンズに会いに行ったらヘイターと小磯良平に会ってしまったというお話-兵庫県立美術館

9月某日

バーン=ジョーンズ展を目当てに兵庫県立美術館へ。


暑い日だった。

阪急の王子公園駅から徒歩20分は、灼熱の暑さで絶望的な気分になった。でも、耐えた甲斐は十分にある苦難だったかもしれない。


兵庫県立美術館は初めてで、まず建物の巨大さに驚いたが、内部もなかなかすごい造りで重厚そのもの。美術館たるものこれぐらいでないと。


チケットを購入し展示室内へ向かう途中で現れたものすごい空間。コンクリートに囲まれた監獄のような吹き抜けは、まるで欧米の美術館のようだ。(あとで建築家が誰だかわかるのだが、このときはわかっていない。)

バーン=ジョーンズ展 -英国19世紀末に咲いた華-

   「バーン=ジョーンズ展」カタログ 2012年 2200円

神戸展 : バーン=ジョーンズ展 -英国19世紀末に咲いた華-
東京展 : バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴-

エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98年)はまったく知らない画家であったから、東京で開催されているときの好評を若干聞いていたとは云え、あのマンガのような、でもちょっと地味な絵の感じはあまり興味をそそられず、神戸に巡回するからといって行くつもりはなかったのだけれどなぜか急に足が動いて神戸まで行ったというほとんど無意識状態で、そういうわけでなんの先入観もなくバーン=ジョーンズの絵を眺めることができた。

19世紀末の象徴派とか耽美派という話を聞けば、ちょうど同じ頃活躍したオスカー・ワイルドとかビアズレーしか思い浮かばない。アルフォンス・ミュシャとも近いのだろうか。いや、装飾デザインを手がけたという点以外は違うのだろう。

絵画としてはどうなのだろう。このような大規模な個展を開くほど優れた画家なのだろうかと最初は疑問に思った。

   バーン=ジョーンズ / 鍛冶屋のクビド 1861年

たとえばこの絵をみたとき、描写の技術は下手にしか思えなかったし天使の羽をみると「またキリスト教か」とちょっとげんなりしてしまう。

   バーン=ジョーンズ / 慈悲深き騎士 1863年

これもまたキリスト。兄弟の仇に命乞いをされて苦悶の末見逃してやった騎士を祝福するキリストなのだが、その物語は美しくあっても、その美しさが結局キリスト教に還元されてしまうことに得心はいかない。祝福するのは(なぐさめるのは)恋人であっても母であっても友人であってもいいし、むしろその方が伝わるものがあるからだ。

絵自体もやはり上手いとは云えず、彼独特の味わいはあるかもしれないがそれを楽しめる人でないと絵が素晴らしいかどうかわかりにくい。

繰り返すが、バーン=ジョーンズに一切の前知識がない状態での感想である。絵画好きの人間でもあらかじめ知っていることがなければ、彼の絵を観て思うことと云えばその程度ではないか。(と云いつつ、じわじわとバーン=ジョーンズにはまってしまうのだが。)


(執筆中)


コレクション展Ⅱ 


   アルベルト・ジャコメッティ / 石碑Ⅰ 1958年

   S.W.ヘイター / ラオコーン 1943年

   小磯良平 / 斉唱 1941年

   小磯良平 / 洋裁する女達 1939年





(以下、続く)

2012年9月15日土曜日

美しさ-レーピン展と『屋根裏部屋のマリアたち』

8月某日

ドビュッシー展の前々日、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでレーピン展を、その上のル・シネマで映画『屋根裏部屋のマリアたち』を見た。なかなか充実した夜であった。

   夜の渋谷。奥のほうにBunkamuraがあるが見えてはいない   

ところでレーピンとは誰か。

当然知るはずもなく、関心もほとんどなかったためあらかじめ何かを調べたわけでもない。ただ、レーピン展の良い評判をすこしネットで読んでいたから、軽い気持ちで行ってみただけだ。

イリア・レーピンとロシア

   「レーピン展」カタログ 2012年 2300円
(掲載写真がおしなべて低質なのは残念。解説は読み応えあり)

公式サイト : 国立トレチャコフ美術館蔵 レーピン展

カタログによれば、イリア・レーピン(1844-1930)はトルストイやチャイコフスキーらと並ぶロシアの有名な文化人であるという。そんな知名度のある人物と知らなかったのは私の不勉強かもしれないが、本当にそうなのだろうか。

だが彼の略歴や作品をみると、たしかにそうかもしれないと思えるところがある。交友関係は幅広く、トルストイやツルゲーネフとも面識があったという。私が特に注目したいのは、19世紀ロシアとの関係である。

レーピンはロシアの画家とされるが生まれはウクライナ。絵に目覚めたレーピンは当時の若者が皆そうであるように美術アカデミーを目指し、ペテルブルグに降り立つ。1863年のことだった。

当時のロシアで何が起きていたかといえば、革命の気運である。

(個人的好みから例をだせば)ドストエフスキーの『地下室の手記』は1864年、『悪霊』は1871年に出版されたのだが、いずれも革命思想の空想性・残虐性を(批判的に)描いた小説である。だがドストエフスキーがそのような認識を持つようになったのは、自らが革命思想に溺れシベリアに流刑(1849-54)された経験があるからであって、若いころはペトラシェフスキーの社会主義サークルに近い立場にいた。(なにも、国家に敗北したから転向したという意味ではない。)

文芸の世界に絶賛されて迎えられたばかりのドストエフスキー、もっとも社会の潮流にナイーブであった頃のドストエフスキーが影響を受けたように、1850年代前後のロシアは帝政を批判する自由な言論が社会にあらわれていた。レーピンは首都ペテルブルグでそのような空気に直接触れながら美術を学んだのだった。

この影響は彼の作品に確実に反映されている。

といっても、だいぶ後の作品になるが、「思いがけなく」という絵は意味あり気だ。

   レーピン / 思いがけなく 1884-88年

“思いがけなく”家の主人が帰宅した場面である。男は明らかに監獄帰りの姿だ。あるいは拷問つきの拘束を受けていたのだろう。

壁にかかっている絵が暗示しているのだが、捕まった理由は他でもなく革命運動への加担である。19世紀ロシアと監獄と云えば、それしかない。しかもあらかじめ予定されていたのではなく突然釈放されて(あるいは逃亡して)帰宅したのだから、いっそうその特殊性が強調される。場面選択が秀逸であり、加えて彼を迎える子供たちのそれぞれの表情、女中の呆然とした立ち姿、なにより夫人と思われる女性の一瞬の強張りがすばらしい。もちろん、帰宅した主人の戸惑いの表情も。

帰ってくるのを心待ちにされていた人が帰ってきたのか、帰らざるべき人が帰ってきてしまったのか。

表立って帝政を批判しているわけではないが、当時の社会のあるネガティブな側面を(直接的ではなく)間接的に表現した傑作である(直接批判したら政治臭を帯びる)。発表時には賛否両論を巻き起こしたという。

レーピンの作風

さて、レーピンがアカデミーで修行しているときの習作として、レンブラント「老女の肖像」の模写があった。

レンブラントの作品はエルミタージュ美術館に所蔵されており、ちょうど先日、国立新美術館で開催された大エルミタージュ美術館展でも展示されていた。私も見ていたから、Bunkamuraの館内で「あれ?」と一瞬驚いて感慨深いものを感じた。

   レーピン / 老女の肖像〔模写〕 1871-73年

レンブラント / 老女の肖像 1654年 エルミタージュ美術館蔵 
※展示なし


レーピンのほうはネットで適当な画像がなかったためカタログを自分で接写したもの。彼の模写はタッチが荒々しくレンブラントの真髄を吸収しようという意図がよく伝わる。

そう云えば、レーピンの作風は幅が広く、伝統的な写実性と印象派的な視覚性を備えた作品がそれぞれ制作されているのが特徴だ。

   レーピン / 幼いヴェーラ・レーピナの肖像 1874年
(レーピンの妻と娘はどちらもヴェーラという名。こちらは娘のほう)

レーピン / あぜ道にて-畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち 1879年

いずれも印象派を思わせる作品である。特に「あぜ道にて」のほうはモネを髣髴とさせる場面選択と筆の運びで、事実、レーピンは1873年から76年までパリに留学しており、まさしく当時社会に登場せんとする印象派に強い衝撃を受けていた。特にマネを崇拝していたという。

でもここにはフランスの爽やかな風は表現されておらず、風は吹かず大地の広大さが訴えてくるのであって、ロシアならではといったところか。

一方で、写実性を存分に発揮した肖像画も多く描いており、個人的に関心がないのでそれは掲載しないが、写実性の高いものとして次の「皇女ソフィア」が強く記憶に残っている。

   レーピン / 皇女ソフィア 1879年

いい画像がないのでカタログを接写。緻密に描かれたソフィアのドレス豪華さはとてもすばらしかった。だが焦点はソフィアの表情である。怒りをここまであらわした女性を描いた絵というのは寡聞にして知らない。皇族の一人をこのように描けるのはこれもまたロシア的であると云える。

ついでにもうひとつ、今回展示はないがカタログの解説にモノクロで掲載されていたもので、ちょっと気に入った絵を。

 レーピン / 水底の王国のサトコ 1876年 国立ロシア美術館蔵 
※展示なし


このような幻想的な絵もこなすのだ。

その他いろいろ

今回の展覧会で最も印象的だったのは、チラシにも採用されている妻の絵。

   レーピン / 休息-妻ヴェーラ・レーピナの肖像 1882年

若く見えるので娘ではないかと一瞬思ったが、妻である。右腕に喪章があるのではないか、という。えんじ色の洋服とソファが高級感をあたえつつ控えめな存在感をもたらしている。

もうひとつは、当時のロシア社交界の華だったというある婦人の肖像。

レーピン / ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバント男爵夫人の肖像 1889年

レーピンの社交界での立場がわかる作品であろう。

   レーピン / 修道女 1878年

修道院を訪れたときに覚えた感動をもとに描かれた絵。モデルは弟の妻ソフィア・レーピナだという。

と、綺麗な女性ばかり並べると、人物の美しさと絵の美しさを履き違えているのではないかとの批判は避けられない。半分あたりで、半分はずれ。

美しいものを描けば絵は当然美しく見える。そして、醜いものを劇的に描けばそれもまた美しい絵になる。それも真実だ。

   レーピン / ゴーゴリの「自殺」 1909年

作家ゴーゴリが原稿を暖炉の火に投じている場面。作家にとって原稿を燃やすことは、自らを燃やすようなことだ。まさしく「自殺」と云える。ゴーゴリのユーモア小説を愛読する私にとっては、衝撃的な図である。ゴーゴリは何をみているか、遠い過去を見ているのか、明日を見ているのか、あるいは何も見えていないのか。

   レーピン / 1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン 1885年 国立トレチャコフ美術館蔵 ※展示なし

この絵そのものは展示されていない。代わりに「習作」が展示されてあって、でも完成作のほうがずっといいのでこっちを。

すべての絵を観終えた感想として、作風としてはレンブラントの影響を受けているのはよくわかったが、西欧にはない、ロシアの薄暗さ、大陸的気質、そしてある種の気高さが彼の作品から伝わってくる。西欧の画家には持ちえぬ魅力だった。

時間を置いてカタログの解説を読んだら、すっかりレーピンに惹かれてしまった(冒頭のガリーナ・チュラク氏の論文は読み応えあり。それで一冊の本ができそうなクオリティ。訳者の鴻野わか菜氏の翻訳も他の美術展のカタログのそれとはレベルが違う上手さだった)。

姫路市立美術館にも年明けに巡回する予定だが、行くか迷う。


『屋根裏部屋のマリアたち』

   屋根裏部屋のマリアたち / 2010年 フランス

レーピン展を観終わったあと、上の階にあるル・シネマで『屋根裏部屋のマリアたち』を観る。

Bunkamuraにせっかく来たのだから映画でもというわけで、上映中のなかからこれを選んだ。

本国フランスでは上映するや否や大ヒットしたそうで、どんな映画か楽しみにしたが、まぁ、娯楽映画であった。





(以下続く。)