6月某日
山竹伸二『「認められたい」の正体 承認不安の時代』講談社現代新書を読了。
20点。今年のワースト本だ。
現象学と承認の関係を扱っているという言葉に反応して読み始めたが、面白かったのは冒頭の50ページほど。残りの150ページは全く不必要なほど陳腐な文章であった。
「承認」が人と人との間でどのように生じるかではなく、「承認」の現象学的プロセス=知覚の流れを解説しているのだと思ったのは間違いだったろうか。対人間の「承認」を分析するとしても、ありきたりな「認められたい」「認められないと疎外される」といった感覚で語られると現象学の登場する余地はない。
また、「承認」の微妙な権力バランスを記述しているならまだしも、自己啓発本的なメッセージにすぎない内容が何度も何度も繰り返され(本当に同じ内容の文が本書に何度も登場する)、しばしば織り込まれる心理学者、哲学者らの著作からの引用がいかにもとってつけたような感じ(=カタログ的な)であるのは一体どうしたことだろう。現代は価値相対主義の時代だから、という何の分析にもならない分析を根拠にしてしまうと、すべてが幼稚化してしまう。「本当の自分」というものの実在を問わなければならないのに(そこにこそ現象学が登場するべきはずだ)、「本当の自分」を所与のものとしてしてしまうと「承認」の表面をなぞるだけになってしまう。
たぶん他の人が同じような内容の本を書くとすれば、80ページもあれば十分だろう。構成上、不要な部分が多すぎた。
中学生が読むならいいが、いい大人が読む本ではなかった。
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