1月某日
高橋紘『人間 昭和天皇』(講談社)上下巻をようやく読了。
遺著として高く評価したいところではあるが、昭和天皇の伝記としては可もなく不可もなくといったところ。
元「記者」の限界なのかもしれないと思うのは、「その都度批評」の底が浅すぎたということ。つまり、基本的に時系列に沿って事象を紹介していくわけだが、その各事象についての分析が表面的で、さまざまな文献からさまざまな引用をすることが目立つばかりであり、腰を落ち着けてじっくり考えるという姿勢はほとんど見られなかったのである。悪く云えば、知識の羅列だ。
たとえば立憲君主制とは何か、元首とは何かの定義づけがないのに、これは立憲君主として逸脱だとか、戦後の昭和天皇は元首ではないとか語られても、(素人ならまだしも)多少知識のある人にとっては違和感ばかり覚えてしまう。
ひとつ例をだすと、訪米直前に組閣があったとき、担当大臣である外務大臣には留任してもらいたいと首相に云ってもよいかと昭和天皇が入江侍従長に相談するくだりがある。入江は当然、云ってはなりませんと答える。著者は「君主の意識が抜けきれない」と批判的にみているが、これは、昭和天皇にとって戦後の最大のイベントであったろう訪米の調整をしている最中にもかかわらず、あいもかわらず政争の影響で大臣がころころ替ってしまうことへの皮肉、いらだちではなかったか。昭和天皇自身の相手国への配慮ではなかったか。すなわち、本書はこれまで公刊されてきた幾多の昭和天皇伝の枠内におさまる程度のものでしかない。
昭和天皇についての本を初めて読もうとする人には、分量の多さと値段の高さはあるとしても、内容の平易さからは格好の本かもしれない。だが、その格好さゆえに、著者の客観性のない(立証的でない)先入観に安易にのせられてしまうかもしれない。私であれば、本書は人には勧められない。
平易、と書いたが、記者出身にしてはあまり文章はうまくない。主語が誰で相手が誰なのかよくわからない文章、引用の仕方が多すぎる。病床にあっては十分に校正ができなかったのかもしれないが、論理的でない文というのは伝記にはふさわしくない。
と、マイナス面ばかりを述べるのもアンフェアなので、本書で面白かったところをいくつか挙げたい。
まず、以前のエントリーにも書いたが、昭和天皇が皇太子時代、欧州を歴訪したときのエピソードで、当時のイギリス王室で刺青がはやっていたということ。国王のジョージ五世をはじめ4人が来日時に刺青をしており、ロシア皇帝ニコライ二世もまた、そうだったという。当時の欧州での刺青人気については、小山謄『日本の刺青と英国王室』(藤原書店)が詳しいらしい。
(つづく)
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