2013年11月10日日曜日

ある理想家について - ターナー展 東京都美術館 ・・・東京物語2

11月某日

三菱一号館美術館のあとは、いったん宿でチェックインをしてから、徒歩で東京都美術館へ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)。

その作品を初めてみたのは、昨年(2012年)12月、Bunkamuraザ・ミュージアムは「巨匠たちの英国水彩画展」でのこと。

渋谷は東京に住んでいたときもっとも馴染みのあった街だけど、このミュージアムにはついぞ足を運んだことはなかった。昨年も水彩画に特別な関心があったわけではなく、ちょっと寄ってみるかぐらいの気持ちで訪れたのだが、地味な美術展なのにいくつか印象に残る絵が展示されていた。その1つがターナーの水彩画である。

  ターナー / 旧ウェルシュ橋 1794 ※展示なし

えっ、これが水彩画なのですか? と、にわかには信じられない作品。ポストカードも買ったお気に入りの絵で、当時のメモを引用すれば、「見たものをただ写しとっただけではない情景。水面に写る船などの地上物、そして水紋のようなものは水彩を超えている」。手前の橋が古く朽ち果てた旧来の橋で、向こう側に新しくかけられた橋が垣間見える。なんとも物悲しい光景である。

英国水彩画展は展示される多数のうちの1人にすぎなかったが、ターナーの個人展が都美で開催されるというので、これはぜひにと行ってみた。

ターナー展 - 東京都美術館

公式サイト : ターナー展
会期     : 2013.10.8.-12.18.
場所     : 東京都美術館


日曜の夕方だけれど館内にはそこそこの人がいた。でも一人で一枚の絵を独占できるほどには空いている。ターナー展は年明け1月に神戸市立博物館に巡回するので、つまり、そちらにもおそらく行く予定であるから、今日は肩肘張らずリラックスして観てまわるつもりだった。だからカタログはまだ買っておらず絵の詳細な背景などは皆目わからないため、以下、間違っている点、勘違いしている解釈があればご容赦願いたい。

  ターナー / 嵐の近づく海景 1803-04 油彩

これは東京富士美術館所蔵のもの。まだ正気(?)を保っている時期の作品で、のちに出てくる強烈な絵の世界をつくった同じ画家とは、いま振り返れば思えない。古典主義的な緻密な描写が特徴。

廃墟のわきで水を飲む水牛」(1800-02年・水彩)は画像をみつけることができなかったが、遠目からはとても水彩とは思えない迫力の絵で、油彩より硬く、かつ柔らかく描かれていたと表現したい。矛盾しているけれど。

  ターナー / 座礁した船 1827-28 油彩

だんだんターナー「らしく」なってきた。すべてが白く輝く、「終わり」のあとの光景である。穏やかな波の音だけが聞こえてきそうだ。「嵐の近づく海景」とは似ているようでいて、作品間の20年の歳月が確実に感じられる違いもみてとれる。嵐の前と後という違いではなく、視線が前なのか後ろなのかというぐらいの差がある(ように思える)。

この美術展は初期から晩年までの作品が一堂に会しており(ほとんどがテート・ギャラリー所蔵)、ターナーの人生とその変遷が味わえる構成となっている。おそらく1枚1枚の絵の物語をたどっていけば、それはすなわちターナーの人生の物語となるはずだ。

月刊誌「美術手帖」が2013年11月の増刊号で「特集 ターナー」を出していたことを、いま思い出した。もちろん買っていた。カタログの代わりにこの雑誌を手元に置いて続きを書いてみたい。

「美術手帖」を読んでいて真っ先に目がいった絵は自画像。

  ターナー / 自画像 1799頃 油彩 ※展示なし

本展に来ていなくて最も悲しむべき絵である。上にあるような絵を描くであろう人物と、自画像のなかなか男前な風貌と、一見、重なり合うものはない。しかし、この自画像が帯びる暗さはどういうことだろう。

24歳ほどの若者が描く絵としては驚くほど若さが感じられず、なにかルサンチマンのような感情が伝わってくる。それは上目がちの視線や、画面全体の薄暗さにあらわれる。自分がこの世、この社会から消えていってしまうかのような。あるいは逆に、闇の世界からこっちの世界を覗いているような。そこには、貧しい少年時代を経験したことや異常なまでの上昇志向が背景にあるのではないかと思った。



(つづく)

2013年11月9日土曜日

近代への眼差し 印象派と世紀末美術 - 三菱一号館美術館  ・・・東京物語1

11月某日

友人の結婚式出席を兼ねて、東京へ美術の旅に。

1日目に2つ、2日目に1つ(+結婚式)、3日目に2つ、とかなり押し詰めたスケジュールだったが、それはそれは素晴らしい3日間となった。あらかじめ入念にスケジュールを組んで、ルートも最短を選んだのでスムーズに回ることができた。

近代への眼差し 印象派と世紀末美術 三菱一号館美術館

  チラシをもらい忘れたのでニューズレターを

公式サイト : 三菱一号館美術館名品選2013 -近代への眼差し 印象派と世紀末美術
会期     : 2013.10.5.-2014.1.5.
場所     : 三菱一号館美術館

羽田から浜松町、そのまま東京駅へ。

改装あいなった東京駅舎を軽く一瞥。設計の辰野金吾(東大建築学科で日本人初の教授)は大の相撲好きで知られ、この駅舎は横綱の土俵入りを模したものであるという話を聞いたことがある。正面に回らないとわからないのだが、面倒なのでパス。


さて、荷物をそのまま抱えて徒歩で三菱一号館美術館へ。


ここは2回目に訪れる。あらてめて思うが、この建物自体が美術品のようなもので、いつまでもずっとそのままでいてほしい。


事前に調べたところではルノワール以外に見所なし。実際、それ以外にとくに見所はなかった。

  ルノワール / 長い髪をした若い娘 1884

顔の肌の艶がとても美しい(これだけは他の画家には真似ができない)。顔以外の髪や服装、背景の流れるような筆致とは対照的である。顔もよく見れば、大人っぽい瞳と全体の童顔がアンバランスであり、実際のモデルとなった少女からはたぶん大きく離れた肖像となっているのではないか。

ルノワールの他の作品の瞳と違わないのだろうけど、少女の瞳は怜悧で尊大な性格もうかがえ、少し幸福そうでない印象が感じられる。怪しく寂しげな少女である。

それ以外に見てよかったのは、ジュール・シェレの「ダンス」(1893年)という作品。画像はネット上で見つけられず、どんな絵だったかはっきり覚えていない。そのときのメモをそのまま書けば、天使と悪魔、女と男、清純と強欲を対比させたリトグラフで、美しいレイアウトとタッチがとてもよかった(気がする)。

あと一人、フェリックス・ヴァロットンという人の一連の作品。

ヴァロットンのアカデミー・フランセーズの会員をカリカチュア風に描いた絵が笑っちゃうほど本人によく似ていて、もちろん描かれた本人を知っているわけではないのだが、知らないのに、あぁこういう人だよねとつい頷いてしまう、そんな絵である。展示作品は見つけられなかったが、下の絵のような感じ。

 Vallotton / Caricature Portrait of Jules Barbey d’Aurevilly 1893 ※展示なし

この美術展には、デュマ・フィスアルフォンス・ドーデーなどが展示されていた。新聞に載っていそうな風刺絵はとても技術力の高いもので、彼らの小説などに添えてもらいたいくらいである。ちょっと欲しかった。




  2012年開催のシャルダン展カタログ

昨年訪れたシャルダン展で購入しなかったカタログ。それから後悔したので、ついでに買っておいた。


ちょっと追記。

三菱一号館美術館の館内で絵を観て回っているときに妙齢の女性が突然バタン!という音をたてて私の近くで床に倒れた。直接見たわけではないが、その音からは頭を打ったように思った。

女性は幸いにも意識があって外傷も見られなかったが、美術館の館員が集まり女性と連れのお孫さんと話をしている。本人は「大丈夫です、このままじっとしていれば起き上がれますから」と館員に云っており、館員もあまり動かすよりは…と、用意した車椅子を使わずにいた(女性もこういうことは慣れているのか、車椅子はいりませんと云っているようだった)。

たしかにこの場合、身体を動かすのは危険である。しかし、女性を床に寝かせたまま様子を見るのはよくないのではないかと思った。万が一、頭の中で出血していたら…。そこで、館員の方に、お孫さんには聞こえないように、「頭を打っているようですから、救急車を呼んだほうがいいと思います」と伝えた。おそらく救急車は来なかったはずだ。

幸いにして女性は間もなく自分で起き上がり、椅子で休憩できるようになった。そしてなにより幸運だったのは、三菱一号館美術館の床が従来の板張りにかえて最近じゅうたんになっていたことだ。床の板に頭を打ち付ければ、悪い方向へいっていたかもしれない。

女性が立ち上がり、絵を観はじめても、ちょっと安心できない気持ちで私はいた。ほんとうに救急車を呼ばなくてよかったのだろうか。無事、自宅まで帰れたとしてもそれから容態が急変することがあるかもしれない。その女性はいまも元気でおられるのだろうか、ずっと気になっている。


次=ある理想家について - ターナー展 東京都美術館 ・・・東京物語2

2013年9月16日月曜日

大阪クラシック -衝撃の大植英次監督-

9月某日

大阪に5年くらい住んでいるが、毎年9月に大阪の街のいたるところで、一週間に100公演ものクラシックのコンサートが開かれるイベントが行われているとはついぞ知らなかった。クラシカルミュージックを聴き始めたのは今年にはいってからだから、興味のあるなしで完全に素通りしているものがたくさんあるということだろう。今年が8回目だそうである。

ほとんどが無料コンサートということもあって初日はたいして期待せず参加してみたがこれが予想外の愉しさで、その確実な部分がプロデューサーの大植英次さんの力によるものだということははっきり記しておきたい。

大阪クラシック 街にあふれる音楽 2013.9/8‐9/14

コンサートを実際に聴くことができたのは計13公演。


◆ 大阪クラシック 公式サイト

= 9/8(日) 1日目 =
第9公演
フィビフ/ヴァイオリン他のための五重奏曲 Op.42
第11公演
ラフマニノフ/悲しみの三重奏曲 No.1
ラヴェル/ピアノ三重奏曲 Mvt.1
第13公演
イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ No.2 No.6
第14公演
A.J.シローン/4人のための4/4 他

= 9/9(月) 2日目 =
第25公演
モーツァルト/ディヴェルティメント K.563 Mvt.1 他

= 9/10(火) 3日目 =
第41公演
ブリテン/幻想四重奏曲 他

= 9/11(水) 4日目 =
第56公演
ブリス/クラリネット五重奏曲

= 9/13(金) 6日目 =
第82公演
ピアソラ/アヴェ・マリア 他
第86公演
テレマン/4本のヴァイオリンのためのコンチェルト 他

= 9/14(土) 最終日 =
第89公演
テレマン/4つのヴァイオリンのための協奏曲 No.1
第93公演
ロッシーニ/弦楽のためのソナタ No.2 No.1
en. ロッシーニ/ウィリアムテル序曲
第96公演
シューマン/弦楽四重奏曲 No.2 Op.41-2
第99公演
モンティ/チャルダーシュ 他


初日は午後もだいぶ過ぎてから出発して、1つめの公演は午後4時開演の第9公演(大阪フィル)を大阪市中央公会堂大集会室で。有料のためチケットが必要だったけど、当日券がまだ残っているというので難なく入れた。

  大阪市中央公会堂 / 第9公演 大阪フィル 1,000円

司会はホルンの村上哲さん。「フィビフなんて誰も知らない人の曲を聴きに来る人がこれだけいるなんて、大阪、大丈夫だろうか(笑)」という話で始まった五重奏曲は、これが実によくって、最終日を終えた今振り返ってもNo.1だったと個人的に思うコンサートだった。

ズデニェク・フィビフ(1850-1900)はチェコの作曲家で、スメタナの一世代あとに活躍した人。作風は結構古いタイプだそう。

全3楽章のなかから私が気に入った第3楽章を紹介。


Ardenza Trio and guests - Fibich - Quintet Op. 42 mvt.3
ヴァイオリン、クラリネット、ホルン、チェロ、ピアノのための五重奏曲

第1と第2は比較的静かな曲調でホルンとクラリネットの響きがすばらしく、第3にはいって急に激しくなりヴァイオリンとピアノの掛け合いのようなところが印象に強く残っている。ヴァイオリンは個人的に一押しの田中美奈さん、ピアノは相愛大学の稲垣聡准教授。田中さんは最終日の第93公演でも大活躍され、クラリネットの金井信之さんは第56公演でメインをつとめた。

プロデューサー「大植英次」という現象

終演後は残念ながらアンコールがなく、すぐに地下鉄でなんば駅まで移動して第11公演(日本センチュリー)を聴く(場所はカフェ・ド・ラ・ペ)。

着いたときには開始していたので入り口近くで立ち見をしていた。10分ぐらいすぎたところでどこかで見た顔がひょっこり店にはいってきた。プロデューサーの大植英次さんである。私は初めてみた。

突飛なお召し物を身につけ落ち着きなく会場を見回しずんずんと中に入っていった姿を見てちょっと変わった人なのかなと思っていたら、曲の合間にさかんにブラヴォーなどの歓声をあげ、終演後には奏者と会場を提供するカフェに賛辞を惜しまず、「市が街を作るんじゃない、人が街をつくるんだ」と演説をぶってみせてくれた。音楽という文化は自ら育てるのであって、楽団だけでなく参加する人たちを叱咤激励し、同時に感謝を込めた言葉である。これには会場も拍手喝采。

だが、正直、大植さんの言葉が聞き取りにくい……。早口でどもっていて、何を云っているのか全然わからない(笑)。かろうじて上記の内容は理解できたが、他の人はわかるのだろうか、すくなくとも前のほうに座っている人たちは相槌をうっていたから聞き取れているのだろうけど、私にはチンプンカンプンである。自分の耳が悪いのかと思ったが、帰宅後にネットをチェックしてみたら自分だけではなさそうで少し安心した。

ともかく、大植さんの盛り上げかたは半端なく、このイベントを成功させようと粉骨砕身しているのがひしひしと伝わってきた。と云っても、この最初の遭遇の時点では、風変わりな人だという印象しか残らなかったのだが。

日本センチュリー交響楽団の奏者ふたりが「こんなにたくさんの方が来てくれて……」と感激していた姿も印象的だった。大阪フィル以外の楽団が参加するのは昨年からのようで、まだ外様のような雰囲気があるからだろうか。

さて次はスターバックスの第13公演。時間帯のかぶる公演も多いが、会場が電車や徒歩で30分以内に行ける範囲にあるから効率よく回れば結構な数の演奏を聴くことができそうだ。

ヴァイオリニストは小林亜希子(大阪フィル)さんで、毎年ソロでイザイの無伴奏ソナタを演奏していて今年ですべてのソナタを弾き終えるという記念すべきコンサート。

席が足らないほど人が集まったため、奏者から1mほどの距離の床に座るという信じられない環境が用意され、あまりの近さに(さすがにも)小林さんは緊張しているようだったが演奏がはじまるとそこはヴァイオリニストである。見事な演奏だった。と、そこにまたもや大植さんが現れた。

観客以上に存在感が強かったかもしれないのが奏者の斜め後ろに座る大植さん。

撮影用にヴァイオリンを奏でる小林亜希子さんと、愉快な大植英次氏

終演後に「奏者が演奏しているところを写真撮影したいでしょ? 特別に撮影用の演奏を小林さんにお願いします!」という提案があり、観客は大盛り上がりでパシャパシャと撮影。なかなかこんな機会はないのでは? 小林さんがちょっと戸惑っていたのは仕方ないところだが、こういうパフォーマンスはとても大事だと思う。まさしくエンターテイナー大植氏。

大阪市役所正面玄関ホールに徒歩で移動して、本日4つめのコンサートとなる第14公演のパーカッション。

午後7時半。会場には目算でおよそ800人ほどの聴衆が集まった。

大阪市役所 正面玄関ホールがコンサート会場

大阪フィルのパーカッション奏者4人による演奏は、今日3度目の遭遇となった大植御大によるアジテーションにも刺激をうけて今日最大の盛り上がりをみせた。木魚を楽器にしてみたり、面白トークが披露されたり、奏者の方たちが聴衆を楽しませようという思いが強く伝わるコンサート。最後は聴衆の手拍子を誘って会場の雰囲気が最高潮に達し、今年の成功を期待させるエンディングとなった。

昨年までの大阪クラシックの様子がどのようなものだったかは知らないが、これだけの聴衆の注目を集め、音楽を通じて他人他人の間に共感的な体験をつくることができるイベントはなかなか珍しいだろう。コンサートホールではなく、ふつうの街中で、というのがいい。大植御大の最後の笑顔が忘れられないね。

2日目から6日目まで

2日目(月曜)から6日目(金曜)までは仕事帰りに寄ってだから一日1~2公演しか聴けず、ちょっと悔しいところではある。

その2日目の第25公演はノーコメント。

第41公演の3日目は30分後開始の第42公演とどちらに行くか最後まで迷ったが、オーボエをとって41に。

モーツァルトの「ディヴェルティメントK.138」(まったく知らない曲)は通常ヴァイオリンであるパートをオーボエで演奏する趣向で、とにかくオーボエの音が素晴らしい。奏者は大森悠さんで東大出身という変わった人であるが、堅苦しさは皆無、話がめちゃくちゃ面白い方だった。ヴィオラの岩井さんとのやりとりも笑いを誘って(「同い年なんですよ」「えー!」)、会場は愉快な雰囲気に包まれる。

2曲目はブリテンという20世紀のイギリスの作曲家の「幻想四重奏曲」。これが大阪クラッシックのベスト3に入る良さ。


Phantasy quartet (Op.2) for oboe,violin,viola,cello
ブリテン / 幻想四重奏曲

作品番号が2で、なんと19~20歳の頃に作曲したという早熟の天才による傑作。チェロの「行進」するかのような旋律で始まり、同じ「行進」で終わるなんとも「幻想」的な曲だった。

そして4日目は第56公演のブリス「クラリネット五重奏曲」。クラリネットの金井さんが楽章の間にもいろいろ話をしてくれ、ブリスは音楽を映画に導入しようとしたイギリスの作曲家であるという。確かに映画のなかで流れても不思議はない曲で、聴いていて全然飽きなかった。


Arthur Bliss: Quintet for Clarinet and Strings, II Allegro molto
ブリス / クラリネット五重奏曲

特に気に入った第2楽章を(全4楽章すべて視聴可)。youtubeではこのくらいしか見つけられなかったので、珍しい曲なのかなと思う。

5日目は仕事のため不参加。

金曜日の6日目は2つの公演をまわる。

第82公演は「ガーマン・ブラス」という楽団の垣根をこえて結成された金管奏者5人組のライブ。「バンドを組んだのは、ちやほやされたから(笑)」という宣言どおりの男前ぶりで演奏する曲は、ピアソラ「アヴェ・マリア」など、どれもかっこいいものばかり。会場のロビーは人がごったがえして見えないので2階に上って、それも人の隙間を覗く形で聴いた管楽器の音色は、とても表情豊かで、とくにトランペットのエロティックな音はすばらしかった。金管楽器の魅力を知った記念すべきコンサート。なお、大植氏も登場。

この日最終の第86公演はグランフロント大阪北館1Fロビーで、「大阪フィル チェロアンサンブル」。

大阪フィルの公式ブログにもあるように、大きな空間だから8本あるとしてもチェロの低音は響きにくかった。10mくらいの距離でも音がはっきりは聴こえず。

大植氏登場。大阪フィル新メンバーの花崎さんの紹介があって、東京から大阪に移籍した感想を聞かれた花崎さん、「東京の人は行儀が良いが悪く言えば冷たい(会場笑)けど、大阪は反応がダイレクト」(大意)。すかさず大植氏が「大阪の人が行儀が悪いというわけではありません(笑)」と(逆)フォローして、会場を沸かせる。そんな話は印象に残っているが、上記の理由のため音楽は一切覚えていない。

そして最終日。


(つづく)

2013年7月6日土曜日

印象派と印象派以外 - 奇跡のクラーク・コレクション

6月某日

昨年末、東京に行ったときにみつけたチラシかなにかで、ルノワールを中心とした印象派の美術展が来年、つまり今年開かれるのを知って、まずは三菱一号館美術館、ついで兵庫県立美術館に移動するというから、ルノワールはあまり好みじゃないが展示される印象派の作品のなかには他にベルト・モリゾエドゥアール・マネのものがあるし、あるいはもしかしたら新しい画家を「発見」するかもしれないので、兵庫県立美術館に巡回に来たときにはぜひ行こうと思っていた。

6月8日から始まった美術展はネットで感想を読む限り評判もよさそうで、おそらく今年のNo.1であろうからかなり期待してわざわざ有給をとり平日に行ってみた。

奇跡のクラーク・コレクション -ルノワールとフランス絵画の傑作

  左はモネ、右はルノワール / 雨の兵庫県立美術館

  右がミュージアムショップ / 美術館は安藤忠雄設計

平日とあってひとの入りは一部屋に10人程度。じゅうぶん快適に観られる。

最初の展示室にはカミーユ・コロー(1795-1876)の作品が数点で、まったく注目していなかったのが幸いしたか、意外な良さに目をみはる。内訳は風景画数枚と人物画一枚で、人物画「ルイーズ・アルデュアン」はベタ塗りなどがフランスというよりドイツやフランドル地方の画風に近く、けれど顔はナポレオン、みたいな。「ボッロメーオ諸島の浴女たち」の幻想的な絵もよかったが、「水辺の道」がお気に入り。

 コロー / 水辺の道 1865-70

画像よりも実物は色の濃淡(日向と日陰の差)がはっきりとしている。太陽は描かれていないのだが、強く太陽の存在を感じさせる風景画である。木の陰、砂利道の明るさ、草と木の葉の鮮やかな緑。陰と陽のコントラストが陰の暗さを引き立て、陽の明るさを際立たせている。コローが印象派への橋渡しをしたターニングポイント的人物であるのがよくわかる絵だと思う。

コローの次はフランソワ・ミレーの作品が2つ。初めてみるミレーだが、パッとしない作品でさっぱり興味を持てず。そして、ルノワールの次に作品が多く並べられたクロード・モネが続く。

 モネ / 小川のガチョウ 1874

何枚ものモネの絵が飾られていたが、あえて取り上げるとすればこの「小川のガチョウ」。川に浮かぶガチョウがつくりだす波紋の斬新さは驚異的。水面は一切描かずとも、波紋だけで透明な「水」を表現してしまうのはモネの真骨頂といったところ。

カイユボットも捨てがたいのだが風景画では彼の良さはあまり発揮されない。さらにシスレー、ピサロと印象派のエッセンスがずらりと展示され、そのなかで気に入ったのはシスレー「モレのロワン川と粉挽き場、雪の効果」。

 シスレー / モレのロワン川と粉挽き場、雪の効果 1891

「雪の効果」と画題に入れてしまうあたり、印象派最後の足掻きとしてのシスレーの意思が感じられる。印象主義はまだ完成されたわけではない、まだ実験段階なのであり、この作品もその途上にあるのだという強い意思。実際、限りなく簡略化された筆遣いは印象主義の究極のようでいてその先の世界をも見ているかのようだ。印象主義を軽く乗り越えたセザンヌは別として、シスレーこそ印象主義のたどり着きえる先まで歩き続けた唯一の画家だと思われる。

 マネ / 花瓶のモスローズ 1882

今回の美術展でマネの作品はひとつだけ。そしてそのひとつが自分にとって最良の作品だった。この絵は拡大するとよくないので、小さめの画像を添付。

マネにしか描けない、マネによるマネのための静物画。独特な透明感、花の色の鮮やかさ、モノのエッセンスしか描かない技法。なんといっても、本物よりも質感のある、花瓶に落ち着いた水の素晴らしさ。画像でみられるように水は床の色を反映して少し黄色くなっているが、間近でみると本物の水よりも透明な感じがあって、辞書の「たっぷり」という単語の用例に使えばいいと思うくらいの「たっぷり」である。これだよこれ、と絵の前で一人つぶやいていた。

(つづく)

2013年6月30日日曜日

谷崎潤一郎、美と構成

6月某日

急に谷崎潤一郎を読みたくなったので、人生で初めて読むわけだが、主な作品を一気にめくってみた。以下、手に取った順に。(あらすじは省略。)


春琴抄

新潮社
発売日 : 1951-02-02

谷崎始めはまず「春琴抄」から。

読み始めて意外だったのは、「春琴抄」が純粋な小説ではなく実際の出来事に脚色を加えた半小説であることで、直前に読んだ永井荷風「墨東綺譚」もまた小説というよりエッセイに近いものだったから、両作が書かれた昭和戦前期の文学の有り様、もっと云えば日本近代文学そのものがいかに明治末年に登場した田山花袋らの「自然主義」の影響のもとにあるのかを痛感させられた。

このふたつの作品が日本近代文学の傍流であるならば気になるものではないが、名作と云われるこれらがいずれも「自然主義」的な、つまり事実にほんの少し色づけをした小説であることに、日本近代文学の宿命をみないわけにはいかない。

さらに問題が根深いと思うのは、ふたつの作品が、それもとりわけ「春琴抄」があまりにも面白いからである。いくら知った者を驚かせるほどの「事実」をもとにして書かれた小説であるとは云え、それを淡々とかつ劇的に描ききった谷崎の力量には感嘆せずにはいられない。

無駄を省いた品のある文章を最後まで並べ、知られるわずかな出来事からそれらの背後で交わされる春琴らの無言の言葉々々をすくいとった谷崎とはいったい何者なのだろうか。日本文学とは、フィクションであることとないことの区分けそれ自体が無意味な世界なのかもしれないと、前言を反省しつつ思う。

小説中もっとも美しかったのは自分の目を針で刺した佐助が春琴に知らせにいった場面であった。私はめしいとなりました。安心してくださいと云う佐助に、春琴は「佐助、それはほんとうか」と云ったきりしばらく押し黙った。佐助は後年振り返って云う。「この沈黙の数分間ほど楽しい時間はなかった」。

子どもまで生まれ(もっとも里子にだして育てはしなかった)、四六時中いつも一緒にいる二人はなぜ結婚しなかったのか。(佐助は春琴のことを御師匠様と呼ぶがここは春琴とする。)

自分にとっての春琴はわがままで厳しい人であり、対等の関係になれば主従の関係がくずれ、春琴は自分の知っている春琴ではなくなってしまう。春琴の自信を取り戻すためにも以前と同じように、むしろ以前よりまして自分は春琴の従僕とならねばならない。――――――



新潮社
発売日 : 1951-12-12

「卍」は同性愛をあつかった問題作のように要約されるようだが、読中、そして読後の印象はそう単純なものではなかった。

既婚の園子が女子技芸学校で知り合った独身の令嬢、光子と同性愛の関係に陥り、園子の夫や光子の隠れた恋人(男)を巻き込んでさまざまな駆け引きを繰り広げ、なにが本当であるか、(登場人物だけでなく読者も)誰を信用していいのかまったく判然としない人間関係が展開される。結局、園子とその夫と光子の奇妙な同居生活から3人の薬毒自殺(園子は生き延びるが)へと至る破滅型のストーリーだ。

本書の白眉は、互いの騙し騙され、裏切り裏切られの複雑な物語構成である。そして光子の怪しく美しい性格とその魅力。読者が谷崎の手のひらの上で最後まで踊らされるこの小説は、一流のミステリ小説であると云いたい。同性愛だとかどろどろの三角関係だとか、興味本位の俗悪趣味小説ではまったくない。

陰翳礼讃

中央公論社
発売日 : 1995-09-18


痴人の愛

新潮社
発売日 : 1947-11-12



新潮社
発売日 : 1968-10-29

勘ぐりと思いすごし、嘘と虚栄、一人よがりと本音――――それらが交錯する物語である。

結局、夫は妻・郁子に敗れた。裏のかき合い、策略のかけ合い、そして性欲のぶつかり合いに敗れたのだ。

勝った妻は、夫が死をもって日記を書けなくなってからも日記を書き続け、そこで初めて「真相」を明かす。これまでの日記には多くの嘘があったこと、娘・敏子の恋人である木村との関係は貞節を守るどころか既に一線を越えていたこと・・・・・・。ここまでは明言していなかったが、郁子は木村に「本当の」恋をしていたということである。

だが、夫を欺きとおした郁子も娘の敏子と木村が何を考えていたのかはわからない。そこはどうしても見抜くことができなかった。

したがって最も巧みに振舞っていたのは敏子と木村なのかもしれない。とくに敏子の不気味さはカフカを思い起こさせる。結局、この2人自身の日記は(物語の表面上は少なくとも)書かれず、彼ら自身の言葉による「真相」は一切語られなかった。

敏子と木村こそ、この物語の差配者であるのかもしれない。

瘋癲老人日記

「鍵」に比べるとはるかに出来は劣るので特別書くことはなし。

それよりも、この小説にはストーリーとは離れたところで有名な一節がある。京都へ小旅行にいったときの、(日記に書かれた)爺の独白である。(以下、原文は漢字とカタカナだが、カタカナをひらがなに改めた。)

新潮文庫の339頁にあるそれは、いわゆる東京批判。自分は生粋の東京(江戸)生まれだが、最近の東京は面白くないという言葉で始まって、「今の東京をこんな浅ましい乱脈な都会にしたのは誰の仕業だ」などと延々と東京を愚痴っていく。1頁足らずのこの一節は物語とはほとんど無関係に唐突な形で登場する。

東京生まれの谷崎は関東大震災を機に関西に引越し、戦後10年経ってから熱海に移るまで京都・兵庫で暮らしていた。東京と関西と、両方をよく知る作家の一人なのである。「瘋癲老人日記」が書かれたのは戦後であるが、谷崎の云う「今の東京」はおそらく関東大震災(1923年)以降の東京のことだろう。そんな谷崎の東京論とでも云えるのがこの文章なのだ。

では、東京を「乱脈」な街にしたのは誰かと云えば、「田舎者の、ポット出の、百姓上がりの昔の東京の好さを知らない政治家と称する人間共のしたことではないか」。明治以前の江戸は江戸の人たちが作り上げた町だが、維新のそれからは地方から東京に出てきて立身出世を果たし、官僚や政治家、実業家になった人たちがもっぱら東京の街を作ってきた。その「悪趣味」に谷崎は我慢がならないのだろう。それでは谷崎の思う「東京」とはいったい何なのか。それは「陰影礼賛」に書かれている。

刺青

新潮社
発売日 : 1969-08-05

細雪

新潮社
発売日 : 1955-11-01

2013年6月15日土曜日

作曲者の苦しみを「体験」して、それから -コバケン「炎の7番」など

3月某日

ぜひとも姪っ子たちにクラシックを「体験」させてやりたいと思っていたら、大阪フィルハーモニーが地元の人向けの、バラエティに富んだプログラムを演奏するというので、連れて行ってみた。

場所はいわゆるコンサートホールではなく楽団が根拠地にしている「大阪フィルハーモニー会館」で、定員は300人ほどの小さなホール。ここは初めてということもあり、到着するまではそれなりの箱だと勝手に思っていたからその小ささに驚いたのだが、実は、このサイズがいろんな意味でよかった。オーケストラメンバーと距離3mくらいの近さで演奏を聴けるのは貴重な機会。そして、子どもらにもオーケストラの迫力が伝わっただろうから(たぶん)。

にしなりクラシック / 大阪フィルハーモニー交響楽団

-プログラム-
■ エルガーほか
「威風堂々」ほか全11曲
(encore)
■ 外山雄三
信濃追分、八木節
(「オーケストラのためのラプソディ」から)

指揮 : 船橋洋介
演奏 : 大阪フィルハーモニー交響楽団

SITE : 大阪フィルハーモニー会館
DATE : 2013.3.30.

楽曲は11曲もあったので曲名は省略するとして、印象的だった曲を少し書き残そう。


ボロディン / 交響詩「中央アジアの草原にて」

他に披露された曲が有名どころの、動きの多い激しいものが多かったため、この陰鬱なトーンが特に印象に残る。聴いていると中央アジアの静かで雄大な風景が自然に浮かんでくるようである。

高音のフルートが鳴り続ける部分が多いが何を表現しているのだろうと思った。


ブラームス / ハンガリー舞曲第1番

指揮者の船橋さんが曲の合間にそれぞれの曲の背景について解説してくれるのだが、その船橋さんの話によればブラームスはハンガリーのジプシーたちに伝わる原曲に自分は少しだけアレンジをしただけなのだと謙遜して云っていたという。チャイコフスキーがそうであるように、クラシックというジャンルにくくられる音楽は意外にも各地さまざまな民族音楽を取り入れているのだ。

冒頭、単一の旋律がごく目の前で数十の弦楽器によって奏でられる光景は、それはもう感動であった。

大阪フィルはブログの記事も充実していて、毎公演、練習風景を含め写真つきで紹介しているのだが、今回のエントリーにちらっと自分が写ってしまったのはご愛嬌か。

4月某日

ついで、関西フィルハーモニー管弦楽団が主催する「奈良定期演奏会 チャイコフスキー第五番」。

場所は「なら100年会館」というところで、JR奈良駅のすぐ隣にあるホール。会館の周辺には、正直、何もない。埼玉の熊谷駅よりずっと田舎である。奈良駅という奈良県の中心たるべきターミナル駅の周辺のなんと寂しいことだろうと、唖然としてしまった。天理とかそっちのほうが栄えているのだろうか。

  なら100年会館 / 異様な建物

わざわざ奈良まで電車で2時間近くかけてやってきたのは、チャイコフスキーの第5番が演奏されるから。

奈良定期演奏会 チャイコフスキー第五番 / 関西フィル

  なら100年会館 / 設計は磯崎新

なんともすごい建物だが、ホールはもっとアヴァンギャルド。

  なら100年会館 / 開演前のホール

はじまる前の様子だから、掲載しても大丈夫でしょう(演奏中はもちろん撮影してません)。当日券を買ったのだが、こんなよい席がとれてしまった。

反響板が特徴的で、貝殻のよう。2階席が宙に浮かぶような構造になっていたり、木版ではなく金属(パイプ)むきだしで全体が組みあがっていたりと、さすがは磯崎新か。

座席の傾斜がきつめなので、1階席のどの席に座っても舞台がよく見える。さすがは磯崎新と云うべきだろう。

-プログラム-
■ チャイコフスキー
ポロネーズ(「エウゲニ・オネーギン」Op.24より)
■ ピアソラ
アディオス・ノニーノ
バンドネオン協奏曲
(休憩)
■ チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 Op.64
(encore)
■ エルガー
夕べの歌

指揮 : 藤岡幸夫
バンドネオン独奏 : 三浦一馬
演奏 : 関西フィルハーモニー管弦楽団

SITE : なら100年会館
DATE : 2013.4.13.

実はこのコンサートでのメイン、一般によく知られており聴衆の多くがもっとも楽しみにしていたのは、若きバンドネオン奏者三浦一馬さんの演奏なのだろう。テレビにもよく出ていたと思う。

当代一流のバンドネオン奏者であるアルゼンチンのネストル・マルコーニの教えを乞うために、自作CDを売って彼の地への渡航費を稼いだという彼は、いまや製造さえされていないバンドネオンの優れた弾き手として世界でも期待されている。私はチャイコフスキーに気をとられてまったくノーマークだったが、文字通り幸運にも、彼のすばらしい演奏を生で聴く機会を得てしまった。== 三浦一馬さんを紹介する楽団公式ブログ ==


  アストル・ピアソラ / バンドネオン協奏曲 第一楽章

とりわけ2曲目のバンドネオン協奏曲のすばらしさといったら。ティンパニーとバンドネオンのかけ合いやヴァイオリンとの合奏は聴いていてうっとりとするほどである。タンゴが基本だが、クラシックやジャズの要素が盛り込まれているように思った。

さて、“メイン”のチャイコフスキー。演奏前に指揮者の藤岡幸夫さんがチャイコフスキーその人と、交響曲第5番について聴衆に語りかける。

この曲には同性愛ゆえの苦悩を感じていた頃の精神不安が色濃くにじみでていること、第一楽章の「運命」の主題がその苦しみの表現であること、冒頭に登場するメロディが繰り返し全楽章の中に形を変えてあらわれてくること、それを楽しみにしてほしい。そして、第四楽章はチャイコフスキーが勝利をつかもうとしてつかみきれない感情の昂ぶりが劇的に表現されている、という。初めてチャイ5の「意味」を知った気がする。最後に、チャイコフスキー自身が楽譜に「野獣のように」と注釈をいれている第四楽章のクライマックスの部分の「狂った」さまを表現できれば、この演奏会は成功だと藤岡さん。

個人的印象を先に語れば、全体的に意外にも上品な演奏だったように思う。だが、第四楽章の音の「高まり」はなるほど圧巻で、頂上まで一気にかけあがっていく迫力は感動的だった。

今回は第四よりも第二楽章が最高で、ホルンのソロ部分から叙情的メロディへと流れるあたりのすばらしさは言葉にならない。そしてオーボエの音の美しさ。第二楽章はチャイコフスキーの「恋物語」を聴いているかのようであった。

そういえば、事前に「何楽章が好きか」というアンケートを団員にとったら第二楽章が一番人気だったという(アンケート結果は公式ブログで公表されている)。

やはりチャイ5はいい。指揮者・楽団によって、受ける印象がぜんぜん違うのがまたいい。

6月某日

チャイコフスキーの有名曲では交響曲第6番ピアノ協奏曲をまだ聴いていない。とくに第6番を聴いてみたいのだが演奏するコンサートをなかなか見つけられないでいて、いっぽうのピアノ協奏曲はちょくちょく見かける。

平日の夜だが、コバケンこと小林研一郎指揮で大阪フィルハーモニーがピアノ協奏曲を演奏してくれる情報を見つけて早速行ってみた。場所はザ・シンフォニーホール。直前だったため、2階席の端のほうとあまりいい席はとれなかった。

コバケン「炎の7番」 / 大阪フィルハーモニー交響楽団

タイトルの「コバケン『炎の7番』」はちょっとダサい。「7番」はベートーヴェンの交響曲第7番のことで、メインである。私のメインはピアノコンチェルトだったのだが……。

〈 前回行ったコバケン指揮「炎のチャイコフスキー」レポート 〉

-プログラム-
■ ロッシーニ
歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲
■ チャイコフスキー
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.23
(休憩)
■ ベートーヴェン
交響曲 第7番 イ長調 Op.92
(encore)
■ ドヴォルザーク
ユーモレスク
■ (唱歌)
故郷(ふるさと)

指揮 : 小林研一郎
ピアノ独奏 : 小林亜矢乃

SITE : ザ・シンフォニーホール
DATE : 2013.6.12.

ピアノ独奏の小林亜矢乃さんは小林研一郎氏の実娘で、ケルン音楽院を首席で卒業したというから腕前は相当なのだろうけれど、少なくとも今回のコンチェルトは粗が目立ったように思う。特に最初のほうは音の粒がたっておらず雑音まじりのぼんやりした音が多く聴こえてきた。ギターで云う倍音がうるさく感じた。初心者なのでよくわからないが、このような大きなホールでピアノを奏でた場合はそういうものなのかもしれない。

全体としてみてみればそれはもう素晴らしいピアノ協奏曲であった。最初のホルン4つの鳴りから鳥肌が立ってしまい、タメのきいたピアノ(いつも聴いている協奏曲とはぜんぜん違った)、きれいな高音で大切な旋律を鳴らすフルート(あまりいい音はでていなかったが)、そして軽やかなメロディではじまる第3楽章はピアノの高音のリズムがなんともかわいらしく美しかった。フルートが特に重要な楽器の協奏曲なのだと知った。

印象的だったのは、ヴィオラとチェロがそれぞれ単独で旋律を奏でるパート。ふだん聴いていて気づかなかった部分である(いま聴いてもどこなのかわからない)。


  ミハイル・プレトニョフ独奏 / チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番

で、なぜかアンコールはなく休憩に入ったのだが、後半が始まる直前に小林研一郎氏が登場してベートーヴェンの第7番について話をしてくれた。

が、ちょうど遅まきのトイレに行っていたので半分しか聞くことができず、とにかくベートーヴェンの曲作りのこだわりを賞賛してやまなかったような感じだった。

始まったベートーヴェン交響曲第7番は、第1楽章はふつうのまま終わり退屈していたが、第2楽章のあのどんよりしたメロディが流れてくると身を乗り出す。ヴィオラ~コントラバスのゆったりしたパートからヴァイオリンも参加し始めて暗い陰鬱な旋律が、けして盛り上がることもなく、ただただ繰り返される。


  カラヤン指揮 / ベートーヴェン交響曲 第7番 Op.92

これがベートーヴェンか。

第3楽章はまたガラリと変わってアップテンポになり、そのまま第4楽章へ。第4はイマイチ好きになれないが一般的にはどうなのだろう。

とにかくベートーヴェンの交響曲はとても「作りこまれた」印象を受けた。無駄がなく、構成美に満たされ、しかし音楽の高揚とテクニックも十分に織り込まれている。超越性、非日常性というような言葉が似合う。第2楽章のあの苦しい、暗黒の力はどのように生まれたのだろうか。ベートーヴェンのなにがそうさせたのか。

万雷の拍手に囲まれてアンコールの曲に移る。曲はドヴォルザークユーモレスク。コバケン氏のリクエスト通り「む~ひょ~~」とヴァイオリンが鳴り響く。

さらにもう1曲。オーケストラを全員下がらせてからピアノを再度舞台の中央にもってきて、コバケン氏みずからピアノ伴奏を弾き毎年恒例になっているらしい「故郷(ふるさと)」を聴衆全員で合唱。これにはビックリした。

ピアノ協奏曲を楽しみにしていたコンサートだったが、ベートーヴェンに完全にもってかれた。技術の上でも曲の重みでも第7番の衝撃は忘れられない。

そしてコバケン氏は、指揮者とはどうあるべきかを身体で表現してくれたと云える。

今日のなによりの収穫は、ベートーヴェンの恐ろしさを垣間見たこと。ひとつずつ、交響曲を中心に聴いていきたい。

2013年5月27日月曜日

20世紀の美術を、駆け足で - 関西「美の饗演」

5月某日

関西にある6つの公立美術館(大阪市立近代美術館建設準備室、滋賀県立近代美術館、兵庫県立美術館、和歌山県立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館)の所蔵作品を一堂に集めた美術展「美の饗演」展を観に、今回は電車で国立国際美術館へ。

作品は20世紀以降のもの限定であるから、要は現代美術の展覧会である。

美の饗演 関西コレクションズ


公式サイト : 美の饗演 関西コレクションズ
会期     : 2013.4.6.-7.15.
場所     : 国立国際美術館

  国立国際美術館 / 交通の便は最悪

国立・県立・市立の美術館と聞けばそれなりの作品があるのかと思いきや、総じて作品の質は低く思え、現代美術に疎いのだからかもしれないが、これといってピンと来るような作品はなかった。

でもそんなネガティブはやめにして、気に入った作品をいくつか。


(画像なし)

  フリオ・ゴンザレス / 箒を持つ婦人 1929年

ネットをくまなく探したが、この作品の画像は見当たらず。なので代わりに同じアーティストの有名らしい作品を掲載して雰囲気だけでも味わってほしい。(日本の美術館はおしなべてその所蔵作品をネット上で画像を公開していない。海外のそれと比べて、とてもだらしがないと思うのだが。)

 Julio González / Femme au miroir 1936-37年 ※参考画像

これは、スペインはヴァレンシアにあるヴァレンシア現代芸術院(Institut Valencià d'Art Modern)という美術館にある作品で、鉄を使ったオブジェクト(この作品は実物を見てみたいものだ)。miroirは「鏡」の意。

この「Femme au miroir」を参考に想像してほしいが、「箒を持つ婦人」もまた、鉄の特性をうまく利用した作品だった。

「婦人」の片腕が鉄の弓なり(わん曲)ひとつで示され、服の襞(ひだ)は硬質な鉄の鋭利で表現される。「箒」も(具体的にはもう忘れてしまったが)できるかぎり少ない鉄で構成された、緻密なのか大胆なのか、どちらとも云える表現方法だった。個人的に興味を覚える、今後も注目していきたいアーティストである(無論、物故済み)。

  アンリ・マティス / 鏡の前の青いドレス 1937年

絵自体にはあまり感心しないのだが、プレートに書かれてあった言葉に惹かれたので以下に引用する(若干語句の修正あり)。
マティスの内心には終生葛藤が巣食っていた。デッサンと色彩の分離と統合である。マティスは、自然がつねに線と色彩の融合として存在し、それを分離するのは知覚の作用だと知り抜いていた。
現象学があたりまえとなった20世紀にあっては、ごく常識的な考えである。この「知覚」を表現しえたことが偉大なのであろう。

  ジョルジョ・モランディ / 静物 1952年

今回の美術展でもっとも好かった作品がこの静物画。モランディという画家は初めて聞く名前だ。

精緻な静物画ではなく、かといって抽象画に陥ることない、いいバランスで描かれた作品であると思った。くすんだ感じがどこかシャルダンを思わせ、このような絵なら自宅の部屋に飾ってみたい。ちょうど谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」(中公文庫)を読んでいるからそう感じるのかもしれないが、ほどよい影、窓から流れてくる穏やかな日光の雰囲気が気分を楽にさせてくれるのである。

偶然とは恐ろしいもので、ネットで調べてみたら、この絵は2010年に国立新美術館で開かれた美術展でも展示されたという。その美術展のタイトルは「陰影礼賛」。こういうこともあるのだ。


いや、モランディ以上に引き込まれた絵があった。1963年生まれの現役画家ミヒャエル・ボレマンスのふたつの作品。


  ミヒャエル・ボレマンス / Automat (3) 2008年 木版

20センチ四方の小さな木版に描かれた人物画。人物画と云っていいのかわからないが、手を後ろにやった女性の後ろ姿が不思議な絵だ。あまりに小さいので、別の美術館にある(1)も掲載する。


  Michaël Borremans / Automat (1) 2008年 カンバス 
※参考画像


(1)と(3)の違いは木版とカンバスの差ぐらいで、ほとんど同じようなタッチで描かれている。そして、左右対称となっているのが面白い。画像も大きいから(1)のほうでよくわかると思うが、ボレマンスの絵は独特のつや感があって、それは絵具のつやというよりも明暗のつけ方が原因だろう。ベタ塗りで地味と云えば地味な絵なのに意外な高貴さが感じられるのがいい。

さらに、この大きな画像をみていま気づいたが、この絵の女性には「両足がない」のだ。少し浮かんでいるようにも見える。おそらく(3)もそうなのだろうが会場では気づかなかった。どんな意図が込められているのだろう? ちなみに、Automatは「自動販売機」のことである。

ボレマンスのもうひとつの作品。

  ミヒャエル・ボレマンス / The Trees 2008年

ごくふつうの絵である。20世紀の作品ばかりをみていると、「ふつう」がとても新鮮に感じられる。なぜこの作品が「The Trees」というのかは無論、知るところではない。

コレクション1

特別展「美の饗演」の上の階(B2)では所蔵作品を展示する「コレクション1」展が開催されていたので、特別展入場者は無料だからいつものようにざっと見て回る。

どうでもいいような作品ばかりだったが、ひとり、気になる画家がいた。

館勝生(たち・かつお:1964-2009)。

  館勝生 / December. 30. 2008 2008年

ポロックのパクリかと思えなくもないが、ポロックがそうであるように、ただ乱雑に絵具を投げつけている絵ではない。どこか(感覚的に)計算されているような印象を受ける。近くて見るとよくわかるのだが、絵具のハネが実にきれい。「具体」グループの頭の悪い絵とは根底的に違うのだ。

生没年からわかるように、彼は若くして亡くなった(ガンだという)。アトリエは豊中市にあったらしく、私の地元だったりする。そのことの影響は受けないが、彼の作品にはとりわけ興味を覚えた。

  館勝生 / the smoke of the incense 1998年

「incense」は「香り」。

勢いのなかにもしっかりと具象(形)がとらえられており、無意味を押し付ける画家の傲岸を軽蔑しているかのようである。もっともそれは瑣末なことで、なにより絵としての唯一性が感じられる。彼にしかできないそれというだけでなく、具体性というそれのことである。

館勝生の作品は、もう新しいものは生まれないが、これからも探していきたい。



冒頭に「ピンと来る作品はなかった」と書いてしまったが、こうしてあらためて振り返ってみると、いくつかの大きな収穫があったのかもしれない。

フリオ・ゴンザレス、モランディ、ボレマンス、館勝生の作品はとても優れていると感じられるし、4人の画家(アーティスト)の存在を知ることができただけでも(彼らの作品を間近で独占的に観ることができただけで)充分、行った甲斐はあったろう。

いまや、もう一度行ってみようという気にさえなっている。いや、行こう。





2013年5月4日土曜日

読書と知識-ハイエク(の伝記)を読む

5月某日

ラニー・エーベンシュタイン『フリードリッヒ・ハイエク』(春秋社)を読んでいて、ハッとした箇所があった。数日前に読んだ本に書かれていた言葉とよく似ていたからである。

では、何を読んでいたかであるが、現時点でなぜか思い出せない。(まったくバカバカしいことだが)もしかすると同じ本の同じ箇所に反応したのかもしれない。この箇所を見つけたのは(数ページ前を)再読していたときだからあながち有り得ない話ではないが、別の本のはずであるというそれなりの確信をまだ捨てることはできない。

その先に読んだ(架空かもしれない)本の内容はこうだった。

読書する人にはふたつのタイプがあって、本から知識を得るために読む人と、本と一体化して読む人とがいる。前者は学者に向いているのに対し、後者はあまりに深く本の中に取り込まれるためどんな本を読んだのかを相手にうまく説明することができない、というような話である。

ではハイエクの伝記にはどう書かれているか。著者エーベンシュタインによれば、ハイエクがノーベル経済学賞を受賞したあとに書いた半自伝的エッセイ「知性の二つのかたち」には、次のような言葉があるという。
「世間一般に認められるタイプの研究者は記憶型と言える。彼らは読んだり聞いたりした特定のことを覚えていられる、特に、あるアイディアを説明した用語についてはそのまま記憶に留めておくことができる」。このようなタイプは「その分野の大家」となる。自分については、それとは対照的に、「通常のタイプに当てはまらない、かなり違うタイプ」で、いわば「疑問型、他の人たちなら難なく即座に解決にたどり着くヒントになる一般的な公式や論理を用いることができないことから、常に困難に陥ってしまうタイプだ。ただ、このようなタイプは稀に、新たな洞察力を得て報われることがある。頭がこのように動く人々は、言葉を伴わない思考プロセスに頼る面がある。何らかの関連性が明確に「見えた」としても、それを言葉で表す方法を知っているとは限らないのだ」。
こう引用した後、著者はハイエクの思考の特徴をこのようにまとめる。

<「その分野の大家」は言語で表せる知識を有する者で、「疑問型」は直感的な知識を有する。知識は、少なくとも最初は言葉で表せるものではない。知識は、それを表す言葉がまだ見つけられていなくても存在する。><「明示的」な知識と「暗黙的」な知識の問題は、ハイエクの自生的秩序という概念の形成においては不可欠のものとなった。>

本書の注記にはさらに、同じような考え方として、ハイエクが敬愛したデイヴィッド・ヒュームの言葉が引用されている。(David Hume"Essays Moral, Political, and Literary")
人類は大きく二種類に分けられる。真実にたどり着けない浅知恵タイプと、真実を超えてしまうほど深遠な思索家タイプである。後者は稀にしか見られないが、役に立ち、存在意義が高いのはこちらの方だと言っておこう。このタイプは少なくとも何かを暗示するようなことを言い、困難に取り組もうとして、それを突き詰める技術を得ようとする。(中略)最悪の場合でも、このタイプの言うことはこれまで聞いたことがないようなことで、理解するには苦労するかもしれないが、何か新しいことを耳にしたという喜びは得られる。コーヒーを飲みながらのおしゃべりからでもわかるようなことしか言えない作家に価値はない。

ほとんど同じことを云っているようなものだ。ハイエクがどれほどヒュームの影響を受けたかが、これで知られる。

……というわけで、もしかすると同じ本をデジャヴしてしまったのかもしれない。

2013年4月8日月曜日

コバケンと大阪フィルハーモニーの音楽を聴く

3月某日

庄司紗矢香があるインタビューで「日本ほどコンサートホールに恵まれた国はない」と云っていたが、事実、クラシックをメインにしたホールが、それも世界的にも音響の優れたホールが、日本各地にあるらしい。

その中のひとつ、大阪市にあるのが「ザ・シンフォニーホール」。ここで3月、小林研一郎指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏の「炎のチャイコフスキー」コンサートが行われると聞いて、早速行ってみた。もちろん初めて。


  ザ・シンフォニーホール / 外観

あいにくの雨。思ったより古い建物で、場所的にも建築的にも中途半端な感じがするが、館内はさすがと思わせる豪華さ。……だと思ったが、いま改めてみると昭和の匂いがプンプンしてくる装飾である。

  ザ・シンフォニーホール / 1階

1982年に完成した日本初のクラシックホールらしいので、もうすでに歴史の一幕を飾っているのかもしれない。

小林研一郎指揮・大阪フィル演奏 炎のチャイコフスキー

-プログラム-
■ P.チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
(encore)
■ イザイ
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番イ短調より第一楽章
(休憩)
■ P.チャイコフスキー
交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
(encore)
■ ブラームス
ハンガリー舞曲 第5番

指揮 : 小林研一郎
ヴァイオリン独奏 : 有希マヌエラ・ヤンケ
演奏 : 大阪フィルハーモニー交響楽団

SITE : ザ・シンフォニーホール
DATE : 2013.3.20.

ギリギリでチケットをとったため座席は2階席。それでもA席5,000円(最上位)で、はたして音響は大丈夫なのだろうか。

ホールに入った瞬間はそれはもう驚いた。これが初めて体験するクラシックホールか。
  ザ・シンフォニーホール / ホール内部 (公式サイトから)

ホールの大きさは控えめにしてあるので2階席でもそれほど遠くは感じないが、舞台上の人の顔がはっきり判別することはできない程度には遠い。でも、2階席は演奏者の全体が視野に入るので、後方の管楽器の様子を見たい私にとっては最適なのかもしれない。

構造はさすがの豪華さで、木材をベースとした1つの箱の中を金属の装飾で隈なく彩った芸術品といったふう。かといって重苦しくはなく、ふんだんに使用された木材によって落ち着きが得られるし香りもよい感じがする。

さて1曲目はヴァイオリン協奏曲。

ヴァイオリン・ソリストは有希マヌエラ・ヤンケさんで、日独ハーフの若手演奏家。日本音楽財団からストラディヴァリウスを貸与されているらしく、実力も折り紙つきなのだろう。個人的には、初めて聴くストラディヴァリウスの音色を楽しみにしていた。

演奏がはじまって音響の良さにまず驚いた。これほどの距離を隔てても、ひとつひとつの楽器、ひとつひとつの音が輪郭をもって伝わってくる。輪郭といっても刺々しいものではなく、明瞭さのことである。それぞれの音が混ぜられて塊となって届くのではなく、区別されつつ、メロディや和音となってそのままに伝わってくる。

ストラディヴァリウスの音はそれはもう綺麗のひと言。聴こえてくる旋律はあまりに美しかった。濁りも歪みもない透き通った音がホールに響き渡っていた。そして有希さんの奏法もこれまで聴いたヴァイオリニストとは違った、とてもエレガントなもの。けして派手派手しくもなく、かといって淡白でもなく、ヴァイオリンの音の美しさをストレートに伝えてくれる弾き方だった。

指揮者のコバケンこと小林研一郎氏は、ビギナーには初耳の名なのだけれど、小沢征爾らと並び評されるほどの有名な方で、「炎」という形容がほとんど常になされるアツイ人らしい。(この後の交響曲第4番で本領を発揮するのだが、)実際に見たコバケン氏は、当日の私のメモをそのまま使えば「頭を振りながらダイナミックに指揮をとる姿が印象的で、オーケストラをまさに操っているかのようだった」。後日、コバケン氏の本を購入させてもらいました。

で、そのコバケン氏指揮の協奏曲は終わり方がいつも聴いている感じとちょっと違うように聴こえ、でも今ではよく覚えていないので、このコンサートはそのうちテレビ放送されるらしいから、それを観てからそのあたりをじっくり聴き比べたい。

大きな拍手で曲が終わると、ここでアンコールがあり有希さん独奏のイザイ作曲無伴奏ヴァイオリン・ソナタが演奏された。どこかで聴いたことのあるようなフレーズが目まぐるしく入れ替わる曲で、ちょっと驚いた。ホール全体にヴァイオリンの音だけが響くのは美しかった。

休憩を挟んで2曲目の交響曲第4番。有希氏は不参加。

チャイコフスキーの交響曲は第5番と第6番ばかり聴いていたので、第4番ははじめて聴くのも同然。カラヤンのCDで1回流したことがあるがイマイチと早合点してしまったために、それっきり。

しかし、コバケン氏の力なのか、すごい交響曲だった。

実は、冒頭、なぜか激しく咳き込んでしまい、5分くらいはまともに聴いていない(周囲の方ごめんなさい)。咳が落ち着くと今度は異様な眠気が襲ってきてしばらくひとりで苦闘していたので記憶があまりない。でもそれはそれなりに理由があって、第4番の第1楽章は第5番のようには劇的な展開があるわけでもなく比較的平凡な曲(だと思う)なので仕方ないと云えば仕方ない。

でもやがてコバケン氏の動きがいよいよ荒々しくなってきてオーケストラが生き生きしてくると、俄然眠気も消えうせ集中してくる。

たとえば、第2楽章に入ると一転、叙情的なメロディが続き、緩やかに旋律が続く。コバケン氏の指揮の特徴として、ゆるやかなパートではできるかぎりゆったりと、激しいパートでは勢いを全力で推し進める、そういうメリハリがはっきりしている。それは、作曲者の真意をできうるかぎり掴もうとする氏の意図がはっきりと反映されているからだろう。

そして第4楽章は圧巻だった。いきなりの大音量ではじまるそれは、息をつかせぬくらいの勢いで最後まで達する。べつに好きなタイプのメロディではないのだが、勢いだけは圧倒的である。頭を振り乱し、おかっぱのような髪の毛が高速で左右に振り子するコバケン氏の姿そのままに、オーケストラもガンガンと盛り上がっていく。

曲が終わると、10人くらいの客がスタンディングオベーションをしていた。よくわからないが、それほどの迫力ではあった。終演後にコバケン氏は、2週間前にロンドンで交響曲第4番を収録したばかりなのだがそれに勝るとも劣らない演奏を大阪フィルはしてくれました、と絶賛していた。素人は、ただただ唖然とするばかりであった。

今回は指揮者の存在の大きさがよくわかったコンサートだった。コバケン氏は、その都度、臨機応変に奏者を煽り、抑え、つまりはオーケストラを差配していたように思う。コバケン氏あってのコンサートだったのは間違いない。

〈 2013.6.12.コバケンの「炎の7番」レポートも書きました 〉