2012年1月4日水曜日

天皇づくしのお正月

1月某日

ふと気になって書斎の本棚から天皇本を3冊抜き出す。

ひとつは『入江相政日記 第一巻』(朝日文庫)。東大国文科卒で学習院大学の元国文科講師らしく、侍従として勤めたあと自宅で芥川龍之介全集を読んでいる記述がいくつかみられる。ほかにも、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なども出てくる。

二・二六事件から数日の日記も読んでみる。この部分は二回目くらいだが、こういう事態でも日記を欠かさずつけているのも感心であるし、意外に取り乱した様子もなく、事情も詳細には書いてはいない(まだ侍従になって1年ちょっとであるから下っ端なので宮中の中枢からは隔たっていた?)のが印象的である。なお、入江が侍従となったのは昭和9年10月、二・二六事件は昭和11年2月のこと。

つづけて河原敏明『昭和天皇とその時代』(文春文庫)を読む。すでに読了した本。昭和天皇と秩父宮の仲違いについてや、香淳皇后の骨折についてなど。香淳皇后は静養先でつまづいたときに腰骨を折ってしまったのであるが、入江らが早急の手術に躊躇したため、十分な治療をすることができなかった。ために、皇后は車椅子の生活を余儀なくされ、而して痴呆の症状が進行してしまったという。

最後に原武史『大正天皇』(朝日選書)を読む。もちろんすでに読んだものだが、なにぶん十年も前のことだからほとんど忘れている。ともかく、自由奔放で気さくな大正天皇の人柄を楽しむ。

原敬が自身の日記を公刊することを頑なに拒んだ理由として、日記に大正天皇の病状が詳しく書かれすぎていることをがあったのではないか、と原武史は推測する。原敬は数十年後はともかく今は・・・という云い方をしているので、絶対に公刊はだめだと云ったわけではない。原武史の推測はもっともなものかもしれない。あまりに露骨に記述されているのは事実だから。

といっても、昭和天皇が摂政に就任することを念頭に大正天皇の病状を新聞紙上で結構詳しく公にしたので、ちょっと疑問ではある。摂政就任を目前に、原敬は狙撃された。

ところで、先日読んだ『天皇の執事』(文春文庫)の著者・渡邉允の曾祖父は、宮内大臣をつとめたことがある渡邉千秋だが、辞任直前に収賄の疑いをかけらていたそうだ。逮捕されたかどうかは知らない。もっとも、渡邉允本人とは全く関係のない話ではある。

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