2011年6月23日木曜日

ポーの実力は如何に?

6月某日

エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』新潮文庫を読み始める。

冒頭から分析と集中の考察がされる推理小説に度肝を抜かれる。

トランプゲームとチェスとどちらが分析的=知的かと問われれば、ふつうチェスと答えるだろう。しかし、ポーはトランプのほうだという。トランプはゲーム自体はシンプルでも、それだけに相手の思惑を察知し、表情から思考を読み取る力が要求されるからだという。

読み応えがありそうだ。

2011年6月22日水曜日

承認と現象学・・・でも失敗

6月某日

山竹伸二『「認められたい」の正体 承認不安の時代』講談社現代新書を読了。

20点。今年のワースト本だ。

現象学と承認の関係を扱っているという言葉に反応して読み始めたが、面白かったのは冒頭の50ページほど。残りの150ページは全く不必要なほど陳腐な文章であった。

「承認」が人と人との間でどのように生じるかではなく、「承認」の現象学的プロセス=知覚の流れを解説しているのだと思ったのは間違いだったろうか。対人間の「承認」を分析するとしても、ありきたりな「認められたい」「認められないと疎外される」といった感覚で語られると現象学の登場する余地はない。

また、「承認」の微妙な権力バランスを記述しているならまだしも、自己啓発本的なメッセージにすぎない内容が何度も何度も繰り返され(本当に同じ内容の文が本書に何度も登場する)、しばしば織り込まれる心理学者、哲学者らの著作からの引用がいかにもとってつけたような感じ(=カタログ的な)であるのは一体どうしたことだろう。現代は価値相対主義の時代だから、という何の分析にもならない分析を根拠にしてしまうと、すべてが幼稚化してしまう。「本当の自分」というものの実在を問わなければならないのに(そこにこそ現象学が登場するべきはずだ)、「本当の自分」を所与のものとしてしてしまうと「承認」の表面をなぞるだけになってしまう。

たぶん他の人が同じような内容の本を書くとすれば、80ページもあれば十分だろう。構成上、不要な部分が多すぎた。

中学生が読むならいいが、いい大人が読む本ではなかった。

2011年6月18日土曜日

興行師・神彰

6月某日

引き続き有吉玉晴『恋するフェルメール』を拾い読み・・・のつもりが、面白かったので100ページくらい読む。

フェルメールの作品がオランダで一挙に公開されるのにあわせて企画されたツアーに参加した話をエッセイ風に綴っているところ。無類のフェルメール好きが集まっているのだから、フェルメールにしか目がいかないツアー参加者たちの様子がなんとも面白い。

ときどき、唐突な感じで有吉玉晴の昔話がとびだしてくる。それがまた惹きこまれる内容で、しかもリアルな言葉を選んでいるから、読後感がよい。

そんなエピソードのなかで自分の父を語るくだりがあって、母=有吉佐和子とはずっと昔に離婚しているのだが、25年ぶりぐらいに交流をもつようになり・・・とあって、父はボリショイサーカスを日本に紹介し・・・という言葉に「あっ」と反応する。この人物は知っているかもしれない。名前は忘れていたけど、興行師として有名な人がいたことは覚えていた。父の名は神彰(じんあきら)という。そうか、有吉玉晴は有吉佐和子と神彰の子供なのか。

父・神彰との交流については、実はフェルメールのお話よりも貴重かもしれない。図書館で借りた本だけど、本屋で見つけたら購入しておこう。

6月某日

福田和也『昭和天皇 第一部』を読む。

雑誌連載中に読んでいたあたりだけど、単行本で読み返すことにした。まだ100ページくらいだが、一文一文を堪能するように読む。

この伝記の特徴は、明治から大正、昭和を彩る傑人物たちのエピソードが随時紹介されることだろう。とくに明治を創った第一世代の多士済々は現代日本からすれば羨ましすぎるラインナップだ。彼らにつづく第二世代、第三世代は、様々な紆余曲折をへて――ときに父の世代の栄光に気後れし、ときに父に匹敵する仕事をなして――昭和までの繁栄を築き上げた。「昭和までの」と云わざるを得ないのが辛いことではあるが。

2011年6月16日木曜日

初・池波正太郎

6月某日

池波正太郎『あるシネマディクトの旅』文春文庫を読む。

まさか池波正太郎の本を読むことになろうとは思わなかった。そして、こんないいエッセイを書いていたなんて、もちろん知るはずもなかった。

本屋の平積みの棚のところに、この文庫が一冊だけ、他の文庫の平積みの上にポンと置かれていた。なんとはなしに手にとって開いてみたら、フランスを旅した池波正太郎の旅日記だった。しかも、ところどころに味のある絵がはさまれていて、面白そうにうつったので買ってしまった。

それから毎日、ちょっとずつ読んでいる。かたくるしくない、洒脱な文章はなかなかに面白い。

文を読んでいたらどこかで読んだような記憶がわいてきて、もしかしたら、坪内祐三の文庫本連載にでてきて、そこで読んだのかもしれない。ちがうかもしれないけど。

2011年6月14日火曜日

有吉の佐和子と玉青とフェルメール

6月某日
日曜に図書館で借りてきた有吉玉青(たまお)『恋するフェルメール』をパラパラめくっていたら、プロフィールの著書欄に『身がわり 母・有吉佐和子との日日』とあった。

知らずに借りたわけだが、有吉佐和子の娘だったとは。

気になっていくつかの章を読んでみたけど、やはりどこか不自然臭のする文章だった。不自然、というのは、文章が形式ばった言葉遣いではなく、すこし崩れ感じがあるということだ。

一般人が文を書くと、文法に忠実すぎた文章になるか、そもそも下手すぎるかのどちらかになりがちだが、有吉玉青はそのどちらでもない。微かではあるが、文学臭のする文章だった。

さて、タイトルの「恋するフェルメール」というのは、フェルメールが誰かに恋していたのか、有吉玉青がフェルメールに恋しているのか、いまのところわからない。

2011年6月13日月曜日

映画的現代思想

6月某日

内田樹『映画の構造分析』文春文庫を読む。

「構造分析」って聞くと、だいたい言葉遊び的なものが多いけど、事実、この本もそんな部分がなくはないのだが、正直とても面白かった。

映画を現代思想で分析するという一般的な方法ではなく、現代思想を映画で語る目的を明確にしているのだからわかりやすい。要は(映画ではなく)現代思想が好きか嫌いかなのだ。映画好きの現代思想好きなら当然たのしめる。

例えば『エイリアン』をフェミニズム=反レイプとしてみればそうみえるのであって、むしろそういう目的で映画が作られたのではないかとさえ思えてしまう。まったく別の視点から映画をたのしめるようになっているのだ。

『北北西に進路を取れ』も、特別な関心をもって映画を観ることができる。存在しないもの=スパイを中心として話が展開されるストーリーの、本質的に物語的な部分がみえてくるし(つまり物語の中心は空虚でなくてはならないということ)、と同時に人を騙す秘訣(=自分は騙されていると相手に思わせること=自分は騙されたというふりをすること)が物語をそうあらしめているのだと映画は教えてくれる。

とはいえ、本書でもっとも関心をひいたのは、アメリカ開拓時代の男女の人口比の話。当時のアメリカ(西部劇の舞台が終わるころまで)は女の人口に比べて男の人口が圧倒的に多く、それが男の特殊な思考に決定的な影響を与えたという。つまり、選ばれる男に対して圧倒的多数の選ばれなかった男たちは、なぜ自分が選ばれないかの理由を考えた。それは・・・・・・選ばなかった女が悪い、というものだった。そこからアメリカのオリジナルな歴史が始まる、という。世界にも稀な女性蔑視の文化。実際にそんな文化色がアメリカに強いかどうか、ちょっと疑問があるけれど、なかなか刺激的な物語だと思うね。

2011年6月12日日曜日

『本の雑誌』をひさしぶりに手にとってみた

6月某日

今日は二週間ぶりに図書館へ。

館内では『本の雑誌』のバックナンバーを読む。坪内祐三関係ばかり(ほかには『小説現代』のツボ連載も。)

坪内祐三と目黒孝二と現発行人らによる座談会が面白かった。創刊初期のころの小話が紹介されていて、創刊5号まではちょっとお堅い雑誌だったけど、編集部内の対立をへて椎名誠が提案するコラム中心の雑誌に軌道修正し、現在に至る、という流れがあったらしい。『本の雑誌』、この数年は買うどころか立ち読みさえしなくなり、単行本化される坪内祐三の「読書日記」は刊行直後に読了している程度。軌道修正直後の6号から10号あたりまでの『本の雑誌』がいちばん面白いようだ。たぶん、読む機会はないだろうね。

ほかにも創刊直後に谷沢永一が定期購読の申し込みをしていた、谷沢所蔵の貴重な創刊号からのバックナンバーが1995年に古本屋に流れた、という話が意外だった。谷沢永一はこんな雑誌にも目をつけていたのか。手塚治がマンガを特集したときに編集部に電話をかけてきた、という逸話もあった。どんな用事でかけたのだろう、気になる。

館内で読むには物足りなかったので『本の雑誌』のバックナンバーを2冊借りた。2010年の6月号と9月号。2週間の間にじっくり読んでみよう、ひさしぶりに。(この雑誌については椎名『本の雑誌血風録』と目黒『本の雑誌風雲録』があるけど、椎名本のほうは持っていてしかも読んだことがあるような気もするけど、ぜんぜん覚えていない。持っているかも記憶にない。)

同時に借りたのは有吉玉青『恋するフェルメール』と山口昌男『天皇制の文化人類学』と笠原和夫『2/26』と『世界の名著 近代の藝術論 コリングウッド他』。なんともバラバラなラインナップ。

6月某日


坪内祐三『書中日記』を読了。『三茶日記』『本日記』とつづく『本の雑誌』連載の単行本。

これだけの情報がつまっている本を数日で一気に読了しても、ほとんど頭に残らない。やはり連載時にリアルタイムで読むべきだと思った。でも『本の雑誌』を定期購読する気にはなれず、やはり立ち読みで済ますしかない。

法政大学で教授をしていた外間守善の本を引用するくだり。外間教授が学習院大学に講義をもっていたころ、日文科限定のその講義に心理学科のある女学生がどうしても授業を受けたいとやってきた。ほとんど涙ながらに訴えるので教授は特別に受講の許可をだし、その女学生は熱心に毎回の授業を受けたという。その学生の名前は川嶋紀子といった。紀子妃をしてそこまでさせた外間守善という学者が気になる。

そんな興味をそそられる筆者や本がわんさかでてくるが、5年分になる連載を一週間で読んでも味が十分に出ない。やはり立ち読みしかない。