2011年12月31日土曜日

自国の歴史とは何なのだろう?

12月某日

例のブックファーストに寄って文芸書棚を眺めていると、またもや高そうな本が置いてある。

ドニ・ベルトレ『レヴィ=ストロース伝』(講談社)。

著者はもちろん知らない人だが、レヴィ=ストロースの伝記ということで興味をそそられ立ち読みしてみる。上下二段組の本格的なものだ。3,800円という値段にもはや躊躇することなく購入。

購入してから1週間が経つが、まだ1ページも読んでいない。

12月某日

『一個人』(KKベストセラーズ)という月刊誌が天皇特集を組んでいたので、この雑誌を初めて購入。

まだ半分くらいを読んだところ。内容は一般的な紹介にとどまるレベル。

歴代の天皇のなかから「10人の賢帝」として、推古天皇、天武天皇などを単独でとりあげている部分がおもしろかった。むかし勉強したものばかりでとても懐かしい。最新の研究成果も盛り込まれており、天皇と云うものに関心のあるいまだからこそ愉しめる部分も大きい(ところで、大海人皇子は教科書では「おおあまのおうじ」と習ったものだが、いまは「おおあまのみこ」と読むらしい。ちょっと寂しい)。

天皇を語るということ

ところで天皇本ないしは天皇に関する文章を読んでいていつも気になることがある。それは、天皇について書く筆者のほとんどが、おそるおそるペンを走らせていることだ。

おそれているのは天皇ではない。世間である。

世間に自分がどう見られるかをおそれているのだ。天皇を賛美しているのではないか、右翼ではないのかと疑いをかけられることを極度に避けようとしている。だから文の途中でつねにエクスキューズが入る。いわく、天皇はこのような行動をした、しかしそれは××××だったのだが、というような。

それが顕著なのは、古代の天皇を記述するときである。確実に云えることでない限り、天皇にまつわる逸話はすべて否定される。古事記・日本書紀に細かく書かれていないことはすべて嘘であり(たとえば初代神武天皇から第9代開化天皇までは架空の存在と断言さえされている)、かつての天皇による崇高な行為はたいてい誇張されているものとされる。どんな民族・国民でも自国の歴史さえ、客観的にみることはできていないのに。むしろ、すべてを証明できる事実に基づいて語ることなど、ありはしないのに。その消極性は何なのだろうか。

世間の目をおそれているからに違いない。すこしでも天皇をポジティヴに考えてしまうと、即「右翼」なのである。こんな状況は不幸でしかないだろう。天皇をマイナスにとらえる人たちは必ず、どこかで事実を無視した発言をしていることも見過ごすことはできない。つまり、天皇に関してのみ、事実だけを伝えなければならないと考える人が相当数いるわけなのだ。

たとえば、大化の改新は実はなかったのではないか、という疑問を書くのはとても健全であろう。だが、開花天皇以前は実在しなかったとまで云うのはどうなのだろう。記述という方法が確立されるまでの口伝の歴史はすべて虚構なのだろうか。

2011年12月17日土曜日

高橋紘の遺作『人間 昭和天皇』

12月某日

仕事帰りに愛用のブックファーストによって、あまり変わり映えのしない棚並びの中、奥に圧迫感を感じさせる本が二冊置いてあった。

高橋紘『人間 昭和天皇』上下巻(講談社)

上下で1000ページという分厚さ。文庫本なら10冊はおさまるだろうというくらいのスペースにドカンと置かれていた。

最近、昭和天皇本が数多く出版されており、玉石混交といった感があるが、高橋紘の名はよく知っているし、何よりあとがき(立ち読み)が身につまされた。著者による力強くないあとがきによれば、ガンを患いながらの執筆だったという。そして、本文の推敲を終えたあと亡くなられた。編集部によれば、本書の完成をみる前に絶命されたようだ。

本書が遺著となったわけで、上下で6000円もしてしまうが最後の労力に敬意を表し、購入。おそらく誰も買わないだろうから、私が買わねば返品されてしまうところを救出。

共同通信社の記者をしていた経緯もあって直に昭和天皇の会見(非公式を含めた)に立ち会ったことのある高橋氏が本書で紹介する、会見での昭和天皇・香淳皇后の発言が、伝記という形をとりながらも随所にもりこまれているのが特徴である。屈託なく大笑いしながら語る昭和天皇が強く印象に残る。

(つづき)
24.1.1.「イギリス国王が刺青だなんて」
24.1.22.「高橋紘『人間 昭和天皇』上下巻1000ページをなんとか読んでみた」 



2011年12月14日水曜日

信頼し信頼されるべき存在としての天皇-侍従長渡邉允の回顧録

12月某日

渡邉允『天皇家の執事 侍従長の十年半』(文春文庫)を読む。

著者渡邉允(まこと)は、曾祖父に明治天皇の最後の宮内大臣渡邉千秋、父に昭和天皇のご学友渡邉昭をもち、外務省官僚から宮内庁の式部官長を経て、今上の侍従長を十年半つとめた(現在も御用掛として今上と交流がある)。

本書は今上と長く間近に接した数少ない人物による皇室見聞録というべき本であり、同時に皇太子時代をふくめた今上の実像をあますことなく伝えている。今上が何を考え行動にうつしてきたか。つまり、平成という時代の皇室がどのようなものであるかが明らかにされており、本書は一種の平成論ともなっている。

天皇であるということ

今上の出発点といえるのは、昭和天皇の名代として戦後間もなくから開始された外国訪問であった。他国の元首を国賓として招いた場合、答礼として自国の元首が相手国を訪問するのが国際的な慣例である。だが、昭和天皇が(というより天皇一般が)即位中に外国を訪れることは当時、考えられないことであった。昭和天皇の天皇としての初外遊は昭和46年の欧州各国訪問まで待たねばならない。それまでの間、皇太子であった今上が昭和天皇の代わりに外国を訪問したのである。

昭和28年、エリザベス女王の戴冠式に皇太子であった今上は出席した。若干19歳の大学生であった。英国を含む欧州11ヶ国と米国をまわる6ヵ月にもわたる長い旅をへて帰国した皇太子の成長ぶりを、周囲は褒めそやした。以後、天皇の名代としての外国訪問はつづくわけだが、この昭和28年の旅こそ、今上が「天皇」とその重責を意識する最初の機会となったのではないか。今上自身、「相手国は天皇が答訪するものと考えているところを私が訪問するわけですから、自分自身を厳しく律する必要がありました」と後年の記者会見で述べている。

外国訪問でひとつ印象的で象徴的な話がある。平成9年のブラジル訪問の準備段階で、前回昭和53年に同国を訪れたときに時間の都合で会うことのできなかった日系人に会うことはできないかと今上が希望する。20年も前のことを記憶し、一度交わした約束をなんとか果たそうという意思は今上の人柄をよく表わしている。

信頼

平成の世と今上を結びつける最大のものは、信頼である。前述のブラジル訪問の話でもそうであるが、人々との信頼関係を今上は最も大事にしている。国民との触れ合いを大切なものとし、なかでも社会的弱者との交流は生涯のテーマとしているようにもみえる。力の弱い人々に寄り添うことは、そこに確かな意思の存在を感じさせ、人々の中に自然と敬愛の念を生むものである。

有名なのは、全国身体障害者スポーツ大会が創設されるきっかけは、今上の提案だったということだ。東京オリンピック閉幕直後のパラリンピック東京大会に感動を覚えた今上は、この大会は身障者の生きる希望を与えてくれる素晴らしいものだったとの言葉を関係者に伝え、翌年から日本独自に同スポーツ大会が毎年開催されることになった。
(つづく)