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2013年6月30日日曜日

谷崎潤一郎、美と構成

6月某日

急に谷崎潤一郎を読みたくなったので、人生で初めて読むわけだが、主な作品を一気にめくってみた。以下、手に取った順に。(あらすじは省略。)


春琴抄

新潮社
発売日 : 1951-02-02

谷崎始めはまず「春琴抄」から。

読み始めて意外だったのは、「春琴抄」が純粋な小説ではなく実際の出来事に脚色を加えた半小説であることで、直前に読んだ永井荷風「墨東綺譚」もまた小説というよりエッセイに近いものだったから、両作が書かれた昭和戦前期の文学の有り様、もっと云えば日本近代文学そのものがいかに明治末年に登場した田山花袋らの「自然主義」の影響のもとにあるのかを痛感させられた。

このふたつの作品が日本近代文学の傍流であるならば気になるものではないが、名作と云われるこれらがいずれも「自然主義」的な、つまり事実にほんの少し色づけをした小説であることに、日本近代文学の宿命をみないわけにはいかない。

さらに問題が根深いと思うのは、ふたつの作品が、それもとりわけ「春琴抄」があまりにも面白いからである。いくら知った者を驚かせるほどの「事実」をもとにして書かれた小説であるとは云え、それを淡々とかつ劇的に描ききった谷崎の力量には感嘆せずにはいられない。

無駄を省いた品のある文章を最後まで並べ、知られるわずかな出来事からそれらの背後で交わされる春琴らの無言の言葉々々をすくいとった谷崎とはいったい何者なのだろうか。日本文学とは、フィクションであることとないことの区分けそれ自体が無意味な世界なのかもしれないと、前言を反省しつつ思う。

小説中もっとも美しかったのは自分の目を針で刺した佐助が春琴に知らせにいった場面であった。私はめしいとなりました。安心してくださいと云う佐助に、春琴は「佐助、それはほんとうか」と云ったきりしばらく押し黙った。佐助は後年振り返って云う。「この沈黙の数分間ほど楽しい時間はなかった」。

子どもまで生まれ(もっとも里子にだして育てはしなかった)、四六時中いつも一緒にいる二人はなぜ結婚しなかったのか。(佐助は春琴のことを御師匠様と呼ぶがここは春琴とする。)

自分にとっての春琴はわがままで厳しい人であり、対等の関係になれば主従の関係がくずれ、春琴は自分の知っている春琴ではなくなってしまう。春琴の自信を取り戻すためにも以前と同じように、むしろ以前よりまして自分は春琴の従僕とならねばならない。――――――

卍

新潮社
発売日 : 1951-12-12

「卍」は同性愛をあつかった問題作のように要約されるようだが、読中、そして読後の印象はそう単純なものではなかった。

既婚の園子が女子技芸学校で知り合った独身の令嬢、光子と同性愛の関係に陥り、園子の夫や光子の隠れた恋人(男)を巻き込んでさまざまな駆け引きを繰り広げ、なにが本当であるか、(登場人物だけでなく読者も)誰を信用していいのかまったく判然としない人間関係が展開される。結局、園子とその夫と光子の奇妙な同居生活から3人の薬毒自殺(園子は生き延びるが)へと至る破滅型のストーリーだ。

本書の白眉は、互いの騙し騙され、裏切り裏切られの複雑な物語構成である。そして光子の怪しく美しい性格とその魅力。読者が谷崎の手のひらの上で最後まで踊らされるこの小説は、一流のミステリ小説であると云いたい。同性愛だとかどろどろの三角関係だとか、興味本位の俗悪趣味小説ではまったくない。

陰翳礼讃

中央公論社
発売日 : 1995-09-18


痴人の愛

新潮社
発売日 : 1947-11-12

鍵

新潮社
発売日 : 1968-10-29

勘ぐりと思いすごし、嘘と虚栄、一人よがりと本音――――それらが交錯する物語である。

結局、夫は妻・郁子に敗れた。裏のかき合い、策略のかけ合い、そして性欲のぶつかり合いに敗れたのだ。

勝った妻は、夫が死をもって日記を書けなくなってからも日記を書き続け、そこで初めて「真相」を明かす。これまでの日記には多くの嘘があったこと、娘・敏子の恋人である木村との関係は貞節を守るどころか既に一線を越えていたこと・・・・・・。ここまでは明言していなかったが、郁子は木村に「本当の」恋をしていたということである。

だが、夫を欺きとおした郁子も娘の敏子と木村が何を考えていたのかはわからない。そこはどうしても見抜くことができなかった。

したがって最も巧みに振舞っていたのは敏子と木村なのかもしれない。とくに敏子の不気味さはカフカを思い起こさせる。結局、この2人自身の日記は(物語の表面上は少なくとも)書かれず、彼ら自身の言葉による「真相」は一切語られなかった。

敏子と木村こそ、この物語の差配者であるのかもしれない。

瘋癲老人日記

「鍵」に比べるとはるかに出来は劣るので特別書くことはなし。

それよりも、この小説にはストーリーとは離れたところで有名な一節がある。京都へ小旅行にいったときの、(日記に書かれた)爺の独白である。(以下、原文は漢字とカタカナだが、カタカナをひらがなに改めた。)

新潮文庫の339頁にあるそれは、いわゆる東京批判。自分は生粋の東京(江戸)生まれだが、最近の東京は面白くないという言葉で始まって、「今の東京をこんな浅ましい乱脈な都会にしたのは誰の仕業だ」などと延々と東京を愚痴っていく。1頁足らずのこの一節は物語とはほとんど無関係に唐突な形で登場する。

東京生まれの谷崎は関東大震災を機に関西に引越し、戦後10年経ってから熱海に移るまで京都・兵庫で暮らしていた。東京と関西と、両方をよく知る作家の一人なのである。「瘋癲老人日記」が書かれたのは戦後であるが、谷崎の云う「今の東京」はおそらく関東大震災(1923年)以降の東京のことだろう。そんな谷崎の東京論とでも云えるのがこの文章なのだ。

では、東京を「乱脈」な街にしたのは誰かと云えば、「田舎者の、ポット出の、百姓上がりの昔の東京の好さを知らない政治家と称する人間共のしたことではないか」。明治以前の江戸は江戸の人たちが作り上げた町だが、維新のそれからは地方から東京に出てきて立身出世を果たし、官僚や政治家、実業家になった人たちがもっぱら東京の街を作ってきた。その「悪趣味」に谷崎は我慢がならないのだろう。それでは谷崎の思う「東京」とはいったい何なのか。それは「陰影礼賛」に書かれている。

刺青

新潮社
発売日 : 1969-08-05

細雪

新潮社
発売日 : 1955-11-01

2012年11月17日土曜日

ジャンルはバラバラ、本もいろいろ。ついでに人間もバラバラ

11月某日

原点に返って最近読んだ本について。

今年の6月からぼちぼち読み始めていた名著をようやく読了。だが・・・。


『チャタレイ夫人の恋人』で知られるD・H・ロレンス(1885-1930)が最晩年にキリスト教批判を展開した本。ロレンスは一流の文学者であるのはもちろんだが、実は批評・評論も数多く手がけており、歴史書も書いた。本書は、幼いころからキリスト教の厳格な家庭に育ったロレンスが、その生涯と自分が生きた時代を猛烈に悪罵する自己批判の書でもある。

この『黙示録論』は最近ちくま学芸文庫に収録されたもので、実際に私が読んだのは現在は絶版の中公文庫版。タイトルも『現代人は愛しうるか  黙示録論』といい、訳者の福田恆存が原題の「黙示録論」では意味がわからないだろうからこのタイトルをつけたという訳書で、初刊は戦後まもなくのことである。ちくま版は同じ訳書をタイトルを変えて刊行している。

ではなぜ福田恆存はこの「黙示録論」を「現代人は愛しうるか」と読みかえたのか。それこそまさにロレンスの云いたかったことであり、本書のクライマックスである。

ロレンスはクライマックスでこう叫んでいる。

近代の私たちは、キリスト教の(とくにその聖書の)掲げる理念によって、互いに譲り合い、助け合い、理解し合うことが、つまり愛し合うことができないのだ。――

いやキリスト教こそ人々の愛を説いているのでは? と誰でも思う。隣人を愛せ、敵を愛せと繰り返す聖書は理想的な教えではないのかと。聖書の教えを実践できない人間の弱さこそ、問題なのではないか。……

しかし、キリストの云うように行動することが、卑屈な精神から自由でない人間に本当に可能であるのかとロレンスは問う。

確かに人がひとりでいるときには普段より高みに立って考えることはできるだろう。だが、人がふたり以上集まればそこには必ず優劣の意識がうまれ、権力が働く。相手を賞賛する言葉の裏にも、避けがたくそれを否定する言葉を精神に同居させ、精神上の権力者であろうとするのが人間だ。つまり、人はキリストにはなることはできない。精神の貴族になることは、人が集団で生きる以上、どだい不可能なことなのである。

であるとすれば、貴族的精神の不可能性を逆説的に知らしめる聖書こそ、人と人とを和解させることを妨害している最大の原因であると云えるのであって、聖書がありうべくもない理想を説くことさえしなければ、そのほうが、実は人は理解し合えるのではないか。理想があるから人は苦しむのだ。

その聖書の欺瞞性を自ら明らかにしているものこそ、黙示録と呼ばれる新約聖書の一書である。

(以下、続く。)


新潮社
発売日:2012-01-20



文藝春秋
発売日:2012-08-03


講談社
発売日:2012-08-02

「カラマーゾフの兄弟」の続編を謳った小説であるが、駄作。「書かれざる続編をいまこそ完成させよう」という著者の意気込みだけが勇ましく(しかも、本の扉に自分の写真を使うだろうか?それを最初に見て嫌な予感がしたものだが)、仕上がった作品はとても一流とは云えない。

ミステリとしての面白みはあるかもしれない。最後の50ページほどはちょっとスリリングであったから。だが、「人物」があまりに貧相で、こんな薄っぺらな言動をする人たちだったろうかと「カラマーゾフ」の愛読者たちは皆呆れただろう。

もっとも、「妹」のほうの登場人物たちのほうがよりリアルであるかもしれない。「兄弟」でそうであるような、人があんなに長広舌を振るうことはありえないからだ。だが、それと同時に、「カラマーゾフ」の面白さは死んでしまう。

岩波書店
発売日:2001-04-20



福田和也が絶賛していたので読んだが駄作。章ごとに語り手が異なるのに、語り口がほとんど同じでは冷めてしまう。

この本を読んで家族の有難味がわかったという感想を述べる人がいるが、そんな読後感を得られる力は持っていない。ただただ異質で非現実的な家族がそこにあるだけである。分厚いのに読んで損しました。

2012年4月29日日曜日

ミュシャとゴーティエ。あるいは坪内祐三の新刊

4月某日

アルフォンス・ミュシャの絵を観に、堺市まで出かける。これで二回目だ。

♯♯ アルフォンス・ミュシャ館 / 堺市立文化館 ♯♯

前回は人を連れていったためじっくり観ることはできなかったし解説文もじっくり読めなかったから、今回はすべてを堪能してみた。

〔前回〕
=  2012.3.23. ペダントリー - アルフォンス・ミュシャ館 =

詳細はあらためて書くとして、いくつか印象的なのを。

しばらく眺め続けたのは横幅が4メートル以上ある「ハーモニー」。壁のひとつを占領する大作である。

     ミュシャ / ハーモニー 1908年

絵だけの画像がみつからず、美術館の展示風景をそのまま掲載。とにかくでかい。いままで観た絵のなかで最もでかい。

近づいてよく観てみれば、細かく描いてある部分とおおざっぱに描いてあるところの違いがあって、にもかかわらず一定の距離をおいて眺めればうまく溶け合っている絵。力作である。

これは中央奥の神(のような人)の前に、無数の人々が集まっている図である。神は英知を表し、左側の人々は愛、右は理性を象徴し、愛と理性という二項対立に神なる英知が調和(ハーモニー)をもたらしている場面だ。あくまで宗教的(キリスト教的)なものであるから意味を深くとらえる必要はないだろう(それはミュシャ個人の思想に強く関わる話で、一般の私たちがそこまでとらえる必要はない)。

ただ気になったのは、中央の下にある「岩」のような黒い物体。どこにも書いていないし推測でしかないが、これは人のように見えた(耳らしきものがあった)。愛と理性の間に挟まれて屍のように横たわる人はいったい何を表しているのだろうか。

「白い象の伝説」

もうひとつ、ミュシャの挿絵で(いろいろな意味で)感動的だったのは、「白い象の伝説」の一連の挿絵。

     ミュシャ / 「白い象の伝説」挿絵 1893年

絵の解説文にはこうある。「白い象の伝説」は児童文学者ジュディット・ゴーティエ(1845-1917)の物語で、ミュシャはその本の挿絵を描いたという。

物語は、仲間はずれにされた白い象と人との間に生まれたちょっと感動的な話で、こんな筋書きだ。

――肌が白いというだけで仲間の象たちからいじめられていた白い象は人間のいる地域に迷い込み、捕らわれてしまう。しかし、白い象は人間にとって神のような存在だったため、厳かな歓迎を受けた(上の挿絵は白い象に人が平伏している場面)。

なんやかやで王の付け人となった白い象は王女にかわいがられ、王女の大切な友人となる。戦場では王子の命を助け、人々の絶大な信頼を得るようになった白い象だが、王女が政略結婚のため敵国の王子と結婚するとその王子に嫌われ、王国を去る。

すべてを失った白い象はサーカス団に連れられサーカスの象としてしばらく暮らした。しかし白い象にとってそれは不本意なことだった。そこにかつて自分を大切にしてくれた王女が偶然現われ再会を果たす。王女は涙を流しながら白い象を抱きしめ、白い象はふたたび王女と暮らすことになるのだった――。

この物語(小説)の挿絵をミュシャは数十枚描いたそうだが、そのうち堺市文化館が所蔵するのは22点で、そのすべてではないがいくつかが今回展示されていた。

なかでも素晴らしかったのは、白い象がサーカスで芸をしている場面を描いた絵と、王女と再会する場面の絵。

ネットでは見つけられなかったので紹介できないのが悔しいが、とても繊細で感動的な絵だった。墨で描いた水彩画なのに単色には思えない豊かな色彩で描かれていた。ぜひ美術館でちょくせつ観てもらいたい。

この「白い象の伝説」の物語が気になって本として出ていないか調べてみたが、出版されたものの、もう絶版になっているようだ。

アルフォンス・ミュシャ
ガラリエ・ソラ
発売日:2005-10-17

いちおう児童文学書であるから、子どもたちに読んでもらいたい本だ。もちろん、挿絵とともに、大人も楽しめる本だろう。

同日

アルフォンス・ミュシャ館の帰りにブックファーストに寄る。

目当ては坪内祐三の新刊なのだが、出荷が前日であると聞いていたのでまだ本屋には並んでいないかもしれない。実際、並んでいなかった。

かわりに、というわけではないが、吉本隆明の追悼コーナーで花田清輝の『復興期の精神』(講談社文芸文庫)をみつけたので購入。坪内祐三の文章でよく登場する本だから。

花田 清輝
講談社
発売日:2008-05-09

でも、買ったときに嫌な予感はしていた。その予感は帰宅してから当たってしまった。「復興期の精神」はすでに持っていたのだ。

私が持っていたのは講談社学術文庫版であったので、違うと云えば違う本である。文芸文庫版のほうは池内紀の解説があるので、それを買ったと思うことにしよう。

しかし今回「復興期の精神」を買おうと思ったのは、この本がタイトルからは想像できないことだが文学者や芸術家をそれぞれ取り上げた批評のパッケージだったから。なかにはマキャベリを語った文もある(帰りに読んだのはこのマキャベリのところ)。たぶん、いま買わなければずっと読まなかったに違いないのだから、買ってよかったのだ。

ブックファーストになかったので、あまり期待せずに紀伊国屋書店に寄ってみる。すると置いてあった。

坪内祐三
幻戯書房
発売日:2012-04-27


「あとがき」的な文章を読めば、この本は、かの名著(と個人的には思っている)『古くさいぞ私は』(晶文社)につづくエッセイ集第二弾だと云う。

これらのエッセイ集は雑誌や新聞に寄稿した短い文を集めたもので、このような文は(特に新聞のは)一度読み逃したらまず読むことはできず、すべての雑誌・新聞を網羅することはどだいできないのだから、当然単行本に収録されるまで待つしかない。

とはいえ、坪内祐三のエッセイは過去何度も単行本化されているのでは? と疑問がでてくる。(エッセイ風の連載の単行本化とは別に)書評・古本などひとつのテーマにしぼってまとめたものは確かに何冊かあるのだけれど、雑多な文のなかから雑多なまま収録するという形の本は、「古くさいぞ私は」以来ということなのだろう。

実際に目次を眺めてみれば、「訪書月刊」や「室内」(どちらも休刊)に書いた文も収められている。これは貴重だ。

本書はだが、一方で「en-taxi」に寄稿したものが多く含まれているので、個人的はすでに読んだものもある。あるのだが、発表当時に読むことと今読むことと、それはまた別の印象があるだろう。

ということで、目下、読書中。

そうそう、もう一冊忘れていた。

坪内祐三の本の隣にリービ英雄の新刊(『大陸へ』(岩波書店))も平積みされていたので、手にとって少し読んでみて、これも買ってみた。

リービ 英雄
岩波書店
発売日:2012-04-19

リービ英雄の本はいままで一冊も買ったことがない。興味がなかったわけではなく、ただきっかけがなかっただけだ。

このあいだNHKかなにかでリービ英雄が万葉集を語る番組があって(古今和歌集だったかもしれない)、その語り口に良いセンスを感じたことが大きかったかもしれない。先年、芥川賞を受賞した中国人作家が話題になったけど、外国人でありながら日本語で文を書く同じタイプの作家としてはリービ英雄のほうがずっと素晴らしいと聞いていたこともある。

本書は彼がアメリカや中国を訪れたときのエッセイ集のようなもの。彼は生まれはアメリカだが、子どもの頃に香港・台湾で過ごした経験をもち、その後日本にも住んでいたことがある。アメリカに戻ってからはスタンフォード大学などで日本文学の教授をつとめたが、それを辞めて日本に定住し、現在は日本語で小説を書いている。

おそらく3つの故郷をもつ人なのだろう。その彼が日本語によって今のアメリカと中国をどう描くのか、そこに興味をもったわけだ。

まだ20ページくらいしか読んでいないが、その感想としては、言葉の意識の強さをとても感じる文章(日本語)だなということ。て・に・を・はに若干違和感はあるものの、もの・ことをどんな日本語で表現すればいいか、苦心しながらも語りたい内容は読者に十二分に伝わってくる。つまり、とても文学的な文章だ(日本人でもなかなかこうはいかない)。

ひとつの場面を紹介。

オバマ大統領誕生のその日、​ワシントンを訪れていたリービ英雄は国会議事堂方面に向かう地下​鉄に乗り込む。同乗の客たちはみな同じ目的地を目指している。体​格の大きいアメリカ人たちはぎゅうぎゅう詰めなのにまったくいさ​かいを起こさずしずかにじっと立ち続ける(ふつうなら喧嘩沙汰になっているところだ)。

だれしも同じ感慨にふ​けっているのだ。「一人一人が歴史を意識しているの​が感じられた」。歴史、つまり黒人初の大統領の誕生という歴史的瞬間に立ち会っているという意識、数百年の間、社会のメインストリームから疎外されてきた黒人が社会のトップにたつという瞬間に、みなしずかな興奮をしているのだった。――

こういう感想は、その社会の内部にいた(いる)人たちにしかわからない実感だろう。最後まで読みとおすのが楽しみだ。






2012年4月15日日曜日

坪内祐三と福田和也の新刊3冊と印象派

4月某日

紀伊国屋書店に久しぶりに寄って、なにか新刊は出ていないかと棚をザザッと眺める。

まっさきに向かった文芸書コーナーに坪内祐三の新刊を発見。『文藝綺譚』(扶桑社)だった。

坪内 祐三
扶桑社
発売日:2012-04-14

少し立ち読みしてみると、雑誌『en-taxi』連載のエッセイ(批評)をまとめたもののようで、同誌からは『アメリカ』『風景十二』に続く単行本化だ。

その二冊はもちろん読んでいるので、今回も購入。

帰宅後に少し読んでみたが、連載中に読んだものもあり(例えば「第一夜 パーティー」)、つい読みふけってしまう。

「あとがき」によれば、タイトルの「文藝綺譚」は「ぶんげいきたん」ではなく「ぶんげいきだん」と読む、という。有名な永井荷風の「濹東綺譚」も、よく間違えられるが「ぼくとうきたん」ではなく「ぼくとうきだん」と読むらしい。私も間違っていた。

ところで「パーティー」だが、冒頭に川村二郎と出会う場面がある。野間文芸賞の受賞パーティーが開かれた夜のことで、川村二郎は選考委員の一人なのだ。

ここで整理しようと思う。いつも混同してしまうのだが、川村二郎と川本三郎は別人であり、しかも川村二郎は著述家で二人いるということだ。

ここに登場する川村二郎はドイツ文学者・文芸評論家で、日本芸術院会員もつとめた御大である。受賞パーティーの翌年、2008年に亡くなった。

もう一人の川村二郎は朝日新聞の編集委員のあと、文筆家としてフリーに。白洲正子の伝記も書いているが、基本的に文章術的な本を書く人。まったく自分には関係なさそうだ。

そして、川本三郎は、同じく朝日新聞を退職後、さまざまな著作のある評論家。「東京」や「荷風」についての本が多く、たぶん、私も(一部)読んだことがある。坪内祐三がよく名前をだすのは、この川本三郎のはずだ(『東京人』の編集委員をつとめたことがある、ということとは関係ないだろう)。

川本三郎が世間を騒がせたのは、指名手配犯のお手伝いをしてバレて有罪判決を受けた事件だろう。そのせいで朝日新聞を退職したのだが、その後の活躍は評価が高い。

ようやく三人の区別ができた。

この新刊のふたつ隣に、福田和也の新刊もあった。『村上春樹12の長編小説』(廣済堂出版)。WEBサイトで連載していたエッセイ(批評)の単行本化である。

福田 和也
廣済堂出版
発売日:2012-03-14

同じサイトで連載していたものとして坪内祐三の『父系図』(廣済堂出版)があるが、これはちょうど今日読み終わったところ。そのサイトはちょくちょく見ていたから、福田和也のこの連載も少しだけ読んでいて、単行本化を待っていたから購入。

あいかわらず「あとがき」がないが、最終章「1Q84」は書き下ろしということでよしとしよう。この本は当面、積読だ。

もうひとつ、本屋の新刊コーナーにチラッと目をやったときに見つけたのが福田和也の岸信介の伝記。これは待ちに待った単行本化である。

福田 和也
扶桑社
発売日:2012-04-07

あいかわらず「あとがき」がなく、でも最終章の後編は書き下ろしだ。これも、しばらく積読だ。

もうひとつ、新書も一冊購入した。

島田紀夫『セーヌで生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)。

このシリーズは(というより、第一弾の高階秀爾が)よかったので新刊がでればチェックするのだが(といいつつこの本がでたのは半年前)、この島田紀夫という人の名は美術展カタログで見たことがあるし、印象派ということもあるのですぐに読んでみたい。

島田紀夫について少し調べてみると、印象派だけではなく、アルフォンソ・ミュシャについての著作がある。そうか、ミュシャのカタログで見たのかもしれない(実際そうだった)。

※大阪府堺市にある「アルフォンソ・ミュシャ館」訪問記。

そんなこんなで、しめて6,615円也。まぁまぁの買い物だった。



2012年3月27日火曜日

フェルメール、近代日本思想、父子(並べただけ)

3月某日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)を読む。

藤田 令伊
集英社
発売日:2011-12-16

以前書いたように、フェルメールと同時代の画家、テル・ボルフやデ・ホーホをとりあげているのが特色だが、それだけではなく(メインの)フェルメールの絵の分析の仕方もとても面白い。

フェルメールの絵がなぜ独特の「静けさ」をもっているのか。

フェルメールは初期作品を描き上げた当時から作品を経るごとに使用する色の数を徐々に減らしていき、並べる調度品の数も極力少なくすることで、絵は寂しさを感じさせるほどの静けさを帯びるようになった。

加えて、「青」という当時では珍しい色をふんだんに使ったフェルメールは、驚くほどの落ち着いた佇まいを絵に与えることができた。青は、観る人の感情を鎮める効果がある。それは現代の科学的実証によっても証明されているという。フェルメール自身が感性として知っていたのだろうそれが、現代人にも好かれる彼の絵の魅力となっているのだ。

まだ3分の1しか読んでいないが、これはばつぐんに面白い本だ。読めば読むほど、フェルメールの凄さがわかってくる(「手紙を読む青衣の女」にこれほど緻密な計算がされているとは。実物をみたときには全然きづかなかった)。いま紹介した話は一例にすぎない。

3月某日

大澤真幸『近代日本思想の肖像』(講談社学術文庫)を拾い読み。

大澤 真幸
講談社
発売日:2012-03-13


著者の考えは少し自分とは合わないなとこれまで思っていたが(いくつか読んだことがある)、この批評文はとてもいい。

先日亡くなった吉本隆明から、柄谷行人、漱石などが取り上げられていて、とりあえず、漱石の『それから』とポリフォニーのところなんかを読んでみた。この本は最後まで読みたい。

ちなみに、昔購入した大澤氏の『恋愛の不可能性』は積読されたまま10年以上過ぎている。

3月某日

坪内祐三『父系図』(廣済堂出版)を購入。まだ1ページも読んでいない。が、連載されていたWEBサイトではときどき読んでいた。辰野金吾・隆父子の話がもっとも興味をそそられる。

坪内 祐三
廣済堂出版
発売日:2012-03-09



2011年4月12日火曜日

『城』を読むトーマス・マン

4月某日

紀伊国屋書店のレジに近づいたら、『scripta』という冊子が置いてあるのに気づいた。よくある書店発行の無料誌のようだ。この冊子が発行されているのははじめて知った。

とりあえずもらって目次を見ると、池内紀のトーマス・マン日記を読むエッセイが連載されていたので早速帰りに読み始めた。

イギリスに滞在していた、1940年頃のトーマス・マンの日記が引用されていて、ドイツの侵攻の様子が刻々と記録されている。でも――いちばん興味がひかれるのは、カフカの『城』をトーマス・マンが読むくだり。

当時まだ無名だったカフカ(とっくに死去)の『城』のアメリカ版を出すにあたり、出版社がトーマス・マンに序文を書くよう依頼してきたという。そこで、就寝前に『城』を読んだことが日記に書いてあるのだ。1940年6月某日。

結局、トーマス・マンは序文を書くことに決めた。面白かったからだろうか。そして、これをきっかけにカフカが知られるようになっていくのだろうか。

ゾクッとする話だ。

2011年4月7日木曜日

ヤクザルポを書くとしたら・・・

4月某日

鈴木智彦『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)を読む。

書店の書棚でこの本を見つけたときは、あっと思った。文芸春秋が暴力団ライターの本を出せるのだという驚きからである。しかも知らない著者だ。軽いヤクザ情報フリークの私としては最新ヤクザ情報を読みたい気持ちを抑えられないので、少し立ち読みしてみて購入を決めた。すこぶる面白そうだったからだ。

事実、とても面白かった。興味をまずそそられるのは、著者が完全なフリーライターではなく、暴力団専門雑誌の編集者を経験していて、その内幕がおしげもなく披露されていること。読者投稿のヤクザ体験記がほとんど編集者の創作であること、入社2週間で編集長を任せられた、などなど体面を重視するこの社会にあっては貴重な証言である。

著者がヤクザ雑誌の編集者となったのは、最後に本人が漏らすようにヤクザへの好奇心からだ。たしかに、ヤクザ社会には好奇心のそそられるものがとても多い。任侠と暴力・威嚇という、本来は結びついてはならないものが分かち難く共存するがゆえに、武勇伝の裏には影響力拡大の思惑が潜み、暴力の影にはそれに依存せざるをえない弱者がいることも事実なのだ。それは日本の表の社会が抱える同じ構図に他ならない。いや、「表」の社会そのものが「裏」の顔をもっていると云ったほうが正しい。むしろ、「表」「裏」などないのだ。そんなことを思わされる本であった。

もっとも、本書はピリピリした現場(博奕のルポ、抗争事件の取材など)がメインというよりも、ヤクザとライターが繰り広げる人間劇が描かれているといったほうが適切だろう。けしてメインストリームにはでてこない、もうひとつの社会の実相である。

ひとつ苦情を云えば、文章がそれほど読みやすいものではないということ。主語と目的語が省略されることが多すぎて、誰が誰にどうしたのかがわからなくなることが多かった。ここは編集部の責任だろう。もっとも、大学教授なのに文の流れをうまく表現できていない某書(昭和時代を扱った最近出版の講談社現代新書)に比べればはるかにましだが。

4月某日

山竹伸二『「認められたい」の正体 承認不安の時代』(講談社現代新書)を読む。

現代ニッポンのよくある傾向分析、かと思いきや、現象学まで登場する本格的な思考実験本。まだ20ページほどしか読んでいないけれど、これは読み応えがありそうだ。

人間が社会で求める「承認」の範囲が身近な人たちだけに狭められ、その動機が仲間はずれにされたくない(=孤立したくない)ことに限定される――――現代社会を生きている人であれば誰しも経験したことのある現実だろう。「承認」をめぐるゲームはいつまで続けなければならないのだろうかという不安――――。

4月某日

森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)を読む。

あいかわらず独特の文章であるが、この文庫にはふつうのエッセイが収められている。ふつう、というのは父鴎外の思い出とか息子の話とかではなく、森茉莉がいま目にしたことをそのまま書いているということ。その「いま」というのも、吉田茂が国葬された云々の「古い」時代の話なのだけれど。

2011年2月26日土曜日

ゲバルトからベンヤミン



2月某日

中野正夫『ゲバルト時代』ちくま文庫を購入。

なつかしき学生闘争時代を振り返る本。イデオロギーにいくら弄ばれても、青年はいつも青年らしくあるものだ。


2月某日

仲正昌樹『ヴァルター・ベンヤミン』作品社を購入。

こういう本はいまほとんど売れないだろうから、私が買っておいた。まだ1ページも読んでいない。

2011年1月4日火曜日

三島と戦後

1月某日

新聞の切り抜きをノートにはっつけるのが億劫になったので、ここにメモしておこう。

「見えてきたのは、戦後を否定しながら、同時に戦後のメディアの中で過剰に戯れる三島の姿だった。映画の出演が決まり嬉々として石原氏に俳優の心得をたずねる三島。東京五輪の女子バレー優勝に涙を流し、ビートルズの来日公演を聴く三島。これもまた、三島その人なのだ。」

これは昨年12月25日付けの「産経新聞」に掲載された本の紹介記事。紹介者は中央公論の編集者で、本のタイトルを『三島由紀夫と戦後』という。

2009年10月7日水曜日

ベンヤミンと天使、小林秀雄と自然

10月某日

今日発売の『SPA!』を立ち読みしてツボフク対談を読んでいると、ヴァルター・ベンヤミンのナントカカントカが好きなんだと坪内祐三が発言していた。

帰宅してから早速ベンヤミンの文庫本をめくってみる。「天使」が廃墟を見下ろすとか、映画がどうのこうのと言っていたなと思い出していると、みつけた。

「歴史の概念について」というエッセイ集のなかの一節。「新しい天使」というパウル・クレーの絵画をベンヤミンが解読している文章だ。(『ベンヤミン・コレクションⅠ』ちくま学芸文庫)

(天使は)顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。(中略)(だが)嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。(浅井健二郎訳)

翻訳もすばらしいが、ベンヤミンの言葉もとても意味ありげである。坪内祐三は都心の上空からの眺めと、この天使の視線を比較していた。

クレーの「新しい天使」も見てみたいと思ってネットを探すとウィキペディアにあった。想像していたのと全然違った。


ベンヤミンの想像力がものすごいのか、もっと深い背景があるのか。

同日

オスカー・ワイルドについての新刊本がでるらしいというので、一応チェック。

グレース宮田『オスカー・ワイルドに学ぶ 人生の教訓』

タイトルにはすごくガッカリだ。教訓だなんて、ビジネス書みたいじゃないか。

でも、担当編集者なる人の「小林秀雄の『近代絵画』という本がある。初めて読んだのは26年も昔のことだが、「自然は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの言葉のレトリックについて考察したくだりがあった」という言葉に愕然としてしまった。そんな面白そうな考察が『近代絵画』にあったなんて。

早速書棚からひっぱりだして探してみたけれど、見つからない。「自然」と「芸術」についてワイルドを持ち出しながら小林秀雄が書いていたとすれば、もっと昔に読んでおくべきだった。ベンヤミンのエッセイと同じように、もっと時間のあるうちに読むべきであった。

2009年9月18日金曜日

眠いので、メモ的に

9月某日

簡単に。

中村光夫『二葉亭四迷伝』を読了。つづけて桶谷秀昭『二葉亭四迷と明治日本』を読む。

江藤淳『なつかしい本の話』読了。函入りの古い本。今でもよく古本屋で見かけると思う。

坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』も読書中。雑誌連載時にすべて読んだはず。でも、面白いから読み始めた。特に「アンティゴネー」を語るところなんて、もう。

上杉隆『田中眞紀子の正体』読了。一部で噂されていた鳩山内閣への眞紀子入閣が、ガセであったことがまことに喜ばしく思える本である。

2009年8月30日日曜日

悩ましい現代小説

8月某日

なぜか山本文緒『恋愛中毒』なる小説を読んでいる(ほんとになぜなんだろう?)。毎日10ページずつくらいだからあまり進んでいないが、とにかくひどい小説だ。

著者は直木賞作家。だからこの小説もエンターテイメント系になるのかもしれないが、読んだ感じではどうもそうではなさそうだ。離婚経験のある30代女性のちょっと非日常的な恋愛の話、なので。

なにがひどいって、この女性の「美化」である。いつもはさえない「私」だけど、実はこう見えて有名人にもてたり翻訳なんてちょっとオシャレなアルバイトもしているそんな「変」な自分に、ひとり暮らしの部屋で「くすり」と笑ってしまったりして、でもやっぱり友人に優しくされても、そもそも人が人に親切する「意味」がわからない「困った」私は、ひさしぶりに化粧をして有名人の事務所で働き始めて「愛人」になっちゃったりして、もう「普通」の女の子じゃなくて、それまで人に意見したことなんてないのにこの小説が始まってからズバズバ他人にモノを云っちゃったりして、でも私はさえない女の子--

みたいな。多少誇張があるけど、まぁぜんたいこんな感じである。この小説(文庫本)が27刷くらいいっているのがさらに驚きで、いったい世の女性は何を考えているのだろうかと深刻に心配してしまうほどだ。こんな小説にもしかるべきオチがあるのだろうと期待して、一応最後まで読むつもりである。

中村光夫『二葉亭四迷伝』も鋭意読書中だけれども、こちらもあまり面白くない。全然頭にはいってこない。名著だと愉しみにしていたのだが…。

2009年8月12日水曜日

ふたたび東野圭吾


7月某日

内田魯庵『思い出す人々』を読了。早くも今年読んだ本のベストワンに並べられる一品であった。

この本の面白さのひとつに、魯庵は明治人であるのに文章がとても読みやすいことがあげられる。しかも、なかなか“若い”言葉づかいがみられることがポイントだ。ラスト・スパークだとかハイブリッドだとかラビリンスなんてカタカナ語がでてくるあたり、とても二葉亭四迷と同時代人であるようには見えないのである。

そういえばちょっと笑ってしまったエピソード(というか小さな事実)がある。本書の最後のほうで大杉栄との思い出が綴られているが、大杉栄の娘の名前がなんと「魔子」というらしい。大震災のときに殺された大杉の、なんかこう、複雑な人物像に興味を覚える。

続いて中村光夫の『二葉亭四迷伝』を読み始めた。(江藤淳が指摘するように)「です・ます」調の文章には批評としての物足りなさが感じられるが、でも内容の充実さは十分。ときに踏み込みの弱さも感じられるけれど、二葉亭伝としての面白さは堪能できる。二葉亭を愛した中村光夫の(変な意味ではない)、強い思いが感じられる伝記である。

8月某日

坪内祐三・福田和也『無礼講』を読了。連載時に伝わってきたように、両者の考えの違いが徐々に表面化してきているのが注目すべきところ(坪内祐三が社会的事件の時代性を指摘するのに対し、福田和也は各事件をそういうものとしてしか受け止めない、など)。でも、よくありがちな喧嘩にならないところがふたりの大人っぷりとでも云おうか。

8月某日

東野圭吾『さまよう刃』を読了。数ヶ月ぶりの東野作品。やはりこの人の推理小説は抜群である。この小説は秋に映画化されることもあって本屋の目立つところに並べられていたから、つい手にとってレジまで持っていってしまったというわけ。読み始めると面白くて、すぐに読み終えてしまった。最後のちょっとしたひっかけ(?)も、東野作品ならではと云えるだろう。もっとも、内容自体は残酷な話である。

続けて東野の『探偵倶楽部』も読み始めた。VIP御用達の「探偵倶楽部」の活躍を描いた短編集。最後のオチには、よく考えられているなあと感心するばかりである。

2009年7月14日火曜日

日記や回想文はとてもおもしろい


7月某日

この間購入したふたつの日記をちょくちょく開いて読んでいるけども、戦前(戦中)の日記と聞いて何よりもまず読みたくなる日付というのが誰にでもあると思う(いや、ごく一部の人だけか?)。おそらく一番人気は敗戦の日だろうけど、自分がすぐさま開いたのが二・二六事件の日。

この日から数日の宮中ならびに政府内部の混乱はそれはもうひどいもので、秩序がまさしく崩壊しつつある雰囲気たっぷりなのである。そんな内部の赤裸々が面白くないわけがない。しかも当時、侍従を勤めていた入江相政の日記とあれば。

というわけで『入江相政日記』の1936年2月26日の項を読んでみた。と云いたいところだが、実はこの数日前の日記のほうが面白かったのである。面白いというか印象的だった。

二・二六事件の三日前の記述。この日、美濃部達吉が右翼の銃撃に遭うという事件があり、それを知った入江が事態をかなり憂慮していることが窺える。右翼人士を活気づかせるからである。事実、右翼を刺激しないよう事件は翌年まで公にされなかったという(解説)。

二日前の記述では、入江が小堀杏奴の「晩年の父」を読んだとある。このあたりが日記の面白さで、世情が不穏になっても個人の生活は普通に営まれているのである。杏奴は森鴎外の次女で、森茉莉の妹にあたる。

そういえば森茉莉のエッセイに杏奴のことが(何度も)書かれていて、例えば茉莉が東京女子高等師範学校附属小学校の5年生だか6年生の頃、別の小学校に通っていた杏奴が教師とともに突然、教室に現れた。杏奴が騒いで抑えきれないため、教師が姉の学校までわざわざ連れてきたというのだ。連れてこられた杏奴は、茉莉の席の隣にちょこなんと座る。そのとき、茉莉は「なんでこんな妹が生まれてしまったのだろう」と思ったという。

横道にそれたけど(英語で「横道にそれる」はwanderというのを今日知った)杏奴の「晩年の父」と二・二六事件が同時代であるということを体感させてくれるのも、日記の魅力なのである(つまり鴎外はとっくに死んでいるわけである)。


7月19日

買いそびれていた坪内祐三・福田和也対談集『無礼講』をようやく買って、ちょびちょび読んでいる。雑誌初出時に読み逃した回が結構あるため、初見のものが結構あるわけである。ある回で、坪内祐三が「自分が書いてきたものはすべて自伝か日記だ」と云っていた。たしかにそうかもしれない。というか、そうとしか考えられないかもしれない。そう、考えると、自分語りも違和感はないし、そういうスタイルなのである。でも『変死するアメリカ作家たち』の最終章だけは、やっぱり納得いかない。

まだ終わっていない本のひとつが内田魯庵『思い出す人々』で、ようやく3分の2を終えたところか。ますます面白い。この本はもっと早くに読むべきだった。奥付や記憶を参考にするとこれを購入したのは2001年頃だが、8年もほうっておいたことが悔やまれてならない。だって、これほどためになる明治文学案内があるだろうかという面白さなのだから。

学校の教科書に漱石とか鴎外とかの文章を載せても読みにくい、つまらないだけで、明治文学への関心を招き寄せることなんてもはやどだい不可能なのだから(自分だってそうだった)、魯庵のこのエッセイ(回想文)を代わりに読ませれば、アツイ明治の作家たちの生き生きとした姿を体験できて、よっぽど読者を獲得できるだろうに。教育関係者はもっと考えるべき。

魯庵と硯友社の「中坂」


7月13日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』を読了。最近読んだ小説のなかでは一番よかった。今回は図書館で借りたので、いつか古本屋で購入したいものだ。

感動的な話、ちょっとした小話、伝記のようなもの、ユーモア小説などなど、盛りだくさんの内容である。収容所が舞台なのだから悲惨な話が多いのだけれど、ロシアの他の小説がそうであるように、どの短編にもちょっとしたユーモアが感じられる。これはロシア文学の伝統なのだろうか、ロシア人のひとつの特徴なのだろうか。もっと知られていい本だと思う。

ひとつ付箋をはさんだ一文を引用。一番使い物にならない作業班の、一番ダメな作業員である信心深い信徒はある日、管理者の配慮ではじめて腹いっぱいの食事を与えられ、労働作業に入った。すると突然、彼は霧のたちこめる暗闇へ歩き出し、警告を無視して銃殺される。
そのときわたしははっとして寒気をおぼえた。そうか、あの給食が、自殺するだけの力を信徒に与えたのだ。わたしの相棒が死を決意するのに足りなかったのは、一杯のカーシャだった。死の意志を失わないために、時には急がねばならないことがある。

魯庵『思い出す人々』を読んでいたら、一度読んだことのあるような文が何度となくでてきて、おやと思ったら、この間読了した坪内祐三『極私的東京名所案内』でまさしく引用されていた部分だった。

魯庵の本では、紅葉・美妙らの「硯友社」ができた頃の思い出を語る一節で、中坂というトポスが語られている。坪内祐三のこの本(つまらないのだけど面白い本である。面白いけどつまらない、ではない)には東京の文学スポットとしての中坂に一文が割けられていて、中坂での魯庵と硯友社の偶然の交錯が紹介されている。

私の気になったエピソードを書くと。硯友社の雑誌『我楽多文庫』の第一号には石橋思案(外史)という人の序文が置かれていた。魯庵は書店に並んですぐ購入するが、この石橋思案が、魯庵の知る、近所の都々逸をよくする青年だと知るのはしばらく後のことである。後に硯友社派の文人たちと対立することになる魯庵の面白い過去の話である。

2009年7月13日月曜日

貴重な日記を480円で購入した


7月10日

数年ぶりに古本屋「天牛書店」へ行く。ここは鉄筋二階建てに古本が所狭しと並べられている有数の古本屋。しかも値段も安いときている。文庫は50円から、単行本も100円から手に入る。いわゆるベストセラー本ばかりではなくそこそこ読める本が300円均一カートに置いてある。洋書も300円からあって、つい、読みもしないのに買った洋書は数十冊になるだろう。今回も9.11テロについてのアメリカ政府の正式な報告書なんぞも買ってしまった。きっと読むことはないだろう(後日、序文をちょっと読んだけど)。

で、今日の収穫はやはり『入江相政日記』と『高松宮日記』。昭和史第一級の資料がナント1冊480円から。

『入江日記』からひとつ取り上げると、入江は戦前のある日ある夜、辰野隆の長谷川如是閑論を読んだと書いてある。辰野はフランス文学者なのに、如是閑論を書いたことがあるわけですか。面白そうだ。

追記。そういえば、森茉莉が仏文和訳の仕事かなにかをしたとき、辰野隆にみてもらったとエッセイで書いていた。「夫だった人」(森茉莉の口癖)のつながりで、結構親しい間柄だったらしい。

7月11日

この前後数日、睡眠障害が悪化して何日に何を読んだかはっきりわからない。たぶんこの日は少なくともシャラーモフ『極北コルィマ物語』と内田魯庵『思い出す人々』を読んだ気がする。

短編集『コルィマ』で印象的だった短編をひとつ書いておくと、盲目の牧師とその妻と飼っている山羊の話(羊だったかも)。収容所には直接関係のない小説で、盲目となった牧師は山羊の世話を唯一の生きがいとして暮らしている。牧師は山羊の乳を売る収入で生活ができていると信じているが、山羊の餌代が高いため支出のほうが多く、本当は山羊を手放さないと生活ができないほどだった。妻はその事実を牧師に伝えることはできない。牧師は山羊の乳搾りをとても愉しみにしているからだ。

しかし、いつまでも隠すことはできない。家具や服など、売れるものはすべて売った。このことも妻は牧師に話していなかった。真実を知った牧師は、最後の財産である金の十字架を砕いて、妻に売るよう伝えるのだった。

7月12日

魯庵『思い出す人々』は二葉亭四迷の話が終わって、山田美妙の思い出話に入った。美妙の早すぎる晩年。若干20歳すぎで一流作家となった美妙は、それをピークに(早すぎるピークだ)峠を転がり落ちていく。それは、美妙の交際嫌いの性格と進歩する努力のなさが原因だった。その点、尾崎紅葉は真面目だった。作家たちとの付き合いを大事にし、新旧問わず、どんどん本を読んで、新しい知識を増やしていった。そうして紅葉は文壇の大御所となり、現代にまで名を残す文豪となったのである。

2009年7月9日木曜日

辰野隆と松井須磨子(両者の関係は全くない


7月8日

『森茉莉全集 7』を適当に読んでいたら、いくつか「おっ」というような記述、というか名前がでてきた。

森茉莉の最初の夫、山田珠樹と出会った頃の話を読んでいると(結構同じ内容の話が何回もでてくる)、山田とパリに滞在していた頃のこと、山田が何人かの友人とよく議論をかわしていたのをそばで見ていたとある。その友人のひとりが、辰野隆(まもる、と読むのを初めて知った)。

坪内祐三『文学を探せ』を読んだときに面白かった本の話のひとつが、辰野隆を描いた本を紹介するくだりだった。意外なところで繋がった。

Link : 辰野親子(6月17日)

もうひとつ。森茉莉が演劇の話を書いていて、松井須磨子という女優の話をしていた。須磨子……どこかで聞いたなと思えば、直前に読んでいた坪内祐三『極私的東京名所案内』にまさしく須磨子の自殺話が書かれていたのだった。

森茉莉によれば、芸術座によるトルストイ原作の『復活』が大変好評を博し、劇中歌「カチューシャの唄」を歌った松井須磨子が大人気となった。須磨子は芸術座の岩野泡鳴の恋人として劇団で横暴をふるっていたが、岩野の死後、劇員たちから疎まれ、その辛さに芸術座の二階で自殺をしたという。

まったく同じ話が坪内祐三の本にも出ていて、ただし、芸術座という名は須磨子自殺当時は芸術倶楽部と変わっていた。この本では、この芸術倶楽部の隣にある酒屋(飯塚酒場)が文学史的に名所であるということで、紹介されているのである。

2009年7月6日月曜日

『森茉莉全集』の重さ


7月5日

昨日土曜日に図書館に行って来て、『森茉莉全集』の第6巻と第7巻、さらにシャラーモフ『極北コルィマ物語』を借りてきた。

『森茉莉全集』はあまりに分厚くて、こりゃ二冊も同時に借りるんじゃなかったかなと後悔しつつも、とりあえず森茉莉の連載エッセイ「ドッキリ・チャンネル」を一瞥したかっただけだからよしとしよう。適当なところをいろいろ読んでみたら、夢中になってしまった。

テレビ番組を茉莉流に料理するエッセイとはいえ、父鴎外の思い出や文人たちとと交流の話が半分くらい占めているような、そんな存在感。森茉莉は鴎外を心の底から尊敬し好きだったのだなと思わせる言葉がたびたびある(もっとも、小説では鴎外はイマイチで室生犀星のほうがずっといいとも書いているけれど)。

いつか古本で手に入れたいものである。

シャラーモフのほうは友人のオススメ本で、図書館で探してみたら珍しい本なのにあったので早速借りた。旧ソ連時代の収容所に17年間放り込まれたシャラーモフによる、体験的短編小説集。ドストエフスキーやソルジェニーツィンの収容所小説や北朝鮮の収容所ドキュメントが大好きな私に、新しい世界がやってくるかもしれない。というのは、本書の解題で訳者はソルジェニーツィンとシャラーモフを比較して、前者は収容所でも人間は人間的に生きられると考え、後者は人間的なものが根底的に脅かされると考えていると説明している。シャラーモフは性悪説なのである。

他にはこの数日で、保坂和志『言葉の外へ』とか10冊くらいの本を開いた。保坂和志の本は、開いて驚いた。もうすでに7割方読んだ形跡がある。このエッセイ集のいくつかのエッセイは読んだ覚えが確実にあって、しかも印象的な話(カフカとかベンヤミンとか)が多くていい本なのだけど、あと少し読めば読了感が得られるのにこんな中途半端なところでやめていたのはなぜだろう。これからたびたび読んでいこう。

2009年6月29日月曜日

T.S.エリオットとデルモア・シュワルツ


6月28日

坪内祐三『変死』を読了。じっくり読ませてもらいました。これで、出版されている坪内祐三の本のなかでまだ読んでいないのは……まだ4冊ぐらいあるようだ。意外に結構ある。結構読んできたのに、まだ結構残っているこの結構さの理由はなんだろうか。もう10年以上の(紙の上での)付き合いがあるというのに(トークショウで会ったことが実はあるけどね)。

で、この『変死』だけれども、最後の章が個人的には不要だった。第4章まではストレートな文章で書かれているので、突然個人語りが始まる最終章は書かれた時期も大きく違い、しっくりこない。本人の意向とは別に、第4章までで良かったのではなかろうかと思うのである。

他に読んだものでメモしておきたいのは、初学者のためのイギリス文学史のような英語の本。なんとはなしに開いて読んでみた。T.S.エリオットのところだけ。かの有名なエリオットの「荒地」は、
現代人を過去の伝統にルーツをもたない人として描く。現代の都市の憂鬱と醜悪によって、共通の信念とインスピレーションで結合するどんな集団にも所属意識をもてなくなったのが現代人である
と語る詩だ(と訳してみる)。当時、第一次大戦の悲惨な現実から目をそらす詩人が多かったなかで、エリオットは数少ない、戦争の混乱と絶望にぶつかった詩人と紹介されている。なるほどね。簡潔でわかりいい。

坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』 1

覚書のために何回かに分けて内容を簡単にまとめておこう。

第1章は「デルモア・シュワルツ」。1913年生まれ。1937年に「夢の中で責任がはじまる」という短篇小説が発表されると、同世代の若者たちの支持を得て一躍有名に。だが本来詩人であるシュワルツが苦心の末に書き下ろした長篇詩「創世記」の失敗(わずか29歳)から坂を転がり始め、ハーバードの作文講師をしながら「アメリカの夢」という「偉大なアメリカ小説」(本書のポイント)の完成を志す。だが生活は堕落し、書き上げることのないまま、1966年に無残な死を迎えた。

「夢の中」が好評だったのは、ユダヤ移民とアメリカ国民とのどちらにも疎外感を感じる孤独さが若者たちの気持ちを代弁していると受け止められたからだった。だが、ある世代の訴えというようないささか政治的文脈で捉えられたのがひとつの不幸だった。シュワルツ自身がそのような文学者として自分を型にはめてしまったからである(そんな自分の立場をコミカルに描いた「スクリーノ」という優れた短篇が生前には公表されなかったことが象徴的だ)。ヨーロッパ文学を受け継ぐアメリカ文学者としての自負がさらに、従来の詩の形態を超えた新たな詩を求めさせた。そうして書き上げたのが「創世記」(前半部分)である。だが、叙情詩を得意としたシュワルツにとって、それは挑戦であっても、失敗作に終わらざるを得なかった。

挽回をはかったシュワルツは、「アメリカの夢」によって「偉大なアメリカ小説」を目指したが、「そのまさに夢物語というしかない実現不可能な夢を追い求めれば求めるほど、現実の生活に対するシュワルツのあせりは増していった」。妻に死なれ、ハーバードで講師をつとめて生活を維持していたものの、大学ではユダヤ人差別に遭遇するなど徐々に被害妄想に襲われ始めた。「すべてが八方塞がりだった」。そしてその頃、影響を受け始めたのが、フィッツジェラルドだった。若き日の栄光と悲惨な晩年を体現するフィッツジェラルドの影響は決定的だった。シュワルツは「アメリカの夢」を完成させることなく、アルコール中毒に悩まされながら、安ホテルで無残な死を迎えた。……

シュワルツはエリオットと無関係ではなかったりする。エリオットの詩に多大な影響を受け、「エリオット論」を執筆しようとしていた時期があった。だから、英語の本のエリオットの紹介部分を読んだわけなんだけど。

2009年6月27日土曜日

日本の私小説


6月26日

福田恆存のナントカという文章(「近代日本文学の系譜」)についてもう少し補足すると、二葉亭が学び取った文学はロシアの文学を中心としたヨーロッパ文学であって、その文学観と現実の日本社会との乖離はどうにも否定しようがなく、二葉亭にとって文学は文学、現実は現実であり、それゆえに「二重生活」を強いられていた、という。行動によって解決できないほど切迫した現実の問題はなく、だからこそ二葉亭は「浮雲」のあと、現実=官吏の道へと進んだ。この現実では解決されない問題こそが、文学の原動力となるのだ。その意味で、尾崎紅葉などとは違い、二葉亭は誠実であった。

まあ、なんとも恆存らしい語り口である。これを基準に二葉亭関係の本を読もう。ということで、内田魯庵の『思い出す人々』の続きを読む。さらに、本棚で『近代日本文学のすすめ』とかいう岩波文庫を見つけたので開いてみると、なにかと世間を騒がせる小谷野敦が二葉亭について書いていた。いわく、「浮雲」は日本で最初の男の恋の悩みを取り上げた小説であると。それ以前、男女の恋愛は相思相愛か女の恋わずらいが主題となることはあっても、男が恋に悩んでいるさまを描いた作品は日本になかったという。事実なら、これは画期的かもしれない。

さらにさらに、この文庫の巻頭には何人かの文学者らによる座談がおさめられていて、その中で加賀乙彦が面白いことを云っている(赤線が引いてあるのでもちろん一度読んだ文章ということになるのだけど…)。日本の近代文学が欧米のそれとは違うところは、孤独になりきれないことだ。この「孤独」は物理的なもので、つまり、ひとりになりきれる個室が日本にはなかった。家族や近所の付き合いが何かと日常を邪魔する。日本の作家は閉鎖的空間を持ち得なかったのだ。が、この閉鎖的空間を独自に捜し求めた先が、日本に特有の私小説ではなかったか。

ひとつの都市論にもなっていて記憶しておきたい言葉だね(一度読んだのに記憶してなかったし。なんとなく覚えてはいたのだけれど)。