2011年12月31日土曜日

自国の歴史とは何なのだろう?

12月某日

例のブックファーストに寄って文芸書棚を眺めていると、またもや高そうな本が置いてある。

ドニ・ベルトレ『レヴィ=ストロース伝』(講談社)。

著者はもちろん知らない人だが、レヴィ=ストロースの伝記ということで興味をそそられ立ち読みしてみる。上下二段組の本格的なものだ。3,800円という値段にもはや躊躇することなく購入。

購入してから1週間が経つが、まだ1ページも読んでいない。

12月某日

『一個人』(KKベストセラーズ)という月刊誌が天皇特集を組んでいたので、この雑誌を初めて購入。

まだ半分くらいを読んだところ。内容は一般的な紹介にとどまるレベル。

歴代の天皇のなかから「10人の賢帝」として、推古天皇、天武天皇などを単独でとりあげている部分がおもしろかった。むかし勉強したものばかりでとても懐かしい。最新の研究成果も盛り込まれており、天皇と云うものに関心のあるいまだからこそ愉しめる部分も大きい(ところで、大海人皇子は教科書では「おおあまのおうじ」と習ったものだが、いまは「おおあまのみこ」と読むらしい。ちょっと寂しい)。

天皇を語るということ

ところで天皇本ないしは天皇に関する文章を読んでいていつも気になることがある。それは、天皇について書く筆者のほとんどが、おそるおそるペンを走らせていることだ。

おそれているのは天皇ではない。世間である。

世間に自分がどう見られるかをおそれているのだ。天皇を賛美しているのではないか、右翼ではないのかと疑いをかけられることを極度に避けようとしている。だから文の途中でつねにエクスキューズが入る。いわく、天皇はこのような行動をした、しかしそれは××××だったのだが、というような。

それが顕著なのは、古代の天皇を記述するときである。確実に云えることでない限り、天皇にまつわる逸話はすべて否定される。古事記・日本書紀に細かく書かれていないことはすべて嘘であり(たとえば初代神武天皇から第9代開化天皇までは架空の存在と断言さえされている)、かつての天皇による崇高な行為はたいてい誇張されているものとされる。どんな民族・国民でも自国の歴史さえ、客観的にみることはできていないのに。むしろ、すべてを証明できる事実に基づいて語ることなど、ありはしないのに。その消極性は何なのだろうか。

世間の目をおそれているからに違いない。すこしでも天皇をポジティヴに考えてしまうと、即「右翼」なのである。こんな状況は不幸でしかないだろう。天皇をマイナスにとらえる人たちは必ず、どこかで事実を無視した発言をしていることも見過ごすことはできない。つまり、天皇に関してのみ、事実だけを伝えなければならないと考える人が相当数いるわけなのだ。

たとえば、大化の改新は実はなかったのではないか、という疑問を書くのはとても健全であろう。だが、開花天皇以前は実在しなかったとまで云うのはどうなのだろう。記述という方法が確立されるまでの口伝の歴史はすべて虚構なのだろうか。

2011年12月17日土曜日

高橋紘の遺作『人間 昭和天皇』

12月某日

仕事帰りに愛用のブックファーストによって、あまり変わり映えのしない棚並びの中、奥に圧迫感を感じさせる本が二冊置いてあった。

高橋紘『人間 昭和天皇』上下巻(講談社)

上下で1000ページという分厚さ。文庫本なら10冊はおさまるだろうというくらいのスペースにドカンと置かれていた。

最近、昭和天皇本が数多く出版されており、玉石混交といった感があるが、高橋紘の名はよく知っているし、何よりあとがき(立ち読み)が身につまされた。著者による力強くないあとがきによれば、ガンを患いながらの執筆だったという。そして、本文の推敲を終えたあと亡くなられた。編集部によれば、本書の完成をみる前に絶命されたようだ。

本書が遺著となったわけで、上下で6000円もしてしまうが最後の労力に敬意を表し、購入。おそらく誰も買わないだろうから、私が買わねば返品されてしまうところを救出。

共同通信社の記者をしていた経緯もあって直に昭和天皇の会見(非公式を含めた)に立ち会ったことのある高橋氏が本書で紹介する、会見での昭和天皇・香淳皇后の発言が、伝記という形をとりながらも随所にもりこまれているのが特徴である。屈託なく大笑いしながら語る昭和天皇が強く印象に残る。

(つづき)
24.1.1.「イギリス国王が刺青だなんて」
24.1.22.「高橋紘『人間 昭和天皇』上下巻1000ページをなんとか読んでみた」 



2011年12月14日水曜日

信頼し信頼されるべき存在としての天皇-侍従長渡邉允の回顧録

12月某日

渡邉允『天皇家の執事 侍従長の十年半』(文春文庫)を読む。

著者渡邉允(まこと)は、曾祖父に明治天皇の最後の宮内大臣渡邉千秋、父に昭和天皇のご学友渡邉昭をもち、外務省官僚から宮内庁の式部官長を経て、今上の侍従長を十年半つとめた(現在も御用掛として今上と交流がある)。

本書は今上と長く間近に接した数少ない人物による皇室見聞録というべき本であり、同時に皇太子時代をふくめた今上の実像をあますことなく伝えている。今上が何を考え行動にうつしてきたか。つまり、平成という時代の皇室がどのようなものであるかが明らかにされており、本書は一種の平成論ともなっている。

天皇であるということ

今上の出発点といえるのは、昭和天皇の名代として戦後間もなくから開始された外国訪問であった。他国の元首を国賓として招いた場合、答礼として自国の元首が相手国を訪問するのが国際的な慣例である。だが、昭和天皇が(というより天皇一般が)即位中に外国を訪れることは当時、考えられないことであった。昭和天皇の天皇としての初外遊は昭和46年の欧州各国訪問まで待たねばならない。それまでの間、皇太子であった今上が昭和天皇の代わりに外国を訪問したのである。

昭和28年、エリザベス女王の戴冠式に皇太子であった今上は出席した。若干19歳の大学生であった。英国を含む欧州11ヶ国と米国をまわる6ヵ月にもわたる長い旅をへて帰国した皇太子の成長ぶりを、周囲は褒めそやした。以後、天皇の名代としての外国訪問はつづくわけだが、この昭和28年の旅こそ、今上が「天皇」とその重責を意識する最初の機会となったのではないか。今上自身、「相手国は天皇が答訪するものと考えているところを私が訪問するわけですから、自分自身を厳しく律する必要がありました」と後年の記者会見で述べている。

外国訪問でひとつ印象的で象徴的な話がある。平成9年のブラジル訪問の準備段階で、前回昭和53年に同国を訪れたときに時間の都合で会うことのできなかった日系人に会うことはできないかと今上が希望する。20年も前のことを記憶し、一度交わした約束をなんとか果たそうという意思は今上の人柄をよく表わしている。

信頼

平成の世と今上を結びつける最大のものは、信頼である。前述のブラジル訪問の話でもそうであるが、人々との信頼関係を今上は最も大事にしている。国民との触れ合いを大切なものとし、なかでも社会的弱者との交流は生涯のテーマとしているようにもみえる。力の弱い人々に寄り添うことは、そこに確かな意思の存在を感じさせ、人々の中に自然と敬愛の念を生むものである。

有名なのは、全国身体障害者スポーツ大会が創設されるきっかけは、今上の提案だったということだ。東京オリンピック閉幕直後のパラリンピック東京大会に感動を覚えた今上は、この大会は身障者の生きる希望を与えてくれる素晴らしいものだったとの言葉を関係者に伝え、翌年から日本独自に同スポーツ大会が毎年開催されることになった。
(つづく)

2011年11月19日土曜日

彼はなぜひきこもり、少女を監禁しつづけたのか - 新潟少女監禁事件

11月某日

窪田順生『14階段 検証 新潟少女9年2ヵ月監禁事件』(小学館)を読む。

14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー
14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー

2000年1月に発覚した少女監禁事件のドキュメント。当時『FRIDAY』の事件記者だった著者が現地取材と裁判傍聴、そして犯人の実母へのインタビューをもとに書いた本だ。

AMAZONで語られるように記述の間違いがちらほら見受けられ(犯人は高校卒業後一度も働かなかったと書いた数ページ後に卒業後3ヵ月地元企業で勤務したことがあると書く矛盾など。しかしこれは、編集・校正の問題である)、分析の甘さはあるかもしれないが、しかしかなり事件に肉薄しているノンフィクションだと思う。私としてはAMAZONのレビューの質の低さも逆説的に知る機会ともなった。

タイトルの「14階段」とは、犯人の自宅をはいった目の前にある、犯人が少女を監禁しつづけた二階の部屋へ上がる階段のことをさす。彼の母は、この階段を10年以上のぼることはなかった。のぼることができていたら当然少女がとらわれている部屋の異変に気づくことはできただろうが、母はついに階段に足をかけることはできなかった。なぜ母は、わずか14の階段を乗り越えることができなかったのか――。

この特殊な事件の真相をあきらかにするためには、何より、20年間引きこもっていた犯人=佐藤宣行の生い立ちと素性を知らなければならない。そのためには、20年の引きこもりを許し、なおかつ少女が監禁されていた9年2ヵ月の間、同じ家に暮らしていたのにその事実に気づかなかった(とされる)母親と、その息子との関係を知らなければならない。すなわち、母親の話をなんとかして聞きださないことには、事件の原因となるものをあきらかにできない。著者はその母親のインタビュー(複数回)に成功した、(たぶん)唯一の人物である。

母と子の距離

著者が母親に話を聞いていてひとつ違和感を覚えたのは、母が息子を常に、最後のところでかばってしまうことだった。それはインタビューであっても、法廷であっても変わらなかった(法廷ではかばうことが息子に不利になる場合であってもかばい続けた。息子の異常性は多少でも酌量される要素となるかもしれないのにそれは頑として否定するのだ)。

なぜ母は息子を頑なにかばうのか。云い方を変えれば、なぜ息子をそれほど恐れているのか。

息子は中学生になったころから暴力をふるうようになった。それは度を超したもので、一度暴れだすとふすまや壁がぼろぼろになってしまうほどだった。この暴力が、母をして14階段をのぼらせなかった原因である。階段にひとつでも足をかけようものなら、息子の暴力が母や家に向かう。次第に階段を避けるようになったのは、当然のことであった。では、なぜ彼は暴力をふるうようになってしまったのか。

興味をそそられるエピソードがある。エピソードの裏に潜む事実が明らかにはされるわけではない。つまり著者の推測でしかない部分があるのだが、説得力をもって読者に伝わってくるものがある。そのエピソードとは次のようなものだ。

父と子の距離

佐藤宣行が中学一年のときだった。母が遅くに外の用事から自宅へ帰る途中、父親がちょうど家の方角から歩いてくるのに出会った。どうも息子と喧嘩をして家から出てきたらしい。父親は喧嘩の原因はけして語ろうとしなかったが、その日以後、ふたりの関係は一層険悪となったという。

裁判ではけして明らかにされなかったことだと思うが、父親には昔からちょっとした趣味があった。女性の裸である。裸婦の絵を部屋に飾ったり、雑誌のグラビアのヌード写真を切り抜いて保存していた。この恥ずかしい父親の趣味を息子が知ったとしたら・・・。

中学一年という敏感な年齢である。もっとも、そんな父親の趣味なら別に珍しくもないかもしれない。けれど、そんな趣味をもつ年の離れた父親(宣行が生まれたのは60を過ぎてからだ)、それまで高齢の父をもつことを非常に嫌がっていたその父親と、自分があまりに似通っていることを認めざるをえないとしたら。佐藤宣行自身も少女漫画やアイドルに関心が強かったのだ。

喧嘩の真相は母も知らないから、父と子がなぜ大喧嘩をしたのかはたぶん永遠にわからないだろう(父はすでにない)。著者の推測はあくまで推測ではある。

喧嘩をしたその日、息子が偶然父の趣味を知ってしまった。父の下劣さを知った息子は父を怒鳴りつけ暴力を浴びせ、それからというもの我慢することのできない嫌悪感ばかりとなってしまい、父に暴力を振るうようになった。このように父と子の決裂の原因がこの「裸婦」にあったのだとしたら、それが息子の異常な性向につながる一因となってもおかしくはない。

このような想像は、佐藤宣行の精神を知る上でひとつの重要なファクターになるのではないか。誰もが体験をもって知るように、親子の間というのはほんのささいなことで拗れたり、むしろ個人的趣味という内的な動機こそが決定的な影響を与える特殊な関係だからだ。関係の近さは、ときほどくことのできない親子関係にあっては、暴力への進展に十分な理由を与えるものかもしれない。

(24.2.28.追記)

少年Aの13年間の「懲役」について

11月某日

「少年A」モノのもう一冊、高山文彦『「少年A」14歳の肖像』(新潮文庫)を読む。

著者 : 高山文彦
新潮社
発売日 : 2001-10-30

こちらはジャーナリストによる事件ルポルタージュ。同じ事件をあつかった前作『地獄の季節』から、追加取材の成果をふまえて、新たに書き下ろしたものだ(『地獄の季節』は書店でいくら探しても見つからず、未読)。

事件の大まかな経緯は前作で書かれているからなのか、本作は事件の全体像を明らかにするというよりは、少年A本人の精神性を明らかにすることをメインにしていると見受ける。事実、彼の精神がどのようなものであったかをおおよそ知ることができる好著である(すべてを知ることはそもそも不可能なのだから限界まで迫るレベルには達していると思う)。

(途中まで。つづく)

2011年11月14日月曜日

少年A「矯正」の記録 - 彼の異常性はどこからやってきたのか

11月某日

「少年A」について、2冊読む。

まず草薙厚子『少年A 矯正2500日 全記録』(文春文庫)。

著者 : 草薙厚子
文藝春秋
発売日 : 2006-04

鑑定調書や審判調書のようなものを入手して執筆したのかどうか不明だが(2003年の発表当時、大問題になったような記憶がある)、あまりに詳細な少年Aの矯正(治療)の記録が展開される。この本で彼という人物の真相がほぼ把握できるといっていいだろう(後述するが、実はそう判断できないところもある)。少年Aが少年鑑別所での審理を終えて関東医療少年院に移送されてから退院するまでの内部の様子が、さまざまな証言、それも信憑性の高い証言をもとに描かれている。

彼の事件には他の少年犯罪とはまったく異質な性質があった。それは殺人と性衝動の異常な合一であった。彼は小動物(ひいては人間)を殺害し嬲る行為に性的な興奮を覚えた。アメリカの猟奇的事件では実例があったかと思うが、日本ではほとんどはじめての種類の事例である。そんな彼をいかに「矯正」するか――それが医療少年院の担当者たちに課された仕事であった。

精神鑑定その他の資料から、彼の病は幼き日に母から愛情を受けられなかったことに原因があると思われた。彼の「治療」は彼が赤ん坊の時代にもどったものとして、赤ん坊として母の愛情に包めることから始められた。入院初期の少年Aは「死なせてほしい」と強く願っており、「生きること」がそれ自体として自分自身にも認められることをまず教える必要があったが、存在そのものの肯定こそ赤ん坊の特権であるのだから、これは至極妥当な方法であった。担当教官や精神科医師が擬似的に父親役、母親役として彼に接し、粘り強い治療が続けられた。

治療のほかに必要とされたのは、退院したあと、彼は社会に殺されてしまうのではないかという懸念、そして矯正されていく中で芽生えた良心から、彼は自分の犯した犯罪の重大性に愕然として発狂してしまうのではないかという不安、それらにいかに対処するかであった。

社会の厳しい目線に耐えるためには強い精神力を備えなければならない。そのため、遺族の手記のみならず一般の報道にも目を触れさせ自分に対する社会の呵責なさを知らしめたうえで、そのなかで生きることの意味と力(つまり贖罪の意識)を教えている。事実、退院するころには、自分の罪の重さに応じた償いの気持ちを抱いていたように思える。

そして、担当教官らの真摯な取り組みによって(詳細は本書を読まれたい)、彼は発狂という精神病を患わずに済んだ。もっとも、人によっては、発狂しない程度にしか反省しなかったのではないかと批判されるかもしれないが、それは退院以後の彼自身にしか解消しえない問題であろう。

そうして退院した彼について、矯正にたずさわった関係者たちはみな、「再犯のおそれはない」と断言している。これを信じるか否かは読者に委ねられる。

個人的な感想を云えば、彼の犯罪は(というより猟奇的殺人を犯した彼は)他の少年犯罪とはまったく別の事案として考えなければならないと思うのである。猫を殺してしまう小学生は他にいるかもしれない。だが、殺すことに性的な興奮を覚えるのは少年Aしかいない。自慰行為に殺戮の場面を想起する少年は他にいないのである。その意味で、彼は異常である。その異常性は、親の躾けがどうのこうの、家庭環境が云々などと一般の少年犯罪を語る同じ言葉で語れるレベルのものではない。つまり、彼や彼の家族に根源的な原因の責任をもとめることは不可能なのではないか。

幼き時期に母の愛情を十分にうけられなかったというのは事実だが、同じ経験のある少年が同じ猟奇的性格を持つことはないとすれば、母の愛情だけに猟奇性の原因を求めることはできないのであって、彼の異常性は何より彼特有の本質的な病によるものである。それを彼本人の態度や家庭環境や躾けのせいにしてしまえば、彼の治療は表面的にならざるをえない。彼を矯正することにはならないのである。

たしかに少年Aの母は彼に厳しかったかもしれない。父はほとんど干渉せず教育を放棄していたかもしれない。だがそんな話は他にいくらでもある。似たような家庭で育った少年のなかに、殺害という暴力によって性的興奮を得るものがいるだろうか。彼は本質的に特殊であり、その特殊性は病だったのだ。

殺人(傷害)という結果責任を負うこととは別に、彼には病を癒すための特別な治療が必要だった。死刑にしたところで、遺族の悲痛な感情を多少なりとも癒し、社会の恐怖心を浄化すること以外に何もないだろう。それもひとつの方法であろう。だが、罪の重さを自覚しえないままの彼を処刑することは単なる復讐にすぎない。彼から病を取り去り、贖罪の意識を芽生えさせるには、「治療」が必須であった。その意味で、この「矯正」の日々は貴重なものであったと云えるのではないか。

それでは少年Aのかかえた「病」とは一体何だったのであろうか。いわゆる性的サディズムと呼ばれ、鑑定書にあるように性衝動と攻撃性の結合がもたらしたと考えられている。だが、そのような言葉をあてはめてみたところでそれは解釈であって、彼の精神(心)の流れを正確にたどったものではないのではないか。彼の「病」については、私はまだ納得しきれない。

最後に――本書の解説で有田芳生が記しているところによれば、事件から数年がたってからいまさら、少年Aの母は「いままで話せなかったことですが、実は・・・」と精神科医に話したそうである。生後半年くらいから体罰を加えていた、と。この事実は、父母の手記には記されていなかった。

まだまだ隠された事実があるのは間違いない。

<別稿>
2011.10.30. いまなお「少年A」について
2011.11.19. 少年Aの13年間の「懲役」について




2011年11月9日水曜日

昭和の終わりと平成の始まり - 佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』

11月某日
佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』(文春文庫)を読む。

昭和天皇が崩御される前後の政界、社会の動きをあつかった前半と、昭和帝不在の平成時代に起きた時代的なできごとを取材した後半とにわかれる。

後半部分は正直にいって不要だった。

首都東京でも比較的貧しい地域で売春などが広まっているという傾向がみられ、いわゆる下層社会の実態を描く。一方で優れた医者が独自に病院を改革している事実が紹介される。そしてそれだけのことである。

前半の昭和の終わりの劇的なシーンとの不釣り合いが気になる。もっとも、平成という時代がそのようなもの、つまり、劇的なものがうまれない時代であるということかもしれない。

また、平成における昭和天皇の不在を語るにあたって「大きな物語」というキーワードが頻繁に登場するのだが、そもそも「大きな物語」がなんであるのか、これがない時代というのはどういうものであるか、平成にはいかなる物語がうまれようとしているのか・・・・このあたりの考察が弱すぎるのだ(ごくごく常識的な解釈しかあらわれてこない)。この程度の考察で終わるのだとすれば、「大きな物語」という言葉は持ち出す必要がなかったのではあるまいか。

本書のメインは昭和天皇の崩御にいたるドキュメント(とその影響=平成における)である。

陛下体調急変の報を受けて皇居にかけつける主治医・・・などの話は読んでいてリアルなのであるが、これも保阪正康が『昭和天皇』(中央公論)のなかですでに書いたものがほとんどであって特段目新しいものではない。それでも新しい情報が盛り込まれているし、そもそもこの時期の話は何度読んでも面白い。

ここからは佐野眞一のオリジナル?で、昭和帝の崩御に影響を受けた人物に、林郁夫と宮崎勤のふたりがいるという話が描かれる。

林はオウム真理教の信者として地下鉄にサリンを撒き実刑をうけ、宮崎は幼女を殺害したとして死刑となった。とくに慶応大医学部卒の有望な医者であった林は昭和天皇の一般参賀に何回か訪れ、同世代よりはずっと天皇への敬愛の意は強かい人物であった。宮崎も昭和天皇崩御を知らせる新聞をいつまでも自分の部屋に置いていたという(昭和天皇を祖父と同一視していたのではあるが)。

そこに昭和天皇が崩御し、「父」なる存在が消えてしまった。林は、新たな「父」をオウム真理教に求めていった(そう簡単には云えないと思うが)。宮崎については知らない。

もっとも、林の話は、これもすでに福田和也が『現代人は救われ得るか』(新潮社)のなかで書いていることではある。

それはともかく、佐野眞一は平成の時代を印象付けるこれらの事件と昭和天皇の崩御につながりをもとめていくのである。(しかし、この肝心な部分が弱い。佐野さんの他の本がそうであるように、もう一歩踏み込んだ(あるいは離れた)言説ができていないのである。せっかく題材は面白いのに。)

2011年10月30日日曜日

いまなお「少年A」について

10月某日

「少年A」の父母 『「少年A」この子を生んで・・・』(文春文庫)を読む。


1997年、神戸で児童を殺傷した「少年A」の父母による手記である。

言い訳ばかり、反省していない、やはり親に問題がある・・・など、この本を読んだ人の感想をネットであらかじめ読んでいたが、そうわかりやすく判断してよい手記であるとは思えなかった。

少年Aの調書などから伝わる彼の親に対する言葉(すなわち恨み)とは裏腹に、この手記から伺われる父母の子育ての話からは、他の一般的な家庭と比較して厳しすぎるというような教育・しつけがなされていたというふうには思えなかった。仮に手記には本当の話が書かれていない(=隠されている)のだとしても、読む側が想像でカバーすることのできる程度であることはわかる。要は、親の問題なのではないのである。

本書だけではなく他の少年A関係の本を読むかぎり、彼の気質はあまりに異常なものだ。家庭という狭い、半ば外的な要因に動機を求めることはできない。なるほど、より広い、彼個人の趣味であるホラー映画など、家庭外の影響は否定できない。だがそれだけでもまだ、到底説明がつかない。

猫の殺害からはじまった猟奇的関心は彼特有のものだ。しつけやホラー映画が原因なら世の中にウン十万の殺人犯をうむことになるだろうが、人の首を切断してみせしめにし、わざわざ警察に挑戦状をたたきつける人は他にはいない。想像上の神(バモイドオキ神)をかかげ、自己を悪なる自分と善なる自分とに対象化し、あたかも「儀式」をするかのように人に攻撃をくわえ、殺める。彼の狂気は彼だけのものだ。

事件を社会化したところで、彼のような人物が生まれることを防ぐことにはならないだろう。それは反省してみせたい人たちの自己満足にすぎない。

反省の裏返しは、Aの両親をあたかも公開処刑しようとするかのような傲慢さである。彼らを表にださせ、責任を負わせ、悪口雑言を浴びせ、彼らが目の前で自壊するまで飽きない人たち。これもまた狂気のひとつと云えるだろう。

2011年10月25日火曜日

JOC臨界事故、治療しえない病を治療するということ

10月某日

NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命 -被曝治療83日間の記録-』(新潮文庫)を読む。

致死量の放射線を浴び、死は絶対に免れない患者にたいして、どのような治療ができるのだろうか。その治療に「意味」はあるのだろうか。それを問いかける本である(もちろん、核物質を扱うことの危険性も主題ではあるが)

現場の医師も看護婦も、誰ひとり「完治」を期待できないなかで、最大限の治療により僅かな「回復」を発見していくその姿に心を動かされない人はいないだろう。皮膚が再生しない肉体から体液が流れるのを可能な限り防ぐために毎日何時間もかけてガーゼを交換するという行為。

死亡後の解剖で発見された、放射線による破壊を免れた唯一の臓器=心臓の謎。生命の不思議なのだろうか、それとも生化学の枠内にあるものなのか、興味深いところである。

2011年10月15日土曜日

「デトロイト美術館展」(1990)カタログ、あるいはブーグローについて

10月某日

大阪駅近くの某古本屋で入手した展覧会カタログ。

デトロイト美術館展 1989-90年開催 東京・京都・茨城


その中からいくつか紹介。

マネ / 浜辺にて 1873年

ルノワール / 白衣のピエロ 1905年

ブーグロー / 木の実を集める少女たち 1882年

このブーグローが最も衝撃的だった。ほとんど写真である。

写実の究極の形なのかもしれない。だが、写真に近づきすぎているため「写真のほうがいいのでは?」という疑問は避けられないのであって、絵としての価値があるのかどうかが根源的に問われる作品(作家)である。人は絵に、リアリズムだけを求めるわけではないからだ。

だが、画家の筆によって作られたという、ルノアールの云うところのメチエ(職人技)のひとつの頂点であるのは疑いえない。もっとも、ルノワールはブーグローは否定するかもしれないが。

それはともかく、ブーグローについて調べていたら、意外な事実を知った。

ブーグローと印象派

1825年に生まれたブーグローは、画家としての実績を積み重ね、76年に美術アカデミーの会員、84年にはその会長にまでのぼりつめた当代一流の画家であった。作品をみれば、その腕のすごさは疑いようがない。

面白いのは、ブーグローが美術界の権威となった時期はちょうど、印象派が登場し始めた時期にあたるのである(第一回印象派展は1874年だ)。印象派の絵画は当時のサロンにことごとく否定されたわけだが、その否定した人物というのが、ブーグロー本人だったというわけだ。

たしかにブーグローの作品は写実主義の極致である。1882年発表の「木の実を集める少女たち」のようなカントリー地方の素朴な情景を描いたものもあるが、彼の作品の多くは宗教画が占めている。まさしく「守旧派」の代表と云える存在であろう。

ブーグロー / プシュケを略奪するキューピッド  1895年

ブーグローと印象派の画家たちと、「描き方」において共通するものは、同時代に生きた画家であるとは思えないほど、全くみあたらない。純粋な美しさを追求するブーグローの理想=リアリズムは、すぐれて感覚的な印象派の理想=インプレッショニズムと重なりあうことはない。

かような権威が支配する世界にあって印象派が受け入れられなかった理由については、両者の絵を見比べてみれば十分で、言葉の説明など不要だ。これら対照的な絵が、同じカタログに(しかもほとんど同時期の美術史として)並んで掲載されているというのは、当時の人たちには想像もつかなかったことではないか。

2011年10月2日日曜日

プライベート・コレクション・インデックス


フリック・コレクション

名称:
  The Frick Collection
所在:
  ニューヨーク、アメリカ
設立者:
  ヘンリー・C・フリック / Henry Clay Frick
主な所蔵作品:
  ヨハネス・フェルメール / Johannes Vermeer
    中断されたレッスン / Girl Interrupted at Her Music, 1658-59
    兵士と笑う女 / Mistress and Maid, 1657
    女と召使 / Officer and Laughing Girl, 1666-67
  エドガー・ドガ / Hilaire-Germain-Edgar Degas
    リハーサル / The Rehearsal, 1878-1879
  エドゥアール・マネ / Édouard Manet
    闘牛 / The Bullfight, 1864


コメント:
  公式サイトではすべての所蔵品の解説が掲載され、現在展示中かどうかの確認もできる。驚くべきは、作品の拡大画像が見られるということ。ぜひ試していただきたい。


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バーンズ・コレクション

名称:
  The Barnes Collection
所在:
  フィラデルフィア、アメリカ
設立者:
  アルバート・C・バーンズ / Albert C. Barnes
主な所蔵作品:
  ポール・セザンヌ / Paul Cézanne
    Boy in a Red Vest (Le Garçon au gilet rouge)
  クロード・モネ / Claude Monet
    The Studio Boat (Le Bateau-atelier)
  ピエール=オーギュスト・ルノワール / Pierre-Auguste Renoir
    Henriot Family (La Famille Henriot)
    Reading (La Lecture)
  アンリ・マティス / Henri Matisse
    The Dance
コメント:
  現在(2011.10.2)、2012年5月19日にオープン予定の新たな美術館を同じフィラデルフィアに建設中で(通称:The Barnes in Philadelphia)、作品はそちらに移されるようだ。その準備のため旧来の美術館(通称:The Barnes in Merion)は2011年7月3日から休館している。だが新館完成後にこちらが閉館されるわけではなく、バーンズ財団の本部として機能し所蔵品も一部残されるらしい。
  新館の完成予定図をみると国立の美術館並みの荘厳な建物である。旧館の小さな邸宅とはまったく別なものとなるようだ。地図で確認してみると、新館と旧館は直線距離にして10キロほど離れているので注意が必要だ。

The Barnes in Philadelphia / to open on May 19, 2012

The Barnes in Merion / to reopen in late summer, 2012



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イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

名称:
  Isabella Stewart Gardner Museum
所在:
  ボストン、アメリカ
設立者:
  イザベラ・スチュアート・ガードナー / Isabella Stewart Gardner
主な所蔵作品:
  ヨハネス・フェルメール / Johannes Vermeer
    合奏 / The Concert, about 1665, stolen in 1990

盗難事件:
  1990年3月18日、イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館に何者かが侵入し、13作品が盗まれた。その中には、フェルメールの「合奏」、レンブラント「ガリラヤ湖の嵐」「自画像」、ドガやマネの作品が含まれている。現在も見つかってはいない。
  この事件の捜査について書かれた本に、ウィットマン『FBI美術捜査官―奪われた名画を追え』(柏書房)がある。事件は解決していないのではあるが、実はFBIは絵を発見する寸前までいっていたことが明らかにされている。だが、奪還作戦は失敗に終わったのだった。

コメント:
  正確にはプライベート・コレクションではないかもしれないが、個人名が冠されているためこのグループに入れる。
  公式サイトで注目すべきは、「Explore」ページでのビジュアル検索だろう。各部屋ごとに、展示されている作品がすべて写真によって並列に表示され、クリックすれば作品の拡大画像と解説が表示されるようになっている。
  なお、イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館も現在、拡張工事を実施中で、隣接して新たな建物ができるようだ(2012年1月19日開館予定)。現在の美術館は、改装工事中だがショップなど一部を除いて現在も営業中。ただし2011年11月15日から2012年1月18日まで最後の仕上げとして一時休館される。(2011.10.2.現在)

Isabella Stewart Gardner Museum

Renzo Piano wing of Isabella Stewart Gardner Museum

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フィリップス・コレクション

名称:
  The Phillips Collection.
所在:
  ワシントンD.C.、アメリカ
設立者:
  ダンカン・フィリップス / Duncan Phillips
主な所蔵作品:
  エドガー・ドガ / Hilaire-Germain-Edgar Degas
    Women Combing Their Hair    
    La Répétition au foyer de la danse


(随時追加)

2011年9月30日金曜日

ワシントン・ナショナル・ギャラリー公式ガイドブック

9月某日

本国のワシントン・ナショナル・ギャラリー / National Gallery of Art, Washington (NGA)の公式サイトを眺めていると飽きないのだが、ふと、ギャラリーショップのページでいろんなグッズが販売されているのを見つけた。

展覧会カタログやポスター、、DVDなどが公式グッズとして並んでいて、そのなかにGuides to the Collection(所蔵品案内本)として何冊かの美術館オリジナルのガイドブックがある。カタログも貴重だが、おそらく現地でしか買えないガイドブックもなかなか貴重だ。

ネットで注文できるということで、早速2冊を注文してみる。支払いはクレジットでFedExにより届くとか。

一週間くらいかかるかなと思っていたら、2日で届いた。早すぎる。

購入したのは次の2冊。

National Gallery of Art, Washington
  $16.95, Softcover, 332 pages, 312 color

レオナルド・ダ・ヴィンチのクールな絵が表紙のこの本は、コート紙にフルカラー、312枚もの絵がおさめられる。とても素敵な本だ。


洋書だからすべて英文だが、比較的平易な英語で書かれているのでとても読みやすい。これはお買い得だった。

絵画だけでなく、NGAが所蔵するあらゆるジャンルの美術品が写真つきで紹介され、贅沢なガイドブックとなっている。作者ではなく、作品ごとに解説がなされているのが特徴。

注文したもう1冊は、英語以外にスペイン語、フランス語など各国語の翻訳があるこちらの本(日本語版)。

Martha Richler, National Gallery of Art, Washington: A World of Art (Japanese Language Edition)
  $21.95, Softcover, 224 pages, 300 color

少し大判の本でこちらもフルカラー、300枚の写真が掲載されている。だが、こちらはちょっとダサいかな・・・。


内容は、作品ごとではなく作者ごとに複数の絵(美術品)について解説がされており、しかもひとつの美術史ともなっていて物語的に話が構成されている。つまり、この画家から次の画家へという流れがわかるような文章だ。だから流れによっては二度、三度登場する人もあるわけで、その点、読んでいてとても面白い。

ところがこの日本語本、訳がちょっと下手なのである(翻訳が分担されたためかバラつきがある)。日本人が翻訳したのは間違いないのだけど、訳者の名前は一切掲載されていない。協力者として、Hata Stichtingの名前はある。これは東京に本部がある財団ハタ・ステフティングのことで、おそらくこの財団が翻訳を担当したのだろうが、Translatorとしてのクレジットはないのだ。不思議な本である。

NGAの公式ガイドブックを明らかな翻訳文で読むというのは、「外車の操作パネルが日本語だった」というくらい違和感がある。これなら英語で読んだほうが雰囲気がでるし、自然な文章を読めることになるだろう。これは失敗であった。

値段は送料$15.74を含めて計$54.64。円高の今が買い時である。

ところで・・・ひとつ気になった箇所があった。それは、本の奥付に、印刷がシンガポールと中国となっていたこと。東アジアからアメリカにいって、そのアメリカから日本に空輸されてきたのだろうか、あるいは直接、アジアから運ばれてきたのだろうか。お届け期間が2日というのはあまりに早すぎる。アジアの倉庫から輸送されたとしたら、ちょっとショックだな・・・。

2011年9月26日月曜日

展覧会解説講座「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展の見どころ」に行ってみる

9月某日

一週間前に行ったばかりなのに、ふたたび京都はワシントン・ナショナル・ギャラリー展へ。

今回の目的は、学芸員による解説講座に参加するためである。

◇展覧会解説講座

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展の見どころ」

  講師:後藤結美子(京都市美術館学芸員)

  日時:9月24日(土) 14:00~15:00

美術館ビギナーだからこのような講座を聴くのは初めてでとても楽しみにしていて、講師はよくあるような大学教授ではなく美術館所属の学芸員(キュレーター)の人というのも興味をそそられたのであった。

京都市美術館に到着したのは午後1時前。定員が100名しかなく、整理券が配られるのが開始から1時間前の午後1時からだったからギリギリで大丈夫かなと心配していたが、整理券配布の列に並んだときは50番目くらいで、無事手にすることができた。

始まるまでの時間を利用して先に館内へ入る。ちなみに、隣のフェルメール展は入場50分待ちだ。とても観る気がしない。

こちらは入場待ちはなかったけど、先週とうってかわって結構混雑している。時間帯が前回は終了間際、今回はお昼どきだったかもしれないが、観たいものはだいた決まっているから真っ先にそれらの絵に向かう。マネの「鉄道」とカサットの「青いひじ掛け椅子の少女」、そしてベルト・モリゾ、である。

すいているところから順に(実は美術館ではこれが大事)これらの絵を中心として前半部分をほぼ観終えたところでもう一時間がたってしまう。全然時間が足りない。慌てて講座へ向かおうといったん外にでてから別棟の講演室に行く。整理券を受け取るまでてっきり本館の別の階で行なわれるのかと思っていたが、なんだか古い別の建物の中で行なわれるようだ。

講演室に入って席につき、メモをとる気十分でノートを開いたが、スクリーンにスライドを写すため部屋は真っ暗になってしまう。残念・・・。

さて、講師は同館学芸員の後藤結美子さん。

1999年にも同じ京都市美術館で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(以下NGA展)を担当されたらしく12年を経てふたたび開催されることに感慨深いです、と云う。1999年にも展覧会に行ったことのある人の挙手をもとめたら、10人以上(もっと?)の人の手が挙がり、心から羨ましく思う。(10年前なら十分行けた年齢だ。美術を知らないというのはとても悲しい。)

ポスターについてこぼれ話をしてくれた。東京展のほうはマネの「鉄道」がポスターに採用されたが、京都展のほうは違ってゴッホの「自画像」が使用されている。これは、東京では「鉄道」のほうが人気があり人が入りやすいからで、一方関西ではゴッホのほうが断然人気があるからだという。東京に戻りたいと思わずにいられないが、フェルメール展がそうであるように関西でも同じものが開催されるのだから最近少し気に入っている。(でも「鉄道」のポスターが欲しい。)

NATIONAL GALLERY OF ART, WASHINGTON について

本題はまず「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」の紹介から。正式名称は「NATIONAL GALLERY OF ART, WASHINGTON」(NGA)で、「NATIONAL」とつくから「国立美術館」と訳せばいいものをなぜカタカナで表記するのだろうか。それはこの「NATIONAL」が「国立」というより「国民のための」の意味合いが強いためで、設立の由来が一民間人の発意によるものであることが大きい。(このあたりはカタログに詳しい。)

NGAは、運営経費は一応国が出しているものの、美術品の購入費や展覧会の開催費などはすべて民間人の寄付によってまかなわれている。しかも美術品は寄贈によっても相当数集められた(むしろこちらが大多数?)。寄付金による購入と寄贈であれだけの作品数(約12万点!)が集まるのだから、まさしく「国民による」「国民のための」美術館であるといっていいだろう。そういう姿勢は日本でも見られればいいのだが・・・。(なお、この文を書くにあたっては『芸術新潮』2011年6月号も参照している。以下同じ。)

美術館の公式サイトも充実していて、所蔵作品それぞれに写真が添えられ注釈もついており、便利なことに今現在展示されているかどうかも確認できる。この作業はばかにならないはずで、豊富な資金と濃やかなサービス精神がある証拠である。ぜひとも実際に行ってみたい美術館だ。

NGAの説明がなされたあと、いよいよ本題。今回の章立てにそってそれぞれの画家・作品についての解説が行なわれた。

その中からいくつかの面白いお話を紹介。

コロー / うなぎを獲る人々

     コロー / うなぎを獲る人々

この絵は中央の木で左右に分けてみることができる。左半分は4人の家族?を中心とした絵であり、右半分は川とそれを取り囲む木々の絵。とくに右側は奥の光源に向かって伸びる川(水面に木が映る様子)が美しく、見事な奥行きを表現している。これは云われてみて初めて気づいた点だった。

ちなみにタイトルの「うなぎを獲る人々」というのはコロー本人がつけたものではなく、川の中にいる人の姿がうなぎを獲っているように見えるから、そう呼ばれるようになったらしい。不可思議な由来である。フランスでもうなぎを食べる習慣があるが、その料理はうなぎをブツ切りにするとても大胆なものとか。

マネ / オペラ座の仮面舞踏会

     マネ / オペラ座の仮面舞踏会

当時の仮面舞踏会はいわゆるブルジョア紳士と娼婦の出会いの場所であった。猥雑な空間であるが、マネ本人も(取材なのかどうか知らないが)参加したことがあったという。

しかし絵の人物たちのなかで「仮面」(マスク)をつけている人は少ない。左下の床に落ちている黒いものはマスクだという。中央の派手な服を着た娼婦もマスクをしておらず、積極的に男にアピールしている。仮面舞踏会の「仮面」は建前にすぎなくなっていたということだろうか。

教えられないと気づかないが、右から二人目の男性がマネ本人だ。そして右下の床にある白い紙はダンスカードと呼ばれるもので、ここにマネの名前が書かれている。登場人物の一人の署名であり、絵自体の署名でもあるという心憎い?アイデアだろう。

エドゥアール・マネ / 鉄道

     エドゥアール・マネ / 鉄道

この絵がNGA展の本当の主役であると個人的(筆者的)には思う。本物の素晴らしさはぜひ美術館で自分の目で確かめていただきたい。

さてこの絵には、鉄道自体がまったく描かれていないのに「鉄道」というタイトルがマネ本人によって付されている。煙がもくもくとたっているが、この煙のせいで列車の姿は見えず線路らしきものも判別できない。ではなぜ「鉄道」というのだろう・・・。

このあたりの推理というか解釈については、私(筆者)は関心がもてない。それほど「鉄道」という名前に意味があると思えないのである(もちろん、探ろうと思えばいくらでも見つけられるだろう)。それよりも、(この絵に限っては特に)純粋に絵の美しさを楽しみたいと思うのだ。その上で、想像力を少し足して、この絵の楽しみ方を加えてみたい。

まずこのふたりの関係である。普通に考えれば、母と子なのだろう。母は本を読み、娘は(相手をしてくれない母から離れて)列車が通るのを見ている。少し淋しいと云えば淋しい場面かもしれない(いや単に子どもが鉄道を見るのに飽きるのを母親が待っているだけかもしれない)。しかし・・・。

服の色が対照的なのも後藤さんの指摘で初めて気づいた。女性のほうは青をベースに裏地が白の洋服を着ているが、子どもは白のドレスに青い大きなリボンがついている。基調が正反対なのである。ここにも母と子?の行き違いがみてとれるわけである。

ところでこの女性のモデルについては面白い話があり、あのマネのもうひとつの代表作「オランピア/Olympia」のモデルと同一人物なのであった。これを聞いたとき、ええっ!と、めちゃくちゃ驚いた(有名な話らしい・・・)。「オランピア」は美術本でよく見る絵で、女性のヌードを描いた問題作である。

     エドゥアール・マネ / オランピア
          所蔵:オルセー美術館

高階秀爾『誰も知らない「名画の見方」』(小学館101ビジュアル新書)によれば、それまで西洋で描かれてきた裸婦像は神話上の女神がモデルであったが、マネは実在する女性の裸体を描いた。発表当時、「恥知らず」との批判に散々さらされたという。「オランピア」のもうひとつの特徴として、従来のように肉感を陰影で表現するのではなく、輪郭線を強調し平面的に描かれている。これは日本の浮世絵の影響だった。

そんな話を読んでいたのでこの絵はよく知っていたのだが、「オランピア」と「鉄道」の女性が同じ人だったとは・・・。

彼女の名前はヴィクトリーヌ・ムーラン。面白いのは、ムーラン自身が後に画家になったということだ。彼女の作品のうち現存するものはごくわずからしいが、そういった現実の物語はとても魅力的である。

これだけではない。NGA展に飾られている絵にエヴァ・ゴンザレスの「家庭教師と子ども」というのがある。

     エヴァ・ゴンザレス / 家庭教師と子ども

「鉄道」と、構図がとても似ている(もっとも、知らずに最初に見たときは全く気づかなかった・・・)。こちらに向いている女性と後ろ姿の子ども。しかも子どもは同じように「柵」を手でつかんでいる。服の基調の明るさは逆ではあるし、女性と子どもの立ち位置も反対なのだが、ふたつの絵に何らかの関係を見出してもおかしくはないだろう。画風も近いものがある。

     エドゥアール・マネ / 鉄道 ※再掲

実はエヴァ・ゴンザレスはマネの弟子なのである。それも、マネ公認の唯一の弟子であるという(マネの絵のモデルもつとめた)。一般には、「家庭教師と子ども」は「鉄道」に捧げられたオマージュとして解釈されている。

この絵のタイトルが「家庭教師と子ども」であることに注目すると、マネの「鉄道」のふたりの関係は母と子ではなく、家庭教師と子どもなのではないか――この一連の話を聞いたときは身体がゾクッとしてしまった。マネとゴンザレスの実際の関係から「絵」の物語が積み上がっていく面白さが、ここにはある。

個人的な感想を述べれば、「鉄道」の女性の瞳の大きさに注目したい。おそらく実際の瞳よりも大きく描かれているに違いない。そして女性の着ている洋服のボタンも、ふつうのボタンに比べてずいぶん大きい。ここがフォーカスポイントとなって(大きな瞳はかわいらしさを象徴する)、「鉄道」の絵の魅力と人気につながっているのではないかと思うのだ。

アルフレッド・シスレー / アルジャントゥイユのエロイーズ大通り

 アルフレッド・シスレー / アルジャントゥイユのエロイーズ大通り

1872年、シスレーは友人のモネをアルジャントゥイユに訪ねた。前年からモネがこの地に移り住んでいたからである。

人物画ではなく風景画を好むという点でふたりは共通の関心をもっていた。実は、シスレーのこの絵と同じ時に同じ場所で、つまりキャンバスを並べて描かれた作品がモネにあるのである。

     クロード・モネ / アルジャントゥイユのエロイーズ大通り
          所蔵:Yale University Art Gallery

同じ構図で別の画家が、まったく同じときに描いた絵というのは珍しいだろう。そのため、ふたりの画風の比較が容易にできる。

まず明るさが全く違う(画像だから多少、実物とは色合いが異なるが)。シスレーの単色に近い情景に対し、モネは季節を感じさせるカラフルさである。また、小さな画像ではわかりにくいが、拡大してみるとシスレーのほうがずっと細かく描かれている。モネはおおざっぱだ。

個人的に面白く思うのは、シスレーは控えめに道の端っこ、他人の邪魔にならない位置にキャンバスを構えているのに、モネは道のど真ん中ということ。性格の違いなのか、知名度の違いなのか、はたまた本当は別のところで(大部分を)描いたのか知る由もないけれど。

セザンヌ / 赤いチョッキの少年

(セザンヌには「赤いチョッキの少年」という作品が4枚あるというお話を書く予定)


フィンセント・ファン・ゴッホ / 薔薇

最後にゴッホ。

ゴッホは個人的にはあまり関心がないため、絵の前に集まる人の頭越しに数分眺めただけだった。この絵の「秘密」には当然、気づきもしなかった。

     フィンセント・ファン・ゴッホ / 薔薇

中央のバラのいくつかをよく見てみると、白の花びらのところどころに赤味がある。実は、ゴッホの描いたバラはすべてが白色であったのではなく、その半分くらいが赤(紫?)だったという。

この絵にゴッホの使った赤の絵具は退色の進度がはやく、NGAにやってきたころにはすでに赤の面影はなくなり、すべて白のバラの花になっていたのだった。この白のバラのなかに赤のバラがあったとすれば・・・絵の印象は大きく違ってくる。もっと原色豊かな、派手な絵になっていたことだろう。

私にはこの白いバラのほうが素敵に思えるのではあるが。

2011年9月25日日曜日

過去の美術展覧会インデックス

過去の展覧会



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展覧会名:
  ワシントン・ナショナル・ギャラリー展
印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション 



期間:
2011年6月8日 - 9月5日, Tokyo
2011年9月13日 - 11月27日, Kyoto

場所:
国立新美術館, 六本木, Tokyo
京都市美術館, Kyoto

主な作品:
マネ / 鉄道、
モネ / 日傘をさす女性
セザンヌ / 赤いチョッキの少年

公式サイト:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 公式サイト
同 京都展 公式サイト
京都市美術館

コメント:
2011年9月19日を皮切りに、複数回行った。

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展覧会名:
  フェルメールからのラブレター展
コミュニケーション:
17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ



期間:
2011年6月25日~10月16日, Kyoto
2011年10月27日~12月12日, Miyagi
2011年12月23日~2012年3月14日, Tokyo

場所:
京都市美術館, Kyoto
宮城県美術館, Miyagi
Bunkamura ザ・ミュージアム, 渋谷, Tokyo

主な作品:
フェルメール / 手紙を読む青衣の女、手紙を書く女、手紙を書く女と召使い
テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女
デ・ホーホ / 中庭にいる女と子供、室内の女と子供、トリック・トラック遊び

公式サイト:
フェルメールからのラブレター展 公式サイト
京都市美術館
宮城県美術館
Bunkamura ザ・ミュージアム

コメント:
2011年8月5日を皮切りに、複数回行った。

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展覧会名:
  フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展

期間:
2011念3月3日 - 5月22日, Tokyo
2011年6月11日 - 8月28日, Toyota

場所:
Bunkamura ザ・ミュージアム, 渋谷, Tokyo
豊田市美術館, Toyota

主な作品:
フェルメール / 地理学者
テル・ボルフ / ワイングラスを持つ婦人
ヘリット・ダウ / 夕食の食卓を片づける女性

公式サイト:
フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展 ※消滅
豊田市美術館
中京テレビ

コメント:
2011年8月11日、高速を使って豊田市まで観に行った。駐車場から坂道を登る途中でデジカメを落として壊れてしまったのが痛切。

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展覧会名:
  フェルメール展
~光の天才画家とデルフトの巨匠たち~


期間:
2008年8月2日~12月14日

場所:
東京都美術館, Tokyo

主な作品:
フェルメール、ファブリティウス、デ・ホーホ、デア・ヘイデン

公式サイト:
フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち
東京都美術館

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展覧会名:
メトロポリタン美術館展
ピカソとエコール・ド・パリ


期間:
2002年9月14日~11月24日, Kyoto
2002年12月7日~2003年3月9日, Tokyo

場所:
京都市美術館, Kyoto
Bunkamura ザ・ミュージアム, Tokyo

出品作品数:
××点 (うち日本初公開、42点)

主な作品:
ピカソ、マティス、モディリアーニ

公式サイト:
メトロポリタン美術館展


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2011年9月24日土曜日

絵画集 / ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 京都

9月某日

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展(京都市美術館)に集められた絵のなかでほかに気に入ったものまとめ(カタログナンバー順)。すでに掲載したもの、次回以降に掲載したものはこちら。

23.9.20.ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 -京都市立美術館

23.9.21.印象派の「現在」性 - ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

23.9.26.展覧会解説講座「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展の見どころ」に行ってみる

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ギュスターヴ・クールベ / ルー川の洞窟


ウジェーヌ・ブーダン / オンフルールの港の祭


エドゥアール・マネ / オペラ座の仮面舞踏会


エドゥアール・マネ / プラム酒


エドガー・ドガ / 舞台裏の踊り子

アルフレッド・シスレー / アルジャントゥイユのエロイーズ大通り


ベルト・モリゾ / ロリアンの港

ピエール=オーギュスト・ルノワール / モネ夫人とその息子


ピエール=オーギュスト・ルノワール / シャトゥーの漕ぎ人たち
※実物はこれほど色鮮やかではなく、もう少し淡い色合いで控えめである


メアリー・カサット / 青いひじ掛け椅子の少女
絵の下側に薄茶色の部分があるが、これはカサットの塗り残し(塗り忘れ?)らしい。床が単色で塗りたくられているのと同様、かなり適当な人のようだ。いや、もちろん、故意なのだろうけれど。


メアリー・カサット / 浜辺で遊ぶ子どもたち


メアリー・カサット / 麦わら帽子の子ども

ギュスターヴ・カユボット / スキフ(一人乗りカヌー)

エヴァ・ゴンザレス / 家庭教師と子ども

ポール・セザンヌ / 赤いチョッキの少年

アンリ・ロートレック / カルメン・ゴーダン

(24.3.24.追加)

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展覧会名:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 
印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション
公式サイト

場所:
京都市美術館 =公式サイト

期間:
2011年9月13日~2011年11月27日

出品数:
83点 (うち日本初、約50点)

所蔵館:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
/ NATIONAL GALLERY OF ART, WASHINGTON
公式サイト

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2011年9月21日水曜日

印象派の「現在」性 - ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

9月某日

( 前回 )

閉館まで残り20分。残るブースはふたつ(全体の半分)。鑑賞にはちょっと不可能な時間だ。

急いで移動した先は、3つめのブース「3. 紙の上の印象派」。エッチング(版画の一種)やリトグラフ(これも版画の一種)が集められている。かなり珍しいものもあるようだ。

マネの「ベルト・モリゾ」やセザンヌの「自画像」もある。セザンヌの自画像については『近代絵画』のなかで小林秀雄が、表現ではなくモノとして自分を描いているところにセザンヌの自画像の特徴があるとかそんな話を語っていたのを思い出し、これはいいものが観られたかもしれないと思う(秀雄が直接引き合いに出しているのは油彩画の自画像だが)。しかし時間がないので、最後のブースへ。

「4. ポスト印象派以降」と題された部屋の主役はゴッホであった。この部屋の、というよりこの展覧会のメインがゴッホだ。ゴッホどころか印象派もはじめてのド素人としてはその名前だけで満足である。黄色の「自画像」もあったが、青が基調の「薔薇」が飾られる3枚のうちでもっともよかった(でも帰宅してからカタログをみていると、「プロヴァンスの農園」のほうがいいかもと考えを改める)。

     ゴッホ / プロヴァンスの農園

もうひとりの主人公はセザンヌ。同じく『近代絵画』ではセザンヌについて熱く語る小林秀雄の真意がよくわからないままだったのだが、実際の絵を観てみれば、なんとなく、感覚的に、その一端がわかったような気がした。

     セザンヌ / 水辺にて

なかでもこの「水辺にて」という絵が気にいった。やけっぱちのような描き方だけど、白地の残し方などが慎重に計算されているような気がする。もうひとつ圧巻だったのは「『レヴェヌマン』紙を読む画家の父」。

     セザンヌ / 『レヴェヌマン』紙を読む画家の父

あとで調べると有名な絵らしいが、何も知らずにみてもとても特徴的な絵だった。顔の部分を子細に眺めると貼り絵のようにわずかに濃淡の違う色が描き分けられていて、こんなタイプの絵ははじめてみたのだった。リアル・セザンヌをみた後で小林秀雄の文章を読めば、ぐっと理解が高まるだろう。

カタログやネットでセザンヌについての文を読んでいると、今回アメリカからやってきた中ではどうやら「赤いチョッキの少年」のほうが有名らしい。この絵は時間に追われながら軽く観ただけで終わったので失敗した。次回来たときに観てみるとしよう。

いよいよ閉館時間の17時となった。そして17時を過ぎただろうのに追い出される気配はない。もう少し粘ることにする。もう一度、モネとモリゾをみたい。

なにより、館内にはもう数人しかいない。絵を独占する絶好のタイミングだ。

Uターンしてモネの「日傘をさす女性」の前に向かう。すると、外国人の夫婦?が絵の前に立って会話をしていた(言葉からフランス人だとわかった)。とくに着飾ったわけではないごくごくふつうのフランス人の夫婦が楽しそうにセザンヌに向かって言葉をかわしている光景は、それ自体、いい絵になりそうだった。

その横に並んでじっくり絵を眺めた。(ほぼ)独占である。ふらっと立ち寄ったワシントン~展だが、とても幸運だったのかもしれない。

そして最後にベルト・モリゾの絵を、こちらは完全独占して楽しむ。自分だけの絵のような錯覚がする。

監視する人たちの視線が気になりだしたので、ここで退場。

フェルメールが目的だったのが、モリゾとモネの印象派に感激する一日となった。

印象派の「現在」性

ただ淋しく思うのは、客がとても少なかったこと。

フェルメールはたしかにすばらしいし、貴重なものなのだが、モネの「日傘をさす女性」も同じ程度にすばらしく、貴重なのである。「絵」としてみてみれば質はまったく劣るところはなく、絵の素人である私でさえかけられた絵の前で美しさに釘づけとなるのだ。

フェルメール展に集められた絵画は17世紀を中心としたやはり「古い」ものである。現代の私たちには印象派の(物語としてではなく描写として)劇的な絵画のほうが自分の感覚にしびれるものがあるはずだ。精緻さと物語、ありのままの情景を追求した17世紀の絵画はすぐれて、描かれた時代にがんじがらめとなって(つまり切り離すことはできず)、私たちにとってはいわば「過去」が表現されているものと云えよう。

だが印象派絵画にあらわれる「感覚」(印象)の発露は、もっと汎時代的な受容が可能なのではないか。19世紀でも20世紀、21世紀でも、人間の感覚は大きく変わるところはないのであって、だからこそ印象派の絵画は、客観性ではなく人間の感覚性=主観性に訴えかけるものであるにもかからわず、「現在」を普遍的に表現するものと云えるのではないか。

もちろん「過去」を楽しむことをが好みである人は多いだろうし、私もフェルメールのみならずテル・ボルフ、デ・ホーホらが描く17世紀オランダの一場面一場面は気にいっていて、その美しさは時代を超えて伝わりうるものであることに疑問の余地はない。

ただそのときの楽しみは、17世紀オランダ=「過去」を歴史として、いまの人たちに直接かかわりのないものとしてみる立場でのものとなるはずだ(私たちは欧州人の歴史性さえ帯びていないのだ)。それは、少し距離を置いて絵画をみる姿勢を私たちにとらせ、そのとき、「感覚」ではなく絵本来の出来や物語の意味をさぐる、少し分析的な態度になってしまうのではないか。「当時の人たちは・・・」(あるいは「当時の人たちも・・・」)という言葉を云わずにいられない姿勢それ自体が歴史的である。

それよりも、絵をみて感じたところを(解説やウンチクを語らずとも)そのまま受け入れることができる印象派の感覚主義は、よりずっと時代と場所を超えた影響力をそなえていると云えないだろうか。ある意味絵に物語的な深みが欠落していることもあって、印象派絵画は観たままの感想で楽しめる気安さもあるのだ。

だからこそ思う。フェルメールの名前や貴重性に反応するよりも、絵そのものに反応できる印象派の絵画を観ることのほうが、私たち日本人が日常に絵画を溶け込ませるためのより素晴らしい方向なのではないかと。絵画は仰々しいものであって欲しくはないと思うのだ。

2011年9月20日火曜日

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 -京都市美術館

9月某日

( 前回 )

フェルメール展が50分待ちなのは、開催期間が残り1ヵ月をきってしまい宣伝回数も十分に達した時期であるため驚くことではないのだが、同じ京都市美術館のなかの反対側ブースで(1週間前の)9月13日から開催されている「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」にはまったく人が並んでいない。チケット売り場にも人のいる気配がない。

フェルメール展も1ヵ月ほど前までは入場規制がかかっていなかったのでそういうものなのかもしれない。けれど今回はサブタイトルが「印象派」なのである。

公式サイト:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション

印象派・ポスト印象派はフェルメールほどの知名度はないかもしれないが、それでも今回展示されるルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの名前はあまりに有名だ。展覧会名自体にその名前があるほうがむしろ自然で、そんな大御所が何人も集まっているのだからフェルメールに匹敵する魅力はあると思うのだが・・・。

さて、チケットを購入してさっそく中へ。ガラガラである。平日ではなく休日の午後なのに。でも観るほうからすれば、こんなにラッキーなことはない。隣の展覧会の混雑で結構疲れ気味のところ、ワクワクしながら進んで行くと、マネの「鉄道」が見えてきた(「1. 印象派登場まで」)。

マネ / 鉄道

印象派については(というか美術全般について)よく知らない私ではあるが、この「鉄道」は見覚えがある。マネ本人は印象派というよりその先駆者という位置づけらしいが、あぁこれが印象派だと思わせる絵の色合いがはっきりとわかり、それだけで興奮してしまう。

モネの「日傘をさす女性」があるなんて

ほかにコローやクールベなど名前くらいは聞いたことのある画家の作品がいくつもならび、さっきまで観ていたフェルメールの時代=17世紀とはまったく異なる画風(非常に視覚的な)がとても新鮮に感じられる。そして「2. 印象派」という次のブースに向かうと言葉にならない衝撃が・・・!

モネの「日傘をさす女性」(本展覧会では「日傘の女性、モネ夫人と息子」というタイトル)が本展のファーストメインというような位置づけで斜めの壁にかけられていたのだった。これはあまりに有名な絵だ。モネに触れたどんな本にもでてくるくらいの絵(ほぼ同様の構図の絵が複数あるが)。

モネ / 日傘をさす女性

まさかこの絵を観ることができるとは全く予想していなかったので、ほんとうに驚いた。衝撃とはこのことである。あらかじめ家で確認してきた展覧会の公式サイトにはこの絵の紹介が一切なかったのであるから、不意打ちも不意打ちだった。口をポカーンと開けてしまう。

写真でみるよりずっといい。すばらしい。うまく表現できないが、なにかこう、まさしく印象派的な、色が流れる感じが直接身体に伝わってくる。すばらしすぎる。

女性にまとわりつく光と風。光を反射し、風になびく草々。ほかのだれがこの絵を書けるだろう。

閉館まで残り30分しかない。ほかの絵もみないといけないので、しぶしぶその場を離れる。もう一度、ゆっくり時間をとって、この展覧会に来ようと思うのだった。

このブースにはほかにも、ドガの「舞台裏の踊り子」があったり(かの有名な「踊りの花形(エトワール)」ではない)、ルノワール、ピサロが飾られているが、ある絵をみて「んん?」と意識が集中する。もしかして・・・画家の名をみると、ベルト・モリゾとあった。

ベルト・モリゾがあるなんて

個人的な最大の衝撃は、(モネではなく)ベルト・モリゾの3枚の絵(すべて初見)だった。モリゾの絵もあるなんて、公式サイトにはひと言もなかった。なんということだ、公式サイト。

印象派のなかで私がもっとも気にいっているのはベルト・モリゾである。あの適当な感じが好きなのだ。

プレートにその名前をみつけたとき、「あっ」と声をあげてしまったけど、なにも申し訳ないとは思わないところに衝撃の大きさがある。数枚程度しかモリゾの絵を知らないのに、絵の印象からなんとなく画家が誰であるかわかったことも嬉しく、自分の美術レベルもあがったなとも思った(ゴッホなら誰でもわかるだろうけど、モリゾはなかなかわからないだろう)。

先に書いた通り、今回はモリゾの絵は3枚あるのだが、いずれも知っていた絵ではなかったけどそのなかで最も気にいったのは、「麦わら帽子をかぶる若い女性」だ。

ベルト・モリゾ / 麦わら帽子をかぶる若い女性

画像でみるとなんともさえない印象をうけるが、実際の絵はもっとカラフルで迫力がある(注:あとでカラフルなものをネットで見つけてきて差し替えた。この画像が実物より若干明るすぎるくらい)。流れるような(勢いのある)筆づかい、それと反対のさりげない表情。できうる限り身を乗り出して近づいてみれば、モリゾのひと筆ひと筆が手にとるようにわかる。モリゾのなかでもさほど有名な絵ではないけど、この展覧会で個人的に一番よかったのがこの「麦わら帽子をかぶる若い女性」だった。

「あと20分で閉館」のアナウンスが響く。いかん、あと2つのブースが残っている。ゴッホもまだなのだった。

( つづく )

2011年9月19日月曜日

フェルメール展なのにテル・ボルフが素敵

9月某日

3回目の「フェルメール展」(京都市美術館)へ行ってみる。

今日の午後は雨が降るから人が少ないだろうと予測してこの日を選んだのに、入場50分待ちだった。実際には30分くらいで入れた気がするが、フェルメールの人気はすごいと思う。最近よくテレビなどで取り上げられたらしいのでその影響が大きいのだろうか。

だけど、その人気は多分にミーハーなものだろう。絵画に関心があって来た、という人がどれだけいただろうか。フェルメールの名前、知名度にひっぱられ、芸能人がいるから来てみたぐらいの気分が多かったのではないか。

もちろん、それ自体を否定するわけではないが少し残念に思ったことがあったので、それは後に書くとして、立ちっぱなしで待つこと30分以上、ようやく入場。3回目だから慣れたもの、真っ先に一番奥のブースに向かう。疲れる前にフェルメールを観るのである。

さすがに人が多い。各ブースでほとんどの人が飾られる順番に絵の前に立つのを律儀に思いつつフェルメールのブースに入ると、これまたすごい人だ。後頭部の隙間から絵を眺めるのはなんだかちょっと寂しい。でもこれはこれでいい光景かもしれない。とりあえず「手紙を書く女」と「手紙を書く女と召使い」をじっくり観る(「手紙を読む青衣の女」はあまり興味がない)のだけど、何回も観て新鮮さがなくなったのか人が多すぎて落ち着かないのかあまり関心をもてないのがショックだ。

重なる人垣がフェルメールへの愛着を冷静にさせたのかもしれない。なんで君はフェルメールを観に来たのだね、という問いだ。事実、いくつかの絵を除いて、フェルメールの絵よりもフェルメール自体に興味があると云える。それはほかの人と同じではないのか――――。

ブースを後にして、今回は反対の順序から絵を観てみる。やはりテル・ボルフの「眠る兵士とワインを飲む女」がお気に入りだ。それとデ・ホーホの「室内の女と子供」。このふたつをじっくり眺める。

テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女

デ・ホーホ / 室内の女と子供

とくにテル・ボルフの絵(ワイン)は好きすぎて仕方がない。今回、スカーフを結んだ首元のところに青いリボンがあるのを発見した。白のスカーフ、青のリボン、黒のカーディガン(?)、白のドレス、赤い椅子。原色ばかりで主張が強い色合いなのに、全体がずっと落ち着いた印象を受けるのはなぜだろうか(貼り付けた画像より本物はずっと薄暗くて地味だ)。

もはやフェルメールはどうでもよくなって、この絵ばかり眺める。ほかの人はだいたいこの絵は一瞥するだけで次の絵に移っていくが、テル・ボルフの前から全然動けなくなる。これが絵を観るということなのだな、と思う。

さて、ひと通り観てから、隣の展覧会に足を運ぶとしよう。先週から同じ京都市美術館の反対側で「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が開催されているので、実はこれも少し楽しみにしていたのだった。そしてこれが、思わぬ感激を与えてくれるのだった。

( つづく )