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2012年12月25日火曜日

感情のルーベンス - リヒテンシュタイン展

12月某日

ルーベンスは有名なのだろうけど、ルーベンス展というものには行ったことはなく、いくつかの美術展で見かけても取り立てて印象に残ったことはない。

例えば、フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展でみた「竪琴を弾くダヴィデ王」も白髪に表れる素晴らしい表現力には感動したが、それがルーベンス個人の関心へとは向かなかったし、大エルミタージュ美術館展の「ローマの慈愛」はちょっと目を背けたくなる奇妙な場面が記憶に残って、その筆致の独特さには注意が向かなかった。

  ルーベンス / 竪琴を弾くダヴィデ王 1616年頃-1640年代後半 ※展示なし

  ルーベンス / ローマの慈愛 1612年頃 ※展示なし

だけど、マウリッツハイス美術館展に飾られていた「聖母被昇天」には単なる宗教画を超えた魅力が感じられて、画家本人の「思い」といったようなものをチラリとうかがい知ることができたように思った。

  ルーベンス / 聖母被昇天(下絵) 1622-25年頃 ※展示なし

そして、リヒテンシュタイン展のこのチラシ。

これまで見たルーベンスとは全く領域の違う、あまりにも人間的な(現実的な)人物がこちらに語りかけるように描かれている絵を目にして、なにか感覚を揺すぶられるような感じがした。こんなことは初めてあった。

  リヒテンシュタイン展チラシ / 開催前バージョン


(つづく)

2012年12月5日水曜日

シャルダン、地味の品格
   - シャルダン展(三菱一号館美術館)

12月某日

国立新美術館のリヒテンシュタイン展を、そのバロック・サロンをどうしても体感したいと焦りを感じて急遽東京へ一泊。

延べ5つの美術展を回ったなかで、まず2日目の日曜午後に出向いた三菱一号館美術館のシャルダン展を簡単に。

シャルダン展 ― 静寂の巨匠

公式サイト : シャルダン展 三菱一号館美術館

東京駅周辺の4つの私立美術館(ブリヂストン、三菱一号館、出光、三井記念)のうち、夏に行ったブリヂストン美術館(ドビュッシー展)はなかなか立派な美術展を開催していて、(財団とは云え)日本の企業もなかなかいい金の使い方をするもんだと感心したものだが、初めて行った今回の三菱一号館美術館はまず贅沢な建物に驚かされた。

  三菱一号館美術館 / 茶色の建物

  シャルダン展入口 / 枯葉の落ちた木にピント

特に高層であるわけでもなく派手さもないのだけど、ヨーロッパの街並みを再現したらしき中庭と100年以上前からそこにあるかのようなレンガ造りの建物があまりに贅沢。

なかに入ってみて、さらに贅沢すぎてまいった。

  奥の展示室入口に続く廊下

2010年に完成したこの美術館は、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルが設計し1894年に完成した洋風建築(1968年に解体)を復元したものだという。1894年と云えば日清戦争の年だ。

外観だけでなく内装や構造も当時のままを再現していて、だけど各展示室をつなぐ扉がガラスの自動ドアだったりエレベーターがスケトルンだったり、新しい設備をふんだんに盛り込んでいる。なかを歩いているだけで楽しい。靴音が響く床板には賛否両論があるようだが、個人的にはほどよくカツカツするのはいい気分である。

シャルダンのどこまでも地味な静物画と人物画

ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)はフランスの画家。時代はちょうどロココの全盛期だが、シャルダンの絵はロココ風ではないのは明らか(個人的にはロココは苦手。みたことないけど)。もっとも、シャルダンについては相変わらずまったく知らず、木いちごをてんこ盛りにした絵ぐらいはみたことあるなという程度で、実際に絵をみてはじめて知ることばかりであった。

最初、会場で静物画ばかりが飾られているのをみてそれに関心があまりない人としては「こりゃつまらないかな……」と元気がなくなったが、三菱一号館の雰囲気がよかったせいが、結構楽しむことができた。

  シャルダン / 台所のテーブル 1755年

静物画といっても、オランダ絵画にあるような究極のリアルをつきつめた精緻すぎる静物画とは違って、シャルダンのそれはとにかく地味。グラスの透明感をこれでもかと表現し尽くしているわけでもなく、よくある頭蓋骨が置いてあるわけでも、知性をほのめかす書物や富を象徴する装飾物が置いてあるわけでもない。

湿気を表現したかのような暗さ・ぶつぶつ感がすべての絵にあり、ふつうは隠すべき家の裏側である台所が舞台である。それなのに、この作品のように、絵に品を感じてしまうのはなぜだろう。物の配置、色彩、すべてに品がある。

今回はカタログを買わなかったので、その秘密はよくわからない。

  シャルダン / 木いちごの籠 1760年頃

個人蔵の「木いちご」はみることができるだけで貴重らしいのだが、たしかに美しい絵である。ぶどうやりんごといった迫力のある果物ではなく、それぞれは小さな木いちごを籠に載せられるだけ載せてひとつの大きな、それでいて小さな果物をつくったかのようである。その表現の仕方も、地味な色合いながらも、いまにも(籠からだけでなく絵から)零れ落ちそうな「甘さ」が伝わってくる。たしかにおいしそうだ。

しかし、なんといっても、私がお気に入りだったのは人物画。

  シャルダン / 羽根を持つ少女 1737年

これも個人蔵の作品で、所有者から画像は広告などに使用してはならないと厳しく制限をかけられているため、公式サイトはもちろんチラシにも紹介されていない貴重な絵画。

あまり人間味がなく、人形のような描写である。実はそこに魅力があって、ざらざらした質感で全身がスエードのように見えるが、とても愛くるしくてかわいい。こればっかりは実物でしか伝わらないかもしれない。

この作品のヴァリアントも同時に展示されており(ウフィツィ美術館蔵)、シャルダンが自らの筆で複写したのか別の画家による模写なのかは現在わかっていないのだが、この同じ構図の絵を同じ部屋で見比べることができる。そうして実感するのは、ヴァリアントの作者はシャルダンではないということ。明らかに描き方が違うのである。ヴァリアントは造形の筆運びがギクシャクしており他人が写した感があって、なにより、ひとつの統一した精神が描いた作品には思えなかった。

それだからこそ、シャルダンの「羽根を持つ少女」の魅力がいっそう際立つ。シャルダンというセンスが描き上げた完璧な絵。画風は肖像というより漫画的なのだが、派手さのないどこまでも地味な描き方にどこかしら品を感じてしまうのが不思議だ。品のあるデッサン、といったら失礼か。シャルダンにしか描けない絵であろう。

この絵は当然のことながらポストカードにしてもらえなかったため、カタログでしか味わえない(なのに買わなかった自分を恥じる)。いまキーボードを打っているこの瞬間に、もう一度見たくなってきた。

  シャルダン / 食前の祈り 1740年

これはとても有名な絵らしく各国の王侯が求めたほどの人気を集め、シャルダン自身によるヴァリアントがいくつか存在し、今回はそのうち2作品が並べられた。私はあまり興味はそそられなかった。


会期は来年(2013年)1月6日まで。シャルダンを知っている人も知らない人も、特に三菱一号館美術館に行ったことのない人には、絶対におすすめできる美術展であった。







2012年11月21日水曜日

美術展 2013年 = 今年の見どころ


リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝

開催期間 : 2012年10月3日 - 12月23日

開催地  : 国立新美術館、六本木、東京

開場時間 : 10:00 - 18:00 (金曜日は20:00まで)

公式サイト : リヒテンシュタイン展 東京

高知展

開催期間 : 2013年1月5日 - 3月7日
開催地 : 高知県立美術館

京都展

開催期間 : 2013年3月19日 - 6月9日
開催地  : 京都市美術館


ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア

開催期間 : 2013年3月9日 - 4月21日

開催地  : Bunkamuraザ・ミュージアム、渋谷、東京

開場時間 : 10:00 - 19:00 (金・土曜日は21:00まで)

公式サイト : ルーベンス展 東京

北九州展

開催期間 : 2013年4月28日 - 6月16日
開催地  : 北九州市立美術館

新潟展

開催期間 : 2013年6月29日 - 8月11日
開催地  : 新潟県立近代美術館


ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展-パリの夢 モラヴィアの祈り

開催期間 : 2013年3月9日 - 5月19日

開催地  : 森アーツセンターギャラリー、六本木、東京

開場時間 : 10:00 - 20:00 (火曜日は17:00まで)

公式サイト : ミュシャ展 東京

新潟展

開催期間 : 2013年6月1日 - 8月11日
開催地  : 新潟県立万代島美術館

松山展

開催期間 : 2013年10月26日 - 2014年1月5日
開催地  : 愛媛県美術館

仙台展

開催期間 : 2014年1月18日 - 3月23日
開催地  : 宮城県美術館

札幌展

開催期間 : 2014年4月5日 - 6月15日
開催地  : 北海道立近代美術館






2012年11月17日土曜日

ジャンルはバラバラ、本もいろいろ。ついでに人間もバラバラ

11月某日

原点に返って最近読んだ本について。

今年の6月からぼちぼち読み始めていた名著をようやく読了。だが・・・。


『チャタレイ夫人の恋人』で知られるD・H・ロレンス(1885-1930)が最晩年にキリスト教批判を展開した本。ロレンスは一流の文学者であるのはもちろんだが、実は批評・評論も数多く手がけており、歴史書も書いた。本書は、幼いころからキリスト教の厳格な家庭に育ったロレンスが、その生涯と自分が生きた時代を猛烈に悪罵する自己批判の書でもある。

この『黙示録論』は最近ちくま学芸文庫に収録されたもので、実際に私が読んだのは現在は絶版の中公文庫版。タイトルも『現代人は愛しうるか  黙示録論』といい、訳者の福田恆存が原題の「黙示録論」では意味がわからないだろうからこのタイトルをつけたという訳書で、初刊は戦後まもなくのことである。ちくま版は同じ訳書をタイトルを変えて刊行している。

ではなぜ福田恆存はこの「黙示録論」を「現代人は愛しうるか」と読みかえたのか。それこそまさにロレンスの云いたかったことであり、本書のクライマックスである。

ロレンスはクライマックスでこう叫んでいる。

近代の私たちは、キリスト教の(とくにその聖書の)掲げる理念によって、互いに譲り合い、助け合い、理解し合うことが、つまり愛し合うことができないのだ。――

いやキリスト教こそ人々の愛を説いているのでは? と誰でも思う。隣人を愛せ、敵を愛せと繰り返す聖書は理想的な教えではないのかと。聖書の教えを実践できない人間の弱さこそ、問題なのではないか。……

しかし、キリストの云うように行動することが、卑屈な精神から自由でない人間に本当に可能であるのかとロレンスは問う。

確かに人がひとりでいるときには普段より高みに立って考えることはできるだろう。だが、人がふたり以上集まればそこには必ず優劣の意識がうまれ、権力が働く。相手を賞賛する言葉の裏にも、避けがたくそれを否定する言葉を精神に同居させ、精神上の権力者であろうとするのが人間だ。つまり、人はキリストにはなることはできない。精神の貴族になることは、人が集団で生きる以上、どだい不可能なことなのである。

であるとすれば、貴族的精神の不可能性を逆説的に知らしめる聖書こそ、人と人とを和解させることを妨害している最大の原因であると云えるのであって、聖書がありうべくもない理想を説くことさえしなければ、そのほうが、実は人は理解し合えるのではないか。理想があるから人は苦しむのだ。

その聖書の欺瞞性を自ら明らかにしているものこそ、黙示録と呼ばれる新約聖書の一書である。

(以下、続く。)


新潮社
発売日:2012-01-20



文藝春秋
発売日:2012-08-03


講談社
発売日:2012-08-02

「カラマーゾフの兄弟」の続編を謳った小説であるが、駄作。「書かれざる続編をいまこそ完成させよう」という著者の意気込みだけが勇ましく(しかも、本の扉に自分の写真を使うだろうか?それを最初に見て嫌な予感がしたものだが)、仕上がった作品はとても一流とは云えない。

ミステリとしての面白みはあるかもしれない。最後の50ページほどはちょっとスリリングであったから。だが、「人物」があまりに貧相で、こんな薄っぺらな言動をする人たちだったろうかと「カラマーゾフ」の愛読者たちは皆呆れただろう。

もっとも、「妹」のほうの登場人物たちのほうがよりリアルであるかもしれない。「兄弟」でそうであるような、人があんなに長広舌を振るうことはありえないからだ。だが、それと同時に、「カラマーゾフ」の面白さは死んでしまう。

岩波書店
発売日:2001-04-20



福田和也が絶賛していたので読んだが駄作。章ごとに語り手が異なるのに、語り口がほとんど同じでは冷めてしまう。

この本を読んで家族の有難味がわかったという感想を述べる人がいるが、そんな読後感を得られる力は持っていない。ただただ異質で非現実的な家族がそこにあるだけである。分厚いのに読んで損しました。

2012年11月5日月曜日

絵は箱によって感動に差がでるらしい
  -大エルミタージュ美術館展/東京・京都

10月某日

東京・名古屋から巡回してきた「大エルミタージュ美術館展 京都」。その開催後最初の週末に行ってみた。

公式サイト : 大エルミタージュ美術館展 
東京展 4/25-7/16 ☆
名古屋展 7/28-9/30
京都展 10/10-12/6 ★

といってもこの美術展は初めてではなく、6月、東京まで出向いてベルリン国立美術館展とあわせて観にいったから二度目である。

ベルリン展の記事は
〔 真珠の首飾りの少女 - ベルリン国立美術館展 〕

というわけで、同じ美術展を別の美術館でたのしんだお話。

大エルミタージュ美術館展 世紀の顔 西欧絵画の400年

6月のときのことをふりかえれば、とりあえず午前中はベルリン展(国立西洋美術館)に行くことに決めていて、午後はどの美術館を闊歩するかは当日まで未定だった。そして、西美の館内においてあったチラシをいくつか見比べて選んだのがエルミタージュ展。

   「大エルミタージュ美術館展 東京展」 表

   「大エルミタージュ美術館展 東京展」 裏

東京展のチラシは見開きタイプ。京都は通常のA4で1枚。

   「大エルミタージュ美術館展 京都展」 表のみ

大きなポイントとなったのは、国立新美術館(新美)で開催されていることと、マティスがあるということ。新美もマティスも初めてなのだ。

マティスについては後で書くとして、新美は、完成したころは東京近辺にいたから足を運ぶことはできたはずなのに、当時は美術に関心がなく結局行かずじまい。あのガラス張りの、クネクネした建物が噂になっているのはもちろん知っていたけど、趣味の悪そうな感じがしたし、身近な文筆家の評判が悪かったせいもあるだろう。

   国立新美術館 / クネクネ

当日はカメラを忘れたので写真はなし。痛恨の失敗である。なので、上も含めて、8月に行ったときに撮った写真をかわりに掲載。(そのときは午前中に「具体展」を観にいった。ゴミみたいだった。感想はそのうちまとめたい。)

だが、実際に新美に入ってみたら意外にも(中は)よかった。

   屋内から外を / 3階までの吹き抜け

   高いところが苦手な人にはエスカレーターがまず危険

基本的には、ガラスと打ちっぱなしのコンクリート、それに木目の床板で構成される開放的な空間。

なかでも外光の射し込み具合がなかなかのもの。

   1階のカフェ / 「具体展」が不人気だったためかガラガラ

このあたりの無骨な構造も外のクネクネとは違って良い感じ。

  2階のサロン・ド・テ ロンド(カフェ)へ続く通路を1階から

さて、絵画である。

「西洋絵画の400年」というサブタイトルがあるように、西暦1500年頃から1900年頃までを視野に入れて、ルネサンス、バロックからロマン主義、印象派、ピカソまでと、とても幅広い作品が集められた。

エルミタージュ美術館はロシアの女帝エカテリーナ二世(在位1762-96年)が所有美術品を飾るために建てた宮殿がその始まりで、6つの建物に現在約300万点の作品を所蔵しているという。今回はその中からほんのわずか、89点の作品が日本にやってきたわけだ。

にもかかわらず、作品のレベルは低すぎた。素人が云うのもなんだが、傑作が集められたとはお世辞にも云えない。


(執筆中)

   京都市美術館 / 雨はかろうじて降っていない

   「大エルミタージュ美術館展」カタログ 2012年 2500円




2012年10月13日土曜日

小磯記念美術館とザ・大阪ベストアート展

10月某日

兵庫県立美術館で小磯良平に興味をもったので、同じく神戸にある神戸市立小磯記念美術館に行ってみた。

   神戸市立小磯良平美術館 / 最寄り駅はアイランド北口駅

六甲アイランドのど真ん中、マンション群に囲まれた美術館は、なんだか場違いな印象を受けるかっこいい建物である。ちょっと洒落た図書館という風だ。


   小磯良平のアトリエ

円状の建物の中央には、小磯良平が実際に使用していたアトリエがそのまま移築されており、中に入って当時のアトリエの様子を見ることができる。椅子やイーゼルはもちろん、絵具が山盛りになったパレットもそのままだ。

展覧会はコレクション展と特別展が同時開催または単独で行われており、私が行ったときはコレクション展がメインだった。

嬉しいことにほとんど知らない作品ばかりで、その中でも気に入ったのは、「踊り子」と「肩かけをした少女」、そして「舞妓」だった。

「舞妓」は横顔の舞妓さんを描いた作品で、島田(?)に結った髪と白粉(おしろい)、着物の形の美しさがとてもよく伝わってくる。とくに、白粉の部分と地肌が滑らかな曲線で分たれているところに感嘆する。

こういう絵をみると、着物はやはり日本人が似合うのかなと思う。なで肩で鼻が低くちょっと猫背な姿態が、横からみるととても美しい絵になるのだ。骨格が違う白人の女性が着物を着ると少し違和感を感じるのは、その美意識が潜在的にあるからかもしれない。

「肩かけをした少女」は背景が紅葉かなにかが散っているような感じになっており、少女が格子柄の派手な肩かけをし、凛とした視線でこちらを見ている作品。全体の色合いは赤というか朱色で派手なのだが、ちょっと都会風でいい絵だった。

だが、それらの画像はいくらネットで探しても見つからない。画集(『小磯良平画文集 絵になる姿』)にも載っていないし、館内は撮影禁止だから自分で撮ることもできない。

「踊り子」は同じ題名の絵がいくつかあって、東京国立近代美術館所蔵のものがもっとも有名だが、今回展示されていたものは「寄託作品」とクレジットがついていたからこの美術館所蔵のものでなく、資料がなにもない。

追体験ができないのはがっかりである(いや普通はそうかもしれないが)。ミュージアムショップも驚きの「閉店中」だったからポストカードも買っていないのだ。

こんなことなら模写してくればよかった。


ザ・大阪ベストアート展 -大阪市立美術館(仮称)心斎橋展示室

神戸からUターンして、心斎橋まで。

美術館名に(仮称)とあるのは、橋下市長がうんたらかんたら云って中途半端な状態にあるからだと思うがよく知らない。そして、心斎橋になぜ展示室(分室)があるのかもよくわからない。

もっともわからないのは、その心斎橋展示室がどこにあるかだ。

出光ナガホリビルの13階ということなのだが、ビルの表通り側には案内板もポスターもひとつもないから、似たようなビルが並ぶ通りをぶらぶら歩いているだけでは、絶対に見つからない。ビルの反対側、つまり路地のほうに小さな看板がひとつだけあって、それを発見してようやく「このビルか…」と安堵できるのである。ビルの管理会社のきまりとして看板を出せないのかもしれないが、これは不親切で不真面目だと思う。美術館側の怠慢なのか、橋下市長のせいなのか、いずれにしてもいい加減だ。

それはどうでもいいとして、このダサい名前の美術展に行こうと思ったのは、ほかに面白そうな美術展がなかったからでしかなく、だから特別期待はしていなかったのだけれど、意外にもいい作品がいくつか観られた。


公式サイト : 
ザ・大阪ベストアート展 -府&市モダンアートコレクションから-

「ザ・大阪ベストアート展」は大阪府・大阪市が所蔵する100点の作品のなかから一般人の投票により展示作品を決定するという趣旨のもので、選ばれた50点が比較的ゆったりとしたスペースで展示されていた。

大阪が所蔵するもの限定だからたいした作品はない。それでも集めればそれなりに楽しめるものだ。

まずルネ・マグリット(1898-1967)とサルバドール・ダリ(1904-89)の意味不明絵画。

   ルネ・マグリット / レディ・メイドの花束 1957年

男性の背中に浮かぶ女性は、あのボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」にでてくる右の女性なのだろうか。

   ボッティチェリ / ヴィーナスの誕生 1483年頃 ※展示なし

右の女性は時の女神ホーラだという。マグリットの絵にはどういった意味がこめられているか、知らないので保留。

   サルバドール・ダリ / 幽霊と幻影 1934年頃

よくわかりません。

それからモーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)の絵。

   モーリス・ド・ヴラマンク / 雪の村 1930年頃

こんな画像しか見つからなかったが、とても美しい絵だった。光沢のある雪景色はナイロンのように艶を帯びていて、ちょうとホーマーの描く水面の月明かりのようである。

   キスリング / オランダ娘 1922年

   ローランサン / プリンセス達 1928年

モイズ・キスリング(1891-1953)とマリー・ローサンサン(1883-1956)は、こういう絵もあるのだなという印象のみ。といいつつ、「オランダ娘」のほうは結構お気に入り。

だがしかし、目玉はやはりアメデオ・モディリアーニ(1884-1920)であった。

   モディリアーニ / 髪をほどいた横たわる裸婦 1917年

たとえば写真をみても、素人目にはさっぱり魅力が感じられないモディリアーニ。ところが現物をみると、これがものすごい肉感で迫ってきた。

描線が目立ちすぎ、ともすれば子どもが描いたかと思ってしまいそうな絵(画風)であるが、ささやかすぎる肌のグラデーションは現実性と官能性を軽く表現してしまっている。これで充分だろう?と画家が云っていそうだ。

この絵は額縁に10センチぐらいまで近づくことができ、かぶりつくように観るという幸運もあった。いい絵を「体験」できたものだ。

で、そもそもこの展覧会は投票によって展示作品が決まったわけだが、第一位は佐伯祐三の「郵便配達夫」。有名すぎる絵で、特に関心はないのでパスして、日本人画家でよかったのはやはり小磯良平(1903-88)。

   小磯良平 / コスチューム 1939年

こんな画像しか探し当てられなかったが、結構大きな絵で、支度部屋…といったら相撲になっちゃうがつまり楽屋の薄暗さが見事に表現できている作品である。

その他、日本人画家の作品はたくさんあったが、とりたてて良いと思った作品はなし。草間弥生もあるのだが、彼女の作品のどこが魅力的なのか、さっぱりわからない。

2012年9月30日日曜日

マウリッツハイス美術館展を楽しむために
  -神戸市立博物館

9月某日

待望のマウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)。

公式サイト : 神戸市立博物館 / マウリッツハイス美術館展

すでに8月半ば、東京のほうで観てきたため順番は前後するが、神戸のほうを先にまとめる。

9月29日開催の翌日に行ってみた。開催当初は込むだろうと思ったので10月に入ってからで十分と考えていたが、偶然にも台風が日本を直撃することとなり、「しめた。ガラガラに違いない」と急遽、神戸まで行くことにした。

高速もガラガラだったので30分ほどで到着(時刻は正午)。近くの駐車場(1日最大1500円)に車を停めて外にでたらものすごい強風だ。傘をさしてもあっという間に壊れて役に立たなかったけど、まだ小雨だったため少し濡れただけで済んだのは幸いだった(帰りはずぶ濡れ)。

   神戸市立博物館 / 最寄り駅は三宮駅

見てのとおり誰も並んではおらず、すんなりチケットを買って中に入れた。

マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝

   現バージョンのチラシ

   旧バージョンのチラシ

   東京都美術館バージョンのチラシ

    ※※※ 以下は入場後の屋内。1階は撮影可 ※※※ 

   1階ロビーのボード / いわゆる撮影スポット

チケットを切ってもらって中に入ると1階ロビーに入場待ちの列を制御する柵が用意してあったが、人がまばらなため使われることはなく、そのまま中央に置かれてあった。(館内に入場後にも絵のブースに入場するための列ができるということらしい。)

   1階ロビー / 奥のミュージアムショップは博物館常設のもの

順序としては3階が最初のブースなので3階まではエレベーターで上る。(現在は違って、まず2階までロビー中央の階段を使い、3階へは、奥にある階段をさらにのぼって行く。1階ロビーで規制されていなければ、1階からエレベーターを利用して一気に3階に行ったほうがかなり楽である。別に怒られません。)その階には風景画・歴史画の部屋があって、それらをぐるりと一周してから2階へは螺旋階段で降りる。2階の最初はフェルメール「真珠の耳飾りの少女」専用のブースで、奥に行けば肖像画、静物画、風俗画の各ブースがある。

   館内で配られる案内図 / 今回はひとり1枚のみ

最後のブースをでるとショップがあって、その出口から階段を降りて1階に戻ることになるが、これは最初に入場してきたロビーと同じところなので、そこから何度も3階に行って絵の前に戻ることができる。つまり、東京都美術館でもそうだったけど、ショップに入っても美術展の「出口」とはならない。ショップから直接ブースまで戻ることさえできてしまう。これは結構嬉しい(京都市美術館・兵庫県立美術館は不可能)。

 上が2階の特別展ミュージアムショップ / 階段で1階に戻ることに

美術展のボードの左にあるのは、「耳飾り」の額だけを用意したもので額の裏側に立って絵のように写真も撮れるという気配り。大人も子どもも大喜びの気配りだ。

肝心の美術展の感想だが、東京で2回も観ているので改めての特別の感慨はなし。東京については改めて書く予定。

ちょっとだけ鑑賞案内

ひとつ、「真珠の耳飾りの少女」のブースについては書いておこう。

部屋の広さは東京都美術館のそれと比べてひと回りかふた回り小さめで、また都美と同じく左側が最前列で観るための列をつくる柵が設けられ、こちら側では列に並べば絵の一番前で観ることができるが立ち止まることはできない。一方の右側には、一歩か二歩下がった距離で観るためのスペースがあって、そこは時間規制なしで存分に堪能できる。絵まで2メートルくらいだろうか。

個人的には右側のじっくり絵を観られるスペースがお勧め。少し遠いとは云え、「少女」と真正面で対面できる機会は貴重である。左側に並んで絵の前を通り過ぎたところであまり意味はない。昔、東京でドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」を同じように歩きながら眺めさせられたが、あんな惨めなものはなかった。

ところで、絵は額縁自体のガラスに加えて、ガラスをはめ込んだ壁の向こう側に絵が飾ってあるため、どのような観方にせよ、位置からは結構距離があると感じられる。

そこでお勧めは単眼鏡。

私はKenko製の単眼鏡(リアルスコープ8×20)を使っているが、これがあれば絵の細部まで観ることができて、このような展示がされる絵を堪能するにはとても便利な道具だ。「真珠の耳飾り」の光沢はもちろん、「少女」の唇の照かり具合もはっきりわかる(絵の傷も見えたりする)。

   Kenko リアルスコープ 8X20

また、「耳飾り」以外のブースにはソファが結構用意されているため、座りながら絵を鑑賞することも可能なので便利かもしれない。

ひとつ心配なのは、「耳飾り」のブースだけでなく、チケット窓口に並ぶスペースや1階ロビーの広さがあまりないこと。そのため、これから観客が増えればかなり窮屈な感じになると思われる。都美とは違って、行列が屋外に及ぶことが予想されるから、その点は注意したほうがいいかもしれない。(だから台風直撃の日に行ったのはかなり正解だったと思うのだった。)

   「マウリッツハイス美術館展」カタログ 2012年 2000円
   都美で購入したものだから何度も読んでて、くたびれている

カタログ(図録)は安めのお値段だが、クオリティもそれなりに低い(ペラペラだし読み応えがあまりない。なにより翻訳がちょっと下手)。ベルリン展のそれのほうがずっと作りもよくて内容充実だったので(2500円)、値段が安ければいいというものではないね。

ひとつだけお気に入りの絵を

   テル・ボルフ / 手紙を書く女 1655年

フェルメールより15歳年上のテル・ボルフが以前から気にいっていて、一見地味なこの絵を強く推したいのは私だけだろうか。

〔 フェルメールからのラブレター展 〕で初めてテル・ボルフの存在(とその作品)を知って以来、彼の絵をひそかに探している。

この「手紙を書く女」の女性はとても美人であるとは云えないけれど、丸顔や髪型など、どこか愛くるしさを感じる人である。背景は薄暗く手を抜いているような気もするが、それがかえって女性そのものを演出し、特に上着の華やかな色が背景と好対照をなしている。それがまた美しいのだ。

なかでも女性の耳のところにある青いリボンと真珠は、暗い展示室ではとても気づきにくいのだが、細かすぎるほどの筆致で描かれており、小さくてかわいらしさ抜群である。カンバスのほぼ中央に置かれたそれらが、この絵の最大の魅力だろう。

会場ではほとんどの人が素通りするこの「手紙を書く女」、ぜひとも立ち止まってじっくり眺めてほしい。

10月某日 別の日の混雑状況

10月7日(日)、はやくも二回目のマウリッツハイス美術館展。

大阪から神戸方面への阪神高速が結構込んでいて、前回の倍くらいの時間がかかった。

午前10時半頃に現地に着くと博物館の外に列ができており、10人ほど並んでいた。これはチケットを購入するための列で、館内のスペースが狭いため外にはみ出るわけだが、実際には窓口から20~30人ほどの人数でしかないのでそれほど待つわけではない。

チケット購入後に入場しても、上記の1階ロビーの規制線は使われておらず、すんなりエレベーターで3階までたどり着けた(午後は違っていたのだが、それは後述)。

だが一歩、展示室に入るとものすごい込み具合だった。それぞれの絵の前には10人ぐらいが集まっており、歩くスペースもかなり窮屈。会場が狭いため、これくらいの人数でも相当な混雑振りだ。

絵を最前列で見るためには5分、10分は並ばなくてはならないだろう。環境としてはかなり厳しいものがある。

2階の「耳飾り」のブースは当然のことながら人で溢れている。多すぎるため、3階から2階へ降りる螺旋階段の手前で入場規制が敷かれるほどである。だが、溢れているのは、左側の、「耳飾り」を直近で観るための行列のほうで、右側の、立ち止まって観ることができるスペースには5人くらいしかいない。多少離れていても、じっくり眺めることができる右側のほうがいいと思うのだが・・・。

さて、すべての絵を観終わったところで1階に戻ると、ロビーには規制線が活用されて行列ができていた。昼の12時すぎだったと思う。展示室への入場規制が始まったらしい。

さらに、エレベーターで3階に行く人がいないような気がする。どうやら、1階から3階までは、階段でのぼるように指示されているようだ。(さらに後日行ったときに確認したところ、1階からショップへの階段をあがってショップと反対側に進んだ先にある階段で3階に向かう順路になっていた。でも、規制されていなければエレベーターを使って3階に行ったほうがはるかに楽。


土日に行く場合は、朝一よりも昼前後よりも、おそらく夕方がいいのだと思われる。開館時間が7時まで延長される土日の午後5時くらいに到着すると、きっと快適に観られるだろう。次回はそうしよう。

11月某日 さらに別の日の混雑状況

そういうわけでさらにもう一回、美術展に行ってみた。

曜日は日曜、時間は午後5時入館。(土日は午後7時まで)

天気が悪かったためかもしれないが(雨上がり)、もちろん並ぶ必要はなくスムーズに中に入ることができ、しかも館内はガラガラといっていいくらいである。

それぞれの絵の前には1~2人、「少女」の前だって5人程度。絵の独占も可能だ。

しかし、ゆっくり絵を眺めて改めて思ったが、照明がよろしくない。額縁のガラスに光が反射することがときどきあり、通常の高さでもそうなのだから、子どもだと反射する角度からみるため満足に絵をみることもできないだろう。

そんなこんなで閉館まで残り30分くらいになると、おそらく館内には10人くらいしかいない。おそろしく開放的だ。東京の様子を知っているだけに、独り占めしていいのだろうかと申し訳なくなるくらい。

人がいないのでふと感じたが、かなり暗めの照明なので明るい色調の絵よりも暗闇をベースとした絵の部分的な光がよく目立って、よりいっそう雰囲気がでる。たとえばレンブラントの「シメオンの賛歌」など、じっとみつづけると絵の場面のその中にいるかのように感じてしまう。

   レンブラント・ファン・レイン / シメオンの賛歌 1631年

ということで、日曜の午後5時がおすすめである。

   午後5時の京都市立博物館

1月某日 閉幕直前の様子

最後のフェルメールと思い定めて、1月3日、神戸まで。

閉館前の2時間を楽しめれば十分だろうと、午後3時半に到着(平日は5時半まで、土日は7時まで)。

ところが博物館の外にまで行列ができていた。人数は100~200人程度。博物館を半周まわるかたちで人が並んでいる。


誘導の人によれば、チケット購入までの待ち時間は30分程とのことだが(実際は20分くらいだった)、閉館まであまり時間がないのにこの混雑では、昼間はもっと大変だったはず。やはり駆け込みは多かったようだ。

だがこの「30分」が曲者で、あくまで館内入口のチケット購入までの時間なのである。購入後、チケットを受付で切ってもらってからさらに並ぶのだ。これが長い……。

1階のロビーだけでは収まりきれない行列は、1階の各展示室をヘビのようにウネウネさまよってあらゆるルートを確保して、ようやく尻尾(頭?)までたどりつく。ここで30分以上を消化してしまう。つまり、合計1時間、待つことになったわけだ。

館内に入れば寒さは感じないが、外で30分以上待つとなるとかなり厳しいものがあるだろう。

ただ、外ではチケットを購入するために並ぶのであって、すでにチケットを持っていればここで並ぶ必要はない。そのまま館内の受付まで直行できる。今、コンビニなどでチケットを買うことができるのかどうかしらないが、チケット自体にこだわりがないのであれば、まえもってどこかで買ってから博物館に行ったほうがいい。

さて、館内も相当に混んでいる。こういうときは観るのを諦めるのが一番。閉館30分前までじっくり待って、人が少なくなるのを期待する。

そして予想通り、閉館まであと30分を切ると当初から4分の1以下の人数に落ち着いて、かなり贅沢に一枚一枚の絵を観ることができるようになった。

今日は、あまりの混雑ぶりに、急遽閉館を30分延長するという措置がとられたため、これも幸運だった。

観覧ルートの最初に戻れば、もう新たに人は入ってこないのだから当たり前なのだが、誰一人いない状況である。入館時の状況が嘘のようである。30分もあれば、お気に入りの絵に絞れば、十分に独占状態で絵を楽しむことができる。

そうして、ルーベンスやレンブラント、テル・ボルフ、そして「真珠の耳飾りの少女」をじっくり観てしまった。「少女」の絵の前にはさすがに1人だけということはないが、3人くらいいてもいいではないか。譲り合って、真正面から、対面したのだった。

もう6回も観ているので実際は感動はないけど、それでも「少女」と一対一で向かい合えば、「少女」の病的な白い肌に吸い取られそうになって、赤いくちびるに惑わされそうになって、しまうのである。

でも、今日の収穫はレンブラントの「自画像」だった。

(随時、更新中)