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2009年10月7日水曜日

ベンヤミンと天使、小林秀雄と自然

10月某日

今日発売の『SPA!』を立ち読みしてツボフク対談を読んでいると、ヴァルター・ベンヤミンのナントカカントカが好きなんだと坪内祐三が発言していた。

帰宅してから早速ベンヤミンの文庫本をめくってみる。「天使」が廃墟を見下ろすとか、映画がどうのこうのと言っていたなと思い出していると、みつけた。

「歴史の概念について」というエッセイ集のなかの一節。「新しい天使」というパウル・クレーの絵画をベンヤミンが解読している文章だ。(『ベンヤミン・コレクションⅠ』ちくま学芸文庫)

(天使は)顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。(中略)(だが)嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。(浅井健二郎訳)

翻訳もすばらしいが、ベンヤミンの言葉もとても意味ありげである。坪内祐三は都心の上空からの眺めと、この天使の視線を比較していた。

クレーの「新しい天使」も見てみたいと思ってネットを探すとウィキペディアにあった。想像していたのと全然違った。


ベンヤミンの想像力がものすごいのか、もっと深い背景があるのか。

同日

オスカー・ワイルドについての新刊本がでるらしいというので、一応チェック。

グレース宮田『オスカー・ワイルドに学ぶ 人生の教訓』

タイトルにはすごくガッカリだ。教訓だなんて、ビジネス書みたいじゃないか。

でも、担当編集者なる人の「小林秀雄『近代絵画』という本がある。初めて読んだのは26年も昔のことだが、「自然は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの言葉のレトリックについて考察したくだりがあった」という言葉に愕然としてしまった。そんな面白そうな考察が『近代絵画』にあったなんて。

早速書棚からひっぱりだして探してみたけれど、見つからない。「自然」と「芸術」についてワイルドを持ち出しながら小林秀雄が書いていたとすれば、もっと昔に読んでおくべきだった。ベンヤミンのエッセイと同じように、もっと時間のあるうちに読むべきであった。

2009年9月18日金曜日

眠いので、メモ的に

9月某日

簡単に。

中村光夫『二葉亭四迷伝』を読了。つづけて桶谷秀昭『二葉亭四迷と明治日本』を読む。

江藤淳『なつかしい本の話』読了。函入りの古い本。今でもよく古本屋で見かけると思う。

坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』も読書中。雑誌連載時にすべて読んだはず。でも、面白いから読み始めた。特に「アンティゴネー」を語るところなんて、もう。

上杉隆『田中眞紀子の正体』読了。一部で噂されていた鳩山内閣への眞紀子入閣が、ガセであったことがまことに喜ばしく思える本である。

2009年9月3日木曜日

政治家の回顧録

9月某日

図書館で借りてきた小里貞利『秘録・永田町』を読む。懐かしき自社さ連立政権の頃、自民党国対委員長を務めた元衆議院議員の回顧録。なんでこれを棚からとったかというと、書名以外には思い当たらない。永田町の「秘録」と聞けば、面白くないはずがないではないか。

というわけで、政治の舞台裏が三度の飯より旨い私としては大いに期待したのだけど…。この回顧録、政治家にありがちな自慢話しか書かれていないためえらく失望した。自分がたずさわった数々の政治ファクトについてネガティブな面には一切言及していないため、“正しさ”の担保がないのである。

同じく主観的な回顧録として(回顧録に主観的でないものはないわけだけど)石原慎太郎『国家なる幻影』を読んだことがある。こちらは愛読したこともあり、読んでいてとても面白い。作家だけに文章がうまいのがあるが、なによりビビッドに政治が伝わってくるのである。主観も客観も超えた説得力が溢れていて、真実味などふきとばしてしまうほどだ。また野中広務の『老兵は死なず 野中広務全回顧録』なんてのも、自慢ばかりといえばそうなんだけど、でも野中氏の情念みたいなものが伝わってきてこれもまた面白いのである。野中氏の「声」が聞こえてくるような文章なのだ。

だが本書はそういった魅力に欠けている(はっきりいって事務的な文章、時系列的な事実の羅列でしかない)。たとえば、自社さ連立政権の樹立についてなど、権力を握ることを目的とした連立であるのは間違いないのにそのマイナス面は黙殺され、連立を手続き的に正当化する言葉ばかりが語られる。あるいは、阪神大震災への対応について、あれだけ批判があったのにもかかわらずそれに何の斟酌すらもしないのは、誠実には程遠い(完全無視はいただけない)。そういったことへの目配りこそが、著者の言葉の信頼性を保証するものなのに。

9月某日

紀伊国屋書店で立ち読みして面白そうだと思ってamazonで注文した本が届いたので、早速読み始める。

Karin A. Fry『ARENDT : A Guide for the Perplexed』

見るからに洋書である。洋書を紀伊国屋で購入するとamazonの1.5倍もするのだからamazonも仕方ない。

ハンナ・アレントの入門書みたいな本である。とりあえずIntroductionを読み終えた。哲学批判の特色あたりがHayekと共通するものがあって、Arendtへの興味がますます高まる(以前からHayekの『Law, legislation and Liverty』を読んでいるから、ちょうど)。とにかく読みやすく、サクサク読み進められる本である。

2009年8月30日日曜日

悩ましい現代小説

8月某日

なぜか山本文緒『恋愛中毒』なる小説を読んでいる(ほんとになぜなんだろう?)。毎日10ページずつくらいだからあまり進んでいないが、とにかくひどい小説だ。

著者は直木賞作家。だからこの小説もエンターテイメント系になるのかもしれないが、読んだ感じではどうもそうではなさそうだ。離婚経験のある30代女性のちょっと非日常的な恋愛の話、なので。

なにがひどいって、この女性の「美化」である。いつもはさえない「私」だけど、実はこう見えて有名人にもてたり翻訳なんてちょっとオシャレなアルバイトもしているそんな「変」な自分に、ひとり暮らしの部屋で「くすり」と笑ってしまったりして、でもやっぱり友人に優しくされても、そもそも人が人に親切する「意味」がわからない「困った」私は、ひさしぶりに化粧をして有名人の事務所で働き始めて「愛人」になっちゃったりして、もう「普通」の女の子じゃなくて、それまで人に意見したことなんてないのにこの小説が始まってからズバズバ他人にモノを云っちゃったりして、でも私はさえない女の子--

みたいな。多少誇張があるけど、まぁぜんたいこんな感じである。この小説(文庫本)が27刷くらいいっているのがさらに驚きで、いったい世の女性は何を考えているのだろうかと深刻に心配してしまうほどだ。こんな小説にもしかるべきオチがあるのだろうと期待して、一応最後まで読むつもりである。

中村光夫『二葉亭四迷伝』も鋭意読書中だけれども、こちらもあまり面白くない。全然頭にはいってこない。名著だと愉しみにしていたのだが…。

2009年8月28日金曜日

「文士」のエッセイ

8月某日

東野圭吾一気読み。『探偵倶楽部』『殺人の門』『鳥人計画』を読了。これで4冊を立て続けに読んだことになる。

『さまよう刀』を含めて一番よかったのは、『殺人の門』かな。私好みの長編+大河+悲劇という要素が盛り込まれた本作は、邪な友人に小さい頃からずっと利用されつづけた主人公の、彼自身が軽蔑した父親と同じ道を歩んでいくどうしようもなさが(個人的に)居たたまれなかった。

『探偵-』は期待が大きすぎ、『鳥人-』は最後が力が抜けてしまった感じがマイナス。

8月某日

江藤淳『人と心と言葉』をようやく読了。2ヶ月以上は読んでいたと思う。前半の追悼文のみならず、後半のとりとめのないエッセイ群もとてもよかった。飼っている犬がどうだの、駅前がうるさいだの、電話がわずらわしいだの、普通の人が書いたらどうでもいい文になってしまいそうなところ、江藤淳の内的な言葉がちょっと、ところどころにアツイのがいいのだ。

昔、江藤淳を知ったころは政治評論関係ばかりであったから、このエッセイでもたまに政治ネタがでてくるとどうしても食傷気味というか、軽く読み飛ばしてしまうところがある。江藤淳本人がよく使う言葉に「文士」というのがあるが、やはりこの人は「文士」で、「文士」としての文章が本来なのだなと思った次第である。

続けて坪内祐三『四百字十一枚』も読み終えた。雑誌連載の書評集。書評の一回の分量が400字原稿用紙に11枚だからという題。「あとがき」で坪内祐三が、3-4枚の書評では無理だけど11枚あれば「余談」ができる、そこがいいのだと書いているが、ちょうど江藤淳も前掲書で、エッセイは10枚だか12枚ぐらいが具合がいいと云っていた。11枚といったら結構長い。4400字だ。大学でのレポートが(今なら笑っちゃうけれど)2000字くらいが多かった記憶がある。4000字を書こうと思えば、書きたいことだけ書いていても足らず、必然構成力が問われてしまう。そして、その力が歴然とわかってしまうのも、そのくらいの分量だろう。なるほどね。

内容についてはたくさん面白いところがあったけど、とりあえず、エドマンド・ウィルソンの批評集が欲しいということだけ。

2009年8月21日金曜日

編集者の役割、という大げさなものではないけど


8月某日

前々からなにかと話題になっていた渡辺明竜王の『永世竜王への軌跡』を購入。指し手解説はすべてすっとばして、対局こぼれ話を次々と読んでいく。

メインを読まずにいちゃもんをつけるのは筋が違っているが、ともかく出来がよろしくない。周囲や関係者の評判は高いらしいけれど、なんといっても文章が下手なのである。もちろん作家ではないのだからそれは大目にみて読むことはできるが、この本にはわざわざ「構成」者として特別に別の人の名前があげられているのだから、とても不満なのである。プロの作家ではないからこそ、チェックが行き届かなければならないはずだ。

うまい文章、読みやすい文章というのは、読み手が次に知りたいと瞬間的に思ったことを、書き手がまさしくその直後に書いているものである(本当にそうなのである。結論をはやくばらせというわけではない)。あるいは、理解にあたって本来書くべき文章の要素を一切欠落させない文章というのが優れた文章である(晦渋とかそういう問題ではない)。つまりこの2点において、本書は幼稚であると云わねばならない。それは原則的に、編集者の、この場合は「構成」者の責任にある。渡辺竜王のサービスの良さが面白いし棋譜解説も結構充実しているように思われるだけに、そこがあまりに残念でならない。

とここまで書いておきながら、確認のためあらためてページをめくってみるとそれほど読みづらくはなかった。最初字面を追ったときにの印象が強すぎたのかもしれない。そのとき、こう思ったのは事実ではある。

2009年8月12日水曜日

ふたたび東野圭吾


7月某日

内田魯庵『思い出す人々』を読了。早くも今年読んだ本のベストワンに並べられる一品であった。

この本の面白さのひとつに、魯庵は明治人であるのに文章がとても読みやすいことがあげられる。しかも、なかなか“若い”言葉づかいがみられることがポイントだ。ラスト・スパークだとかハイブリッドだとかラビリンスなんてカタカナ語がでてくるあたり、とても二葉亭四迷と同時代人であるようには見えないのである。

そういえばちょっと笑ってしまったエピソード(というか小さな事実)がある。本書の最後のほうで大杉栄との思い出が綴られているが、大杉栄の娘の名前がなんと「魔子」というらしい。大震災のときに殺された大杉の、なんかこう、複雑な人物像に興味を覚える。

続いて中村光夫『二葉亭四迷伝』を読み始めた。(江藤淳が指摘するように)「です・ます」調の文章には批評としての物足りなさが感じられるが、でも内容の充実さは十分。ときに踏み込みの弱さも感じられるけれど、二葉亭伝としての面白さは堪能できる。二葉亭を愛した中村光夫の(変な意味ではない)、強い思いが感じられる伝記である。

8月某日

坪内祐三・福田和也『無礼講』を読了。連載時に伝わってきたように、両者の考えの違いが徐々に表面化してきているのが注目すべきところ(坪内祐三が社会的事件の時代性を指摘するのに対し、福田和也は各事件をそういうものとしてしか受け止めない、など)。でも、よくありがちな喧嘩にならないところがふたりの大人っぷりとでも云おうか。

8月某日

東野圭吾『さまよう刃』を読了。数ヶ月ぶりの東野作品。やはりこの人の推理小説は抜群である。この小説は秋に映画化されることもあって本屋の目立つところに並べられていたから、つい手にとってレジまで持っていってしまったというわけ。読み始めると面白くて、すぐに読み終えてしまった。最後のちょっとしたひっかけ(?)も、東野作品ならではと云えるだろう。もっとも、内容自体は残酷な話である。

続けて東野の『探偵倶楽部』も読み始めた。VIP御用達の「探偵倶楽部」の活躍を描いた短編集。最後のオチには、よく考えられているなあと感心するばかりである。

2009年7月14日火曜日

日記や回想文はとてもおもしろい


7月某日

この間購入したふたつの日記をちょくちょく開いて読んでいるけども、戦前(戦中)の日記と聞いて何よりもまず読みたくなる日付というのが誰にでもあると思う(いや、ごく一部の人だけか?)。おそらく一番人気は敗戦の日だろうけど、自分がすぐさま開いたのが二・二六事件の日。

この日から数日の宮中ならびに政府内部の混乱はそれはもうひどいもので、秩序がまさしく崩壊しつつある雰囲気たっぷりなのである。そんな内部の赤裸々が面白くないわけがない。しかも当時、侍従を勤めていた入江相政の日記とあれば。

というわけで『入江相政日記』の1936年2月26日の項を読んでみた。と云いたいところだが、実はこの数日前の日記のほうが面白かったのである。面白いというか印象的だった。

二・二六事件の三日前の記述。この日、美濃部達吉が右翼の銃撃に遭うという事件があり、それを知った入江が事態をかなり憂慮していることが窺える。右翼人士を活気づかせるからである。事実、右翼を刺激しないよう事件は翌年まで公にされなかったという(解説)。

二日前の記述では、入江が小堀杏奴の「晩年の父」を読んだとある。このあたりが日記の面白さで、世情が不穏になっても個人の生活は普通に営まれているのである。杏奴は森鴎外の次女で、森茉莉の妹にあたる。

そういえば森茉莉のエッセイに杏奴のことが(何度も)書かれていて、例えば茉莉が東京女子高等師範学校附属小学校の5年生だか6年生の頃、別の小学校に通っていた杏奴が教師とともに突然、教室に現れた。杏奴が騒いで抑えきれないため、教師が姉の学校までわざわざ連れてきたというのだ。連れてこられた杏奴は、茉莉の席の隣にちょこなんと座る。そのとき、茉莉は「なんでこんな妹が生まれてしまったのだろう」と思ったという。

横道にそれたけど(英語で「横道にそれる」はwanderというのを今日知った)杏奴の「晩年の父」と二・二六事件が同時代であるということを体感させてくれるのも、日記の魅力なのである(つまり鴎外はとっくに死んでいるわけである)。


7月19日

買いそびれていた坪内祐三・福田和也対談集『無礼講』をようやく買って、ちょびちょび読んでいる。雑誌初出時に読み逃した回が結構あるため、初見のものが結構あるわけである。ある回で、坪内祐三が「自分が書いてきたものはすべて自伝か日記だ」と云っていた。たしかにそうかもしれない。というか、そうとしか考えられないかもしれない。そう、考えると、自分語りも違和感はないし、そういうスタイルなのである。でも『変死するアメリカ作家たち』の最終章だけは、やっぱり納得いかない。

まだ終わっていない本のひとつが内田魯庵『思い出す人々』で、ようやく3分の2を終えたところか。ますます面白い。この本はもっと早くに読むべきだった。奥付や記憶を参考にするとこれを購入したのは2001年頃だが、8年もほうっておいたことが悔やまれてならない。だって、これほどためになる明治文学案内があるだろうかという面白さなのだから。

学校の教科書に漱石とか鴎外とかの文章を載せても読みにくい、つまらないだけで、明治文学への関心を招き寄せることなんてもはやどだい不可能なのだから(自分だってそうだった)、魯庵のこのエッセイ(回想文)を代わりに読ませれば、アツイ明治の作家たちの生き生きとした姿を体験できて、よっぽど読者を獲得できるだろうに。教育関係者はもっと考えるべき。

魯庵と硯友社の「中坂」


7月13日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』を読了。最近読んだ小説のなかでは一番よかった。今回は図書館で借りたので、いつか古本屋で購入したいものだ。

感動的な話、ちょっとした小話、伝記のようなもの、ユーモア小説などなど、盛りだくさんの内容である。収容所が舞台なのだから悲惨な話が多いのだけれど、ロシアの他の小説がそうであるように、どの短編にもちょっとしたユーモアが感じられる。これはロシア文学の伝統なのだろうか、ロシア人のひとつの特徴なのだろうか。もっと知られていい本だと思う。

ひとつ付箋をはさんだ一文を引用。一番使い物にならない作業班の、一番ダメな作業員である信心深い信徒はある日、管理者の配慮ではじめて腹いっぱいの食事を与えられ、労働作業に入った。すると突然、彼は霧のたちこめる暗闇へ歩き出し、警告を無視して銃殺される。
そのときわたしははっとして寒気をおぼえた。そうか、あの給食が、自殺するだけの力を信徒に与えたのだ。わたしの相棒が死を決意するのに足りなかったのは、一杯のカーシャだった。死の意志を失わないために、時には急がねばならないことがある。

魯庵『思い出す人々』を読んでいたら、一度読んだことのあるような文が何度となくでてきて、おやと思ったら、この間読了した坪内祐三『極私的東京名所案内』でまさしく引用されていた部分だった。

魯庵の本では、紅葉・美妙らの「硯友社」ができた頃の思い出を語る一節で、中坂というトポスが語られている。坪内祐三のこの本(つまらないのだけど面白い本である。面白いけどつまらない、ではない)には東京の文学スポットとしての中坂に一文が割けられていて、中坂での魯庵と硯友社の偶然の交錯が紹介されている。

私の気になったエピソードを書くと。硯友社の雑誌『我楽多文庫』の第一号には石橋思案(外史)という人の序文が置かれていた。魯庵は書店に並んですぐ購入するが、この石橋思案が、魯庵の知る、近所の都々逸をよくする青年だと知るのはしばらく後のことである。後に硯友社派の文人たちと対立することになる魯庵の面白い過去の話である。

2009年7月13日月曜日

貴重な日記を480円で購入した


7月10日

数年ぶりに古本屋「天牛書店」へ行く。ここは鉄筋二階建てに古本が所狭しと並べられている有数の古本屋。しかも値段も安いときている。文庫は50円から、単行本も100円から手に入る。いわゆるベストセラー本ばかりではなくそこそこ読める本が300円均一カートに置いてある。洋書も300円からあって、つい、読みもしないのに買った洋書は数十冊になるだろう。今回も9.11テロについてのアメリカ政府の正式な報告書なんぞも買ってしまった。きっと読むことはないだろう(後日、序文をちょっと読んだけど)。

で、今日の収穫はやはり『入江相政日記』『高松宮日記』。昭和史第一級の資料がナント1冊480円から。

『入江日記』からひとつ取り上げると、入江は戦前のある日ある夜、辰野隆の長谷川如是閑論を読んだと書いてある。辰野はフランス文学者なのに、如是閑論を書いたことがあるわけですか。面白そうだ。

追記。そういえば、森茉莉が仏文和訳の仕事かなにかをしたとき、辰野隆にみてもらったとエッセイで書いていた。「夫だった人」(森茉莉の口癖)のつながりで、結構親しい間柄だったらしい。

7月11日

この前後数日、睡眠障害が悪化して何日に何を読んだかはっきりわからない。たぶんこの日は少なくともシャラーモフ『極北コルィマ物語』内田魯庵『思い出す人々』を読んだ気がする。

短編集『コルィマ』で印象的だった短編をひとつ書いておくと、盲目の牧師とその妻と飼っている山羊の話(羊だったかも)。収容所には直接関係のない小説で、盲目となった牧師は山羊の世話を唯一の生きがいとして暮らしている。牧師は山羊の乳を売る収入で生活ができていると信じているが、山羊の餌代が高いため支出のほうが多く、本当は山羊を手放さないと生活ができないほどだった。妻はその事実を牧師に伝えることはできない。牧師は山羊の乳搾りをとても愉しみにしているからだ。

しかし、いつまでも隠すことはできない。家具や服など、売れるものはすべて売った。このことも妻は牧師に話していなかった。真実を知った牧師は、最後の財産である金の十字架を砕いて、妻に売るよう伝えるのだった。

7月12日

魯庵『思い出す人々』は二葉亭四迷の話が終わって、山田美妙の思い出話に入った。美妙の早すぎる晩年。若干20歳すぎで一流作家となった美妙は、それをピークに(早すぎるピークだ)峠を転がり落ちていく。それは、美妙の交際嫌いの性格と進歩する努力のなさが原因だった。その点、尾崎紅葉は真面目だった。作家たちとの付き合いを大事にし、新旧問わず、どんどん本を読んで、新しい知識を増やしていった。そうして紅葉は文壇の大御所となり、現代にまで名を残す文豪となったのである。

2009年7月9日木曜日

辰野隆と松井須磨子(両者の関係は全くない


7月8日

『森茉莉全集 7』を適当に読んでいたら、いくつか「おっ」というような記述、というか名前がでてきた。

森茉莉の最初の夫、山田珠樹と出会った頃の話を読んでいると(結構同じ内容の話が何回もでてくる)、山田とパリに滞在していた頃のこと、山田が何人かの友人とよく議論をかわしていたのをそばで見ていたとある。その友人のひとりが、辰野隆(まもる、と読むのを初めて知った)。

坪内祐三『文学を探せ』を読んだときに面白かった本の話のひとつが、辰野隆を描いた本を紹介するくだりだった。意外なところで繋がった。

Link : 辰野親子(6月17日)

もうひとつ。森茉莉が演劇の話を書いていて、松井須磨子という女優の話をしていた。須磨子……どこかで聞いたなと思えば、直前に読んでいた坪内祐三『極私的東京名所案内』にまさしく須磨子の自殺話が書かれていたのだった。

森茉莉によれば、芸術座によるトルストイ原作の『復活』が大変好評を博し、劇中歌「カチューシャの唄」を歌った松井須磨子が大人気となった。須磨子は芸術座の岩野泡鳴の恋人として劇団で横暴をふるっていたが、岩野の死後、劇員たちから疎まれ、その辛さに芸術座の二階で自殺をしたという。

まったく同じ話が坪内祐三の本にも出ていて、ただし、芸術座という名は須磨子自殺当時は芸術倶楽部と変わっていた。この本では、この芸術倶楽部の隣にある酒屋(飯塚酒場)が文学史的に名所であるということで、紹介されているのである。

2009年7月8日水曜日

幻のモラル


7月7日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』の本編を読み出す。とりあえず100ページほど。ロシア文学といえば長大な小説を思い出してしまうけれど、短編小説にも素晴らしいものがあるじゃないかと教えられる本だ。ひとつのエピソードが長くもなく短くもなく淡々とまとめられ、無駄のない小説ばかりである。文章のはしばしから著者が詩人であることをも思い起こさせてくれる。

解説にあるように、収容所で暮らす囚人たちから道徳がほとんど失われている姿を描いているが、それでも、どんな境遇においても、どれほど数は少なくとも、救いとなる善意がぼうっと灯されているのは、事実だからなのか、はたまた著者のそれこそ善意なのか。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 3

第3章は「ナセニェル・ウエスト」。20世紀アメリカの三大小説として『グレート・ギャツビー』『日はまた昇る』とともにウェストの『孤独な娘』があげられるほど評価は高い。だが、生前はほとんど名声に恵まれることのなかった不遇の作家なのである。

1903年、ユダヤ系の家庭に生まれる。10歳にしてドストエフスキーやディケンズらロシアとイギリスの文学を読破するという早熟さをみせたが、学業はふるわなかった。本格的に勉強をはじめたのは大学時代。

2009年7月7日火曜日

君主は大変なのであーる


7月6日

この間読んだ山本七平『昭和天皇の研究』について補足しておくと、本書のハイライトである津田左右吉の「自然のなりゆき」という言葉が天皇(もしくは君主一般)についての困難性を解説してくれるだろう。

戦前、軍部や官僚たちは自分たちの意を天皇の意だと国民に偽装し、その結果として国民は玉砕という強迫観念から逃れられない精神状況に陥ってしまった。その挙句の敗戦について、国民はふたつの感想を抱いた。ひとつは、肉親の死に対して、または自分たちの苦痛に対してすべては天皇陛下のため、国家国民のためだったと納得させた感情。もうひとつは、こんな酷い目に遭わせた戦争を統帥した天皇に恨みを抱く感情。

この後者の気持ちは「自然のなりゆき」と云えると津田は書いた。被害者が責任者を問うのは当然のことである。この意味で、軍部や官僚こそが最も反天皇的な行為をはたらき、天皇に責任をなすりつけた張本人である。しかしだからと云って、彼らに真実を、天皇の意志とはつまり軍部や官僚の意志でしかなかったことを告げればいいわけではない。それは前者の敬虔なる感情を侮辱してしまうことにもなるからである。愚鈍な官僚たちのせいで息子を亡くしたと思いたくはないのだ。

したがって、軍部や官僚たちは、二重の意味で天皇を裏切った。(前者に対する)倫理的責任と(後者に対する)政治的責任を天皇に帰せたという裏切りである。いや、もうひとつ、重い裏切りをしてしまっている。それは、天皇に戦争は本意ではなかったとの自分自身の真意を伝えられなくするという恐るべき裏切りである。そしてここに、近代における立憲君主制の困難性があるのである(書く気になったら続きを書きます)。

2009年7月6日月曜日

『森茉莉全集』の重さ


7月5日

昨日土曜日に図書館に行って来て、『森茉莉全集』の第6巻と第7巻、さらにシャラーモフ『極北コルィマ物語』を借りてきた。

『森茉莉全集』はあまりに分厚くて、こりゃ二冊も同時に借りるんじゃなかったかなと後悔しつつも、とりあえず森茉莉の連載エッセイ「ドッキリ・チャンネル」を一瞥したかっただけだからよしとしよう。適当なところをいろいろ読んでみたら、夢中になってしまった。

テレビ番組を茉莉流に料理するエッセイとはいえ、父鴎外の思い出や文人たちとと交流の話が半分くらい占めているような、そんな存在感。森茉莉は鴎外を心の底から尊敬し好きだったのだなと思わせる言葉がたびたびある(もっとも、小説では鴎外はイマイチで室生犀星のほうがずっといいとも書いているけれど)。

いつか古本で手に入れたいものである。

シャラーモフのほうは友人のオススメ本で、図書館で探してみたら珍しい本なのにあったので早速借りた。旧ソ連時代の収容所に17年間放り込まれたシャラーモフによる、体験的短編小説集。ドストエフスキーやソルジェニーツィンの収容所小説や北朝鮮の収容所ドキュメントが大好きな私に、新しい世界がやってくるかもしれない。というのは、本書の解題で訳者はソルジェニーツィンとシャラーモフを比較して、前者は収容所でも人間は人間的に生きられると考え、後者は人間的なものが根底的に脅かされると考えていると説明している。シャラーモフは性悪説なのである。

他にはこの数日で、保坂和志『言葉の外へ』とか10冊くらいの本を開いた。保坂和志の本は、開いて驚いた。もうすでに7割方読んだ形跡がある。このエッセイ集のいくつかのエッセイは読んだ覚えが確実にあって、しかも印象的な話(カフカとかベンヤミンとか)が多くていい本なのだけど、あと少し読めば読了感が得られるのにこんな中途半端なところでやめていたのはなぜだろう。これからたびたび読んでいこう。

2009年7月1日水曜日

山本七平をひさしぶりに読んだ


6月30日

山本七平『昭和天皇の研究』を読了。昭和天皇が自分自身をどのように「自己規定」していたかをテーマにした本。内容は充実。とくに、杉浦重剛や津田左右吉の話が詳しく、勉強になった。

本書にあるように昭和天皇自身は自分を「立憲君主」として厳格にすぎるほど律していたのは事実で、これは近代国家としては理想的ながら、反面数々の不幸をもたらしたのも哀しい現実である。昭和天皇は「立憲君主」という立場の困難さを歴史をもって明らかにしたと云える。

この天皇の「自己規定」を培ったのが杉浦重剛らの教師たちであった。つまり、彼らもまた、近代国家の理想を実現しようとした。彼らはすぐれて近代主義者であった。それが昭和10年代の悲劇を結果としてでも招いてしまったとしたら、それは昭和天皇や杉浦らに責めがあるのではなく、近代立憲君主国家それ自体の限界であるように思うのである。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 2

第2章は「ハリー・クロスビー」。1898年生まれの詩人で、いわゆる「失われた世代」のひとり。そもそも「失われた世代」というのは俗にいう第一次大戦によって青春が失われたという意味ではなく、近代工業化によって地方の伝統や地域性を奪われて育った世代のことを意味する。故郷を失われた世代であるのだ。

そんな世代のひとりで類まれな知性に溢れたクロスビーは、ヨーロッパ風の近代化を表面的に取り入れ続けているアメリカという現実に我慢がならなかった。リアルでないもののように思えた。このリアルを求めて、クロスビーは入隊する。しかし、戦場で彼が目にしたのは、死、つまりリアルなものなどこの世になにもないという「死のリアリズム」であった。

除隊したあと、ハーバード大学の学生から殊勝にも銀行員となりパリで勤務はじめたクロスビーは、放蕩と文学の生活に溺れる。あらゆる本を読破していくなかで最も好んで読んだのはランボーとジョイスだった。彼は詩人を目指す。銀行を辞めて自ら出版社を起こしたのも、自分の文学のためであった。自分の作品を出版し、文学者たちと語らうための場であった。

クロスビーはいつしか太陽に魅せられるようになる。「死のリアリズム」を克服するのは、本当の不滅、すなわち太陽であった。死をことごとく永遠化させることができるのは太陽だ、という考えに囚われていった。そうしてクロスビーは、自らをひとつの作品として自殺をしてしまった。時間という圧政から自由になるために、不滅を得るために。

2009年6月29日月曜日

T.S.エリオットとデルモア・シュワルツ


6月28日

坪内祐三『変死』を読了。じっくり読ませてもらいました。これで、出版されている坪内祐三の本のなかでまだ読んでいないのは……まだ4冊ぐらいあるようだ。意外に結構ある。結構読んできたのに、まだ結構残っているこの結構さの理由はなんだろうか。もう10年以上の(紙の上での)付き合いがあるというのに(トークショウで会ったことが実はあるけどね)。

で、この『変死』だけれども、最後の章が個人的には不要だった。第4章まではストレートな文章で書かれているので、突然個人語りが始まる最終章は書かれた時期も大きく違い、しっくりこない。本人の意向とは別に、第4章までで良かったのではなかろうかと思うのである。

他に読んだものでメモしておきたいのは、初学者のためのイギリス文学史のような英語の本。なんとはなしに開いて読んでみた。T.S.エリオットのところだけ。かの有名なエリオットの「荒地」は、
現代人を過去の伝統にルーツをもたない人として描く。現代の都市の憂鬱と醜悪によって、共通の信念とインスピレーションで結合するどんな集団にも所属意識をもてなくなったのが現代人である
と語る詩だ(と訳してみる)。当時、第一次大戦の悲惨な現実から目をそらす詩人が多かったなかで、エリオットは数少ない、戦争の混乱と絶望にぶつかった詩人と紹介されている。なるほどね。簡潔でわかりいい。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 1

覚書のために何回かに分けて内容を簡単にまとめておこう。

第1章は「デルモア・シュワルツ」。1913年生まれ。1937年に「夢の中で責任がはじまる」という短篇小説が発表されると、同世代の若者たちの支持を得て一躍有名に。だが本来詩人であるシュワルツが苦心の末に書き下ろした長篇詩「創世記」の失敗(わずか29歳)から坂を転がり始め、ハーバードの作文講師をしながら「アメリカの夢」という「偉大なアメリカ小説」(本書のポイント)の完成を志す。だが生活は堕落し、書き上げることのないまま、1966年に無残な死を迎えた。

「夢の中」が好評だったのは、ユダヤ移民とアメリカ国民とのどちらにも疎外感を感じる孤独さが若者たちの気持ちを代弁していると受け止められたからだった。だが、ある世代の訴えというようないささか政治的文脈で捉えられたのがひとつの不幸だった。シュワルツ自身がそのような文学者として自分を型にはめてしまったからである(そんな自分の立場をコミカルに描いた「スクリーノ」という優れた短篇が生前には公表されなかったことが象徴的だ)。ヨーロッパ文学を受け継ぐアメリカ文学者としての自負がさらに、従来の詩の形態を超えた新たな詩を求めさせた。そうして書き上げたのが「創世記」(前半部分)である。だが、叙情詩を得意としたシュワルツにとって、それは挑戦であっても、失敗作に終わらざるを得なかった。

挽回をはかったシュワルツは、「アメリカの夢」によって「偉大なアメリカ小説」を目指したが、「そのまさに夢物語というしかない実現不可能な夢を追い求めれば求めるほど、現実の生活に対するシュワルツのあせりは増していった」。妻に死なれ、ハーバードで講師をつとめて生活を維持していたものの、大学ではユダヤ人差別に遭遇するなど徐々に被害妄想に襲われ始めた。「すべてが八方塞がりだった」。そしてその頃、影響を受け始めたのが、フィッツジェラルドだった。若き日の栄光と悲惨な晩年を体現するフィッツジェラルドの影響は決定的だった。シュワルツは「アメリカの夢」を完成させることなく、アルコール中毒に悩まされながら、安ホテルで無残な死を迎えた。……

シュワルツはエリオットと無関係ではなかったりする。エリオットの詩に多大な影響を受け、「エリオット論」を執筆しようとしていた時期があった。だから、英語の本のエリオットの紹介部分を読んだわけなんだけど。

2009年6月28日日曜日

書評と書評される本


6月27日

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』の続きを読む。ところで思うのだけど、書評とか批評というものは独立して読むにたえることが必須の条件であるけれど、そんな書評ないし批評にもふたつの違いがあるのではなかろうか。つまり、紹介ないし引用された本も読みたくなるものと読みたくならないものと。

書評ないし批評がそれだけで読んでおもしろいのなら、あえて取り上げられた本も手にとって、つまり書評ないし批評の筆者の体験をなぞって、読む必要はわざわざない。でもなかには、取り上げられた本をこそ読みたくなる場合も多々あるものだ(そもそも書評はその役目を負っているのだから当然だ)。その違いは、筆者の書き方(力量)のせいであったり、取り上げられた本のクオリティのせいであったり、あるいはその両方がかかわっているということになるんだろう。で、今読んでいる書評ないし批評がどっちにあるのか、それをはじめて意識してみた。坪内祐三が『変死』で取り上げた、マイナーな作家たちの作品はぜひとも読みたいと思うのだ。

2009年6月27日土曜日

日本の私小説


6月26日

福田恆存のナントカという文章(「近代日本文学の系譜」)についてもう少し補足すると、二葉亭が学び取った文学はロシアの文学を中心としたヨーロッパ文学であって、その文学観と現実の日本社会との乖離はどうにも否定しようがなく、二葉亭にとって文学は文学、現実は現実であり、それゆえに「二重生活」を強いられていた、という。行動によって解決できないほど切迫した現実の問題はなく、だからこそ二葉亭は「浮雲」のあと、現実=官吏の道へと進んだ。この現実では解決されない問題こそが、文学の原動力となるのだ。その意味で、尾崎紅葉などとは違い、二葉亭は誠実であった。

まあ、なんとも恆存らしい語り口である。これを基準に二葉亭関係の本を読もう。ということで、内田魯庵の『思い出す人々』の続きを読む。さらに、本棚で『近代日本文学のすすめ』とかいう岩波文庫を見つけたので開いてみると、なにかと世間を騒がせる小谷野敦が二葉亭について書いていた。いわく、「浮雲」は日本で最初の男の恋の悩みを取り上げた小説であると。それ以前、男女の恋愛は相思相愛か女の恋わずらいが主題となることはあっても、男が恋に悩んでいるさまを描いた作品は日本になかったという。事実なら、これは画期的かもしれない。

さらにさらに、この文庫の巻頭には何人かの文学者らによる座談がおさめられていて、その中で加賀乙彦が面白いことを云っている(赤線が引いてあるのでもちろん一度読んだ文章ということになるのだけど…)。日本の近代文学が欧米のそれとは違うところは、孤独になりきれないことだ。この「孤独」は物理的なもので、つまり、ひとりになりきれる個室が日本にはなかった。家族や近所の付き合いが何かと日常を邪魔する。日本の作家は閉鎖的空間を持ち得なかったのだ。が、この閉鎖的空間を独自に捜し求めた先が、日本に特有の私小説ではなかったか。

ひとつの都市論にもなっていて記憶しておきたい言葉だね(一度読んだのに記憶してなかったし。なんとなく覚えてはいたのだけれど)。

2009年6月26日金曜日

小林秀雄と三島由紀夫の「声」  (続き


6月25日

昨日の続き。

で、江藤淳『離脱と回帰と』で何と云っていたかというと、三島由紀夫は「詩」の人ではなく「文字」の人だった。東大法学部から大蔵省に進んだ才能は「詩」を作ること、「声」を紡ぐこと(つまり歌、俳句)には向いていなかったという話。そういえば、福田和也が書いていたけども、江藤淳は誰かの声音を真似るのが抜群にうまかったという。「声」と「文字」。どっちかというと「文字」の人である私は何かが欠けていそうだ。

本棚から奥野建男『日本文学史』という新書を偶然見つけたので、二葉亭あたりの内容を読んでみたら、二葉亭の小説は、現実の政治的、社会的問題に鬱屈した人々に文学という刺激を与えたとかなんとか書いてあった。内田魯庵の言葉とはちょっと違っている。魯庵は『思い出す人々』で、二葉亭が「浮雲」で問うた「人生問題」は世間にほとんど無視されたというように書いている。さらに云えば、福田恆存が、二葉亭の小説は現実との深刻な対立のなかで生まれた、切実なものではなく、二葉亭にとって、芸術と現実はあくまで別個のものであった、つまり当時の文学に必然性はなかったと語っていたのをナントカという文で読んだばかりだ。でも、なんで私はこんなことにこだわっているのだろう…。

他に読んだのは坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』の半分くらいと『酒日記』のごく一部と江藤淳の例のエッセイ集。

坪内祐三のごくごく初期の原稿が収められている『変死』は、はじめて読んだけど、とても面白かった。むしろ今の文章(の内容)より面白いかもしれない。引用と( )の数々が極力省かれたストレートな文章が。個人的には、ツボのベストスリーに入る本だね。

そして江藤淳のほうはというと、木庭さん=中村光夫の回想が忘れられない。中村光夫がこんなに孤独だったなんて。しかも江藤淳は「平然と間違える人」というタイトルで中村光夫を書いているなんて。江藤さんって、怖いね(そういう意味じゃなくて)。

2009年6月25日木曜日

小林秀雄と三島由紀夫の「声」


6月24日

昨日の続き。魯庵の云う「文学士」とはどうやら大学の学問を修めたものに与えられる「学士」のことのように思う。ところで、坪内祐三『慶応三年…』では、東京大学の英文科を修了した「英文学士」としては夏目漱石が二人目だと書いてある(一人目は無論、逍遥ではないが)。これは正確であろう。とすると、坪内逍遥の「文学士」もまた、(英文科ではないにしろ)珍しいものだったかもしれない。

とすると(個人的な)謎は解けた。魯庵の執筆時、明治末年頃の学者の「博士」より明治20年当時の「学士」のほうがはるかに「重視」されたということに違いない。たぶん。

で、今日も魯庵『思い出す人々』を読む。あまり進まず。むしろ江藤淳『人と心と言葉』のほうを熱心に読んだ。追悼文の章で、例えば。

小林秀雄の訃報を聞いて、亡き小林の実声を懐かしみ、そもそも日本語は「文字」ではなく「言伝え」の言葉ではないかと考えていたら、小林秀雄の講演を収録したカセットテープが登場して、こりゃいい、という話。他にも(というよりこっちの方が印象的だったりして。つまり、亡き山川方夫との会話を回想する文がとても素晴らしい。「君の漱石論はひとつしかないのだから」という山川の言葉が)読み応えのある文があったが、小林秀雄の声について今書いているうちにもっと大事なことを思い出した。

その後に本棚から偶然ひっぱりだした同じ江藤淳『離脱と回帰と』とかいう本を読んでいたら、昭和天皇の時代を振り返って、江藤淳が三島由紀夫の「声」について語っていた(対談本。相手は富岡幸一郎)。なんて語っていたかというと……、さっきまで覚えていたのに忘れた!しまった!!

2009年6月24日水曜日

さらに魯庵


6月23日

内田魯庵『思い出す人々』を読み始める。二葉亭四迷を語る文がアツイ。

ところで坪内逍遥が話題になった理由として、本文中に「今の博士よりも遥にヨリ以上重視された文学士の肩書」と書いてあるけど、どういうことだろう。魯庵は昨日取り上げたナントカという文でも「文学士」の影響力を語っていた。ここで、小説家と文学士は全く違うものとして書かれている。また調べてみよう。

2009年6月23日火曜日

魯庵


6月22日

ようやくにして坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』を読了。連載を途中で終えたことについて本人は「飽きたから」と書いているが、読むほうもときどき飽きてしまった。明治時代の文学に特別な関心がないと少しきついところがあると思う。文学史、広く云って歴史本というのは、読者に飽きさせないのも大変なのだなと思うと同時に、いちいち引用しないけれど、本書は振り返れば十分読み応えのある内容であったのは明言しておこう。

なぜか気になって内田魯庵のナントカという短文を読む。明治20年頃から執筆時の明治45年までの間に、文学の地位がどう変わったか、文学者の意識はいかに「進歩」したかの話。明治時代の前半は江戸時代の空気を引きずって文学は余興にすぎなかったものの、坪内逍遥をはじめとした文学者の努力によって明治末年にはその地位も向上し、社会に認められるようになった(それは文学者自身が文学で身をたてることができるようになったということ)。けれども、まだまだ足りない、もっと権威が認められなければならないと魯庵は云う。

事実、大正、昭和と文学者の地位は高くなるばかりであった(ピークはどの時点だろう?)。が、文学の存在理由がそれに反比例して消失していったのも事実ではないか。いやもっとも、いったい文学の存在理由なんて、そもそもあったのだろうか。なんてことを思いつつ、魯庵の文章がとてもよかったと最後に。

2009年6月20日土曜日

江藤淳のエッセイ


6月19日

読みかけで半年ほど放っておいた坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』の続きを読む。残り100ページ。けっこう飽きているのだが、なんとか最後まで読まないと。

最近毎夜軽く読んでいるのは江藤淳のエッセイ集『人と心と言葉』。ふだんの出来事なんかを軽く書いているエッセイばかりなんだけど、ひとつのエッセイにかならずひとつ、江藤淳のメッセージのようなものがあって読後感がいい。追悼文も集めてあって、とくに中村光夫の思い出が印象的。晩年の、彼の孤独感がよく伝わってくる。

2009年6月19日金曜日

坪内祐三の『文学を探せ』を読み終えて


6月18日

寝る直前に寝ぼけながら坪内祐三『文学を探せ』を読了。本書の内容について読者は「独断的な、余りに独断的な」と思えるかもしれないが、しごく本気で正攻法の批評だと思う。馴れ合いとすっとぼけ、硬直と閉鎖性が蔓延する今の文芸誌について、まさしく文芸誌の誌面でそのような指摘をしたのは立派。

それとは別に、いくつもの面白い本を教えてもらった。例えば、沢木耕太郎の初期エッセイ。沢木ノンフィクションにあまり関心がなかったのに、これは読み応えがありそうだ(特にフィクションとノンフィクションの違いを語る語り口なんてもう)。さらに、八木義徳『私の文学』や鶴田欣也『越境者が読んだ近代日本文学』、出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』などなど。雑誌の掲載時にはときどきしか読んでいなかったこの連載、いやいや想像以上に面白かった。

2009年6月17日水曜日

辰野親子


6月17日

坪内祐三『文学を探せ』を読む。日本とフランス文学という文脈で辰野隆という名がでてきた。東大の法学部を卒業しながらフランス文学を志して東大の文学部に入り、フランス文学者となったという人。坪内祐三が引用している辰野話がとても興味をそそられるのだが、ところでその父親の名は辰野金吾というらしい。「明治を代表する建築家」という表記が気になったものの、それ以上は興味を覚えなかったが。…

新刊の『文藝春秋』7月号を適当に読んでいたら、この辰野金吾の名前が突然でてきて驚いた。驚いたのは、高橋是清の来歴を紹介する内容でだったから。高橋是清は世界を渡り歩いたあと日本銀行に入行したとき、当初は銀行業務に関わることができず、建築所の事務の仕事ををさせられたという。その事務所での是清の上司が辰野金吾だったらしい。

辰野金吾と辰野隆の親子に俄然、注目だね。

2009年6月13日土曜日

第何次ツボブーム


6月13日

再開。

ここ1、2ヶ月ほど、何度目かのツボブーム。坪内祐三の本を本棚から取り出しては拾い読み、読んでは本棚に戻すの繰り返し。例えば、そうやって昨日読了したのが『三茶日記』。これまで何度も適当なところをめくって読んでいたけれど、最後まで通読したのはたぶんこれが初めて。この本はおよそツボちゃんが入退院する時期までの読書・古本買い日記で、一般読者にはついていけない本や著者が次々と登場する。(以下、細かく書こうと思ったけど、気力を失ったので終了。一気に書かないと駄目だね。)

2009年4月28日火曜日

皇室の陽と闇、あるいは表と裏


4月27日

山本雅人『天皇陛下の全仕事』を読了。イデオロギーや感情から逃れられた稀有な皇室ルポルタージュ。テレビに映る姿だけが天皇の実存ではないことを、非常に事細かに、網羅的に解説する本書は、天皇皇后の日々の生活のありようから一年二年というスパンで考えられる各行事、そして平成時代を迎えて戦後日本という枠組みから求められる仕事を両陛下が粛々とこなされる姿を、少し離れたところで観察しているかのような実感を得られる。

2009年4月8日水曜日

巨大な艦船はやはり魅力


4月6日

時差調整のため未記入。

4月7日

映画『県警VS組織暴力』を観る。お馴染み監督深作欣二・脚本笠原和夫・主演菅原文太の作品。『仁義なき戦い』とはうってかわって警察の側からの視点で描いたヤクザ映画。新任刑事梅宮辰夫が31歳という設定に驚く。あんな迫力ある31歳はあるだろうか。

菊池雅之『よくわかる!艦船の基礎知識』を読了。いくつか不満があるものの、海上自衛隊の仕組みがよくわかった良本。一度、観艦式を観に行きたいもんだ。

2009年4月6日月曜日

テポドン前後


4月3日

何を読んだか不明。

4月4日

何を読んだか不明。

4月5日

寝る前に『文藝春秋』4月号を読む。ポール・クルーグマンのインタビューや「丸の内コンフィデンシャル」「霞ヶ関コンフィデンシャル」、高島俊男センセの漢字検定批判など。「丸の内-」で面白いネタが披露されていて、神戸製鋼の裏社会とのつながり(「裏社会」という表現は変だと思うが)。引用しよう。

<神戸鋼は65年の尼崎製鉄との合併後に社長、副社長の内紛が勃発。故児玉誉士夫氏が内紛を収拾して以来、闇の勢力との関係が強まった。このとき、児玉氏の代理人を務めたのが元出版社社長の故木嶋力也氏。97年の第一勧業銀行の総会屋への利益供与事件で逮捕された小池隆一氏が師と仰いだ人物だ>

以前どこかに書いたように木嶋力也(鬼嶋力也とも表記される)は右翼でありながら新左翼系の総合誌『現代の眼』を現代評論社から発行していた人物。政界にも深く入り込み、角福戦争のときに福田赳夫に巨額の資金を融通していた。「闇の勢力」は面白いね。

福田和也の昭和天皇伝を読みつつ、将棋の本を読んでいるうちに就寝。

2009年4月3日金曜日

次は末広亭やね


4月1日

小沢昭一『寄席の世界』を読了。この対談本は私の寄席バイブルになった。

4月2日

裁判の入門書を読了。これで基本的知識を身につけたので、また傍聴にでかける愉しみができた。

『週刊文春』が売っていたので早速買って家で読む。先ちゃん(先崎学八段)には今回の屈辱を糧に、今期の順位戦でがんばってもらいたいね。坪内祐三は意外にも見城徹の文庫本を紹介していたけど、見城って、結構年がいっているのだね。団塊の世代だったとは。

布団の中で菊池雅之『よくわかる!艦船の基礎知識』を読みながら就寝。

2009年4月1日水曜日

吹き替えも様々だね


3月31日

小沢昭一『寄席の世界』の続きを読む。立川談志の話を聞いて、さらにいっそう寄席に行きたくなる。

空母をひさしぶりに眺めたくなったので古い『世界の艦船』をひっぱりだして読んでみる。ニミッツ級はやはりでかい。

夜に借りてきたDVDの中から『フィフス・エレメント』を選んで寝る前に観る。テレビ放映されたときにビデオに録画して何度も観た映画だけど、DVD版を観たかったから借りてみた。テレビ版の吹き替えに慣れてしまったせいで、オリジナル音声で観ると違和感が大きい。しかも、吹き替えの声は個人的にとても気にいっていたのに(かなりうまいと思う)、DVD版の日本語吹き替えはすべて別の声優に入れ替わっているため、違和感の回復には至らない。テレビ版の吹き替えのほうがずっと質がいいのが癪にさわる(翻訳もTV版がずっといい。誤訳もあるように思えるし)。

つけたし

北野武監督『ソナチネ』今村昌平監督『うなぎ』を観たのを忘れていた。『ソナチネ』は(最後まで観たけど)とにかくつまらなかった。なにがどう評価されているのかわからないけど、物語としても撮影技術としても、二流のものでしかないだろう。「そこがいい」と言われるかもしれないが、そのエクスキューズは監督が北野武だから許されることだ。

一方の『うなぎ』はなかなか面白かった。主人公の妄想と期待と混乱がよく伝わってくると思う。

2009年3月31日火曜日

いま同時に読んでいる本は10冊以上になるかも


3月28日

菊池雅之『よくわかる!艦船の基礎知識』を開く。自分の興味に合致しすぎるほど合致しているので、むさぼるように読む。一度空母を見てみたいものだ。

3月29日

小沢昭一『寄席の世界』の続きを読む。笑福亭鶴瓶らの話を聞いて、ますます寄席に行きたくなる。

3月30日

朝、慌しく裁判所へ。以前傍聴した裁判の判決が出る日。けれど、私が聞き間違えたのか予定表にその裁判の名前がない。仕方なく係りの人に聞いたら時間が変更になって今から貼りだしますとのこと。

そういうわけでなんとか傍聴できたものの、傍聴席に騒がしいバカがいたため、判決文をうまく聞き取れずおおきく落胆。あとで係りの人に聞いたら、判決文を後日読むにはかなりの面倒な手続きが必要であるらしい。めんどくさい。

いくつか傍聴を終えてからさいたま新都心の紀伊国屋書店に寄って、裁判の入門書と東野圭吾『分身』を購入。家でその裁判の本を読んでいたら、いつのまにか熟睡してしまう。

今日は棋王戦の最終局があって、久保利明八段が見事初タイトル獲得。これはうれしい。

2009年3月28日土曜日

懐かしい名前―戦艦ミズーリ


3月27日

浦和で衝動買いした艦船本を読む。菊池雅之『よくわかる!艦船の基礎知識』。パラパラと気になるところから読んでみる。詳細でないのは仕方ない。でもうまくコンパクトにまとめられていてなかなか面白い。特に乗船員の一日を紹介しているあたりなど、興味をそそられるね。

驚いたのは、米海軍の旧戦艦が1980年代はじめに近代化補修されて軍事作戦に参加していたこと。(前に知っていたような気もするが、)現代戦争に戦艦が役に立っていたことだけでも不思議である。もちろん、現在では退役している。

2009年3月27日金曜日

法廷を渡り歩く


3月25日

何を読んだか覚えていない。

3月26日

新聞を読んだあと、思いつきで裁判所に行ってみる。裁判の傍聴はことのほか面白くて、今回で二回目。浦和駅から徒歩15分のさいたま地方裁判所へ。午前と午後、十分に堪能できた。

傍聴できるのは主に民事事件と刑事事件で、ふらふらと突然足を運んで傍聴するには刑事事件が適切。民事事件は最初から傍聴していないと審理内容が理解できないことが多いのである。刑事事件は罪状や争点が把握しやすく、検事と弁護人というわかりやすい構図が素人にはたのしめる。

昼休みに浦和駅前を散歩していたら、商店街で古本祭りをやっているのを発見。早速のぞいてみて、伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』など計4冊を購入。近辺の新刊本屋にも寄って、世界の海軍艦船の本を悩みつつも買ってしまった。

午後は5時近くまで数件の傍聴したあと帰途につき、自宅最寄り駅前の本屋で『Le Volant』『週刊文春』を購入。文春のほうは坪内祐三司会の座談会を最初に読む。尚、電車内ではひたすら小沢昭一『寄席の世界』を読んでいた。

2009年3月25日水曜日

そろそろ寄席に行きたい気分


3月23日

時差調整のため、未記入。

3月24日

小沢昭一『寄席の世界』を読む。小沢昭一と各界の一流どころの対談集。寄席には落語だけじゃなくて、いろんな世界があるのだね。米朝小金治らの話が聞けて面白い。素人にはやさしめの話で勉強になる。

映画『Always 続・三丁目の夕日』を観る。一作目同様面白かった。掘北真希の東北弁はやはり上手い。他の映画で、めちゃくちゃな関西弁を話す俳優が多い中、これは見事だと思う。もっとも自分が東北人じゃないので説得力ないけど。

本屋で東野圭吾『分身』が平積みされているのを見つけてどうしようかと迷ったけど、買わずに帰宅。

2009年3月24日火曜日

迷作『トラック野郎』


3月22日

奥田英朗『町長選挙』の続きから。読了。黒木瞳パロディはイマイチだったけど、最後の「町長選挙」は読み応えあり。この著者の他の作品はどんな小説になっているのだろうと興味津々。

映画『トラック野郎 御意見無用』を観る。冒頭から「これは日活ロマンポルノ?」と思わせるB級度。最後まで観て確信。これはB級映画に間違いない。脇役の大泉滉の顔を見て、もしかしてと調べたが違った。大泉洋の親父ではないんだね。でも似てるけどなぁ。

2009年3月23日月曜日

ヴィヴィッド=ユーモア?


3月21日

猪野健治『三代目山口組』を一気に読んでしまおうと読む。読了。副題に「田岡一雄ノート」とあるからか、田岡三代目の完全な伝記とはなっていなかったため、とぎれとぎれの出来事が同時にやってくる感じがする。ヤクザ本のなかではかなり客観的な記述という評判の著者ではあるが、やはりどうしても田岡礼賛の文章が目立つ。称賛がすぎて田岡三代目がむしろ非人間的な描かれ方をされるのはいかがなものか。

なんてことを思いつつ、続いて奥田英朗『町長選挙』を読む。面白すぎる。ナベツネの次はホリエモン(+田原総一朗)ときた。パロディはパロディなんだけど、ナベツネもホリエモンも、メディアで描かれる人物像よりずっと人間的なはずだから、それほど遠からずというところか。

2009年3月21日土曜日

奥田英朗ね、フムフム


3月19日

何を読んだか忘れた。夜、布団の中で猪野健治『三代目山口組』を読んだことは確かだけれども。

3月20日

夕方、大宮へ。坪内祐三『人声天語』をジュンク堂で購入(その後トラブルあったけど、円満解決)。そのあとそそくさと駅前に移動し、知人と会う(一ヵ月半ぶり)。立ち飲み屋で酒を飲む。帰りに面白いというので奥田英朗『町長選挙』を借り、自宅で早速読んでみる。短編小説集で冒頭の小説を読むとなかなか面白い。ナベツネが主人公。

他に、面白い映画は?ということで『五人』という邦画と・・・・・・ナントカという洋画を教わった。メモしておこう。

寝る前に今日買った『週刊文春』と山口組の本を読むつもり。

2009年3月18日水曜日

赤坂太郎って誰?

3月18日

読むのを忘れていた『文藝春秋』を読む。保阪正康の天皇記事から。前回の記事が評判がよかったようで(確かに大胆ではあった)、その補足のようなもの。皇太子がまだ独自の言葉を身に付けていないという指摘、来るべき日本の天皇として日本をいかに考えているかが見えないことへの不安、は適切な批評。記者会見で「犠牲」という言葉を使ってしまう思慮の足らなさも不安材料である。

他に赤坂太郎(一体誰?)のドキュメントを読む。小沢秘書逮捕以前の話までなので、物足りない。「丸の内コンフィデンシャル」「霞が関コンフィデンシャル」の実はファン。

将棋の本を少し読み(橋本崇載七段の新講座)、猪野健治『三代目山口組』をいつものように10ページ足らず読んで、睡眠。

「赤坂太郎」の正体

「赤坂太郎とは何者なのか?」というキーワードで検索する人がこのエントリーをみつける人が多いのに、本文には「赤坂太郎」の正体は一切書いていない。それは不親切なので、後日、何かで読んだところの情報を付け加える。

月刊誌『文藝春秋』に毎月掲載される「赤坂太郎」の政治エッセイは詳細な政界裏話で有名だが、「赤坂太郎」という人物は存在しない。書かれる内容の政治家との近さからわかるように、匿名の政治記者である。それも2、3人の記者が書いているらしい。だが共同で書いているのではなく持ち回りで担当し、互いの素性はまったく知らないのだそうだ。

現役の執筆陣は不明だが、かつて「赤坂太郎」をしたことのある政治記者で私が知っているのは、屋山太郎、渡部亮次郎、花岡信昭である。

執筆は比較的若い頃に担当する。『文藝春秋』側から依頼があるようだ。

(2011.12.30.追記)

和田誠のエッセイ集を探そう


3月17日

『ちくま日本文学 色川武大』を読む。読了。小説「離婚」もよかった。年譜を読むと、この小品で直木賞を受賞したようだ。そうか、直木賞? 芥川賞じゃないのか。解説の和田誠、文章がなかなかうまい。和田誠が監督をした唯一の映画が色川武大の麻雀小説だったとは。

続けざまに昨日買い求めた色川武大の『映画放浪記』を読んでみる。自分が観たことのある映画『激突』などの。映画通によくある斜に構えた内容じゃなくて、色川武大らしい(というか散文的な)文がとても気持ちいい。

本屋に行って『諸君!』を購入。先日新聞の記事でこの雑誌が休刊ときいて、大変驚いた。長い間購入してきただけに残念極まりない。

寝る前には恒例の猪野健治『三代目山口組』を開いて、10ページ足らず読んだところで寝入る。

訂正

和田誠はいくつもの映画の監督をしているようだ。「唯一」というのは間違い。

2009年3月17日火曜日

映画を二本(でもDVD


3月15日

坪内祐三『本日記』を読む。たぶん読了。今度こそ、すべてのページを読んだと思う。続いて『三茶日記』の適当なところを少し読んだ。それにしても、全然知らない人物の全然知らない本の話ばかりでてくるね。

映画『家族ゲーム』を観る。松田優作主演の映画で、松田本人が(確か)こういう映画をやってみたいと意気込んで演じたものの、あまり興業成績はよくなかったという作品だったと思う。よくわからない映画だったが、最後、テーブルをひっくり返す場面に至って、ますますよくわからなくなった。なるほど、あまり人気はでないだろうな、この映画。

3月16日

『ちくま日本文庫 色川武大』の続きから読む。初めての小説として「オールドボーイ」が登場。晩年の作品だが、自然主義文学の臭いがする良作。

大宮のジュンク堂書店で色川武大『映画放浪記』を購入。これが以前、立ち寄ったときに買おうか迷った本。立ち読みで何ページが読んだけど、思ったほど面白くなさそう。

寝る前に映画『仁義なき戦い 頂上作戦』を観る。ついに文太が捕まってしまった。最後の、文太と旭の対話シーンが実にいい。深作欣次笠原和夫のコンビは今作でおしまい。仁義シリーズ第五弾は脚本家が替わっている。

寝る直前に猪野健治『三代目山口組』を開いて、そのまま就寝。

2009年3月15日日曜日

3.14.お控えなすって


3月14日

昨日のつづき、田中森一『反転』を読む。必要なところのみ。例えば、税務署を納得させる方法など。

山平重樹『現代ヤクザ録』を読む。読了。ヤクザの入門書かと思って購入したけど、ちょっと違った。基本用語の説明がないので、素人にはわかりづらい部分、多々あり。また、週刊誌等に書いた記事をまとめたものなので内容に重複があって、面倒がらずにちゃんと編集すればいいのに、と思う。仁義(「お控えなすって」)やテキヤについてが面白かった。ひとつの文化だね。

2009年3月14日土曜日

3.13.羽生善治の凄さが伝わらない本


3月13日

恒例の将棋の本を読む。自分ならこういう進め方で解説を書くのに、と思わないでもないけど、初心者が偉そうなことを云うと後で痛い目に遭うので、黙って読む。

ひさしぶりにBOOK OFFに行って、何冊か購入。椎名龍一『羽生善治 夢と、自信と』川本三郎『私の東京町歩き』保阪正康『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』山平重樹『現代ヤクザ録』。安いものもあれば、この値段はちょっと・・・と悩んだものもある。

とりあえず、読みやすいだろう椎名龍一『羽生善治 夢と、自信と』を読む。二時間たらずで読了。ほぼすべての漢字に振り仮名がふってあったので大変読みにくい。内容はとるにたらないものの、谷川浩司九段のエピソードが面白かった。

山口組の若頭、故・宅見組長の話を読み返したくなったので田中森一『反転』を読む。やっぱ、凄い人だね。

2009年3月13日金曜日

3.12.愛人宅で殺されるヤクザが多いような


3月12日


猪野健治『三代目山口組』色川武大の選集『ちくま日本文学030 色川武大』を読む。

社会的落伍者、被差別者の受け皿としての暴力団に大きく興味を覚える。体制がこれら組織を必要とし、同時に組織は体制と癒着する。それは、田中森一『反転』も読めば明らかなことだろう。『反転』をもう一度、チェックしよう。

ネットで歴代山口組組長の顔写真や来歴を調べてみると、凄いね。現組長、六代目山口組司忍の迫力といったら、もう。現在服役中。

色川武大は相変わらず凄い文章だ。人を見る目が独特だね。

コンビニで『週刊文春』を購入。とりあえずいくつかの連載を読むだけ。

2009年3月12日木曜日

3.11.生と個人


3月11日

将棋の本を読む。と云っても、すでに読んだところを繰り返し読んでいるだけで、一向に前に進まない。

昨日買った青木新門『納棺夫日記』を読む。途中睡眠を挟みながら読了。読んでいると色川武大のこの一文を思い出した。

「不思議なことに、満九歳から十六歳までの戦争の間、いざとなったら自分のために他人を犠牲にしなければなるまい、と半身でかなり本気で思いつつ、いざとなる前にもうそのことに怠慢だったり闘争心欠如だったりしたのに、戦争が終わって尺度が個人単位になったら同質のことを嬉々としてやっているのだった。」(「尻の穴から槍が」『怪しい来客簿』)

2009年3月10日火曜日

3.10.怖いよ、色川武大


3月10日

今日も将棋の本を読んでから一日が始まる。勉強は全然進まない。

坪内祐三『本日記』をまず読み出す。適当なところを開いて数十ページ読むスタイルなので、確認はできないけれど、すべてのページは読んだはず。でも、同じところを何度読んでも面白いのが名エッセイの証だね。

それから隣の本部屋に行ったときに偶然見つけた同じくツボちゃんの『大阪おもい』も適当に読む。前著『まぼろしの大阪』の続編。大阪駅にウマイ駅弁があるらしいので、一度食べてみたい。

今日は思い立って、大宮まで出かける。ジュンク堂書店で青木新門『納棺夫日記』猪野健治『三代目山口組』の二冊を購入。色川武大の映画エッセイ本を見つけて買おうか買うまいか迷った挙句、買わずに店を出た。でも買っておけばよかったと今後悔している。

駅周辺で手ごろな飯屋を探して、南銀通りのわき道に立ち飲み屋を発見。そこで、ビールと小皿をパクつきながら、色川武大のエッセイ集を読む。先週ぐらいから、初めて色川武大の本を読んでいて、あまりの怖さに驚いている。エッセイはエッセイなのだけれど、背筋が寒くなるような文章。いやはや、不思議な人である。

『納棺夫日記』は今話題のアカデミー賞受賞映画の原作。何かのインタビューで、著者は映画のクレジットに自分の名前を入れないよう要望したと語っていた。原作の大事な部分=宗教的観念が映画からは削られたからだという。 もちろんこの場合、特定の宗派を指しているのではないだろう。今週の『SPA!』のツボフク対談でも著者の青木さんのことが触れられていた。ツボちゃんによれば、青木さんは相当な文学青年だったらしく、師事した吉村昭からは「小説は無理」との烙印を押されたそうな。それでも諦めきれなかったか、東京にでてきたときには新宿の文壇バー「火の子」(一度行ってみたいけど、無理)に通うなど、文学への気持ちは続いてた。そこで知り合った人たちのつながりで本書が文春文庫に収録されることとなり、よく知られるようになったという経緯があったらしい。

賞を受賞したからといって読むほどナイーブじゃなく、本屋で実際にページを繰ってみて腐臭というような言葉に強く反応してしまったのだ。上記のエピソードもとても気になる。

山口組の本については、昨日の話を実践に移したまで。猪野さんの本は以前買ったことがあるので、いい機会としよう。

結局、一冊読み通すことなく、今日も終わりそうだね。

追記

夜、DVDを返却しにいったときに、『文藝春秋』の最新刊が売っていたので購入。大宮の本屋には置いてなかったけど、もう発売されていた。寝る直前に軽く目を通していたら、「日本最強内閣」の特集が。総理に奥田硯て。

2009年3月9日月曜日

3.9.一冊も読み通していないのがポイント


3月9日

将棋の棋王戦の結果を確認してから、今日の読書。

読書と云いつつ、藤井猛九段の『四間飛車を指しこなすⅠ』をパラパラめくって将棋の勉強をしたあと、とりあえず坪内祐三『本日記』を読む。もちろん、このブログを始めたきっかけは、この本だ。自分も、その日に読んだ本や雑誌について、簡単にでも書き残しておきたくなったのである。

2、30ページ読んだところで、ツボちゃん(坪内祐三)の『酒日記』に切り替える。こちらも適当なところを開いて、寝ながら読む。ツボちゃんが早稲田大学で授業をもっていた頃の、授業後の学生たちとの飲み会についてのあたりを中心に。

それから横に積まれていた雑誌の中から『Le Volant』を手にとって眺める。高出力セダン比較特集と渡辺敏史の中古車特集を読んだら、次は山本周五郎『小説の効用・青べか日記』をパラパラめくる。「山本周五郎」という筆名は、子供の頃、世話になった質屋の店主の名前から拝借したものだということを思い出す。そういえばそうだった。

『本日記』と『酒日記』の表紙をちらっと眺めていると『三茶日記』も読んでみたくなり、それを書棚からひっぱりだしてこれまたページをめくっていると、ツボちゃんの新宿襲撃事件当時の日記が目にはいった。

このあたりは購入時に読んでいたはずだけど、殆ど覚えていないので、再度読み耽る。2000年の年末だったか、そうかあれからもう8年以上が経過したのだなと、自分を振り返りつつ、ちょっぴり感慨にひたる。

話は戻って、確か将棋の勉強をした後、映画DVDを観た。深作欣二『仁義なき戦い 代理戦争』。初作、『広島死闘編』につづくシリーズ3作目。極道のことをもっと知りたくなってきた(以前よりずっと)。