2011年11月19日土曜日

彼はなぜひきこもり、少女を監禁しつづけたのか - 新潟少女監禁事件

11月某日

窪田順生『14階段 検証 新潟少女9年2ヵ月監禁事件』(小学館)を読む。

14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー
14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー

2000年1月に発覚した少女監禁事件のドキュメント。当時『FRIDAY』の事件記者だった著者が現地取材と裁判傍聴、そして犯人の実母へのインタビューをもとに書いた本だ。

AMAZONで語られるように記述の間違いがちらほら見受けられ(犯人は高校卒業後一度も働かなかったと書いた数ページ後に卒業後3ヵ月地元企業で勤務したことがあると書く矛盾など。しかしこれは、編集・校正の問題である)、分析の甘さはあるかもしれないが、しかしかなり事件に肉薄しているノンフィクションだと思う。私としてはAMAZONのレビューの質の低さも逆説的に知る機会ともなった。

タイトルの「14階段」とは、犯人の自宅をはいった目の前にある、犯人が少女を監禁しつづけた二階の部屋へ上がる階段のことをさす。彼の母は、この階段を10年以上のぼることはなかった。のぼることができていたら当然少女がとらわれている部屋の異変に気づくことはできただろうが、母はついに階段に足をかけることはできなかった。なぜ母は、わずか14の階段を乗り越えることができなかったのか――。

この特殊な事件の真相をあきらかにするためには、何より、20年間引きこもっていた犯人=佐藤宣行の生い立ちと素性を知らなければならない。そのためには、20年の引きこもりを許し、なおかつ少女が監禁されていた9年2ヵ月の間、同じ家に暮らしていたのにその事実に気づかなかった(とされる)母親と、その息子との関係を知らなければならない。すなわち、母親の話をなんとかして聞きださないことには、事件の原因となるものをあきらかにできない。著者はその母親のインタビュー(複数回)に成功した、(たぶん)唯一の人物である。

母と子の距離

著者が母親に話を聞いていてひとつ違和感を覚えたのは、母が息子を常に、最後のところでかばってしまうことだった。それはインタビューであっても、法廷であっても変わらなかった(法廷ではかばうことが息子に不利になる場合であってもかばい続けた。息子の異常性は多少でも酌量される要素となるかもしれないのにそれは頑として否定するのだ)。

なぜ母は息子を頑なにかばうのか。云い方を変えれば、なぜ息子をそれほど恐れているのか。

息子は中学生になったころから暴力をふるうようになった。それは度を超したもので、一度暴れだすとふすまや壁がぼろぼろになってしまうほどだった。この暴力が、母をして14階段をのぼらせなかった原因である。階段にひとつでも足をかけようものなら、息子の暴力が母や家に向かう。次第に階段を避けるようになったのは、当然のことであった。では、なぜ彼は暴力をふるうようになってしまったのか。

興味をそそられるエピソードがある。エピソードの裏に潜む事実が明らかにはされるわけではない。つまり著者の推測でしかない部分があるのだが、説得力をもって読者に伝わってくるものがある。そのエピソードとは次のようなものだ。

父と子の距離

佐藤宣行が中学一年のときだった。母が遅くに外の用事から自宅へ帰る途中、父親がちょうど家の方角から歩いてくるのに出会った。どうも息子と喧嘩をして家から出てきたらしい。父親は喧嘩の原因はけして語ろうとしなかったが、その日以後、ふたりの関係は一層険悪となったという。

裁判ではけして明らかにされなかったことだと思うが、父親には昔からちょっとした趣味があった。女性の裸である。裸婦の絵を部屋に飾ったり、雑誌のグラビアのヌード写真を切り抜いて保存していた。この恥ずかしい父親の趣味を息子が知ったとしたら・・・。

中学一年という敏感な年齢である。もっとも、そんな父親の趣味なら別に珍しくもないかもしれない。けれど、そんな趣味をもつ年の離れた父親(宣行が生まれたのは60を過ぎてからだ)、それまで高齢の父をもつことを非常に嫌がっていたその父親と、自分があまりに似通っていることを認めざるをえないとしたら。佐藤宣行自身も少女漫画やアイドルに関心が強かったのだ。

喧嘩の真相は母も知らないから、父と子がなぜ大喧嘩をしたのかはたぶん永遠にわからないだろう(父はすでにない)。著者の推測はあくまで推測ではある。

喧嘩をしたその日、息子が偶然父の趣味を知ってしまった。父の下劣さを知った息子は父を怒鳴りつけ暴力を浴びせ、それからというもの我慢することのできない嫌悪感ばかりとなってしまい、父に暴力を振るうようになった。このように父と子の決裂の原因がこの「裸婦」にあったのだとしたら、それが息子の異常な性向につながる一因となってもおかしくはない。

このような想像は、佐藤宣行の精神を知る上でひとつの重要なファクターになるのではないか。誰もが体験をもって知るように、親子の間というのはほんのささいなことで拗れたり、むしろ個人的趣味という内的な動機こそが決定的な影響を与える特殊な関係だからだ。関係の近さは、ときほどくことのできない親子関係にあっては、暴力への進展に十分な理由を与えるものかもしれない。

(24.2.28.追記)

少年Aの13年間の「懲役」について

11月某日

「少年A」モノのもう一冊、高山文彦『「少年A」14歳の肖像』(新潮文庫)を読む。

著者 : 高山文彦
新潮社
発売日 : 2001-10-30

こちらはジャーナリストによる事件ルポルタージュ。同じ事件をあつかった前作『地獄の季節』から、追加取材の成果をふまえて、新たに書き下ろしたものだ(『地獄の季節』は書店でいくら探しても見つからず、未読)。

事件の大まかな経緯は前作で書かれているからなのか、本作は事件の全体像を明らかにするというよりは、少年A本人の精神性を明らかにすることをメインにしていると見受ける。事実、彼の精神がどのようなものであったかをおおよそ知ることができる好著である(すべてを知ることはそもそも不可能なのだから限界まで迫るレベルには達していると思う)。

(途中まで。つづく)

2011年11月14日月曜日

少年A「矯正」の記録 - 彼の異常性はどこからやってきたのか

11月某日

「少年A」について、2冊読む。

まず草薙厚子『少年A 矯正2500日 全記録』(文春文庫)。

著者 : 草薙厚子
文藝春秋
発売日 : 2006-04

鑑定調書や審判調書のようなものを入手して執筆したのかどうか不明だが(2003年の発表当時、大問題になったような記憶がある)、あまりに詳細な少年Aの矯正(治療)の記録が展開される。この本で彼という人物の真相がほぼ把握できるといっていいだろう(後述するが、実はそう判断できないところもある)。少年Aが少年鑑別所での審理を終えて関東医療少年院に移送されてから退院するまでの内部の様子が、さまざまな証言、それも信憑性の高い証言をもとに描かれている。

彼の事件には他の少年犯罪とはまったく異質な性質があった。それは殺人と性衝動の異常な合一であった。彼は小動物(ひいては人間)を殺害し嬲る行為に性的な興奮を覚えた。アメリカの猟奇的事件では実例があったかと思うが、日本ではほとんどはじめての種類の事例である。そんな彼をいかに「矯正」するか――それが医療少年院の担当者たちに課された仕事であった。

精神鑑定その他の資料から、彼の病は幼き日に母から愛情を受けられなかったことに原因があると思われた。彼の「治療」は彼が赤ん坊の時代にもどったものとして、赤ん坊として母の愛情に包めることから始められた。入院初期の少年Aは「死なせてほしい」と強く願っており、「生きること」がそれ自体として自分自身にも認められることをまず教える必要があったが、存在そのものの肯定こそ赤ん坊の特権であるのだから、これは至極妥当な方法であった。担当教官や精神科医師が擬似的に父親役、母親役として彼に接し、粘り強い治療が続けられた。

治療のほかに必要とされたのは、退院したあと、彼は社会に殺されてしまうのではないかという懸念、そして矯正されていく中で芽生えた良心から、彼は自分の犯した犯罪の重大性に愕然として発狂してしまうのではないかという不安、それらにいかに対処するかであった。

社会の厳しい目線に耐えるためには強い精神力を備えなければならない。そのため、遺族の手記のみならず一般の報道にも目を触れさせ自分に対する社会の呵責なさを知らしめたうえで、そのなかで生きることの意味と力(つまり贖罪の意識)を教えている。事実、退院するころには、自分の罪の重さに応じた償いの気持ちを抱いていたように思える。

そして、担当教官らの真摯な取り組みによって(詳細は本書を読まれたい)、彼は発狂という精神病を患わずに済んだ。もっとも、人によっては、発狂しない程度にしか反省しなかったのではないかと批判されるかもしれないが、それは退院以後の彼自身にしか解消しえない問題であろう。

そうして退院した彼について、矯正にたずさわった関係者たちはみな、「再犯のおそれはない」と断言している。これを信じるか否かは読者に委ねられる。

個人的な感想を云えば、彼の犯罪は(というより猟奇的殺人を犯した彼は)他の少年犯罪とはまったく別の事案として考えなければならないと思うのである。猫を殺してしまう小学生は他にいるかもしれない。だが、殺すことに性的な興奮を覚えるのは少年Aしかいない。自慰行為に殺戮の場面を想起する少年は他にいないのである。その意味で、彼は異常である。その異常性は、親の躾けがどうのこうの、家庭環境が云々などと一般の少年犯罪を語る同じ言葉で語れるレベルのものではない。つまり、彼や彼の家族に根源的な原因の責任をもとめることは不可能なのではないか。

幼き時期に母の愛情を十分にうけられなかったというのは事実だが、同じ経験のある少年が同じ猟奇的性格を持つことはないとすれば、母の愛情だけに猟奇性の原因を求めることはできないのであって、彼の異常性は何より彼特有の本質的な病によるものである。それを彼本人の態度や家庭環境や躾けのせいにしてしまえば、彼の治療は表面的にならざるをえない。彼を矯正することにはならないのである。

たしかに少年Aの母は彼に厳しかったかもしれない。父はほとんど干渉せず教育を放棄していたかもしれない。だがそんな話は他にいくらでもある。似たような家庭で育った少年のなかに、殺害という暴力によって性的興奮を得るものがいるだろうか。彼は本質的に特殊であり、その特殊性は病だったのだ。

殺人(傷害)という結果責任を負うこととは別に、彼には病を癒すための特別な治療が必要だった。死刑にしたところで、遺族の悲痛な感情を多少なりとも癒し、社会の恐怖心を浄化すること以外に何もないだろう。それもひとつの方法であろう。だが、罪の重さを自覚しえないままの彼を処刑することは単なる復讐にすぎない。彼から病を取り去り、贖罪の意識を芽生えさせるには、「治療」が必須であった。その意味で、この「矯正」の日々は貴重なものであったと云えるのではないか。

それでは少年Aのかかえた「病」とは一体何だったのであろうか。いわゆる性的サディズムと呼ばれ、鑑定書にあるように性衝動と攻撃性の結合がもたらしたと考えられている。だが、そのような言葉をあてはめてみたところでそれは解釈であって、彼の精神(心)の流れを正確にたどったものではないのではないか。彼の「病」については、私はまだ納得しきれない。

最後に――本書の解説で有田芳生が記しているところによれば、事件から数年がたってからいまさら、少年Aの母は「いままで話せなかったことですが、実は・・・」と精神科医に話したそうである。生後半年くらいから体罰を加えていた、と。この事実は、父母の手記には記されていなかった。

まだまだ隠された事実があるのは間違いない。

<別稿>
2011.10.30. いまなお「少年A」について
2011.11.19. 少年Aの13年間の「懲役」について




2011年11月9日水曜日

昭和の終わりと平成の始まり - 佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』

11月某日
佐野眞一『昭和の終わりと黄昏ニッポン』(文春文庫)を読む。

昭和天皇が崩御される前後の政界、社会の動きをあつかった前半と、昭和帝不在の平成時代に起きた時代的なできごとを取材した後半とにわかれる。

後半部分は正直にいって不要だった。

首都東京でも比較的貧しい地域で売春などが広まっているという傾向がみられ、いわゆる下層社会の実態を描く。一方で優れた医者が独自に病院を改革している事実が紹介される。そしてそれだけのことである。

前半の昭和の終わりの劇的なシーンとの不釣り合いが気になる。もっとも、平成という時代がそのようなもの、つまり、劇的なものがうまれない時代であるということかもしれない。

また、平成における昭和天皇の不在を語るにあたって「大きな物語」というキーワードが頻繁に登場するのだが、そもそも「大きな物語」がなんであるのか、これがない時代というのはどういうものであるか、平成にはいかなる物語がうまれようとしているのか・・・・このあたりの考察が弱すぎるのだ(ごくごく常識的な解釈しかあらわれてこない)。この程度の考察で終わるのだとすれば、「大きな物語」という言葉は持ち出す必要がなかったのではあるまいか。

本書のメインは昭和天皇の崩御にいたるドキュメント(とその影響=平成における)である。

陛下体調急変の報を受けて皇居にかけつける主治医・・・などの話は読んでいてリアルなのであるが、これも保阪正康が『昭和天皇』(中央公論)のなかですでに書いたものがほとんどであって特段目新しいものではない。それでも新しい情報が盛り込まれているし、そもそもこの時期の話は何度読んでも面白い。

ここからは佐野眞一のオリジナル?で、昭和帝の崩御に影響を受けた人物に、林郁夫と宮崎勤のふたりがいるという話が描かれる。

林はオウム真理教の信者として地下鉄にサリンを撒き実刑をうけ、宮崎は幼女を殺害したとして死刑となった。とくに慶応大医学部卒の有望な医者であった林は昭和天皇の一般参賀に何回か訪れ、同世代よりはずっと天皇への敬愛の意は強かい人物であった。宮崎も昭和天皇崩御を知らせる新聞をいつまでも自分の部屋に置いていたという(昭和天皇を祖父と同一視していたのではあるが)。

そこに昭和天皇が崩御し、「父」なる存在が消えてしまった。林は、新たな「父」をオウム真理教に求めていった(そう簡単には云えないと思うが)。宮崎については知らない。

もっとも、林の話は、これもすでに福田和也が『現代人は救われ得るか』(新潮社)のなかで書いていることではある。

それはともかく、佐野眞一は平成の時代を印象付けるこれらの事件と昭和天皇の崩御につながりをもとめていくのである。(しかし、この肝心な部分が弱い。佐野さんの他の本がそうであるように、もう一歩踏み込んだ(あるいは離れた)言説ができていないのである。せっかく題材は面白いのに。)