6月某日
急に谷崎潤一郎を読みたくなったので、人生で初めて読むわけだが、主な作品を一気にめくってみた。以下、手に取った順に。(あらすじは省略。)
春琴抄
谷崎始めはまず「春琴抄」から。
読み始めて意外だったのは、「春琴抄」が純粋な小説ではなく実際の出来事に脚色を加えた半小説であることで、直前に読んだ永井荷風「墨東綺譚」もまた小説というよりエッセイに近いものだったから、両作が書かれた昭和戦前期の文学の有り様、もっと云えば日本近代文学そのものがいかに明治末年に登場した田山花袋らの「自然主義」の影響のもとにあるのかを痛感させられた。
このふたつの作品が日本近代文学の傍流であるならば気になるものではないが、名作と云われるこれらがいずれも「自然主義」的な、つまり事実にほんの少し色づけをした小説であることに、日本近代文学の宿命をみないわけにはいかない。
さらに問題が根深いと思うのは、ふたつの作品が、それもとりわけ「春琴抄」があまりにも面白いからである。いくら知った者を驚かせるほどの「事実」をもとにして書かれた小説であるとは云え、それを淡々とかつ劇的に描ききった谷崎の力量には感嘆せずにはいられない。
無駄を省いた品のある文章を最後まで並べ、知られるわずかな出来事からそれらの背後で交わされる春琴らの無言の言葉々々をすくいとった谷崎とはいったい何者なのだろうか。日本文学とは、フィクションであることとないことの区分けそれ自体が無意味な世界なのかもしれないと、前言を反省しつつ思う。
小説中もっとも美しかったのは自分の目を針で刺した佐助が春琴に知らせにいった場面であった。私はめしいとなりました。安心してくださいと云う佐助に、春琴は「佐助、それはほんとうか」と云ったきりしばらく押し黙った。佐助は後年振り返って云う。「この沈黙の数分間ほど楽しい時間はなかった」。
子どもまで生まれ(もっとも里子にだして育てはしなかった)、四六時中いつも一緒にいる二人はなぜ結婚しなかったのか。(佐助は春琴のことを御師匠様と呼ぶがここは春琴とする。)
自分にとっての春琴はわがままで厳しい人であり、対等の関係になれば主従の関係がくずれ、春琴は自分の知っている春琴ではなくなってしまう。春琴の自信を取り戻すためにも以前と同じように、むしろ以前よりまして自分は春琴の従僕とならねばならない。――――――
卍
「卍」は同性愛をあつかった問題作のように要約されるようだが、読中、そして読後の印象はそう単純なものではなかった。
既婚の園子が女子技芸学校で知り合った独身の令嬢、光子と同性愛の関係に陥り、園子の夫や光子の隠れた恋人(男)を巻き込んでさまざまな駆け引きを繰り広げ、なにが本当であるか、(登場人物だけでなく読者も)誰を信用していいのかまったく判然としない人間関係が展開される。結局、園子とその夫と光子の奇妙な同居生活から3人の薬毒自殺(園子は生き延びるが)へと至る破滅型のストーリーだ。
本書の白眉は、互いの騙し騙され、裏切り裏切られの複雑な物語構成である。そして光子の怪しく美しい性格とその魅力。読者が谷崎の手のひらの上で最後まで踊らされるこの小説は、一流のミステリ小説であると云いたい。同性愛だとかどろどろの三角関係だとか、興味本位の俗悪趣味小説ではまったくない。
陰翳礼讃
痴人の愛
鍵
勘ぐりと思いすごし、嘘と虚栄、一人よがりと本音――――それらが交錯する物語である。
結局、夫は妻・郁子に敗れた。裏のかき合い、策略のかけ合い、そして性欲のぶつかり合いに敗れたのだ。
勝った妻は、夫が死をもって日記を書けなくなってからも日記を書き続け、そこで初めて「真相」を明かす。これまでの日記には多くの嘘があったこと、娘・敏子の恋人である木村との関係は貞節を守るどころか既に一線を越えていたこと・・・・・・。ここまでは明言していなかったが、郁子は木村に「本当の」恋をしていたということである。
だが、夫を欺きとおした郁子も娘の敏子と木村が何を考えていたのかはわからない。そこはどうしても見抜くことができなかった。
したがって最も巧みに振舞っていたのは敏子と木村なのかもしれない。とくに敏子の不気味さはカフカを思い起こさせる。結局、この2人自身の日記は(物語の表面上は少なくとも)書かれず、彼ら自身の言葉による「真相」は一切語られなかった。
敏子と木村こそ、この物語の差配者であるのかもしれない。
瘋癲老人日記
「鍵」に比べるとはるかに出来は劣るので特別書くことはなし。
それよりも、この小説にはストーリーとは離れたところで有名な一節がある。京都へ小旅行にいったときの、(日記に書かれた)爺の独白である。(以下、原文は漢字とカタカナだが、カタカナをひらがなに改めた。)
新潮文庫の339頁にあるそれは、いわゆる東京批判。自分は生粋の東京(江戸)生まれだが、最近の東京は面白くないという言葉で始まって、「今の東京をこんな浅ましい乱脈な都会にしたのは誰の仕業だ」などと延々と東京を愚痴っていく。1頁足らずのこの一節は物語とはほとんど無関係に唐突な形で登場する。
東京生まれの谷崎は関東大震災を機に関西に引越し、戦後10年経ってから熱海に移るまで京都・兵庫で暮らしていた。東京と関西と、両方をよく知る作家の一人なのである。「瘋癲老人日記」が書かれたのは戦後であるが、谷崎の云う「今の東京」はおそらく関東大震災(1923年)以降の東京のことだろう。そんな谷崎の東京論とでも云えるのがこの文章なのだ。
では、東京を「乱脈」な街にしたのは誰かと云えば、「田舎者の、ポット出の、百姓上がりの昔の東京の好さを知らない政治家と称する人間共のしたことではないか」。明治以前の江戸は江戸の人たちが作り上げた町だが、維新のそれからは地方から東京に出てきて立身出世を果たし、官僚や政治家、実業家になった人たちがもっぱら東京の街を作ってきた。その「悪趣味」に谷崎は我慢がならないのだろう。それでは谷崎の思う「東京」とはいったい何なのか。それは「陰影礼賛」に書かれている。
刺青
細雪
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