7月某日
辰野隆『忘れ得ぬ人々』(講談社文芸文庫)を読む。
題が「忘れ得ぬ人々」だから、辰野隆が昔出会った人たちの思い出をつづったエッセイ集である。
当然、いろんな人がでてくるわけで、辰野隆が尊敬してやまない露伴、漱石、鴎外は誰でも知っているとして、あまり知られていない人もたくさんでてくる。
三宅雪嶺はそれなりに有名だろう。でもたとえば巻頭にくる浜尾新なんかは知らない人がほとんどではないか。かくいう私も福田和也の『昭和天皇』でその名を覚えたくらいである(電話があまりい長い文部大臣・東大総長として)。
辰野隆と交友のあった人物ということはそれなりに(当時は)有名な人たちばかりである。まだ読んでいる途中だけど、メモして無駄ではあるまい。
辰野隆がともに仏文学を学んだ仲間として、鈴木信太郎と山田珠樹がでてくる。鈴木信太郎の名前は、フランス文学に少しでも触れたことのある人であれば誰でもみたことがあるだろう。ボードレールなどの翻訳で有名だ。
それより山田珠樹、である。この名前はどこかでみたことあるなぁと思いつつ気にとめずにいたけど、偶然思い出した。森茉莉の最初の夫であった。すぐに離婚したふたりであるが、森茉莉の側からみると、元夫=山田珠樹のイメージは大変よろしくなかった。でも、辰野隆の視線からみると、なんとも楽しげな人ではないか。
次に、吉江喬松。早大に仏文科を創設したというから、辰野隆と同じく日本の仏文学研究の嚆矢に連なる学者だろう。吉江狐雁(こがん)という号をもつ詩人でもあったようだ。
もうひとり、石本巳四雄。辰野隆と山田珠樹がフランスに留学しているとき同じくフランスに留学していた地震学者。理系でありながら絵画や文学をも愛していたため辰野らと気があったようだ。下宿先にわざわざピアノを借りてまで持ち込んで、ピアノを楽しんでいたらしい。辰野隆によれば、下手の横好きであったようだが。
その石本とのエピソードは書き残しておきたい。
山田珠樹をまじえてよく三人で芸術論をかわしていたようで、あるとき、レンブラントを石本が酷評した。どこがいいんだ、あんなもの、という石本に反発したふたりは、ならば、アムステルダムに観にいこうじゃないかと翌日早速オランダまででかけた。美術館でレンブラントの『夜警』を間近でふれた石本は脱帽して降参した、という。
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