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2014年8月25日月曜日

偉大な芸術家の思い出に - バルテュス展 / 京都市美術館

8月某日

表題はチャイコフスキーの曲から拝借。特に意味はなく、バルテュスを観るのは初めてだし思い出といっても美術館には2時間しか滞在していない。

日曜午後3時に訪れた京都市美術館はいい具合の混み具合だった。閉館の5時前には絵を独占できる幸運。しかも、京都市美術館友の会が椅子を寄贈してくれており、この美術館で作品を座ってみることができたのは初めてであった。


以下、読みにくいのでご注意。絵を愉しんでもらえたら。

(2014.9.2.更新)

バルテュス展 京都市美術館 2014.7.5. - 9.7.

  「嵐が丘」第8章挿絵 / 1933-35

孤児ヒースクリフと令嬢キャサリン(キャシー)の関係に自分の恋心を重ねた若きバルテュス(1908-2001)は、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」の挿絵を描いている。同時に、ヒースクリフを自分に置きかえた作品「キャシーの化粧」も描いているのは、動機からは自然なことかもしれないが、彼の強すぎる自我がそこに現われた格好だ。

挿絵のヒースクリフは自画像と酷似する。作品を借りて自分を語っているのである。

  キャシーの化粧 / 1933

彼は終生、自分が描きたいものを描いた。
(※訂正 美術展カタログの解説によれば、作品が売れない若い頃は依頼注文の肖像画を描いて糊口をしのいでいたそうである。)

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「美しい日々」が象徴的であるが、バルテュスの描く人物(顔)の造形はボッティチェッリに近づく。

  美しい日々 / 1944-46

若いころにイタリアに住んで絵を独学で学んだことの影響からか、初期ルネサンス時代以前に一般的だった描線が太く輪郭を強調した顔の描き方。モデルとなった少女の顔とはおそらくほとんど似ていない。全体を少しデフォルメした絵は、リアリズムから離れ、戯画的ですらある。

彼の理想がスタイルとして現実化された構図なのだろう(Xの構図もまた美しい)。現実を侮辱した絵を描いたという意味で、どこか宗教画を思わせる。

20世紀(現代)の神話を描いた宗教画。

少女は不可思議な魔力を感じさせ、人は絵の前に釘付けとなる。中世の闇が生んだ貴族の屋敷に主として住むひとりの少女。自らに恍惚するさまは、たとえようもなく“美しい”。

この魔術性・神秘性は、少なくともその一部は、同じくイタリアのカラヴァッジョが描いた絵が発するものと同じだろう。

  カラヴァッジョ / リュート弾き 1595-96 ※展示なし

  眠る少女 / 1943

「眠る少女」と並べてみると人間らしくない質感がよく似ている。どちらも彫刻のようだ。眠る「少女」は人間の魂が抜け出した形骸のようであり、しかし生気はかろうじて失われていない。

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「12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女」もまたそうであるが、バルテュスの描く少女のバランスと質感は人形のそれである。

  12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女 / 1945

人形が魔術の道具として用いられるのは、人形が人の魂の容れ物の役割を果たすからである。バルテュスが少女を人形のように描くとき、少女は少しく魔術性を帯びる。

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人のシルエットを誇張や美意識によって歪めるのは近代絵画以前の世界ではごく普通に行なわれていたことであって、とりたてて彼独自のものであるというわけではない。ギリシャ・ローマ彫刻の写実を経たあとの中世ヨーロッパのそれと変わりはしないし、近代の写実に慣れた、写真が日常にある私たちの先入観がそう思わせるだけだ。

バルテュスには肖像画など精緻な絵がたくさんある(本展では「ピエール・マティスの肖像」)。それらを見れば彼のデッサン力の程度は誰でもおおよそ理解できる。ピカソと同じく、あえて(ある思惑をもって)このような絵を描いたことは容易に推し量れるだろう。

絵とは本来そういうものだった。

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特定の人物を描く一部の肖像画をのぞいて、これらの人物がけしてこちらを直視しないのもバルテュスの絵の特徴だ。彼ら彼女らは視線をそらす。

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  ジャクリーヌ・マティスの肖像 / 1947

もっとも美しく思ったのが「ジャクリーヌ・マティスの肖像」。ひとりの少女の横姿を描いた、それだけの絵である。おそらく彼女の美しさがバルテュスの作為を拒否したため、この自然な絵が生まれたのであろう。ジャクリーヌはアンリ・マティスの孫にあたる。

最後に有名な「夢見るテレーズ」

  夢見るテレーズ / 1938

椅子にかけた布地をはじめとした静物は、セザンヌ

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ここまでに挙げただけでも多くの過去の画家の名前がある。バルテュスは過去を巧みに取り入れながら、それでいて誰も描いたことのない作品をつくりあげた。

少女という存在は現代に残された数少ない神話性を保っている。ときに現実的でない美しさと妖しさを湛え、人間の穢れを蔑む。そこだけは純潔が守られる。バルテュスはこの純潔に俗性(日常)を加えたわけだが、結果は、純潔をよりいっそう高めたと云えるだろう。

それが、バルテュスの作品が現代の神話であると云ったときの、神話の意味だ。

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  雨上がりで緑は鮮やかに

  川の流れに負けず、少しずつ進むガチョウ(?)

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