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2011年6月12日日曜日

『本の雑誌』をひさしぶりに手にとってみた

6月某日

今日は二週間ぶりに図書館へ。

館内では『本の雑誌』のバックナンバーを読む。坪内祐三関係ばかり(ほかには『小説現代』のツボ連載も。)

坪内祐三と目黒孝二と現発行人らによる座談会が面白かった。創刊初期のころの小話が紹介されていて、創刊5号まではちょっとお堅い雑誌だったけど、編集部内の対立をへて椎名誠が提案するコラム中心の雑誌に軌道修正し、現在に至る、という流れがあったらしい。『本の雑誌』、この数年は買うどころか立ち読みさえしなくなり、単行本化される坪内祐三の「読書日記」は刊行直後に読了している程度。軌道修正直後の6号から10号あたりまでの『本の雑誌』がいちばん面白いようだ。たぶん、読む機会はないだろうね。

ほかにも創刊直後に谷沢永一が定期購読の申し込みをしていた、谷沢所蔵の貴重な創刊号からのバックナンバーが1995年に古本屋に流れた、という話が意外だった。谷沢永一はこんな雑誌にも目をつけていたのか。手塚治がマンガを特集したときに編集部に電話をかけてきた、という逸話もあった。どんな用事でかけたのだろう、気になる。

館内で読むには物足りなかったので『本の雑誌』のバックナンバーを2冊借りた。2010年の6月号と9月号。2週間の間にじっくり読んでみよう、ひさしぶりに。(この雑誌については椎名『本の雑誌血風録』と目黒『本の雑誌風雲録』があるけど、椎名本のほうは持っていてしかも読んだことがあるような気もするけど、ぜんぜん覚えていない。持っているかも記憶にない。)

同時に借りたのは有吉玉青『恋するフェルメール』と山口昌男『天皇制の文化人類学』と笠原和夫『2/26』と『世界の名著 近代の藝術論 コリングウッド他』。なんともバラバラなラインナップ。

6月某日


坪内祐三『書中日記』を読了。『三茶日記』『本日記』とつづく『本の雑誌』連載の単行本。

これだけの情報がつまっている本を数日で一気に読了しても、ほとんど頭に残らない。やはり連載時にリアルタイムで読むべきだと思った。でも『本の雑誌』を定期購読する気にはなれず、やはり立ち読みで済ますしかない。

法政大学で教授をしていた外間守善の本を引用するくだり。外間教授が学習院大学に講義をもっていたころ、日文科限定のその講義に心理学科のある女学生がどうしても授業を受けたいとやってきた。ほとんど涙ながらに訴えるので教授は特別に受講の許可をだし、その女学生は熱心に毎回の授業を受けたという。その学生の名前は川嶋紀子といった。紀子妃をしてそこまでさせた外間守善という学者が気になる。

そんな興味をそそられる筆者や本がわんさかでてくるが、5年分になる連載を一週間で読んでも味が十分に出ない。やはり立ち読みしかない。

2011年4月12日火曜日

『城』を読むトーマス・マン

4月某日

紀伊国屋書店のレジに近づいたら、『scripta』という冊子が置いてあるのに気づいた。よくある書店発行の無料誌のようだ。この冊子が発行されているのははじめて知った。

とりあえずもらって目次を見ると、池内紀のトーマス・マン日記を読むエッセイが連載されていたので早速帰りに読み始めた。

イギリスに滞在していた、1940年頃のトーマス・マンの日記が引用されていて、ドイツの侵攻の様子が刻々と記録されている。でも――いちばん興味がひかれるのは、カフカの『城』をトーマス・マンが読むくだり。

当時まだ無名だったカフカ(とっくに死去)の『城』のアメリカ版を出すにあたり、出版社がトーマス・マンに序文を書くよう依頼してきたという。そこで、就寝前に『城』を読んだことが日記に書いてあるのだ。1940年6月某日。

結局、トーマス・マンは序文を書くことに決めた。面白かったからだろうか。そして、これをきっかけにカフカが知られるようになっていくのだろうか。

ゾクッとする話だ。

2011年3月19日土曜日

フェルメールのデッサン

3月某日

今週の『週刊文春』をザッピングしていたら、ふだんは読まない福岡ハカセ(福岡伸一教授)のエッセイに目がとまる。フェルメールの絵が日本に一枚やってきたという。

福岡ハカセがフェルメールのファンであると聞いて意外な気がしないわけではないが、以前から多趣味で教養のあるところを見せてくれていたハカセだから、じっくり読んでみた。

フェルメールの「光」の表現の仕方のすばらしさはよく云われていて、絵筆の先の一点で立体感を表現する技術は他の画家にはないフェルメール独特の才能である。ではなぜフェルメールはそれができたのか。福岡ハカセが云うように、「カメラ・オブスクラ」をフェルメールが知っていたからだ。

カメラ・オブスクラというのは、小さな穴を開けた箱の奥に反対側の風景が天地逆に映し出される装置。今日のカメラの原型であり、映し出された像をなぞればリアルな絵を描くことができる。遠近法を利用した画期的な装置である。

この装置を使って、フェルメールは独特の表現方法を身につけたわけだが、ではこの装置をどうやって知ったのか。福岡ハカセは、あくまで「仮説」であるとしつつ、同時代・同都市を生きた生物学者のアントニ・フォン・レーウェンフックから教わったのではないかという。二人の交流を証明する記録はなにもないが、レーウェンフックが残したスケッチは画家が描いたとしか思えないような精緻さと陰影の巧みさがあらわれているらしい。レーウェンフックはまた、こう書き残してもいる。

「スケッチは知り合いの画家に頼んで描いてもらった」

そう、自分で描いたのではなく、画家が描いたものなのだ。だが、その画家の名前は一切書き残されていない(なんというミステリー!)。一方のフェルメールがデッサン類を一枚も残していない画家であるというのも、この逸話をさらに貴重なものとしてくれる。

このデッサンがフェルメールのものであれば――――それはフェルメールの唯一のデッサンであることになり、フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していたという証拠にもなる。とても夢のある話ではないか。福岡ハカセに期待しよう。