2011年10月30日日曜日

いまなお「少年A」について

10月某日

「少年A」の父母 『「少年A」この子を生んで・・・』(文春文庫)を読む。


1997年、神戸で児童を殺傷した「少年A」の父母による手記である。

言い訳ばかり、反省していない、やはり親に問題がある・・・など、この本を読んだ人の感想をネットであらかじめ読んでいたが、そうわかりやすく判断してよい手記であるとは思えなかった。

少年Aの調書などから伝わる彼の親に対する言葉(すなわち恨み)とは裏腹に、この手記から伺われる父母の子育ての話からは、他の一般的な家庭と比較して厳しすぎるというような教育・しつけがなされていたというふうには思えなかった。仮に手記には本当の話が書かれていない(=隠されている)のだとしても、読む側が想像でカバーすることのできる程度であることはわかる。要は、親の問題なのではないのである。

本書だけではなく他の少年A関係の本を読むかぎり、彼の気質はあまりに異常なものだ。家庭という狭い、半ば外的な要因に動機を求めることはできない。なるほど、より広い、彼個人の趣味であるホラー映画など、家庭外の影響は否定できない。だがそれだけでもまだ、到底説明がつかない。

猫の殺害からはじまった猟奇的関心は彼特有のものだ。しつけやホラー映画が原因なら世の中にウン十万の殺人犯をうむことになるだろうが、人の首を切断してみせしめにし、わざわざ警察に挑戦状をたたきつける人は他にはいない。想像上の神(バモイドオキ神)をかかげ、自己を悪なる自分と善なる自分とに対象化し、あたかも「儀式」をするかのように人に攻撃をくわえ、殺める。彼の狂気は彼だけのものだ。

事件を社会化したところで、彼のような人物が生まれることを防ぐことにはならないだろう。それは反省してみせたい人たちの自己満足にすぎない。

反省の裏返しは、Aの両親をあたかも公開処刑しようとするかのような傲慢さである。彼らを表にださせ、責任を負わせ、悪口雑言を浴びせ、彼らが目の前で自壊するまで飽きない人たち。これもまた狂気のひとつと云えるだろう。

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