2009年6月28日日曜日

書評と書評される本


6月27日

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』の続きを読む。ところで思うのだけど、書評とか批評というものは独立して読むにたえることが必須の条件であるけれど、そんな書評ないし批評にもふたつの違いがあるのではなかろうか。つまり、紹介ないし引用された本も読みたくなるものと読みたくならないものと。

書評ないし批評がそれだけで読んでおもしろいのなら、あえて取り上げられた本も手にとって、つまり書評ないし批評の筆者の体験をなぞって、読む必要はわざわざない。でもなかには、取り上げられた本をこそ読みたくなる場合も多々あるものだ(そもそも書評はその役目を負っているのだから当然だ)。その違いは、筆者の書き方(力量)のせいであったり、取り上げられた本のクオリティのせいであったり、あるいはその両方がかかわっているということになるんだろう。で、今読んでいる書評ないし批評がどっちにあるのか、それをはじめて意識してみた。坪内祐三が『変死』で取り上げた、マイナーな作家たちの作品はぜひとも読みたいと思うのだ。

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