2009年8月30日日曜日

悩ましい現代小説

8月某日

なぜか山本文緒『恋愛中毒』なる小説を読んでいる(ほんとになぜなんだろう?)。毎日10ページずつくらいだからあまり進んでいないが、とにかくひどい小説だ。

著者は直木賞作家。だからこの小説もエンターテイメント系になるのかもしれないが、読んだ感じではどうもそうではなさそうだ。離婚経験のある30代女性のちょっと非日常的な恋愛の話、なので。

なにがひどいって、この女性の「美化」である。いつもはさえない「私」だけど、実はこう見えて有名人にもてたり翻訳なんてちょっとオシャレなアルバイトもしているそんな「変」な自分に、ひとり暮らしの部屋で「くすり」と笑ってしまったりして、でもやっぱり友人に優しくされても、そもそも人が人に親切する「意味」がわからない「困った」私は、ひさしぶりに化粧をして有名人の事務所で働き始めて「愛人」になっちゃったりして、もう「普通」の女の子じゃなくて、それまで人に意見したことなんてないのにこの小説が始まってからズバズバ他人にモノを云っちゃったりして、でも私はさえない女の子--

みたいな。多少誇張があるけど、まぁぜんたいこんな感じである。この小説(文庫本)が27刷くらいいっているのがさらに驚きで、いったい世の女性は何を考えているのだろうかと深刻に心配してしまうほどだ。こんな小説にもしかるべきオチがあるのだろうと期待して、一応最後まで読むつもりである。

中村光夫『二葉亭四迷伝』も鋭意読書中だけれども、こちらもあまり面白くない。全然頭にはいってこない。名著だと愉しみにしていたのだが…。

2009年8月28日金曜日

「文士」のエッセイ

8月某日

東野圭吾一気読み。『探偵倶楽部』『殺人の門』『鳥人計画』を読了。これで4冊を立て続けに読んだことになる。

『さまよう刀』を含めて一番よかったのは、『殺人の門』かな。私好みの長編+大河+悲劇という要素が盛り込まれた本作は、邪な友人に小さい頃からずっと利用されつづけた主人公の、彼自身が軽蔑した父親と同じ道を歩んでいくどうしようもなさが(個人的に)居たたまれなかった。

『探偵-』は期待が大きすぎ、『鳥人-』は最後が力が抜けてしまった感じがマイナス。

8月某日

江藤淳『人と心と言葉』をようやく読了。2ヶ月以上は読んでいたと思う。前半の追悼文のみならず、後半のとりとめのないエッセイ群もとてもよかった。飼っている犬がどうだの、駅前がうるさいだの、電話がわずらわしいだの、普通の人が書いたらどうでもいい文になってしまいそうなところ、江藤淳の内的な言葉がちょっと、ところどころにアツイのがいいのだ。

昔、江藤淳を知ったころは政治評論関係ばかりであったから、このエッセイでもたまに政治ネタがでてくるとどうしても食傷気味というか、軽く読み飛ばしてしまうところがある。江藤淳本人がよく使う言葉に「文士」というのがあるが、やはりこの人は「文士」で、「文士」としての文章が本来なのだなと思った次第である。

続けて坪内祐三『四百字十一枚』も読み終えた。雑誌連載の書評集。書評の一回の分量が400字原稿用紙に11枚だからという題。「あとがき」で坪内祐三が、3-4枚の書評では無理だけど11枚あれば「余談」ができる、そこがいいのだと書いているが、ちょうど江藤淳も前掲書で、エッセイは10枚だか12枚ぐらいが具合がいいと云っていた。11枚といったら結構長い。4400字だ。大学でのレポートが(今なら笑っちゃうけれど)2000字くらいが多かった記憶がある。4000字を書こうと思えば、書きたいことだけ書いていても足らず、必然構成力が問われてしまう。そして、その力が歴然とわかってしまうのも、そのくらいの分量だろう。なるほどね。

内容についてはたくさん面白いところがあったけど、とりあえず、エドマンド・ウィルソンの批評集が欲しいということだけ。

2009年8月21日金曜日

編集者の役割、という大げさなものではないけど


8月某日

前々からなにかと話題になっていた渡辺明竜王の『永世竜王への軌跡』を購入。指し手解説はすべてすっとばして、対局こぼれ話を次々と読んでいく。

メインを読まずにいちゃもんをつけるのは筋が違っているが、ともかく出来がよろしくない。周囲や関係者の評判は高いらしいけれど、なんといっても文章が下手なのである。もちろん作家ではないのだからそれは大目にみて読むことはできるが、この本にはわざわざ「構成」者として特別に別の人の名前があげられているのだから、とても不満なのである。プロの作家ではないからこそ、チェックが行き届かなければならないはずだ。

うまい文章、読みやすい文章というのは、読み手が次に知りたいと瞬間的に思ったことを、書き手がまさしくその直後に書いているものである(本当にそうなのである。結論をはやくばらせというわけではない)。あるいは、理解にあたって本来書くべき文章の要素を一切欠落させない文章というのが優れた文章である(晦渋とかそういう問題ではない)。つまりこの2点において、本書は幼稚であると云わねばならない。それは原則的に、編集者の、この場合は「構成」者の責任にある。渡辺竜王のサービスの良さが面白いし棋譜解説も結構充実しているように思われるだけに、そこがあまりに残念でならない。

とここまで書いておきながら、確認のためあらためてページをめくってみるとそれほど読みづらくはなかった。最初字面を追ったときにの印象が強すぎたのかもしれない。そのとき、こう思ったのは事実ではある。

2009年8月12日水曜日

ふたたび東野圭吾


7月某日

内田魯庵『思い出す人々』を読了。早くも今年読んだ本のベストワンに並べられる一品であった。

この本の面白さのひとつに、魯庵は明治人であるのに文章がとても読みやすいことがあげられる。しかも、なかなか“若い”言葉づかいがみられることがポイントだ。ラスト・スパークだとかハイブリッドだとかラビリンスなんてカタカナ語がでてくるあたり、とても二葉亭四迷と同時代人であるようには見えないのである。

そういえばちょっと笑ってしまったエピソード(というか小さな事実)がある。本書の最後のほうで大杉栄との思い出が綴られているが、大杉栄の娘の名前がなんと「魔子」というらしい。大震災のときに殺された大杉の、なんかこう、複雑な人物像に興味を覚える。

続いて中村光夫『二葉亭四迷伝』を読み始めた。(江藤淳が指摘するように)「です・ます」調の文章には批評としての物足りなさが感じられるが、でも内容の充実さは十分。ときに踏み込みの弱さも感じられるけれど、二葉亭伝としての面白さは堪能できる。二葉亭を愛した中村光夫の(変な意味ではない)、強い思いが感じられる伝記である。

8月某日

坪内祐三・福田和也『無礼講』を読了。連載時に伝わってきたように、両者の考えの違いが徐々に表面化してきているのが注目すべきところ(坪内祐三が社会的事件の時代性を指摘するのに対し、福田和也は各事件をそういうものとしてしか受け止めない、など)。でも、よくありがちな喧嘩にならないところがふたりの大人っぷりとでも云おうか。

8月某日

東野圭吾『さまよう刃』を読了。数ヶ月ぶりの東野作品。やはりこの人の推理小説は抜群である。この小説は秋に映画化されることもあって本屋の目立つところに並べられていたから、つい手にとってレジまで持っていってしまったというわけ。読み始めると面白くて、すぐに読み終えてしまった。最後のちょっとしたひっかけ(?)も、東野作品ならではと云えるだろう。もっとも、内容自体は残酷な話である。

続けて東野の『探偵倶楽部』も読み始めた。VIP御用達の「探偵倶楽部」の活躍を描いた短編集。最後のオチには、よく考えられているなあと感心するばかりである。