9月某日
3回目の「フェルメール展」(京都市美術館)へ行ってみる。
今日の午後は雨が降るから人が少ないだろうと予測してこの日を選んだのに、入場50分待ちだった。実際には30分くらいで入れた気がするが、フェルメールの人気はすごいと思う。最近よくテレビなどで取り上げられたらしいのでその影響が大きいのだろうか。
だけど、その人気は多分にミーハーなものだろう。絵画に関心があって来た、という人がどれだけいただろうか。フェルメールの名前、知名度にひっぱられ、芸能人がいるから来てみたぐらいの気分が多かったのではないか。
もちろん、それ自体を否定するわけではないが少し残念に思ったことがあったので、それは後に書くとして、立ちっぱなしで待つこと30分以上、ようやく入場。3回目だから慣れたもの、真っ先に一番奥のブースに向かう。疲れる前にフェルメールを観るのである。
さすがに人が多い。各ブースでほとんどの人が飾られる順番に絵の前に立つのを律儀に思いつつフェルメールのブースに入ると、これまたすごい人だ。後頭部の隙間から絵を眺めるのはなんだかちょっと寂しい。でもこれはこれでいい光景かもしれない。とりあえず「手紙を書く女」と「手紙を書く女と召使い」をじっくり観る(「手紙を読む青衣の女」はあまり興味がない)のだけど、何回も観て新鮮さがなくなったのか人が多すぎて落ち着かないのかあまり関心をもてないのがショックだ。
重なる人垣がフェルメールへの愛着を冷静にさせたのかもしれない。なんで君はフェルメールを観に来たのだね、という問いだ。事実、いくつかの絵を除いて、フェルメールの絵よりもフェルメール自体に興味があると云える。それはほかの人と同じではないのか――――。
ブースを後にして、今回は反対の順序から絵を観てみる。やはりテル・ボルフの「眠る兵士とワインを飲む女」がお気に入りだ。それとデ・ホーホの「室内の女と子供」。このふたつをじっくり眺める。
テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女
デ・ホーホ / 室内の女と子供
とくにテル・ボルフの絵(ワイン)は好きすぎて仕方がない。今回、スカーフを結んだ首元のところに青いリボンがあるのを発見した。白のスカーフ、青のリボン、黒のカーディガン(?)、白のドレス、赤い椅子。原色ばかりで主張が強い色合いなのに、全体がずっと落ち着いた印象を受けるのはなぜだろうか(貼り付けた画像より本物はずっと薄暗くて地味だ)。
もはやフェルメールはどうでもよくなって、この絵ばかり眺める。ほかの人はだいたいこの絵は一瞥するだけで次の絵に移っていくが、テル・ボルフの前から全然動けなくなる。これが絵を観るということなのだな、と思う。
さて、ひと通り観てから、隣の展覧会に足を運ぶとしよう。先週から同じ京都市美術館の反対側で「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が開催されているので、実はこれも少し楽しみにしていたのだった。そしてこれが、思わぬ感激を与えてくれるのだった。
( つづく )
0 件のコメント:
コメントを投稿