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2012年4月29日日曜日

ミュシャとゴーティエ。あるいは坪内祐三の新刊

4月某日

アルフォンス・ミュシャの絵を観に、堺市まで出かける。これで二回目だ。

♯♯ アルフォンス・ミュシャ館 / 堺市立文化館 ♯♯

前回は人を連れていったためじっくり観ることはできなかったし解説文もじっくり読めなかったから、今回はすべてを堪能してみた。

〔前回〕
=  2012.3.23. ペダントリー - アルフォンス・ミュシャ館 =

詳細はあらためて書くとして、いくつか印象的なのを。

しばらく眺め続けたのは横幅が4メートル以上ある「ハーモニー」。壁のひとつを占領する大作である。

     ミュシャ / ハーモニー 1908年

絵だけの画像がみつからず、美術館の展示風景をそのまま掲載。とにかくでかい。いままで観た絵のなかで最もでかい。

近づいてよく観てみれば、細かく描いてある部分とおおざっぱに描いてあるところの違いがあって、にもかかわらず一定の距離をおいて眺めればうまく溶け合っている絵。力作である。

これは中央奥の神(のような人)の前に、無数の人々が集まっている図である。神は英知を表し、左側の人々は愛、右は理性を象徴し、愛と理性という二項対立に神なる英知が調和(ハーモニー)をもたらしている場面だ。あくまで宗教的(キリスト教的)なものであるから意味を深くとらえる必要はないだろう(それはミュシャ個人の思想に強く関わる話で、一般の私たちがそこまでとらえる必要はない)。

ただ気になったのは、中央の下にある「岩」のような黒い物体。どこにも書いていないし推測でしかないが、これは人のように見えた(耳らしきものがあった)。愛と理性の間に挟まれて屍のように横たわる人はいったい何を表しているのだろうか。

「白い象の伝説」

もうひとつ、ミュシャの挿絵で(いろいろな意味で)感動的だったのは、「白い象の伝説」の一連の挿絵。

     ミュシャ / 「白い象の伝説」挿絵 1893年

絵の解説文にはこうある。「白い象の伝説」は児童文学者ジュディット・ゴーティエ(1845-1917)の物語で、ミュシャはその本の挿絵を描いたという。

物語は、仲間はずれにされた白い象と人との間に生まれたちょっと感動的な話で、こんな筋書きだ。

――肌が白いというだけで仲間の象たちからいじめられていた白い象は人間のいる地域に迷い込み、捕らわれてしまう。しかし、白い象は人間にとって神のような存在だったため、厳かな歓迎を受けた(上の挿絵は白い象に人が平伏している場面)。

なんやかやで王の付け人となった白い象は王女にかわいがられ、王女の大切な友人となる。戦場では王子の命を助け、人々の絶大な信頼を得るようになった白い象だが、王女が政略結婚のため敵国の王子と結婚するとその王子に嫌われ、王国を去る。

すべてを失った白い象はサーカス団に連れられサーカスの象としてしばらく暮らした。しかし白い象にとってそれは不本意なことだった。そこにかつて自分を大切にしてくれた王女が偶然現われ再会を果たす。王女は涙を流しながら白い象を抱きしめ、白い象はふたたび王女と暮らすことになるのだった――。

この物語(小説)の挿絵をミュシャは数十枚描いたそうだが、そのうち堺市文化館が所蔵するのは22点で、そのすべてではないがいくつかが今回展示されていた。

なかでも素晴らしかったのは、白い象がサーカスで芸をしている場面を描いた絵と、王女と再会する場面の絵。

ネットでは見つけられなかったので紹介できないのが悔しいが、とても繊細で感動的な絵だった。墨で描いた水彩画なのに単色には思えない豊かな色彩で描かれていた。ぜひ美術館でちょくせつ観てもらいたい。

この「白い象の伝説」の物語が気になって本として出ていないか調べてみたが、出版されたものの、もう絶版になっているようだ。

アルフォンス・ミュシャ
ガラリエ・ソラ
発売日:2005-10-17

いちおう児童文学書であるから、子どもたちに読んでもらいたい本だ。もちろん、挿絵とともに、大人も楽しめる本だろう。

同日

アルフォンス・ミュシャ館の帰りにブックファーストに寄る。

目当ては坪内祐三の新刊なのだが、出荷が前日であると聞いていたのでまだ本屋には並んでいないかもしれない。実際、並んでいなかった。

かわりに、というわけではないが、吉本隆明の追悼コーナーで花田清輝の『復興期の精神』(講談社文芸文庫)をみつけたので購入。坪内祐三の文章でよく登場する本だから。

花田 清輝
講談社
発売日:2008-05-09

でも、買ったときに嫌な予感はしていた。その予感は帰宅してから当たってしまった。「復興期の精神」はすでに持っていたのだ。

私が持っていたのは講談社学術文庫版であったので、違うと云えば違う本である。文芸文庫版のほうは池内紀の解説があるので、それを買ったと思うことにしよう。

しかし今回「復興期の精神」を買おうと思ったのは、この本がタイトルからは想像できないことだが文学者や芸術家をそれぞれ取り上げた批評のパッケージだったから。なかにはマキャベリを語った文もある(帰りに読んだのはこのマキャベリのところ)。たぶん、いま買わなければずっと読まなかったに違いないのだから、買ってよかったのだ。

ブックファーストになかったので、あまり期待せずに紀伊国屋書店に寄ってみる。すると置いてあった。

坪内祐三
幻戯書房
発売日:2012-04-27


「あとがき」的な文章を読めば、この本は、かの名著(と個人的には思っている)『古くさいぞ私は』(晶文社)につづくエッセイ集第二弾だと云う。

これらのエッセイ集は雑誌や新聞に寄稿した短い文を集めたもので、このような文は(特に新聞のは)一度読み逃したらまず読むことはできず、すべての雑誌・新聞を網羅することはどだいできないのだから、当然単行本に収録されるまで待つしかない。

とはいえ、坪内祐三のエッセイは過去何度も単行本化されているのでは? と疑問がでてくる。(エッセイ風の連載の単行本化とは別に)書評・古本などひとつのテーマにしぼってまとめたものは確かに何冊かあるのだけれど、雑多な文のなかから雑多なまま収録するという形の本は、「古くさいぞ私は」以来ということなのだろう。

実際に目次を眺めてみれば、「訪書月刊」や「室内」(どちらも休刊)に書いた文も収められている。これは貴重だ。

本書はだが、一方で「en-taxi」に寄稿したものが多く含まれているので、個人的はすでに読んだものもある。あるのだが、発表当時に読むことと今読むことと、それはまた別の印象があるだろう。

ということで、目下、読書中。

そうそう、もう一冊忘れていた。

坪内祐三の本の隣にリービ英雄の新刊(『大陸へ』(岩波書店))も平積みされていたので、手にとって少し読んでみて、これも買ってみた。

リービ 英雄
岩波書店
発売日:2012-04-19

リービ英雄の本はいままで一冊も買ったことがない。興味がなかったわけではなく、ただきっかけがなかっただけだ。

このあいだNHKかなにかでリービ英雄が万葉集を語る番組があって(古今和歌集だったかもしれない)、その語り口に良いセンスを感じたことが大きかったかもしれない。先年、芥川賞を受賞した中国人作家が話題になったけど、外国人でありながら日本語で文を書く同じタイプの作家としてはリービ英雄のほうがずっと素晴らしいと聞いていたこともある。

本書は彼がアメリカや中国を訪れたときのエッセイ集のようなもの。彼は生まれはアメリカだが、子どもの頃に香港・台湾で過ごした経験をもち、その後日本にも住んでいたことがある。アメリカに戻ってからはスタンフォード大学などで日本文学の教授をつとめたが、それを辞めて日本に定住し、現在は日本語で小説を書いている。

おそらく3つの故郷をもつ人なのだろう。その彼が日本語によって今のアメリカと中国をどう描くのか、そこに興味をもったわけだ。

まだ20ページくらいしか読んでいないが、その感想としては、言葉の意識の強さをとても感じる文章(日本語)だなということ。て・に・を・はに若干違和感はあるものの、もの・ことをどんな日本語で表現すればいいか、苦心しながらも語りたい内容は読者に十二分に伝わってくる。つまり、とても文学的な文章だ(日本人でもなかなかこうはいかない)。

ひとつの場面を紹介。

オバマ大統領誕生のその日、​ワシントンを訪れていたリービ英雄は国会議事堂方面に向かう地下​鉄に乗り込む。同乗の客たちはみな同じ目的地を目指している。体​格の大きいアメリカ人たちはぎゅうぎゅう詰めなのにまったくいさ​かいを起こさずしずかにじっと立ち続ける(ふつうなら喧嘩沙汰になっているところだ)。

だれしも同じ感慨にふ​けっているのだ。「一人一人が歴史を意識しているの​が感じられた」。歴史、つまり黒人初の大統領の誕生という歴史的瞬間に立ち会っているという意識、数百年の間、社会のメインストリームから疎外されてきた黒人が社会のトップにたつという瞬間に、みなしずかな興奮をしているのだった。――

こういう感想は、その社会の内部にいた(いる)人たちにしかわからない実感だろう。最後まで読みとおすのが楽しみだ。






2012年4月15日日曜日

坪内祐三と福田和也の新刊3冊と印象派

4月某日

紀伊国屋書店に久しぶりに寄って、なにか新刊は出ていないかと棚をザザッと眺める。

まっさきに向かった文芸書コーナーに坪内祐三の新刊を発見。『文藝綺譚』(扶桑社)だった。

坪内 祐三
扶桑社
発売日:2012-04-14

少し立ち読みしてみると、雑誌『en-taxi』連載のエッセイ(批評)をまとめたもののようで、同誌からは『アメリカ』『風景十二』に続く単行本化だ。

その二冊はもちろん読んでいるので、今回も購入。

帰宅後に少し読んでみたが、連載中に読んだものもあり(例えば「第一夜 パーティー」)、つい読みふけってしまう。

「あとがき」によれば、タイトルの「文藝綺譚」は「ぶんげいきたん」ではなく「ぶんげいきだん」と読む、という。有名な永井荷風の「濹東綺譚」も、よく間違えられるが「ぼくとうきたん」ではなく「ぼくとうきだん」と読むらしい。私も間違っていた。

ところで「パーティー」だが、冒頭に川村二郎と出会う場面がある。野間文芸賞の受賞パーティーが開かれた夜のことで、川村二郎は選考委員の一人なのだ。

ここで整理しようと思う。いつも混同してしまうのだが、川村二郎と川本三郎は別人であり、しかも川村二郎は著述家で二人いるということだ。

ここに登場する川村二郎はドイツ文学者・文芸評論家で、日本芸術院会員もつとめた御大である。受賞パーティーの翌年、2008年に亡くなった。

もう一人の川村二郎は朝日新聞の編集委員のあと、文筆家としてフリーに。白洲正子の伝記も書いているが、基本的に文章術的な本を書く人。まったく自分には関係なさそうだ。

そして、川本三郎は、同じく朝日新聞を退職後、さまざまな著作のある評論家。「東京」や「荷風」についての本が多く、たぶん、私も(一部)読んだことがある。坪内祐三がよく名前をだすのは、この川本三郎のはずだ(『東京人』の編集委員をつとめたことがある、ということとは関係ないだろう)。

川本三郎が世間を騒がせたのは、指名手配犯のお手伝いをしてバレて有罪判決を受けた事件だろう。そのせいで朝日新聞を退職したのだが、その後の活躍は評価が高い。

ようやく三人の区別ができた。

この新刊のふたつ隣に、福田和也の新刊もあった。『村上春樹12の長編小説』(廣済堂出版)。WEBサイトで連載していたエッセイ(批評)の単行本化である。

福田 和也
廣済堂出版
発売日:2012-03-14

同じサイトで連載していたものとして坪内祐三の『父系図』(廣済堂出版)があるが、これはちょうど今日読み終わったところ。そのサイトはちょくちょく見ていたから、福田和也のこの連載も少しだけ読んでいて、単行本化を待っていたから購入。

あいかわらず「あとがき」がないが、最終章「1Q84」は書き下ろしということでよしとしよう。この本は当面、積読だ。

もうひとつ、本屋の新刊コーナーにチラッと目をやったときに見つけたのが福田和也の岸信介の伝記。これは待ちに待った単行本化である。

福田 和也
扶桑社
発売日:2012-04-07

あいかわらず「あとがき」がなく、でも最終章の後編は書き下ろしだ。これも、しばらく積読だ。

もうひとつ、新書も一冊購入した。

島田紀夫『セーヌで生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)。

このシリーズは(というより、第一弾の高階秀爾が)よかったので新刊がでればチェックするのだが(といいつつこの本がでたのは半年前)、この島田紀夫という人の名は美術展カタログで見たことがあるし、印象派ということもあるのですぐに読んでみたい。

島田紀夫について少し調べてみると、印象派だけではなく、アルフォンソ・ミュシャについての著作がある。そうか、ミュシャのカタログで見たのかもしれない(実際そうだった)。

※大阪府堺市にある「アルフォンソ・ミュシャ館」訪問記。

そんなこんなで、しめて6,615円也。まぁまぁの買い物だった。



2012年3月27日火曜日

フェルメール、近代日本思想、父子(並べただけ)

3月某日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)を読む。

藤田 令伊
集英社
発売日:2011-12-16

以前書いたように、フェルメールと同時代の画家、テル・ボルフやデ・ホーホをとりあげているのが特色だが、それだけではなく(メインの)フェルメールの絵の分析の仕方もとても面白い。

フェルメールの絵がなぜ独特の「静けさ」をもっているのか。

フェルメールは初期作品を描き上げた当時から作品を経るごとに使用する色の数を徐々に減らしていき、並べる調度品の数も極力少なくすることで、絵は寂しさを感じさせるほどの静けさを帯びるようになった。

加えて、「青」という当時では珍しい色をふんだんに使ったフェルメールは、驚くほどの落ち着いた佇まいを絵に与えることができた。青は、観る人の感情を鎮める効果がある。それは現代の科学的実証によっても証明されているという。フェルメール自身が感性として知っていたのだろうそれが、現代人にも好かれる彼の絵の魅力となっているのだ。

まだ3分の1しか読んでいないが、これはばつぐんに面白い本だ。読めば読むほど、フェルメールの凄さがわかってくる(「手紙を読む青衣の女」にこれほど緻密な計算がされているとは。実物をみたときには全然きづかなかった)。いま紹介した話は一例にすぎない。

3月某日

大澤真幸『近代日本思想の肖像』(講談社学術文庫)を拾い読み。

大澤 真幸
講談社
発売日:2012-03-13


著者の考えは少し自分とは合わないなとこれまで思っていたが(いくつか読んだことがある)、この批評文はとてもいい。

先日亡くなった吉本隆明から、柄谷行人、漱石などが取り上げられていて、とりあえず、漱石の『それから』とポリフォニーのところなんかを読んでみた。この本は最後まで読みたい。

ちなみに、昔購入した大澤氏の『恋愛の不可能性』は積読されたまま10年以上過ぎている。

3月某日

坪内祐三『父系図』(廣済堂出版)を購入。まだ1ページも読んでいない。が、連載されていたWEBサイトではときどき読んでいた。辰野金吾・隆父子の話がもっとも興味をそそられる。

坪内 祐三
廣済堂出版
発売日:2012-03-09



2012年1月25日水曜日

坪内祐三『探訪記者 松崎天民』を読み始めた

1月某日

坪内祐三『探訪記者 松崎天民』(筑摩書房)を読む。

雑誌『ちくま』に15年と長く(とびとびで)連載されていたものの、待望の単行本化。連載中はほどんど読んだことはなかったが、だからこそ一冊にまとまってから読もうと思っていた人物伝である。


坪内 祐三
筑摩書房
発売日:2011-12-05


といっても、松崎天民が誰なのかはまったく知らなかったし、連載時に少し読んだだけではあまり関心はもたなかった。それでも本として読み始めるとものすごく面白い。天民本人の面白さがもちろんあるが、やはり坪内祐三の文章が(その構成が)とても自分に合うのだろう。こうして坪内祐三の本で興味を覚えた人物が何人いるか数えてみたらとてつもない人数になりそうだ。

(蛇足ながら、坪内祐三の本でいまだ読んでいないのは『「別れる理由」が気になって』(講談社)ただ一冊であって、『別れる理由』(小島信夫)にはさほど惹かれないから買ってもいないのだけど、きっと、読み始めたらとまらないのだろうし、小島信夫自身への関心が俄然高まるに違いない。もっとも、小島信夫については江藤淳の『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)を読んで知っているし、『成熟と喪失』がとりあげる小島信夫の『抱擁家族』(講談社文芸文庫)ももちろん持っていたりするのだから、なぜ『「別れる理由」が気になって』を買わなかったのだろうと不思議な感じではある。)

さて本書であるが、まだ100ページ弱しか読んでいないので、松崎天民と、本書に登場する天民に関係する人々についてメモ的に書いておくにとどめる。天民と直接交流のない人も含めて。

松崎天民

明治11年、岡山に生まれる。様々な職業、様々な地域をへて国民新聞の記者となった。読ませるルポルタージュが評価の高いジャーナリスト。


結城禮一郎

明治11年生まれ。坪内祐三によれば、現在過小評価されすぎている編集者、記者。天民の「恩人」として本書にたびたび登場する結城であるが、この名前は私はどこかで見たことが絶対にあって、でも全然思い出せないのだが、ネットで調べてみてもウィキペディアには結城のページがそもそもないという忘却されぶりの人物である。坂本竜馬の関係でその名前が検索によくひっかかるが、龍馬関係で知ったのではないはずだ。たぶん、坪内祐三のどれかの本で知ったのだと思う。

山本露葉

坪内祐三によれば、山本夏彦の父のはず、だとか。天民が連載を持っていた雑誌『小天地』に同じく執筆していたという。調べてみれば、確かに山本夏彦の父であった。

国木田北斗と国木田収二

100ページまでの間にそれぞれ1回登場するだけのふたりであるが、私はおそらくはじめて聞く人たちであるのに、その珍しい名前から国木田独歩との関係を意識してしまうため記憶に残りやすい。

北斗についてはネットではまったく情報がなかったが、収二のほうはみつかった。

国木田収二は国木田独歩の実弟である。明治11年生まれ。結城禮一郎とともに国民新聞の記者を経て、なんと、のちには読売新聞の主筆にまでなったという結構な人物だ。

とりあえず以上。

2011年8月2日火曜日

江藤淳と福田恆存

8月某日

順序を少し間違えた。辰野隆を本格的に(つまり拾い読みでなく)読むまえに坪内祐三の『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)をまず読んだのだった。

小谷野敦が云うように、坪内祐三のこの著書には江藤淳の言語空間問題(=GHQ検閲)に批判的な文が掲載されている。戦後数年の占領期にGHQが行なった検閲を丹念に調べ上げた江藤淳の仕事にたいし、当時の批評家たちは冷淡だった。有名なのが福田恆存による揶揄であった。その揶揄(というよりある種の姿勢)を紹介しているのがこの文である。

今回ひさしぶりに読んでみたが、あの江藤淳を客観視できる人がいたのだというのは今からは信じられない事実だ。

死後なら、なんとでも云える。どれだけ的外れなことを書いても本人から罵倒されることはないし、的確な批判を投げかけたとしてもそれを相対化しうる反論が本人の口から直接語られる可能性は(江藤淳の場合は特に)高い。

だが、この福田恆存の批判は江藤淳がバリバリ活動している最中に、本人に見える形でなされたものである。しかも内容はいちいちもっともだ(当時、占領下では検閲は誰でも知っていたということ、知りたければわざわざアメリカに行かずとも私に聞きに来ればいいだけのこと、なのにそうしたのは立場が重くなるにつれ身動きが取れなくなってきた自分の「勇気」を改めて世間に示すためだったのではないか、検閲と憲法が戦後文学を拘束しているという理屈は「思いつき」にすぎないだろう。・・・・)。

疲れたので続きは今度。

2011年7月31日日曜日

坪内祐三と辰野隆と小谷野敦

7月某日

このあいだついに手に入れた辰野隆『忘れ得ぬ人々』(講談社文芸文庫)を読む。

辰野隆の名を知ったのは坪内祐三の『文学を探せ』(文藝春秋)で、このエッセイ集のなかに出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』(新潮社)を紹介する一文があり、とても印象的だったので辰野隆(たかし、ではなく、ゆたか、と読む)の名前は強く頭に刻まれていた。

また別の本かなにかを読んでいるときに辰野金吾という名前もときどきみるようになった。坪内祐三の本でも触れられていたが、金吾は隆の父であり、日本人初の東大建築学科教授なのだ。だから、建築関係の本を読んでいると、しばしば辰野金吾の名前が目に入ってくるのである。辰野金吾は東京駅の設計をしたことでよく知られている。

辰野隆の本を手に入れたのだから、つぎは出口氏の本を探さなければならない。坪内祐三のエッセイを読んでからもう10年になるだろうか。それで意を決して出口裕弘の本をアマゾンで検索にかけたら「品切れ」だという。なんてこった。

でもひとり、出口本にひとつだけコメントが書き込まれていた。評価自体はイマイチだったようだが、書いた人に仰天。小谷野敦だっだのだ。こんなのところに小谷野敦が。評価は5段階で3。まあ普通である。

この小谷野敦、アマゾンのレビューを膨大に書いていることがわかった。ときには自作にもコメントするお遊びをしつつも、何百冊もの本のレビューをかいているようだ(そんな暇がよくあるなと思う)。なお、小谷野が自作コメントをした本というのは『名前とは何か』で、これは結構面白い本で、いまだに私の机の上の積読タワーの一部となっている。

どんな本にコメントしたのだろうと遡って読んでいったら、坪内祐三『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)がでてきた。この本には坪内祐三による江藤淳批判が掲載されている、とコメントしてあった。

『後ろ向き』は読んだことがあるので、あ、あれのことかと思い、本棚からひっぱりだしてくる。

あけてみると坪内祐三のサイン入りだ。日付は2002年10月1日とある。トークショーにでも参加したときのものだろう。で、これをさっそくこれから読む予定。

つまり、坪内祐三ではじまった話が、ふたたび坪内祐三のところに戻ってきたというわけである。

さて、次はどこにいくのだろうか。

2011年6月12日日曜日

『本の雑誌』をひさしぶりに手にとってみた

6月某日

今日は二週間ぶりに図書館へ。

館内では『本の雑誌』のバックナンバーを読む。坪内祐三関係ばかり(ほかには『小説現代』のツボ連載も。)

坪内祐三と目黒孝二と現発行人らによる座談会が面白かった。創刊初期のころの小話が紹介されていて、創刊5号まではちょっとお堅い雑誌だったけど、編集部内の対立をへて椎名誠が提案するコラム中心の雑誌に軌道修正し、現在に至る、という流れがあったらしい。『本の雑誌』、この数年は買うどころか立ち読みさえしなくなり、単行本化される坪内祐三の「読書日記」は刊行直後に読了している程度。軌道修正直後の6号から10号あたりまでの『本の雑誌』がいちばん面白いようだ。たぶん、読む機会はないだろうね。

ほかにも創刊直後に谷沢永一が定期購読の申し込みをしていた、谷沢所蔵の貴重な創刊号からのバックナンバーが1995年に古本屋に流れた、という話が意外だった。谷沢永一はこんな雑誌にも目をつけていたのか。手塚治がマンガを特集したときに編集部に電話をかけてきた、という逸話もあった。どんな用事でかけたのだろう、気になる。

館内で読むには物足りなかったので『本の雑誌』のバックナンバーを2冊借りた。2010年の6月号と9月号。2週間の間にじっくり読んでみよう、ひさしぶりに。(この雑誌については椎名『本の雑誌血風録』と目黒『本の雑誌風雲録』があるけど、椎名本のほうは持っていてしかも読んだことがあるような気もするけど、ぜんぜん覚えていない。持っているかも記憶にない。)

同時に借りたのは有吉玉青『恋するフェルメール』と山口昌男『天皇制の文化人類学』と笠原和夫『2/26』と『世界の名著 近代の藝術論 コリングウッド他』。なんともバラバラなラインナップ。

6月某日


坪内祐三『書中日記』を読了。『三茶日記』『本日記』とつづく『本の雑誌』連載の単行本。

これだけの情報がつまっている本を数日で一気に読了しても、ほとんど頭に残らない。やはり連載時にリアルタイムで読むべきだと思った。でも『本の雑誌』を定期購読する気にはなれず、やはり立ち読みで済ますしかない。

法政大学で教授をしていた外間守善の本を引用するくだり。外間教授が学習院大学に講義をもっていたころ、日文科限定のその講義に心理学科のある女学生がどうしても授業を受けたいとやってきた。ほとんど涙ながらに訴えるので教授は特別に受講の許可をだし、その女学生は熱心に毎回の授業を受けたという。その学生の名前は川嶋紀子といった。紀子妃をしてそこまでさせた外間守善という学者が気になる。

そんな興味をそそられる筆者や本がわんさかでてくるが、5年分になる連載を一週間で読んでも味が十分に出ない。やはり立ち読みしかない。

2009年10月7日水曜日

ベンヤミンと天使、小林秀雄と自然

10月某日

今日発売の『SPA!』を立ち読みしてツボフク対談を読んでいると、ヴァルター・ベンヤミンのナントカカントカが好きなんだと坪内祐三が発言していた。

帰宅してから早速ベンヤミンの文庫本をめくってみる。「天使」が廃墟を見下ろすとか、映画がどうのこうのと言っていたなと思い出していると、みつけた。

「歴史の概念について」というエッセイ集のなかの一節。「新しい天使」というパウル・クレーの絵画をベンヤミンが解読している文章だ。(『ベンヤミン・コレクションⅠ』ちくま学芸文庫)

(天使は)顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。(中略)(だが)嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。(浅井健二郎訳)

翻訳もすばらしいが、ベンヤミンの言葉もとても意味ありげである。坪内祐三は都心の上空からの眺めと、この天使の視線を比較していた。

クレーの「新しい天使」も見てみたいと思ってネットを探すとウィキペディアにあった。想像していたのと全然違った。


ベンヤミンの想像力がものすごいのか、もっと深い背景があるのか。

同日

オスカー・ワイルドについての新刊本がでるらしいというので、一応チェック。

グレース宮田『オスカー・ワイルドに学ぶ 人生の教訓』

タイトルにはすごくガッカリだ。教訓だなんて、ビジネス書みたいじゃないか。

でも、担当編集者なる人の「小林秀雄の『近代絵画』という本がある。初めて読んだのは26年も昔のことだが、「自然は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの言葉のレトリックについて考察したくだりがあった」という言葉に愕然としてしまった。そんな面白そうな考察が『近代絵画』にあったなんて。

早速書棚からひっぱりだして探してみたけれど、見つからない。「自然」と「芸術」についてワイルドを持ち出しながら小林秀雄が書いていたとすれば、もっと昔に読んでおくべきだった。ベンヤミンのエッセイと同じように、もっと時間のあるうちに読むべきであった。

2009年9月18日金曜日

眠いので、メモ的に

9月某日

簡単に。

中村光夫『二葉亭四迷伝』を読了。つづけて桶谷秀昭『二葉亭四迷と明治日本』を読む。

江藤淳『なつかしい本の話』読了。函入りの古い本。今でもよく古本屋で見かけると思う。

坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』も読書中。雑誌連載時にすべて読んだはず。でも、面白いから読み始めた。特に「アンティゴネー」を語るところなんて、もう。

上杉隆『田中眞紀子の正体』読了。一部で噂されていた鳩山内閣への眞紀子入閣が、ガセであったことがまことに喜ばしく思える本である。

2009年8月28日金曜日

「文士」のエッセイ

8月某日

東野圭吾一気読み。『探偵倶楽部』、『殺人の門』、『鳥人計画』を読了。これで4冊を立て続けに読んだことになる。

『さまよう刀』を含めて一番よかったのは、『殺人の門』かな。私好みの長編+大河+悲劇という要素が盛り込まれた本作は、邪な友人に小さい頃からずっと利用されつづけた主人公の、彼自身が軽蔑した父親と同じ道を歩んでいくどうしようもなさが(個人的に)居たたまれなかった。

『探偵-』は期待が大きすぎ、『鳥人-』は最後が力が抜けてしまった感じがマイナス。

8月某日

江藤淳『人と心と言葉』をようやく読了。2ヶ月以上は読んでいたと思う。前半の追悼文のみならず、後半のとりとめのないエッセイ群もとてもよかった。飼っている犬がどうだの、駅前がうるさいだの、電話がわずらわしいだの、普通の人が書いたらどうでもいい文になってしまいそうなところ、江藤淳の内的な言葉がちょっと、ところどころにアツイのがいいのだ。

昔、江藤淳を知ったころは政治評論関係ばかりであったから、このエッセイでもたまに政治ネタがでてくるとどうしても食傷気味というか、軽く読み飛ばしてしまうところがある。江藤淳本人がよく使う言葉に「文士」というのがあるが、やはりこの人は「文士」で、「文士」としての文章が本来なのだなと思った次第である。

続けて坪内祐三『四百字十一枚』も読み終えた。雑誌連載の書評集。書評の一回の分量が400字原稿用紙に11枚だからという題。「あとがき」で坪内祐三が、3-4枚の書評では無理だけど11枚あれば「余談」ができる、そこがいいのだと書いているが、ちょうど江藤淳も前掲書で、エッセイは10枚だか12枚ぐらいが具合がいいと云っていた。11枚といったら結構長い。4400字だ。大学でのレポートが(今なら笑っちゃうけれど)2000字くらいが多かった記憶がある。4000字を書こうと思えば、書きたいことだけ書いていても足らず、必然構成力が問われてしまう。そして、その力が歴然とわかってしまうのも、そのくらいの分量だろう。なるほどね。

内容についてはたくさん面白いところがあったけど、とりあえず、エドマンド・ウィルソンの批評集が欲しいということだけ。

2009年8月12日水曜日

ふたたび東野圭吾


7月某日

内田魯庵『思い出す人々』を読了。早くも今年読んだ本のベストワンに並べられる一品であった。

この本の面白さのひとつに、魯庵は明治人であるのに文章がとても読みやすいことがあげられる。しかも、なかなか“若い”言葉づかいがみられることがポイントだ。ラスト・スパークだとかハイブリッドだとかラビリンスなんてカタカナ語がでてくるあたり、とても二葉亭四迷と同時代人であるようには見えないのである。

そういえばちょっと笑ってしまったエピソード(というか小さな事実)がある。本書の最後のほうで大杉栄との思い出が綴られているが、大杉栄の娘の名前がなんと「魔子」というらしい。大震災のときに殺された大杉の、なんかこう、複雑な人物像に興味を覚える。

続いて中村光夫の『二葉亭四迷伝』を読み始めた。(江藤淳が指摘するように)「です・ます」調の文章には批評としての物足りなさが感じられるが、でも内容の充実さは十分。ときに踏み込みの弱さも感じられるけれど、二葉亭伝としての面白さは堪能できる。二葉亭を愛した中村光夫の(変な意味ではない)、強い思いが感じられる伝記である。

8月某日

坪内祐三・福田和也『無礼講』を読了。連載時に伝わってきたように、両者の考えの違いが徐々に表面化してきているのが注目すべきところ(坪内祐三が社会的事件の時代性を指摘するのに対し、福田和也は各事件をそういうものとしてしか受け止めない、など)。でも、よくありがちな喧嘩にならないところがふたりの大人っぷりとでも云おうか。

8月某日

東野圭吾『さまよう刃』を読了。数ヶ月ぶりの東野作品。やはりこの人の推理小説は抜群である。この小説は秋に映画化されることもあって本屋の目立つところに並べられていたから、つい手にとってレジまで持っていってしまったというわけ。読み始めると面白くて、すぐに読み終えてしまった。最後のちょっとしたひっかけ(?)も、東野作品ならではと云えるだろう。もっとも、内容自体は残酷な話である。

続けて東野の『探偵倶楽部』も読み始めた。VIP御用達の「探偵倶楽部」の活躍を描いた短編集。最後のオチには、よく考えられているなあと感心するばかりである。

2009年7月14日火曜日

日記や回想文はとてもおもしろい


7月某日

この間購入したふたつの日記をちょくちょく開いて読んでいるけども、戦前(戦中)の日記と聞いて何よりもまず読みたくなる日付というのが誰にでもあると思う(いや、ごく一部の人だけか?)。おそらく一番人気は敗戦の日だろうけど、自分がすぐさま開いたのが二・二六事件の日。

この日から数日の宮中ならびに政府内部の混乱はそれはもうひどいもので、秩序がまさしく崩壊しつつある雰囲気たっぷりなのである。そんな内部の赤裸々が面白くないわけがない。しかも当時、侍従を勤めていた入江相政の日記とあれば。

というわけで『入江相政日記』の1936年2月26日の項を読んでみた。と云いたいところだが、実はこの数日前の日記のほうが面白かったのである。面白いというか印象的だった。

二・二六事件の三日前の記述。この日、美濃部達吉が右翼の銃撃に遭うという事件があり、それを知った入江が事態をかなり憂慮していることが窺える。右翼人士を活気づかせるからである。事実、右翼を刺激しないよう事件は翌年まで公にされなかったという(解説)。

二日前の記述では、入江が小堀杏奴の「晩年の父」を読んだとある。このあたりが日記の面白さで、世情が不穏になっても個人の生活は普通に営まれているのである。杏奴は森鴎外の次女で、森茉莉の妹にあたる。

そういえば森茉莉のエッセイに杏奴のことが(何度も)書かれていて、例えば茉莉が東京女子高等師範学校附属小学校の5年生だか6年生の頃、別の小学校に通っていた杏奴が教師とともに突然、教室に現れた。杏奴が騒いで抑えきれないため、教師が姉の学校までわざわざ連れてきたというのだ。連れてこられた杏奴は、茉莉の席の隣にちょこなんと座る。そのとき、茉莉は「なんでこんな妹が生まれてしまったのだろう」と思ったという。

横道にそれたけど(英語で「横道にそれる」はwanderというのを今日知った)杏奴の「晩年の父」と二・二六事件が同時代であるということを体感させてくれるのも、日記の魅力なのである(つまり鴎外はとっくに死んでいるわけである)。


7月19日

買いそびれていた坪内祐三・福田和也対談集『無礼講』をようやく買って、ちょびちょび読んでいる。雑誌初出時に読み逃した回が結構あるため、初見のものが結構あるわけである。ある回で、坪内祐三が「自分が書いてきたものはすべて自伝か日記だ」と云っていた。たしかにそうかもしれない。というか、そうとしか考えられないかもしれない。そう、考えると、自分語りも違和感はないし、そういうスタイルなのである。でも『変死するアメリカ作家たち』の最終章だけは、やっぱり納得いかない。

まだ終わっていない本のひとつが内田魯庵『思い出す人々』で、ようやく3分の2を終えたところか。ますます面白い。この本はもっと早くに読むべきだった。奥付や記憶を参考にするとこれを購入したのは2001年頃だが、8年もほうっておいたことが悔やまれてならない。だって、これほどためになる明治文学案内があるだろうかという面白さなのだから。

学校の教科書に漱石とか鴎外とかの文章を載せても読みにくい、つまらないだけで、明治文学への関心を招き寄せることなんてもはやどだい不可能なのだから(自分だってそうだった)、魯庵のこのエッセイ(回想文)を代わりに読ませれば、アツイ明治の作家たちの生き生きとした姿を体験できて、よっぽど読者を獲得できるだろうに。教育関係者はもっと考えるべき。

魯庵と硯友社の「中坂」


7月13日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』を読了。最近読んだ小説のなかでは一番よかった。今回は図書館で借りたので、いつか古本屋で購入したいものだ。

感動的な話、ちょっとした小話、伝記のようなもの、ユーモア小説などなど、盛りだくさんの内容である。収容所が舞台なのだから悲惨な話が多いのだけれど、ロシアの他の小説がそうであるように、どの短編にもちょっとしたユーモアが感じられる。これはロシア文学の伝統なのだろうか、ロシア人のひとつの特徴なのだろうか。もっと知られていい本だと思う。

ひとつ付箋をはさんだ一文を引用。一番使い物にならない作業班の、一番ダメな作業員である信心深い信徒はある日、管理者の配慮ではじめて腹いっぱいの食事を与えられ、労働作業に入った。すると突然、彼は霧のたちこめる暗闇へ歩き出し、警告を無視して銃殺される。
そのときわたしははっとして寒気をおぼえた。そうか、あの給食が、自殺するだけの力を信徒に与えたのだ。わたしの相棒が死を決意するのに足りなかったのは、一杯のカーシャだった。死の意志を失わないために、時には急がねばならないことがある。

魯庵『思い出す人々』を読んでいたら、一度読んだことのあるような文が何度となくでてきて、おやと思ったら、この間読了した坪内祐三『極私的東京名所案内』でまさしく引用されていた部分だった。

魯庵の本では、紅葉・美妙らの「硯友社」ができた頃の思い出を語る一節で、中坂というトポスが語られている。坪内祐三のこの本(つまらないのだけど面白い本である。面白いけどつまらない、ではない)には東京の文学スポットとしての中坂に一文が割けられていて、中坂での魯庵と硯友社の偶然の交錯が紹介されている。

私の気になったエピソードを書くと。硯友社の雑誌『我楽多文庫』の第一号には石橋思案(外史)という人の序文が置かれていた。魯庵は書店に並んですぐ購入するが、この石橋思案が、魯庵の知る、近所の都々逸をよくする青年だと知るのはしばらく後のことである。後に硯友社派の文人たちと対立することになる魯庵の面白い過去の話である。

2009年7月9日木曜日

辰野隆と松井須磨子(両者の関係は全くない


7月8日

『森茉莉全集 7』を適当に読んでいたら、いくつか「おっ」というような記述、というか名前がでてきた。

森茉莉の最初の夫、山田珠樹と出会った頃の話を読んでいると(結構同じ内容の話が何回もでてくる)、山田とパリに滞在していた頃のこと、山田が何人かの友人とよく議論をかわしていたのをそばで見ていたとある。その友人のひとりが、辰野隆(まもる、と読むのを初めて知った)。

坪内祐三『文学を探せ』を読んだときに面白かった本の話のひとつが、辰野隆を描いた本を紹介するくだりだった。意外なところで繋がった。

Link : 辰野親子(6月17日)

もうひとつ。森茉莉が演劇の話を書いていて、松井須磨子という女優の話をしていた。須磨子……どこかで聞いたなと思えば、直前に読んでいた坪内祐三『極私的東京名所案内』にまさしく須磨子の自殺話が書かれていたのだった。

森茉莉によれば、芸術座によるトルストイ原作の『復活』が大変好評を博し、劇中歌「カチューシャの唄」を歌った松井須磨子が大人気となった。須磨子は芸術座の岩野泡鳴の恋人として劇団で横暴をふるっていたが、岩野の死後、劇員たちから疎まれ、その辛さに芸術座の二階で自殺をしたという。

まったく同じ話が坪内祐三の本にも出ていて、ただし、芸術座という名は須磨子自殺当時は芸術倶楽部と変わっていた。この本では、この芸術倶楽部の隣にある酒屋(飯塚酒場)が文学史的に名所であるということで、紹介されているのである。

2009年7月8日水曜日

幻のモラル


7月7日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』の本編を読み出す。とりあえず100ページほど。ロシア文学といえば長大な小説を思い出してしまうけれど、短編小説にも素晴らしいものがあるじゃないかと教えられる本だ。ひとつのエピソードが長くもなく短くもなく淡々とまとめられ、無駄のない小説ばかりである。文章のはしばしから著者が詩人であることをも思い起こさせてくれる。

解説にあるように、収容所で暮らす囚人たちから道徳がほとんど失われている姿を描いているが、それでも、どんな境遇においても、どれほど数は少なくとも、救いとなる善意がぼうっと灯されているのは、事実だからなのか、はたまた著者のそれこそ善意なのか。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 3

第3章は「ナセニェル・ウエスト」。20世紀アメリカの三大小説として『グレート・ギャツビー』『日はまた昇る』とともにウェストの『孤独な娘』があげられるほど評価は高い。だが、生前はほとんど名声に恵まれることのなかった不遇の作家なのである。

1903年、ユダヤ系の家庭に生まれる。10歳にしてドストエフスキーやディケンズらロシアとイギリスの文学を読破するという早熟さをみせたが、学業はふるわなかった。本格的に勉強をはじめたのは大学時代。

2009年7月1日水曜日

山本七平をひさしぶりに読んだ


6月30日

山本七平『昭和天皇の研究』を読了。昭和天皇が自分自身をどのように「自己規定」していたかをテーマにした本。内容は充実。とくに、杉浦重剛や津田左右吉の話が詳しく、勉強になった。

本書にあるように昭和天皇自身は自分を「立憲君主」として厳格にすぎるほど律していたのは事実で、これは近代国家としては理想的ながら、反面数々の不幸をもたらしたのも哀しい現実である。昭和天皇は「立憲君主」という立場の困難さを歴史をもって明らかにしたと云える。

この天皇の「自己規定」を培ったのが杉浦重剛らの教師たちであった。つまり、彼らもまた、近代国家の理想を実現しようとした。彼らはすぐれて近代主義者であった。それが昭和10年代の悲劇を結果としてでも招いてしまったとしたら、それは昭和天皇や杉浦らに責めがあるのではなく、近代立憲君主国家それ自体の限界であるように思うのである。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 2

第2章は「ハリー・クロスビー」。1898年生まれの詩人で、いわゆる「失われた世代」のひとり。そもそも「失われた世代」というのは俗にいう第一次大戦によって青春が失われたという意味ではなく、近代工業化によって地方の伝統や地域性を奪われて育った世代のことを意味する。故郷を失われた世代であるのだ。

そんな世代のひとりで類まれな知性に溢れたクロスビーは、ヨーロッパ風の近代化を表面的に取り入れ続けているアメリカという現実に我慢がならなかった。リアルでないもののように思えた。このリアルを求めて、クロスビーは入隊する。しかし、戦場で彼が目にしたのは、死、つまりリアルなものなどこの世になにもないという「死のリアリズム」であった。

除隊したあと、ハーバード大学の学生から殊勝にも銀行員となりパリで勤務はじめたクロスビーは、放蕩と文学の生活に溺れる。あらゆる本を読破していくなかで最も好んで読んだのはランボーとジョイスだった。彼は詩人を目指す。銀行を辞めて自ら出版社を起こしたのも、自分の文学のためであった。自分の作品を出版し、文学者たちと語らうための場であった。

クロスビーはいつしか太陽に魅せられるようになる。「死のリアリズム」を克服するのは、本当の不滅、すなわち太陽であった。死をことごとく永遠化させることができるのは太陽だ、という考えに囚われていった。そうしてクロスビーは、自らをひとつの作品として自殺をしてしまった。時間という圧政から自由になるために、不滅を得るために。

2009年6月29日月曜日

T.S.エリオットとデルモア・シュワルツ


6月28日

坪内祐三『変死』を読了。じっくり読ませてもらいました。これで、出版されている坪内祐三の本のなかでまだ読んでいないのは……まだ4冊ぐらいあるようだ。意外に結構ある。結構読んできたのに、まだ結構残っているこの結構さの理由はなんだろうか。もう10年以上の(紙の上での)付き合いがあるというのに(トークショウで会ったことが実はあるけどね)。

で、この『変死』だけれども、最後の章が個人的には不要だった。第4章まではストレートな文章で書かれているので、突然個人語りが始まる最終章は書かれた時期も大きく違い、しっくりこない。本人の意向とは別に、第4章までで良かったのではなかろうかと思うのである。

他に読んだものでメモしておきたいのは、初学者のためのイギリス文学史のような英語の本。なんとはなしに開いて読んでみた。T.S.エリオットのところだけ。かの有名なエリオットの「荒地」は、
現代人を過去の伝統にルーツをもたない人として描く。現代の都市の憂鬱と醜悪によって、共通の信念とインスピレーションで結合するどんな集団にも所属意識をもてなくなったのが現代人である
と語る詩だ(と訳してみる)。当時、第一次大戦の悲惨な現実から目をそらす詩人が多かったなかで、エリオットは数少ない、戦争の混乱と絶望にぶつかった詩人と紹介されている。なるほどね。簡潔でわかりいい。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 1

覚書のために何回かに分けて内容を簡単にまとめておこう。

第1章は「デルモア・シュワルツ」。1913年生まれ。1937年に「夢の中で責任がはじまる」という短篇小説が発表されると、同世代の若者たちの支持を得て一躍有名に。だが本来詩人であるシュワルツが苦心の末に書き下ろした長篇詩「創世記」の失敗(わずか29歳)から坂を転がり始め、ハーバードの作文講師をしながら「アメリカの夢」という「偉大なアメリカ小説」(本書のポイント)の完成を志す。だが生活は堕落し、書き上げることのないまま、1966年に無残な死を迎えた。

「夢の中」が好評だったのは、ユダヤ移民とアメリカ国民とのどちらにも疎外感を感じる孤独さが若者たちの気持ちを代弁していると受け止められたからだった。だが、ある世代の訴えというようないささか政治的文脈で捉えられたのがひとつの不幸だった。シュワルツ自身がそのような文学者として自分を型にはめてしまったからである(そんな自分の立場をコミカルに描いた「スクリーノ」という優れた短篇が生前には公表されなかったことが象徴的だ)。ヨーロッパ文学を受け継ぐアメリカ文学者としての自負がさらに、従来の詩の形態を超えた新たな詩を求めさせた。そうして書き上げたのが「創世記」(前半部分)である。だが、叙情詩を得意としたシュワルツにとって、それは挑戦であっても、失敗作に終わらざるを得なかった。

挽回をはかったシュワルツは、「アメリカの夢」によって「偉大なアメリカ小説」を目指したが、「そのまさに夢物語というしかない実現不可能な夢を追い求めれば求めるほど、現実の生活に対するシュワルツのあせりは増していった」。妻に死なれ、ハーバードで講師をつとめて生活を維持していたものの、大学ではユダヤ人差別に遭遇するなど徐々に被害妄想に襲われ始めた。「すべてが八方塞がりだった」。そしてその頃、影響を受け始めたのが、フィッツジェラルドだった。若き日の栄光と悲惨な晩年を体現するフィッツジェラルドの影響は決定的だった。シュワルツは「アメリカの夢」を完成させることなく、アルコール中毒に悩まされながら、安ホテルで無残な死を迎えた。……

シュワルツはエリオットと無関係ではなかったりする。エリオットの詩に多大な影響を受け、「エリオット論」を執筆しようとしていた時期があった。だから、英語の本のエリオットの紹介部分を読んだわけなんだけど。

2009年6月28日日曜日

書評と書評される本


6月27日

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』の続きを読む。ところで思うのだけど、書評とか批評というものは独立して読むにたえることが必須の条件であるけれど、そんな書評ないし批評にもふたつの違いがあるのではなかろうか。つまり、紹介ないし引用された本も読みたくなるものと読みたくならないものと。

書評ないし批評がそれだけで読んでおもしろいのなら、あえて取り上げられた本も手にとって、つまり書評ないし批評の筆者の体験をなぞって、読む必要はわざわざない。でもなかには、取り上げられた本をこそ読みたくなる場合も多々あるものだ(そもそも書評はその役目を負っているのだから当然だ)。その違いは、筆者の書き方(力量)のせいであったり、取り上げられた本のクオリティのせいであったり、あるいはその両方がかかわっているということになるんだろう。で、今読んでいる書評ないし批評がどっちにあるのか、それをはじめて意識してみた。坪内祐三が『変死』で取り上げた、マイナーな作家たちの作品はぜひとも読みたいと思うのだ。

2009年6月26日金曜日

小林秀雄と三島由紀夫の「声」  (続き


6月25日

昨日の続き。

で、江藤淳が『離脱と回帰と』で何と云っていたかというと、三島由紀夫は「詩」の人ではなく「文字」の人だった。東大法学部から大蔵省に進んだ才能は「詩」を作ること、「声」を紡ぐこと(つまり歌、俳句)には向いていなかったという話。そういえば、福田和也が書いていたけども、江藤淳は誰かの声音を真似るのが抜群にうまかったという。「声」と「文字」。どっちかというと「文字」の人である私は何かが欠けていそうだ。

本棚から奥野建男の『日本文学史』という新書を偶然見つけたので、二葉亭あたりの内容を読んでみたら、二葉亭の小説は、現実の政治的、社会的問題に鬱屈した人々に文学という刺激を与えたとかなんとか書いてあった。内田魯庵の言葉とはちょっと違っている。魯庵は『思い出す人々』で、二葉亭が「浮雲」で問うた「人生問題」は世間にほとんど無視されたというように書いている。さらに云えば、福田恆存が、二葉亭の小説は現実との深刻な対立のなかで生まれた、切実なものではなく、二葉亭にとって、芸術と現実はあくまで別個のものであった、つまり当時の文学に必然性はなかったと語っていたのをナントカという文で読んだばかりだ。でも、なんで私はこんなことにこだわっているのだろう…。

他に読んだのは坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』の半分くらいと『酒日記』のごく一部と江藤淳の例のエッセイ集。

坪内祐三のごくごく初期の原稿が収められている『変死』は、はじめて読んだけど、とても面白かった。むしろ今の文章(の内容)より面白いかもしれない。引用と( )の数々が極力省かれたストレートな文章が。個人的には、ツボのベストスリーに入る本だね。

そして江藤淳のほうはというと、木庭さん=中村光夫の回想が忘れられない。中村光夫がこんなに孤独だったなんて。しかも江藤淳は「平然と間違える人」というタイトルで中村光夫を書いているなんて。江藤さんって、怖いね(そういう意味じゃなくて)。

2009年6月23日火曜日

魯庵


6月22日

ようやくにして坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』を読了。連載を途中で終えたことについて本人は「飽きたから」と書いているが、読むほうもときどき飽きてしまった。明治時代の文学に特別な関心がないと少しきついところがあると思う。文学史、広く云って歴史本というのは、読者に飽きさせないのも大変なのだなと思うと同時に、いちいち引用しないけれど、本書は振り返れば十分読み応えのある内容であったのは明言しておこう。

なぜか気になって内田魯庵のナントカという短文を読む。明治20年頃から執筆時の明治45年までの間に、文学の地位がどう変わったか、文学者の意識はいかに「進歩」したかの話。明治時代の前半は江戸時代の空気を引きずって文学は余興にすぎなかったものの、坪内逍遥をはじめとした文学者の努力によって明治末年にはその地位も向上し、社会に認められるようになった(それは文学者自身が文学で身をたてることができるようになったということ)。けれども、まだまだ足りない、もっと権威が認められなければならないと魯庵は云う。

事実、大正、昭和と文学者の地位は高くなるばかりであった(ピークはどの時点だろう?)。が、文学の存在理由がそれに反比例して消失していったのも事実ではないか。いやもっとも、いったい文学の存在理由なんて、そもそもあったのだろうか。なんてことを思いつつ、魯庵の文章がとてもよかったと最後に。