2011年7月31日日曜日

坪内祐三と辰野隆と小谷野敦

7月某日

このあいだついに手に入れた辰野隆『忘れ得ぬ人々』(講談社文芸文庫)を読む。

辰野隆の名を知ったのは坪内祐三の『文学を探せ』(文藝春秋)で、このエッセイ集のなかに出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』(新潮社)を紹介する一文があり、とても印象的だったので辰野隆(たかし、ではなく、ゆたか、と読む)の名前は強く頭に刻まれていた。

また別の本かなにかを読んでいるときに辰野金吾という名前もときどきみるようになった。坪内祐三の本でも触れられていたが、金吾は隆の父であり、日本人初の東大建築学科教授なのだ。だから、建築関係の本を読んでいると、しばしば辰野金吾の名前が目に入ってくるのである。辰野金吾は東京駅の設計をしたことでよく知られている。

辰野隆の本を手に入れたのだから、つぎは出口氏の本を探さなければならない。坪内祐三のエッセイを読んでからもう10年になるだろうか。それで意を決して出口裕弘の本をアマゾンで検索にかけたら「品切れ」だという。なんてこった。

でもひとり、出口本にひとつだけコメントが書き込まれていた。評価自体はイマイチだったようだが、書いた人に仰天。小谷野敦だっだのだ。こんなのところに小谷野敦が。評価は5段階で3。まあ普通である。

この小谷野敦、アマゾンのレビューを膨大に書いていることがわかった。ときには自作にもコメントするお遊びをしつつも、何百冊もの本のレビューをかいているようだ(そんな暇がよくあるなと思う)。なお、小谷野が自作コメントをした本というのは『名前とは何か』で、これは結構面白い本で、いまだに私の机の上の積読タワーの一部となっている。

どんな本にコメントしたのだろうと遡って読んでいったら、坪内祐三『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)がでてきた。この本には坪内祐三による江藤淳批判が掲載されている、とコメントしてあった。

『後ろ向き』は読んだことがあるので、あ、あれのことかと思い、本棚からひっぱりだしてくる。

あけてみると坪内祐三のサイン入りだ。日付は2002年10月1日とある。トークショーにでも参加したときのものだろう。で、これをさっそくこれから読む予定。

つまり、坪内祐三ではじまった話が、ふたたび坪内祐三のところに戻ってきたというわけである。

さて、次はどこにいくのだろうか。

2011年7月19日火曜日

池波正太郎とフランスと

7月某日

池波正太郎『あるシネマディクトの旅』(文春文庫)を読み終えた。

毎日ちびちび読んでいたこのエッセイ集。毎日読んでも飽きない内容と文の上手さだった。

「シネマディクト」というのがどういう意味なのかは知らないけど、映画好きの人というくらいの意味だろうか。その無類の映画好きである池波正太郎がフランスとスペインを3回にわたって旅した日記がこのエッセイ集だ。

フランス映画を愛する池波正太郎は、フランスには一度も行ったことはないのにフランスの街を昔から知っているように歩く。強いイメージを抱いているだけあって、イメージに合わないフランスには手厳しい。古きよきフランスがなくなっていくことに非常な悲しみを覚える。でも、映画で観たよりずっとすばらしいフランスを体験したことのほうが多かったようだ。

とくに街のレストラン(フランスでも地方のほう)の給仕の丁寧な仕事ぶりや料理の洗練度の高さ(仕事に誇りを持って働くスタッフの様子がよくわかる)、買い物に出かけたお店で出会った気さくで律儀な店員たち(靴屋では何十足もの靴を試着させて客に最も合ったサイズをみつけてくれようとする店員がいて、その熱心さは商売以上の動機が必要だ)。

文化は人にあらわれるのだと思うのだった。

スペインでは天野英世と遭遇したりというエピソードもあった。偶然というのがあるものだ。

私はろくな旅をしたことはないからわからないけど、わずか1日の滞在でも、現地の人とこれほど打ち解け親しくなれるというのはとてもすてきなことだ。池波正太郎は宿泊したホテルの先々で、食事をしたレストランのあちらこちらで、当地の人と(フランス語はできないから)感情的な付き合いをしていく。ミスをした給仕をさりげなくフォローしてあげたら、店の人のみならず他の客さえも池波正太郎の紳士ぶりをたたえて、親しげな表情を向けてくれる。

そんなフランスの情景を見せられたら、誰でもフランスに行ってみたくなるだろう。行って、小粋な真似でもしたくなるだろう。

池波正太郎が旅したのは昭和50年代初頭だから、それから30年以上も経っているのだから、いまのフランスがどうなっているかはわからない。

でも、フランスであることにとてつもない自負を抱いているのがフランスだ。とりわけ地方に行けばいくほど、フランスはフランスであるために、池波が体験したようなかようなフランスらしさを頑なに維持しようとしているに違いない。そんなフランスを思い描くだけでも、なにか嬉しくなってしまうのはなぜだろうか。

2011年7月16日土曜日

光に照らされる部分 - 西洋の絵画

7月某日

宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの焔』を読む。

シリーズ第一作の高階秀爾本はなかなか面白かったので、フェルメールが題にとられていることもあり、読んでみる。

日本絵画が光の明暗を意識しない絵画であるのに対し、西洋の絵画ではとりわけルネサンス期以降、明暗を書き分ける技法によって描かれてきた。その「西洋の明暗」の起源をさぐる著作である。

まえがき、を読んでいた時点では短い文章にあまりに多くのことを詰め込みすぎてとても読みやすい文ではなかったのだが、本編にはいって落ち着いたというべきだろうか、すらすらと読み進められるようになってきた。といっても、いわゆる「上手い」文章とは云い難い。

まだ40ページくらいなので、これからを楽しみとしよう。

それにしても、いわゆる宗教画で、キリストが光源体として描かれるのは視覚的に不自然ではないか。

太陽や電球がそうであるように、光源は光源であるがゆえに姿かたちがはっきりとはみえないはずである。こども天使が空を飛んでいるのはもっと不自然だ、というレベルの話ではなく、それ自体光っているものは、色眼鏡を通してみない限りこまかい部分は判別できないものであるし、見えないものをあたかも見えているように描くことは単純に絵としておかしな話だ。たとえ宗教画であっても写実を礎としている西洋画にあっては、このひっかかりがアダになってしまいかねない。

にもかかわらず、キリストにせよ、その筋肉のかたちまでくっきりわかるように描かれている。もしかすると、光源はキリストの「後ろ」にあるのかもしれない。だが、後光に照らされたものは、正面からは逆に影となってしまい、もっと見えなくなってしまう。とすれば・・・。

そうだとすれば、キリストが別な光に照らされ、キリスト自身が光を反射していると考えられるのではないか。光源体でなく、光の反射体なのではないか。つまり、光源は別にあるのだ。

そうして、納得するのである。キリストは神ではなく神の子であり、神は別に存在するのだったということを。(以上、無意味な仮説。)

2011年7月13日水曜日

ポーの罠

7月某日

ポー「黄金虫」を読む。

一気に読んだ。めちゃくちゃ面白かった。

最後あたりの細かい種明かしはそれとして、なんといっても、種明かしの場面に至るまでの話の持っていきかたがすばらしい。ぐいぐい引き込んでいく筆力にはただただ脱帽した。

冒頭から素直に読めば、「黄金虫」自体になにかの秘密が隠されているのだと思ってしまうはずだ。だから、「黄金虫」が手元に戻ってくる「翌朝」になれば、なぞが解明されるのだと読者は知らずに期待し、興奮し、冷淡になる。

けれど、「黄金虫」そのものには何も真実は隠されていなかったのだ・・・!

隠されていた別のものにも、容易く秘密が描かれているわけではない。そこにある暗号を解読しなければならない。

何段階にも積み重ねられたステージをひとつずつ登っていく(あるいは降りていく)過程を読者はぞんぶんに堪能できるだろう。それこそ、推理小説の理想といえるのかもしれないし、ポーが意図したものなのだろう。

2011年7月11日月曜日

「群集」のなかにいる老人

7月某日

ポー「群集の人」「おまえが犯人だ」「ホップフロッグ」を読む。

「おまえが犯人だ」は途中で誰が犯人だかうすうすわかってしまう。最後に明かされる真相は一読ではよく理解できなかった。が、容疑者をつくりあげていく手法は見事だし、それを覆すトリックを用意しているのも推理小説の見本というべきだろうか。

「ホップフロッグ」はさんざん馬鹿にされた道化師が王とその側近たちを騙すお話。コンパクトにまとめられ、話の展開もスムーズで面白かった。

もっとも印象的だったのは「群集の人」。トーマス・マンの「沈黙」を想起させる、不思議な作品。群集のなかにみつけたある老人を2日にわたって追い続けたが、老人はその間なにをするわけでもなく、ただただ歩き続ける。最後に疲れ果てて辿り着いた答えが、老人は「群集の人」なのだということ。群集のなかにいないと生きていけない老人だったのだ。なんとも不思議な話だ。

残るは、もうひとつの名作「黄金虫」。

2011年7月4日月曜日

マクガフィン

7月某日

ポー「失われた手紙」を読了。

あっと驚くトリックはなかったけど、「モノ」を手にした人間の心理がうまく描かれていた。その心理を読み取ることができれば、「手紙」がどこに隠されたかがわかるという推理のひとつ。

この「手紙」の内容が最後まで明かされずなぞのままに残すのがヒッチコックのいうマクガフィンの目的であり、「手紙」をただひとつの柱にして物語が展開しうるのがマクガフィンの効果である。

2011年7月2日土曜日

いざ、昭和へ

6月某日

ポー「モルグ街の殺人」を読み終えて「失われた手紙」を半分ほど読む。

「モルグ街」は若干失望したけど、「手紙」はずいぶん面白そうだ。「推理する人間の知性を推理される人間の知性と同一化」することが犯罪推理の(もっといえば人の繊細な意識の)要諦である。それは言葉上で納得できる以上に真実だ。

自分の知性のレベルに対象を引き上げるのではなく、対象のレベルに自分の知性をなぞらせる。この場合、知性の高低は問われない。ただ、その意識があるかないかが大事なのだ。

相手の思考に自分の思考を沿わせるのはとても難しい。自分の既存知識や感情的な自意識が邪魔するためである。ポーの小説でこんなことを思わされるとは思っていなかった。予想外の収穫である。

6月某日

福田和也『昭和天皇 第二部』文春文庫を読了。つづけて『第三部』へ。

第二部は大正天皇の崩御まで。つまり、昭和天皇が天皇となるまでに二冊が要されたということになる。

即位までの歴史を読んでみて思うのは、明治時代のみならず、大正時代末までの日本もまた、幸福であったということだ。昭和の失敗を暗示するような出来事(例えばテロや政党政治の腐敗、天皇の政治利用など)が目立ち始めたとはいえ、それは後からそう云えるわけであって、国家としては大正時代を通じて盛隆しつづけていたと云えよう。存在感が増すにつれて他国との軋轢も生じやすくなるのは至極当然のことであって、軋轢を生んだのだから政治=外交は間違っていたのだと逆転させてはならない。

そして、先帝の崩御をうけて昭和がはじまるのだった。