2009年7月1日水曜日

山本七平をひさしぶりに読んだ


6月30日

山本七平『昭和天皇の研究』を読了。昭和天皇が自分自身をどのように「自己規定」していたかをテーマにした本。内容は充実。とくに、杉浦重剛や津田左右吉の話が詳しく、勉強になった。

本書にあるように昭和天皇自身は自分を「立憲君主」として厳格にすぎるほど律していたのは事実で、これは近代国家としては理想的ながら、反面数々の不幸をもたらしたのも哀しい現実である。昭和天皇は「立憲君主」という立場の困難さを歴史をもって明らかにしたと云える。

この天皇の「自己規定」を培ったのが杉浦重剛らの教師たちであった。つまり、彼らもまた、近代国家の理想を実現しようとした。彼らはすぐれて近代主義者であった。それが昭和10年代の悲劇を結果としてでも招いてしまったとしたら、それは昭和天皇や杉浦らに責めがあるのではなく、近代立憲君主国家それ自体の限界であるように思うのである。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 2

第2章は「ハリー・クロスビー」。1898年生まれの詩人で、いわゆる「失われた世代」のひとり。そもそも「失われた世代」というのは俗にいう第一次大戦によって青春が失われたという意味ではなく、近代工業化によって地方の伝統や地域性を奪われて育った世代のことを意味する。故郷を失われた世代であるのだ。

そんな世代のひとりで類まれな知性に溢れたクロスビーは、ヨーロッパ風の近代化を表面的に取り入れ続けているアメリカという現実に我慢がならなかった。リアルでないもののように思えた。このリアルを求めて、クロスビーは入隊する。しかし、戦場で彼が目にしたのは、死、つまりリアルなものなどこの世になにもないという「死のリアリズム」であった。

除隊したあと、ハーバード大学の学生から殊勝にも銀行員となりパリで勤務はじめたクロスビーは、放蕩と文学の生活に溺れる。あらゆる本を読破していくなかで最も好んで読んだのはランボーとジョイスだった。彼は詩人を目指す。銀行を辞めて自ら出版社を起こしたのも、自分の文学のためであった。自分の作品を出版し、文学者たちと語らうための場であった。

クロスビーはいつしか太陽に魅せられるようになる。「死のリアリズム」を克服するのは、本当の不滅、すなわち太陽であった。死をことごとく永遠化させることができるのは太陽だ、という考えに囚われていった。そうしてクロスビーは、自らをひとつの作品として自殺をしてしまった。時間という圧政から自由になるために、不滅を得るために。

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