2009年8月28日金曜日

「文士」のエッセイ

8月某日

東野圭吾一気読み。『探偵倶楽部』『殺人の門』『鳥人計画』を読了。これで4冊を立て続けに読んだことになる。

『さまよう刀』を含めて一番よかったのは、『殺人の門』かな。私好みの長編+大河+悲劇という要素が盛り込まれた本作は、邪な友人に小さい頃からずっと利用されつづけた主人公の、彼自身が軽蔑した父親と同じ道を歩んでいくどうしようもなさが(個人的に)居たたまれなかった。

『探偵-』は期待が大きすぎ、『鳥人-』は最後が力が抜けてしまった感じがマイナス。

8月某日

江藤淳『人と心と言葉』をようやく読了。2ヶ月以上は読んでいたと思う。前半の追悼文のみならず、後半のとりとめのないエッセイ群もとてもよかった。飼っている犬がどうだの、駅前がうるさいだの、電話がわずらわしいだの、普通の人が書いたらどうでもいい文になってしまいそうなところ、江藤淳の内的な言葉がちょっと、ところどころにアツイのがいいのだ。

昔、江藤淳を知ったころは政治評論関係ばかりであったから、このエッセイでもたまに政治ネタがでてくるとどうしても食傷気味というか、軽く読み飛ばしてしまうところがある。江藤淳本人がよく使う言葉に「文士」というのがあるが、やはりこの人は「文士」で、「文士」としての文章が本来なのだなと思った次第である。

続けて坪内祐三『四百字十一枚』も読み終えた。雑誌連載の書評集。書評の一回の分量が400字原稿用紙に11枚だからという題。「あとがき」で坪内祐三が、3-4枚の書評では無理だけど11枚あれば「余談」ができる、そこがいいのだと書いているが、ちょうど江藤淳も前掲書で、エッセイは10枚だか12枚ぐらいが具合がいいと云っていた。11枚といったら結構長い。4400字だ。大学でのレポートが(今なら笑っちゃうけれど)2000字くらいが多かった記憶がある。4000字を書こうと思えば、書きたいことだけ書いていても足らず、必然構成力が問われてしまう。そして、その力が歴然とわかってしまうのも、そのくらいの分量だろう。なるほどね。

内容についてはたくさん面白いところがあったけど、とりあえず、エドマンド・ウィルソンの批評集が欲しいということだけ。

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