9月某日
忙しくなって読む時間がすくなくなってきたが、目を通したものをざっと挙げる。
今日は、机の上の積読のなかから、花田清輝『恥部の思想』を抜き出して拾い読み。
1965年の単行本だから古い。「現代は資本主義から社会主義へと移行している過程にある」と書くくらいだから、いかにも古い。でも、花田清輝は初めて読むから新鮮だ。
「現代美術」というエッセイと、東京音頭についてのエッセイだけとりあえず読んだ。「恥部」を葉っぱであからさかまに隠す絵画について(画家の名は忘れた)と、当時東京中に鳴り響いた東京音頭の煩わしさについて。
東京音頭の作詞は西條八十。この名前はよく目にする。西條の本はたしか一冊持っていた気がする。坪内祐三の紹介で購入したはずだ。
花田は幕末から明治初期の「ええじゃないか」、昭和初期のナントカと、この東京音頭を比較していた。細かいことは忘れた。
小林秀雄『近代絵画』(新潮文庫)を読む。
ドラクロア、セザンヌのところまで。批評とはこういうものを云うのだというお手本のような文だ。ぐいぐい読ませる。
城山英巳『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書)を読む。
まだ20ページくらい。天皇の政治的意味はまだまだ強い。
重田園江『ミシェル・フーコー』(ちくま新書)を読む。
いまはもっぱらこの本を集中的に。まえがきの男前な文から期待させる。しかし本文は若干まとまりを欠いた文章に見える。もっとすっきり書けたはず。でも、じっくり読めば至極論理的だ。ただ、寝ながら読む本ではないということだ。
ついてでにフーコーの『狂気の歴史』(新潮社)も開いてみる。
序文がおそるべきつまらなさ。前回は50ページくらいまで読んだが、今回は1ページで投げ出す。いつか読む日が来るのだろうか・・・。
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