7月某日
池波正太郎『あるシネマディクトの旅』(文春文庫)を読み終えた。
毎日ちびちび読んでいたこのエッセイ集。毎日読んでも飽きない内容と文の上手さだった。
「シネマディクト」というのがどういう意味なのかは知らないけど、映画好きの人というくらいの意味だろうか。その無類の映画好きである池波正太郎がフランスとスペインを3回にわたって旅した日記がこのエッセイ集だ。
フランス映画を愛する池波正太郎は、フランスには一度も行ったことはないのにフランスの街を昔から知っているように歩く。強いイメージを抱いているだけあって、イメージに合わないフランスには手厳しい。古きよきフランスがなくなっていくことに非常な悲しみを覚える。でも、映画で観たよりずっとすばらしいフランスを体験したことのほうが多かったようだ。
とくに街のレストラン(フランスでも地方のほう)の給仕の丁寧な仕事ぶりや料理の洗練度の高さ(仕事に誇りを持って働くスタッフの様子がよくわかる)、買い物に出かけたお店で出会った気さくで律儀な店員たち(靴屋では何十足もの靴を試着させて客に最も合ったサイズをみつけてくれようとする店員がいて、その熱心さは商売以上の動機が必要だ)。
文化は人にあらわれるのだと思うのだった。
スペインでは天野英世と遭遇したりというエピソードもあった。偶然というのがあるものだ。
私はろくな旅をしたことはないからわからないけど、わずか1日の滞在でも、現地の人とこれほど打ち解け親しくなれるというのはとてもすてきなことだ。池波正太郎は宿泊したホテルの先々で、食事をしたレストランのあちらこちらで、当地の人と(フランス語はできないから)感情的な付き合いをしていく。ミスをした給仕をさりげなくフォローしてあげたら、店の人のみならず他の客さえも池波正太郎の紳士ぶりをたたえて、親しげな表情を向けてくれる。
そんなフランスの情景を見せられたら、誰でもフランスに行ってみたくなるだろう。行って、小粋な真似でもしたくなるだろう。
池波正太郎が旅したのは昭和50年代初頭だから、それから30年以上も経っているのだから、いまのフランスがどうなっているかはわからない。
でも、フランスであることにとてつもない自負を抱いているのがフランスだ。とりわけ地方に行けばいくほど、フランスはフランスであるために、池波が体験したようなかようなフランスらしさを頑なに維持しようとしているに違いない。そんなフランスを思い描くだけでも、なにか嬉しくなってしまうのはなぜだろうか。
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