2014年11月9日日曜日

カバネルの曖昧な「裸」-オルセー美術館展|国立新美術館

9月某日

巡回展がないため仕方なく東京まで出かけて国立新美術館の「オルセー美術館展」へ。

公式サイト : オルセー美術館展
会期     : 2014.7.9.-10.20.
場所     : 国立新美術館

ちょうど、東京都交響楽団がサントリーホールでブラームス交響曲4番を演奏する日と合わせることができたため(むしろコンサートに合わせて)、かなりお得な小旅行となった。

絵画の「裸」

事前に展示されると知らなかったため会場で遭遇してもっとも驚いたのは、カバネルの「ヴィーナスの誕生」。こんな「大物」が来ていたとは……。

ところで、裸のヴィーナスを描いて有名なのはボッティチェッリティツィアーノの作品。

ボッティチェッリ / ヴィーナスの誕生 1485-86年 テンペラ ※展示なし

 ティツィアーノ / ウルビーノのヴィーナス 1538年 油彩 ※展示なし

ボッティチェッリからティツィアーノへは、同じ神話画であっても、官能性の有無が明確である。ティツィアーノは、ヴィーナスの周囲を(当時の)わたしたちの日常とさほど変わらない事物で飾った。それゆえ神話性は薄れ、官能性が際立つ。

 カバネル / ヴィーナスの誕生 1863年 油彩 ※展示なし

しかし、それから300年後のカバネルはヴィーナスを神話の世界に引き戻す。当時の仏アカデミズムのルールにのっとった手法だった。(上の2人はイタリア。)

初期ルネサンスの中心人物に位置づけられるボッティチェッリが神話を神話として描くのはごく普通のことである。ルネサンスはそもそも古代ギリシャ・ローマの芸術復興を志向したものなのだから。盛期ルネサンスを生きたティツィアーノがヴィーナスを神話から現実へ引き摺り出したことは、当時としては挑発的な行為だったろう。

だが、産業革命が社会を激変させていた19世紀の只中にあって、神話に忠実に従ったカバネルは(特に今から見れば)滑稽である。皇帝ナポレオン三世がカバネル「ヴィーナスの誕生」を買い上げたように、芸術と現実社会との乖離は最大の臨界点に達していた。それを一気に崩しにかかったのが、カバネルと同年に制作されたマネの「オランピア」であるのは周知のところ。

 マネ / オランピア 1863年 油彩 ※展示なし

「オランピア」は発表時には酷評されたが、いまでは画期的な作品として一般に認められている。現実をあるがままを描いたとして。

カバネルのリアルな「裸」は明らかに当時の娼婦を想起させた。だがカバネルは娼婦を娼婦として描けなかった。(高橋達史はこれを「アカデミック・ポルノ」と呼ぶ。)彼に娼婦を描こうという意思はなかっただろうが、「ヴィーナスの誕生」はあまりにリアルな描写であるため、娼婦のヴィーナスでしかない。裸を描けば当時の社会の現実からは娼婦としか見えなかったのである。カバネル自身にも、人々のそのような欲求(官能的な)を満足させる目的があったはずだ。

ボッティチェッリからマネの“ヴィーナス”を並べてみると、カバネルの中途半端さがよくわかる。神話なのか現実なのか、芸術なのか世俗なのか、曖昧な彼の「裸」。


(たぶん、続く)

2014年8月25日月曜日

偉大な芸術家の思い出に - バルテュス展 / 京都市美術館

8月某日

表題はチャイコフスキーの曲から拝借。特に意味はなく、バルテュスを観るのは初めてだし思い出といっても美術館には2時間しか滞在していない。

日曜午後3時に訪れた京都市美術館はいい具合の混み具合だった。閉館の5時前には絵を独占できる幸運。しかも、京都市美術館友の会が椅子を寄贈してくれており、この美術館で作品を座ってみることができたのは初めてであった。


以下、読みにくいのでご注意。絵を愉しんでもらえたら。

(2014.9.2.更新)

バルテュス展 京都市美術館 2014.7.5. - 9.7.

  「嵐が丘」第8章挿絵 / 1933-35

孤児ヒースクリフと令嬢キャサリン(キャシー)の関係に自分の恋心を重ねた若きバルテュス(1908-2001)は、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」の挿絵を描いている。同時に、ヒースクリフを自分に置きかえた作品「キャシーの化粧」も描いているのは、動機からは自然なことかもしれないが、彼の強すぎる自我がそこに現われた格好だ。

挿絵のヒースクリフは自画像と酷似する。作品を借りて自分を語っているのである。

  キャシーの化粧 / 1933

彼は終生、自分が描きたいものを描いた。
(※訂正 美術展カタログの解説によれば、作品が売れない若い頃は依頼注文の肖像画を描いて糊口をしのいでいたそうである。)

         ∴           ∴           ∴

「美しい日々」が象徴的であるが、バルテュスの描く人物(顔)の造形はボッティチェッリに近づく。

  美しい日々 / 1944-46

若いころにイタリアに住んで絵を独学で学んだことの影響からか、初期ルネサンス時代以前に一般的だった描線が太く輪郭を強調した顔の描き方。モデルとなった少女の顔とはおそらくほとんど似ていない。全体を少しデフォルメした絵は、リアリズムから離れ、戯画的ですらある。

彼の理想がスタイルとして現実化された構図なのだろう(Xの構図もまた美しい)。現実を侮辱した絵を描いたという意味で、どこか宗教画を思わせる。

20世紀(現代)の神話を描いた宗教画。

少女は不可思議な魔力を感じさせ、人は絵の前に釘付けとなる。中世の闇が生んだ貴族の屋敷に主として住むひとりの少女。自らに恍惚するさまは、たとえようもなく“美しい”。

この魔術性・神秘性は、少なくともその一部は、同じくイタリアのカラヴァッジョが描いた絵が発するものと同じだろう。

  カラヴァッジョ / リュート弾き 1595-96 ※展示なし

  眠る少女 / 1943

「眠る少女」と並べてみると人間らしくない質感がよく似ている。どちらも彫刻のようだ。眠る「少女」は人間の魂が抜け出した形骸のようであり、しかし生気はかろうじて失われていない。

         ∴           ∴           ∴

「12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女」もまたそうであるが、バルテュスの描く少女のバランスと質感は人形のそれである。

  12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女 / 1945

人形が魔術の道具として用いられるのは、人形が人の魂の容れ物の役割を果たすからである。バルテュスが少女を人形のように描くとき、少女は少しく魔術性を帯びる。

         ∴           ∴           ∴

人のシルエットを誇張や美意識によって歪めるのは近代絵画以前の世界ではごく普通に行なわれていたことであって、とりたてて彼独自のものであるというわけではない。ギリシャ・ローマ彫刻の写実を経たあとの中世ヨーロッパのそれと変わりはしないし、近代の写実に慣れた、写真が日常にある私たちの先入観がそう思わせるだけだ。

バルテュスには肖像画など精緻な絵がたくさんある(本展では「ピエール・マティスの肖像」)。それらを見れば彼のデッサン力の程度は誰でもおおよそ理解できる。ピカソと同じく、あえて(ある思惑をもって)このような絵を描いたことは容易に推し量れるだろう。

絵とは本来そういうものだった。

         ∴           ∴           ∴

特定の人物を描く一部の肖像画をのぞいて、これらの人物がけしてこちらを直視しないのもバルテュスの絵の特徴だ。彼ら彼女らは視線をそらす。

         ∴           ∴           ∴

  ジャクリーヌ・マティスの肖像 / 1947

もっとも美しく思ったのが「ジャクリーヌ・マティスの肖像」。ひとりの少女の横姿を描いた、それだけの絵である。おそらく彼女の美しさがバルテュスの作為を拒否したため、この自然な絵が生まれたのであろう。ジャクリーヌはアンリ・マティスの孫にあたる。

最後に有名な「夢見るテレーズ」

  夢見るテレーズ / 1938

椅子にかけた布地をはじめとした静物は、セザンヌ

         ∴           ∴           ∴

ここまでに挙げただけでも多くの過去の画家の名前がある。バルテュスは過去を巧みに取り入れながら、それでいて誰も描いたことのない作品をつくりあげた。

少女という存在は現代に残された数少ない神話性を保っている。ときに現実的でない美しさと妖しさを湛え、人間の穢れを蔑む。そこだけは純潔が守られる。バルテュスはこの純潔に俗性(日常)を加えたわけだが、結果は、純潔をよりいっそう高めたと云えるだろう。

それが、バルテュスの作品が現代の神話であると云ったときの、神話の意味だ。

         ∴           ∴           ∴

  雨上がりで緑は鮮やかに

  川の流れに負けず、少しずつ進むガチョウ(?)

         ∴           ∴           ∴


2014年7月13日日曜日

存在の耐えられない不確かさ - 柄本明「風のセールスマン」

7月某日

久しぶりに芝居をみたいと思っていたところ、兵庫県立芸術文化センターの中ホール(「阪急中ホール」)で柄本明「風のセールスマン」という芝居を演じると知って開演2週間前にチケットを購入。2階席しか残ってはいなかった。

阪急中ホールは初めてで800席の規模は観る分にはだぶん大丈夫だろうと思った。とはいえ、800席でも演劇ではそこそこ大きくに感じるのは、それまで300席程度の芝居しかほとんど観たことがなかったからだろう。

芝居については有名人だからチケットをとるということはなく、単に物語が面白そうだったから。チラシにはこう書いてあったのだった。
風に飛ばされる紙くずのように、街から街を渡り歩く男。
売っているのは水虫防止付靴底シート。
ところで或る日、或る街で、男は突然決心する。
「流れるのをやめて住まおう」と。
住まうための男の悪戦苦闘が始まるが……。
(2014.8.13.更新)

2014.7.13. 柄本明「風のセールスマン」 / 兵庫芸文中ホール


原作は別役実で初演は2009年というから今回は再演だ。全国各地で演じられているようである。

今日の客層は年配の方がほとんど。公演中にひそひそ話をしたり飴の包みを遠慮なく開いたりペットボトルの水を何度も飲んだりと客席はカオス状態だったが、有名人見たさの人たちが多いから所与の条件であるとしてただ耐えるのみ。クラシックコンサートに慣れると敏感になりすぎるからいけない。演劇も、上演中はもちろん飲食禁止で会話も御法度である。事実、飴紙の音のせいで一部台詞が聞き取れなかった。

さて、舞台はバス停の標識とベンチ、それから電柱があるだけの簡素なもの。

登場した柄本明は、ひょうひょうと語り始める。セールスマンというものを面白おかしく流れるように話していく。上司との滑稽なやりとりを再現したり、ベンチで休んでいるときにかわした通行人との奇妙な会話を語ったり。仕事の合間に休憩しているだけなのにそう説明しなければわかってもらえなかったらしい。彼はあまり仕事ができなさそうである。

あるいはまた自分自身のおかしさを話し始める。右手と右足を同時に前にだして歩くのを笑われて、なぜ笑われるのか、では交互にだせばふつうなのかとやってみるがふつうに歩いても不自然な歩き方で結局笑いを誘ってしまう。

動きも言葉もコミカルで、冗談を台詞の随所に交えるから一見喜劇の舞台でしかない。事実、観客もみな大笑いである。しかし台詞の隙間隙間にふと絶望する言葉がはさまれるので、わたしは気軽に笑えない。そのときの柄本明は恐ろしい表情をしているのだ。

何も確からしいものがなく仕事をし生活をするしがない1人のセールスマン。座っているだけなのに座っているだけのことであることを云わなければならない。妻の話をしても本当に妻がいるのだということころから説明しなければ信じてもらえない。笑みを浮かべてもそれが笑顔であることを説明しなければならない。出会う人にも、観客にも。それは単に一人芝居だからだろうか。

柄本明がときどき見せる表情のない表情を見て観客は気づくのだった。彼の云っていることはそもそも本当のことなのだろうか、と。饒舌であることがかえって真実味を疑わせる。

養子ではあるが、子供もいるらしい。子供らしい表情を浮かべないその子を不運な事故で失ってしまう。責任を感じた妻も、浴室で包丁を手に自殺をしてしまった。血まみれの妻をみた彼は、包丁に自分の指紋をおしつける。それでは彼が犯人と疑われてしまうのではないか? 彼はこう云うのだ。「刑務所に行けば看守に名前で呼ばれて自分がいることが証明できる」。

犯罪人になることで自分の存在を確かめられると考える彼の絶望とはいったいなんだろう。罪名であってもこの世に生きている証がほしい

妻が横たわる浴室から飛び出して(「逃げたわけではない」)、そのままここに来たのだと彼は云う(ここで場内は深刻に重く静まり返る)。指紋を残したし、会社の上司は自分が今日この地区を回っていることを知っているからもうすぐ警察はやってくるはずだ。彼は「期待」する。しかし一向に警察はやって来はしない。来るはずもないのだ。彼には妻もいなかったし、子供ももちろんいない。すべては架空の話なのだ。

物語を作ることで彼は自分が存在することを確かめようとした。しかし、彼は「存在」しなかった。どのように歩んでも言葉をつむいでも、自分がいま/ここに生きていることを証明することができない。最後、彼は自分さえ「作り物」であることをほのめかして舞台を終える。……

以上は、台本を読んだわけではないわたしの勝手な解釈であるため間違いもあると思うが、さて、なんというストーリーであろう。おそらくは、近代社会に何らかの地位を占めて生きている「個人」の足元の不確かさを伝えたい舞台なのだろう。そう云えば、物語のなかではマイホームに強い拘りをみせ実際に家を購入した彼が簡単にそんなものはなかったかのように語ってもいた。それもまたそういうことだろう。

確かなものは「拘り」によって確かなものとなる。だが「拘り」を捨てれば何もかも一瞬で消えてしまうのが近代社会である。いや、捨てようと思えば何でも捨て去ることができる自由がある。彼がその自由の末路だ。

流されずに確からしく住まおうした決心は空想の支えなくしては成り立たなかった。だが不確かな空想はあたりまえのことに存在の礎にはなりえなかった。これが自由の意味である。

自由から拘束へ、拘束から自由へ。それが繰り返される。

2014年2月18日火曜日

近現代の暗殺事件

暗殺

大村益次郎


大久保利通
明治11年5月14日、自宅近くの紀尾井坂で金沢士族島田一郎らに暗殺


伊藤博文


原 敬
1921年(大正10年)11月4日、東京駅構内で中岡艮一に暗殺。中岡は19歳、大塚駅の転轍手


犬養 毅
1932年(昭和7年)5月15日、「五・一五事件」で「艦隊派」の海軍軍人により暗殺。1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約により建造制限がもうけられたことが背景。条約締結に賛成したのは「条約派」という。

高橋是清
1936年(昭和11年)2月26日、「二・二六事件」で陸軍軍人により暗殺


團 琢磨
1932念(昭和7年)、血盟団の菱沼五郎に暗殺
團は三井三池炭鉱の経営に辣腕を揮い、三井財閥を率いた。


暗殺未遂



2013年11月10日日曜日

ある理想家について - ターナー展 東京都美術館 ・・・東京物語2

11月某日

三菱一号館美術館のあとは、いったん宿でチェックインをしてから、徒歩で東京都美術館へ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)。

その作品を初めてみたのは、昨年(2012年)12月、Bunkamuraザ・ミュージアムは「巨匠たちの英国水彩画展」でのこと。

渋谷は東京に住んでいたときもっとも馴染みのあった街だけど、このミュージアムにはついぞ足を運んだことはなかった。昨年も水彩画に特別な関心があったわけではなく、ちょっと寄ってみるかぐらいの気持ちで訪れたのだが、地味な美術展なのにいくつか印象に残る絵が展示されていた。その1つがターナーの水彩画である。

  ターナー / 旧ウェルシュ橋 1794 ※展示なし

えっ、これが水彩画なのですか? と、にわかには信じられない作品。ポストカードも買ったお気に入りの絵で、当時のメモを引用すれば、「見たものをただ写しとっただけではない情景。水面に写る船などの地上物、そして水紋のようなものは水彩を超えている」。手前の橋が古く朽ち果てた旧来の橋で、向こう側に新しくかけられた橋が垣間見える。なんとも物悲しい光景である。

英国水彩画展は展示される多数のうちの1人にすぎなかったが、ターナーの個人展が都美で開催されるというので、これはぜひにと行ってみた。

ターナー展 - 東京都美術館

公式サイト : ターナー展
会期     : 2013.10.8.-12.18.
場所     : 東京都美術館


日曜の夕方だけれど館内にはそこそこの人がいた。でも一人で一枚の絵を独占できるほどには空いている。ターナー展は年明け1月に神戸市立博物館に巡回するので、つまり、そちらにもおそらく行く予定であるから、今日は肩肘張らずリラックスして観てまわるつもりだった。だからカタログはまだ買っておらず絵の詳細な背景などは皆目わからないため、以下、間違っている点、勘違いしている解釈があればご容赦願いたい。

  ターナー / 嵐の近づく海景 1803-04 油彩

これは東京富士美術館所蔵のもの。まだ正気(?)を保っている時期の作品で、のちに出てくる強烈な絵の世界をつくった同じ画家とは、いま振り返れば思えない。古典主義的な緻密な描写が特徴。

廃墟のわきで水を飲む水牛」(1800-02年・水彩)は画像をみつけることができなかったが、遠目からはとても水彩とは思えない迫力の絵で、油彩より硬く、かつ柔らかく描かれていたと表現したい。矛盾しているけれど。

  ターナー / 座礁した船 1827-28 油彩

だんだんターナー「らしく」なってきた。すべてが白く輝く、「終わり」のあとの光景である。穏やかな波の音だけが聞こえてきそうだ。「嵐の近づく海景」とは似ているようでいて、作品間の20年の歳月が確実に感じられる違いもみてとれる。嵐の前と後という違いではなく、視線が前なのか後ろなのかというぐらいの差がある(ように思える)。

この美術展は初期から晩年までの作品が一堂に会しており(ほとんどがテート・ギャラリー所蔵)、ターナーの人生とその変遷が味わえる構成となっている。おそらく1枚1枚の絵の物語をたどっていけば、それはすなわちターナーの人生の物語となるはずだ。

月刊誌「美術手帖」が2013年11月の増刊号で「特集 ターナー」を出していたことを、いま思い出した。もちろん買っていた。カタログの代わりにこの雑誌を手元に置いて続きを書いてみたい。

「美術手帖」を読んでいて真っ先に目がいった絵は自画像。

  ターナー / 自画像 1799頃 油彩 ※展示なし

本展に来ていなくて最も悲しむべき絵である。上にあるような絵を描くであろう人物と、自画像のなかなか男前な風貌と、一見、重なり合うものはない。しかし、この自画像が帯びる暗さはどういうことだろう。

24歳ほどの若者が描く絵としては驚くほど若さが感じられず、なにかルサンチマンのような感情が伝わってくる。それは上目がちの視線や、画面全体の薄暗さにあらわれる。自分がこの世、この社会から消えていってしまうかのような。あるいは逆に、闇の世界からこっちの世界を覗いているような。そこには、貧しい少年時代を経験したことや異常なまでの上昇志向が背景にあるのではないかと思った。



(つづく)

2013年11月9日土曜日

近代への眼差し 印象派と世紀末美術 - 三菱一号館美術館  ・・・東京物語1

11月某日

友人の結婚式出席を兼ねて、東京へ美術の旅に。

1日目に2つ、2日目に1つ(+結婚式)、3日目に2つ、とかなり押し詰めたスケジュールだったが、それはそれは素晴らしい3日間となった。あらかじめ入念にスケジュールを組んで、ルートも最短を選んだのでスムーズに回ることができた。

近代への眼差し 印象派と世紀末美術 三菱一号館美術館

  チラシをもらい忘れたのでニューズレターを

公式サイト : 三菱一号館美術館名品選2013 -近代への眼差し 印象派と世紀末美術
会期     : 2013.10.5.-2014.1.5.
場所     : 三菱一号館美術館

羽田から浜松町、そのまま東京駅へ。

改装あいなった東京駅舎を軽く一瞥。設計の辰野金吾(東大建築学科で日本人初の教授)は大の相撲好きで知られ、この駅舎は横綱の土俵入りを模したものであるという話を聞いたことがある。正面に回らないとわからないのだが、面倒なのでパス。


さて、荷物をそのまま抱えて徒歩で三菱一号館美術館へ。


ここは2回目に訪れる。あらてめて思うが、この建物自体が美術品のようなもので、いつまでもずっとそのままでいてほしい。


事前に調べたところではルノワール以外に見所なし。実際、それ以外にとくに見所はなかった。

  ルノワール / 長い髪をした若い娘 1884

顔の肌の艶がとても美しい(これだけは他の画家には真似ができない)。顔以外の髪や服装、背景の流れるような筆致とは対照的である。顔もよく見れば、大人っぽい瞳と全体の童顔がアンバランスであり、実際のモデルとなった少女からはたぶん大きく離れた肖像となっているのではないか。

ルノワールの他の作品の瞳と違わないのだろうけど、少女の瞳は怜悧で尊大な性格もうかがえ、少し幸福そうでない印象が感じられる。怪しく寂しげな少女である。

それ以外に見てよかったのは、ジュール・シェレの「ダンス」(1893年)という作品。画像はネット上で見つけられず、どんな絵だったかはっきり覚えていない。そのときのメモをそのまま書けば、天使と悪魔、女と男、清純と強欲を対比させたリトグラフで、美しいレイアウトとタッチがとてもよかった(気がする)。

あと一人、フェリックス・ヴァロットンという人の一連の作品。

ヴァロットンのアカデミー・フランセーズの会員をカリカチュア風に描いた絵が笑っちゃうほど本人によく似ていて、もちろん描かれた本人を知っているわけではないのだが、知らないのに、あぁこういう人だよねとつい頷いてしまう、そんな絵である。展示作品は見つけられなかったが、下の絵のような感じ。

 Vallotton / Caricature Portrait of Jules Barbey d’Aurevilly 1893 ※展示なし

この美術展には、デュマ・フィスアルフォンス・ドーデーなどが展示されていた。新聞に載っていそうな風刺絵はとても技術力の高いもので、彼らの小説などに添えてもらいたいくらいである。ちょっと欲しかった。




  2012年開催のシャルダン展カタログ

昨年訪れたシャルダン展で購入しなかったカタログ。それから後悔したので、ついでに買っておいた。


ちょっと追記。

三菱一号館美術館の館内で絵を観て回っているときに妙齢の女性が突然バタン!という音をたてて私の近くで床に倒れた。直接見たわけではないが、その音からは頭を打ったように思った。

女性は幸いにも意識があって外傷も見られなかったが、美術館の館員が集まり女性と連れのお孫さんと話をしている。本人は「大丈夫です、このままじっとしていれば起き上がれますから」と館員に云っており、館員もあまり動かすよりは…と、用意した車椅子を使わずにいた(女性もこういうことは慣れているのか、車椅子はいりませんと云っているようだった)。

たしかにこの場合、身体を動かすのは危険である。しかし、女性を床に寝かせたまま様子を見るのはよくないのではないかと思った。万が一、頭の中で出血していたら…。そこで、館員の方に、お孫さんには聞こえないように、「頭を打っているようですから、救急車を呼んだほうがいいと思います」と伝えた。おそらく救急車は来なかったはずだ。

幸いにして女性は間もなく自分で起き上がり、椅子で休憩できるようになった。そしてなにより幸運だったのは、三菱一号館美術館の床が従来の板張りにかえて最近じゅうたんになっていたことだ。床の板に頭を打ち付ければ、悪い方向へいっていたかもしれない。

女性が立ち上がり、絵を観はじめても、ちょっと安心できない気持ちで私はいた。ほんとうに救急車を呼ばなくてよかったのだろうか。無事、自宅まで帰れたとしてもそれから容態が急変することがあるかもしれない。その女性はいまも元気でおられるのだろうか、ずっと気になっている。


次=ある理想家について - ターナー展 東京都美術館 ・・・東京物語2

2013年9月16日月曜日

大阪クラシック -衝撃の大植英次監督-

9月某日

大阪に5年くらい住んでいるが、毎年9月に大阪の街のいたるところで、一週間に100公演ものクラシックのコンサートが開かれるイベントが行われているとはついぞ知らなかった。クラシカルミュージックを聴き始めたのは今年にはいってからだから、興味のあるなしで完全に素通りしているものがたくさんあるということだろう。今年が8回目だそうである。

ほとんどが無料コンサートということもあって初日はたいして期待せず参加してみたがこれが予想外の愉しさで、その確実な部分がプロデューサーの大植英次さんの力によるものだということははっきり記しておきたい。

大阪クラシック 街にあふれる音楽 2013.9/8‐9/14

コンサートを実際に聴くことができたのは計13公演。


◆ 大阪クラシック 公式サイト

= 9/8(日) 1日目 =
第9公演
フィビフ/ヴァイオリン他のための五重奏曲 Op.42
第11公演
ラフマニノフ/悲しみの三重奏曲 No.1
ラヴェル/ピアノ三重奏曲 Mvt.1
第13公演
イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ No.2 No.6
第14公演
A.J.シローン/4人のための4/4 他

= 9/9(月) 2日目 =
第25公演
モーツァルト/ディヴェルティメント K.563 Mvt.1 他

= 9/10(火) 3日目 =
第41公演
ブリテン/幻想四重奏曲 他

= 9/11(水) 4日目 =
第56公演
ブリス/クラリネット五重奏曲

= 9/13(金) 6日目 =
第82公演
ピアソラ/アヴェ・マリア 他
第86公演
テレマン/4本のヴァイオリンのためのコンチェルト 他

= 9/14(土) 最終日 =
第89公演
テレマン/4つのヴァイオリンのための協奏曲 No.1
第93公演
ロッシーニ/弦楽のためのソナタ No.2 No.1
en. ロッシーニ/ウィリアムテル序曲
第96公演
シューマン/弦楽四重奏曲 No.2 Op.41-2
第99公演
モンティ/チャルダーシュ 他


初日は午後もだいぶ過ぎてから出発して、1つめの公演は午後4時開演の第9公演(大阪フィル)を大阪市中央公会堂大集会室で。有料のためチケットが必要だったけど、当日券がまだ残っているというので難なく入れた。

  大阪市中央公会堂 / 第9公演 大阪フィル 1,000円

司会はホルンの村上哲さん。「フィビフなんて誰も知らない人の曲を聴きに来る人がこれだけいるなんて、大阪、大丈夫だろうか(笑)」という話で始まった五重奏曲は、これが実によくって、最終日を終えた今振り返ってもNo.1だったと個人的に思うコンサートだった。

ズデニェク・フィビフ(1850-1900)はチェコの作曲家で、スメタナの一世代あとに活躍した人。作風は結構古いタイプだそう。

全3楽章のなかから私が気に入った第3楽章を紹介。


Ardenza Trio and guests - Fibich - Quintet Op. 42 mvt.3
ヴァイオリン、クラリネット、ホルン、チェロ、ピアノのための五重奏曲

第1と第2は比較的静かな曲調でホルンとクラリネットの響きがすばらしく、第3にはいって急に激しくなりヴァイオリンとピアノの掛け合いのようなところが印象に強く残っている。ヴァイオリンは個人的に一押しの田中美奈さん、ピアノは相愛大学の稲垣聡准教授。田中さんは最終日の第93公演でも大活躍され、クラリネットの金井信之さんは第56公演でメインをつとめた。

プロデューサー「大植英次」という現象

終演後は残念ながらアンコールがなく、すぐに地下鉄でなんば駅まで移動して第11公演(日本センチュリー)を聴く(場所はカフェ・ド・ラ・ペ)。

着いたときには開始していたので入り口近くで立ち見をしていた。10分ぐらいすぎたところでどこかで見た顔がひょっこり店にはいってきた。プロデューサーの大植英次さんである。私は初めてみた。

突飛なお召し物を身につけ落ち着きなく会場を見回しずんずんと中に入っていった姿を見てちょっと変わった人なのかなと思っていたら、曲の合間にさかんにブラヴォーなどの歓声をあげ、終演後には奏者と会場を提供するカフェに賛辞を惜しまず、「市が街を作るんじゃない、人が街をつくるんだ」と演説をぶってみせてくれた。音楽という文化は自ら育てるのであって、楽団だけでなく参加する人たちを叱咤激励し、同時に感謝を込めた言葉である。これには会場も拍手喝采。

だが、正直、大植さんの言葉が聞き取りにくい……。早口でどもっていて、何を云っているのか全然わからない(笑)。かろうじて上記の内容は理解できたが、他の人はわかるのだろうか、すくなくとも前のほうに座っている人たちは相槌をうっていたから聞き取れているのだろうけど、私にはチンプンカンプンである。自分の耳が悪いのかと思ったが、帰宅後にネットをチェックしてみたら自分だけではなさそうで少し安心した。

ともかく、大植さんの盛り上げかたは半端なく、このイベントを成功させようと粉骨砕身しているのがひしひしと伝わってきた。と云っても、この最初の遭遇の時点では、風変わりな人だという印象しか残らなかったのだが。

日本センチュリー交響楽団の奏者ふたりが「こんなにたくさんの方が来てくれて……」と感激していた姿も印象的だった。大阪フィル以外の楽団が参加するのは昨年からのようで、まだ外様のような雰囲気があるからだろうか。

さて次はスターバックスの第13公演。時間帯のかぶる公演も多いが、会場が電車や徒歩で30分以内に行ける範囲にあるから効率よく回れば結構な数の演奏を聴くことができそうだ。

ヴァイオリニストは小林亜希子(大阪フィル)さんで、毎年ソロでイザイの無伴奏ソナタを演奏していて今年ですべてのソナタを弾き終えるという記念すべきコンサート。

席が足らないほど人が集まったため、奏者から1mほどの距離の床に座るという信じられない環境が用意され、あまりの近さに(さすがにも)小林さんは緊張しているようだったが演奏がはじまるとそこはヴァイオリニストである。見事な演奏だった。と、そこにまたもや大植さんが現れた。

観客以上に存在感が強かったかもしれないのが奏者の斜め後ろに座る大植さん。

撮影用にヴァイオリンを奏でる小林亜希子さんと、愉快な大植英次氏

終演後に「奏者が演奏しているところを写真撮影したいでしょ? 特別に撮影用の演奏を小林さんにお願いします!」という提案があり、観客は大盛り上がりでパシャパシャと撮影。なかなかこんな機会はないのでは? 小林さんがちょっと戸惑っていたのは仕方ないところだが、こういうパフォーマンスはとても大事だと思う。まさしくエンターテイナー大植氏。

大阪市役所正面玄関ホールに徒歩で移動して、本日4つめのコンサートとなる第14公演のパーカッション。

午後7時半。会場には目算でおよそ800人ほどの聴衆が集まった。

大阪市役所 正面玄関ホールがコンサート会場

大阪フィルのパーカッション奏者4人による演奏は、今日3度目の遭遇となった大植御大によるアジテーションにも刺激をうけて今日最大の盛り上がりをみせた。木魚を楽器にしてみたり、面白トークが披露されたり、奏者の方たちが聴衆を楽しませようという思いが強く伝わるコンサート。最後は聴衆の手拍子を誘って会場の雰囲気が最高潮に達し、今年の成功を期待させるエンディングとなった。

昨年までの大阪クラシックの様子がどのようなものだったかは知らないが、これだけの聴衆の注目を集め、音楽を通じて他人他人の間に共感的な体験をつくることができるイベントはなかなか珍しいだろう。コンサートホールではなく、ふつうの街中で、というのがいい。大植御大の最後の笑顔が忘れられないね。

2日目から6日目まで

2日目(月曜)から6日目(金曜)までは仕事帰りに寄ってだから一日1~2公演しか聴けず、ちょっと悔しいところではある。

その2日目の第25公演はノーコメント。

第41公演の3日目は30分後開始の第42公演とどちらに行くか最後まで迷ったが、オーボエをとって41に。

モーツァルトの「ディヴェルティメントK.138」(まったく知らない曲)は通常ヴァイオリンであるパートをオーボエで演奏する趣向で、とにかくオーボエの音が素晴らしい。奏者は大森悠さんで東大出身という変わった人であるが、堅苦しさは皆無、話がめちゃくちゃ面白い方だった。ヴィオラの岩井さんとのやりとりも笑いを誘って(「同い年なんですよ」「えー!」)、会場は愉快な雰囲気に包まれる。

2曲目はブリテンという20世紀のイギリスの作曲家の「幻想四重奏曲」。これが大阪クラッシックのベスト3に入る良さ。


Phantasy quartet (Op.2) for oboe,violin,viola,cello
ブリテン / 幻想四重奏曲

作品番号が2で、なんと19~20歳の頃に作曲したという早熟の天才による傑作。チェロの「行進」するかのような旋律で始まり、同じ「行進」で終わるなんとも「幻想」的な曲だった。

そして4日目は第56公演のブリス「クラリネット五重奏曲」。クラリネットの金井さんが楽章の間にもいろいろ話をしてくれ、ブリスは音楽を映画に導入しようとしたイギリスの作曲家であるという。確かに映画のなかで流れても不思議はない曲で、聴いていて全然飽きなかった。


Arthur Bliss: Quintet for Clarinet and Strings, II Allegro molto
ブリス / クラリネット五重奏曲

特に気に入った第2楽章を(全4楽章すべて視聴可)。youtubeではこのくらいしか見つけられなかったので、珍しい曲なのかなと思う。

5日目は仕事のため不参加。

金曜日の6日目は2つの公演をまわる。

第82公演は「ガーマン・ブラス」という楽団の垣根をこえて結成された金管奏者5人組のライブ。「バンドを組んだのは、ちやほやされたから(笑)」という宣言どおりの男前ぶりで演奏する曲は、ピアソラ「アヴェ・マリア」など、どれもかっこいいものばかり。会場のロビーは人がごったがえして見えないので2階に上って、それも人の隙間を覗く形で聴いた管楽器の音色は、とても表情豊かで、とくにトランペットのエロティックな音はすばらしかった。金管楽器の魅力を知った記念すべきコンサート。なお、大植氏も登場。

この日最終の第86公演はグランフロント大阪北館1Fロビーで、「大阪フィル チェロアンサンブル」。

大阪フィルの公式ブログにもあるように、大きな空間だから8本あるとしてもチェロの低音は響きにくかった。10mくらいの距離でも音がはっきりは聴こえず。

大植氏登場。大阪フィル新メンバーの花崎さんの紹介があって、東京から大阪に移籍した感想を聞かれた花崎さん、「東京の人は行儀が良いが悪く言えば冷たい(会場笑)けど、大阪は反応がダイレクト」(大意)。すかさず大植氏が「大阪の人が行儀が悪いというわけではありません(笑)」と(逆)フォローして、会場を沸かせる。そんな話は印象に残っているが、上記の理由のため音楽は一切覚えていない。

そして最終日。


(つづく)