2012年8月26日日曜日

ドビュッシー展でマネを観る - ブリヂストン美術館

8月某日

3泊4日で東京へ。目的は、初日に行ったマウリッツハイス美術館展なのだが、まず最終日のレポートから。

たしか駅の構内かどこかでチラシをみてこれは面白そうだと思って急遽行くことにしたのが「ドビュッシー、音楽と芸術」展。場所はブリヂストン美術館で、午前中にいた国立新美術館のインフォメーションでその場所を聞いたら親切にも教えてくれた(ありがごうございました)。

地下鉄で京橋駅に到着して駅からとぼとぼ歩いていると、わき道に画廊がいくつか見えた。せっかくなのでひとつぐらい寄っていこうかとウインドウ・ウォッチングをしていると気になる絵(版画)が飾られていた画廊があったので入ってみる。

千代春画廊、笹本正明の個展だった。

   笹本正明 / 羽化 ※展示なし

こんな絵がいくつか飾られていた。絵と笹本正明の名前をどこかでみたような気がするのだが思い出せない。1966年生まれということもあり、現代的な絵のつくりが感じられ、気に入ってしまった。展示されている絵には数十万の値札がついていたので眺めるだけだったが、カレンダーが販売されていたので購入。



暦として使うよりも飾るに相応しい絵の美しさと質感である。どこかミュシャを想像させるタッチだが、よくは知らない。

さて、寄り道したが、ブリヂストン美術館へ。

ドビュッシー、音楽と芸術 - ブリヂストン美術館



公式サイト : ドビュッシー、音楽と芸術 印象派と象徴派の間で

この美術館はもちろん初めて。日本橋のすぐ隣にあり、東京駅八重洲口から徒歩圏内というすごい場所にある。それでも、広さは十分なものだ。

印象派の絵画がたくさんあるらしいと期待して中に入ったが、これがスバリ当たりであった。

ポスターに採用されているルノワールは個人的にどうでもいいのだけど、なんといっても、マネのこの2作品が飾られているとは見た瞬間に驚いた。

   エドゥアール・マネ / 浜辺にて 1873年 オルセー美術館蔵

   エドゥアール・マネ / ステファヌ・マラルメの肖像 1876年 同

まさかオルセーからこの絵をもってきたとは、仰天。他の鑑賞者は仰天したふうには見えなかったが、少なくとも自分はこれらの絵をみたとき、ちょっと驚きの声をあげてしまったほどだ。

どちらも本で見て知っただけの絵で、特別傑作であると認められている絵ではない。だが、知っているというだけで、実物を観たときの感動は否が応にも増すものだ。

「浜辺にて」の方は、拡大しないとわかりにくいが女性のかけているレースの描き方の素晴らしい。そうか、このようにも描けるのかと感心する。モネの「日傘をさす女性」(1875年)にあるレースを彷彿とさせるが、マネのほうが2年早いということは、モネはマネの作品を参考にしているのかもしれない。

クロード・モネ / 日傘をさす女性 1875年 NGAW蔵 ※展示なし

もうひとつ、マラルメの肖像はマラルメの名が大きすぎて、作品自体についてはよくわからない。しかも、マラルメの人となりをよく知らないのだから、こういう人だったのかという感想しかないのだが、この肖像画はたびたび紹介されるものであるから、その意味で貴重なものを観ることができた。

他の作品について挙げるならば、まずカイユボット。

昨年のワシントン・ナショナル・ギャラリー展で初めて遭遇して以来、独特のリアリズム表現が印象に残っているカイユボットの作品が1点飾られていて、なんでも最近ブリヂストン美術館が購入したものであるという。

   ギュスターヴ・カイユボット / ピアノを弾く若い男 1876年

いいものを買ったな、と石橋財団に伝えたいほどいい作品。鮮明な画像が見つからなかったが本物はもっときめ細かく美しく、とりわけピアノの漆黒に壁紙の模様が見事に映りこんでいる。その映り込みによって黒の固さが和らげられ、絵全体がひとつの柄に包まれている感じを与える。ため息がでるほど綺麗な絵である。

また、個人的に関心のあるドニの絵も複数あったがいまいちピンとこなかったため印象には残っておらず、むしろ、初めて観る絵としてルロールが良かった。

アンリ・ルロール / 肘掛け椅子のある室内 1890年頃 個人蔵

アンリ・ルロール / 室内、ピアノを弾くルロール夫人 1890年頃 同

いずれも個人が所有しているもので公開されることは少なく、画像もネット上ではほとんど見つけられなかったため、ミュージアムショップで購入したカタログを撮影してみる。

2つのなかでは特に上の「肘掛け椅子のある室内」がしっとりした趣きがあってお気に入りだ。奥には裁縫をしていると思われる女性がひとり座っているのだが、実際にこの光景に遭遇したとすれば誰しもつい眺め続けるであろう、どこか温かみのある家庭の様子。その温かみを十二分に、この絵は伝えてくれる。下の絵と比べて、通りしな偶然出会った光景といった感じがして、とてもいい絵ではないだろうか。

その他、印象的だった絵をいくつか並べる。

 ウジェーヌ・ブーダン / トルーヴィル 1865年 ブリヂストン美術館蔵

   ウィンスロー・ホーマー / 夏の夜 1890年 オルセー美術館蔵

   ギュスターヴ・モロー / 化粧 1890年 ブリヂストン美術館蔵

モローのほうはカタログに掲載されていないが、間違いなくあった。常設展のほうにはなかったような気がするが、よくわからず。

ほんとうは初めてみるバーン=ジョーンズ(複数あった)に拘りたかったのだけど、当日は気分的にみる余裕がなかったため、省略。惜しいことをしたかもしれない。

  「ドビュッシー、音楽と芸術展」カタログ 2012年 2500円




2012年8月12日日曜日

現代美術のわからなさについて - 「リアル・ジャパネスク」 国立国際美術館

8月某日

大阪は中之島にある国立国際美術館に行ってみた。


公式サイト:国立国際美術館

この美術館は地下にあるというのが特徴で、入り口だけ地上に出ているという風変わりなところ。


正面はこんな感じ。地下にあることの有難味はよくわからない。建築費は高額だろう。

国立国際美術館の英語表記はThe National Gallery of Art, Osakaとなっていて「国際」にあたる単語がないのも気になるが、英語だけをみるとワシントン・ナショナル・ギャラリー(The National Gallery of Art, Washington)と同じ表記方法(英国のものは措く)。同じ位置づけ=国立であるということだが、米国は一般市民の寄付によって成り立っているのに対し、大阪のこの美術館はきっと国費に違いない。それだけに、期待を上回ってほしい美術館と云える。

さて、この美術館は初めての訪問で、現在開催中の展覧会は「リアル・ジャパネスク」と「私の〈解体〉へ」、そして常設展=コレクション展の3つ。

「私の〈解体〉へ」というのは柏原えつとむという人の個人展。現代芸術をまったく知らない私には聞いたことのない名前だ。

「私」という一人称を「解体」する、というのは、ポストモダンにありがちの脱構築的な、要は浅薄な感じがしたためちらっと見ただけで終わりにした。いまさら脱構築だなんて……と、このあたりには私は懐疑的である。実際、展示される作品を見てもよくわからなかった。ただ、急ぎ足で回っただけなので、もう一度、機会があれば、じっくり見てみようとは思う。

リアル・ジャパネスク - 世界の中の日本現代美術

今回のメインは日本の若手芸術家の作品を集めた「リアル・ジャパネスク」。1970年生まれ以降の人たちばかりだから、自分と同世代。同世代の芸術家が何を表現しようとしているのかは興味あるところだ。

しかし、最初のブースに入った瞬間から唖然としてしまう。細い木の棒と白い紙を組み合わせただけの、奇妙な展示物が目の前に置いてあったので、小学生の作品か?と戸惑った。現代芸術って、こういうものなのだろうか。

最初のブースは貴志真生也(きし・まおや)という人の作品スペースだった。(以後の個人情報はパンフレットなどに基づく。)

1986年、大阪生まれの芸術家で、若干26歳くらい。このような施設で展示されるのだから、結構有名な人なのだろう。

展示物の写真は撮れないので別の展覧会に用意された別の作品をネットで見つけたので参考までにアップしてみる。

   貴志真生也  ※別の展覧会

こういうものである。さっぱりわからない。(あるブログで紹介されている展覧会「挨拶&立ち上げ」の作品より。)

次のブースは南川史門(しもん)。1972年生まれの40歳(?)なので若手とは云えないかもしれないが、それだけに「まとも」な作品ではあった。

カンヴァスにアクリル絵具(水彩と油絵の間くらいのもの?)で描いた絵が作品のほとんどで、ストライプと水玉を多用したシンプルな絵が並ぶ。

   南川史門  ※別の展覧会

こういった作品。(これも別のブログ記事「MISAKO & ROSEN at the NADA ART FAIR 2009」から拝借。)個人的に気に入ったのは「乱れ髪、エリカ、緑、黄色」という絵。

   南川史門 / 乱れ髪、エリカ、緑、黄色 2010年

(いま見るとそういいとも思えないが、)シンプルな構図のなかで暖色系の色をうまく配置しているように見える。そして、会場では気づかなかったことだが、南川史門の絵は以前どこかで見たことがあったのだ。つまり、作家の吉田修一の本のカバーになっていて、その表紙は記憶に残っているから間違いなく本屋で見たはず(なお、吉田修一の本は一冊も持っていない)。

(ブログ「one man dog, obi one blog」から拝借)

本書は手にとらなかったはずで、棚で背表紙か平積みで表紙を見ただけのものを記憶しているということになる。そんなちょっとした視線を捕らえられただけで、絵としての魅力はあるのではないか。

その次は竹川宣彰(のぶあき)。1977年生まれ。

比較的まともな絵が飾ってあるが、「安定の島」を描いた絵があった。絵自体のタイトルは「核図島」か「迷信の地球儀」かなにかで(忘れた)、要は原発批判のものだったと思う。よく観ていないので安易なことは云えないが、単純な原発批判はウンザリ。

さらに、大野智史。1980年生まれ。

「メランコリー」という絵が迫力あってよかったのだが、画像は見つからず。

佐藤克久(かつひさ)。1973年生まれ。

なにも覚えていないので省略。

五月女哲平(そうとめ・てっぺい)。1980年生まれ。

彼らの中にあってはまともな絵だったが、覚えてなし。

そして泉太郎。1976年生まれ。

あらゆる意味で衝撃的だったのが、泉太郎の作品群。

何かを壊していたり布に体を押し付けてみたりする自分を映像で流し(意味はわからず)、床には文字が書きなぐってある。変なオブジェクト(オブジェではない)も置いてあるし、半笑いにならざるをえない。

でも、もっとも印象に残ったという意味では彼がダントツだ。

床に書いてあった文字は、映像をみて気づいたけど、会場にうさぎを放してその動きを追いながらとにかく思ったことをメモしていったものだった。

いま「変なオブジェクト」と書いたものは、円周状に板で形作られたダクト(上半分は開いている)で床にひらがなの文字を書いてはすぐ体で消していくのを延々と続けたもの(二人作業)、というかその様子を映像で流していた。その残骸(といっても壊れてはいない)が置いてあったのだ。まったくもってわからない。

あと二人。1976年生まれの竹崎和征(かずゆき)は、カンバスにブルーシートを貼って絵の一部としているものや、羽ぼうきをカンバスにはっつけてある作品などが展示されていた。カンバスと絵具という関係を乗り越えようということだろうか。

最後に、和田真由子。1985年生まれ。ヨットのオブジェなどの立体的な作品が多かった。ちょっとわかりません。

こんなにわからないものだらけでいいのか疑問に思う。

それで人に何かが伝わるのだろうか。作者の自己満足の領域から踏み出ているのか。

これからうまれてくるであろう(うまれつつある)日本の現代芸術に、あまり期待しないほうがいいのだろうか。


<私>の解体へ 柏原えつとむの場合

実はもうひとつ同時開催されていた展覧会があって、よく知らない柏原えつとむ(1941年生まれ)という人単独のスペースがあった。

それなりに実績のある人だろうから安易に云うのもよくないだろうが、テーマが古すぎるのではないか。

この人が活発に活動を展開したのは1960年代から70年代ということであるが、その時代にあっても、「私」という主観・一人称を思考と感性の中心から剥奪してみるという試みはいかにも古い。現象学が登場するまでなら新しさがあったろうが、現象学が哲学を席巻して50年以上も経っているその時代にあって、いまさらそんなことをアピールしても、日本の芸術の後進性を暴露することにはならないだろうか。

といっても、作品はさらっと見ただけで文献もなにも読んでいないので無責任かもしれない。だが、Mr.Xがどうのこうのとか、マリリン・モンローの顔の輪郭をつかった(だけに見える)作品も、ちょっと気恥ずかしくて真面目に鑑賞することはできない。





2012年7月1日日曜日

真珠の首飾りの少女 - ベルリン国立美術館展

6月某日

金曜夜9時に新大阪駅、翌日夜9時に新大阪駅という短すぎる日程で東京まで。目的は美術館を2つ。

ベルリン国立美術館展 と 大エルミタージュ美術館展。

東京駅到着後宿泊先ホテルで仮眠をとったあと(仮眠しかとれず)、翌日(土曜)の朝9時には上野に到着して、雨の中、国立西洋美術館へ。まず、ベルリン展。

開催後最初の週末ということで長蛇の列を覚悟していたが、雨だからか、100人ほどの行列だった。律儀に、静かに9時30分を待っている人たちを少し誇らしく思いつつ、開場を待つ。

開場時間になり列が進み始める。前売りチケットは購入していないので、入り口でまずチケットを買い、傘を固定させて、中へ。他の絵を素通りして、階段を上り下りして、目的の絵の前にたどり着いた。

ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年

ベルリン国立美術館群の傑作を集めた美術展だが、なんといっても、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が貴重だ。

日本に来るのは初めてということもあり、「真珠の耳飾りの少女」に比べてそれほど知られている作品ではないけれど、絵としての評価は高く、フェルメールの作品としては一度は実物を目にしたい個人的トップ5に入る。

さて、絵である。フェルメールの絵と他の画家の2枚の絵のために設けられた部屋に入ってみると、絵の前にひとだかりが。およそ20人とそれほど多くはないが、背の高い人が絵の前にいるため遠くからはよく見えない。グレーの壁に小ぢんまりと「首飾り」が掛けられているのはわかるが、もっと近くでみたい。ので、諦めて同じ部屋に飾られている別の絵をまずみることに。そこは2、3人しかいないのだ。

     レンブラント派 / 黄金の兜の男 1650-55年頃

レンブラント「派」とあるのは、長年レンブラントの作品とされていたこの絵は、最近、本人のものではないと否定されたから。しかし、レンブラントの周辺にいた人物によるものであるのは間違いないということで、「レンブラント派」というクレジットがつけられている。しかし、仮にレンブラント本人でないとしてもこの絵の魅力はいささかも落ちることはないだろう。実際、プレートをよく見なかった私は、すっかりレンブラントの絵であると思い込んだまま、自宅でカタログを見るまで間違いに気づかず、そういうものとして絵を眺めて記憶して違和感はなかったのだから。

この絵の魅力はなんといっても兜と鎧の光沢。おそるべき表現技術だ。そして男の顔。それまで生きてきた人生のすべてが染みこんでいるような顔。フェルメールの絵の登場人物とは別世界の、厳しすぎる表情だ。ほぼ同時代の作品とは思えないほど隔絶した絵画世界。この兵士には当時の凄惨な戦争の傷跡が象徴されているというのだが・・・、一方の当時のオランダ(商業)社会の豊かさを証明しているのが、フェルメールをはじめとした室内画なのである。

もう一枚のレンブラント(こっちは本人作)は省略。

フェルメールの空気 ―― 真珠の首飾りの少女

さて、「首飾り」の前に立ち並ぶ人も少なくなってきたので、絵に近づいてみる(今回気づいたが、朝一のメイン画の前は一番混む。本当にその絵を見たい人たちが真っ先に向かうのだから当たり前である。つまり、朝一は避けたほうが、実は、じっくり見られるのだ)。

     フェルメール / 真珠の首飾りの少女 1662-65年頃

こうしてフェルメールの絵をみて思うのは、他の画家の絵とは決定的にどこかが違うということ。言葉では表現しにくいが、他の画家の絵が絵であるならば、フェルメールの絵は絵ではない何かであるとさえ云えてしまうほどの違いがあるように感じる。それほど特別だ。

その特別さの原因は、絵のなかの「空気」であるように思う。

ぼやっとした、はっきりとしない人やモノの輪郭。色あいも、原色そのままは一切なく、あえて云えば地味な、あいまいな色。それは、藤田令伊によれば、当時のオランダの空気の影響そのままであるという(『静けさの謎を解く』集英社新書 )。

日中の日照時間が少なく、街は建物がひしめき合い窓からの僅かな光しか部屋にそそがれないオランダの室内の薄暗さ。絵の少女は、貴重な太陽の光が差し込んだ瞬間をのがさず、贈られたものだろうか、首飾りをつけて鏡でその美しさを確かめているのに違いない。うれしそうな表情が、このどんよりとした絵の最大の魅力になっている。

そんなぼんやりした絵だから、絵でまっさきに目に入ってきたのは、少女(と書くが、原題はwomanであってgirlではない。カタログではなぜかyoung ladyとなっているが)の赤いリボン。赤というより紅色だろうが、赤系統の色はこれだけで他に青色は一切ないため、このリボンがよく目立つ。ワンポイントだから絵を支配するようなものではなく、靄に包まれたかのような絵にいくぶんかの安定を与える作用を働かせている。


そして、その下にある真珠。1m以上離れれば小さな光の反射でしかその存在を確かめることはできないが、この真珠の輝きは言葉にならないほど素晴らしい。赤のリボンと真珠が絵全体に落ち着き(物理的な)を与えているようだ。

反射と云えば、手前の椅子のビスが目立つようにいくつか光っているが、部屋の暗さや窓との角度から考えれば、ビスが現実にこのように光るはずはない。つまりそこにはフェルメールの意図がある。生涯変わらぬこだわりだと云っていいだろう。

カーテンと鏡

個人的にもっとも素晴らしく思ったのは、左の壁のカーテンと鏡。


黄色のカーテンは他の画家が描くような明確な輪郭線で描写されておらず、上でも書いたように、全体的にぼやけており、まさしく靄がかかったような感じである。一方、手前の鏡(と木枠)は影に包まれているものの直線でしっかりと描かれ、そこだけ他のすべてのオブジェクトとは違う雰囲気をもっている。色はもっとも暗いのに存在はもっとも際立っているのである。

明と暗の対照は、太陽の光をもっとも浴びているものと、もっとも太陽から遠いものとの違いである。この描き分けに感動したのは私だけだろうか。

さらに云えば、この絵の主題は真珠あるいはそれを身につける少女なのかもしれないが、そのどちらもが向けられている「鏡」こそ、ひそかな主役ではないかと思った。鏡に少女がどう映っているのだろうと想像せずにはいられない。

フェルメールの絵は「首飾り」を含めてこれまで4枚、実物をみたことがあるが、そのなかで「首飾り」が一番よかったのは間違いない。

彫刻その他

フェルメール以外にも名作(と思われる)作品が多かった。

特に、彫刻。彫刻はそれまでほとんど見たことがなく、その良さもわかったようなわからないような感じではあるが、絵画が平面であるのに対し、彫刻は当然のことながら立体で、写真で見ているだけではその魅力がほとんど伝わらないと今回知った。

展覧会ではあらゆる角度からみることができ、立ち位置によって様々な表情をみせる。


(つづく)

2012年5月3日木曜日

シスレーの執念

5月某日

島田紀夫『セーヌ川で生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)を読了。

過去の美術について、時系列として解説するのでも人物伝として解説するのでもなく、セーヌ川の上流から下流にかけて、河岸風景を描いた絵画ごとに解説する本。だから同じ画家が何回も登場する。絵画が生まれた背景にも触れているので、印象派のひとつの側面を知ることができる。

ひとつの側面とは、印象派の特徴である屋外写生と「筆触分割」。

アトリエで制作されることが伝統的な描き方だったところを印象派の画家たちは積極的に外に出て、対象の前で実際に描くことをしばしば実践した。その成果がセーヌ川を描くたくさんの絵画に表われている。セーヌ川の絵を集めれば、自然と印象派の絵ばかりになると云えるほど、彼らは足しげくセーヌにカンバスを持ちこんだ。

本書で一気にファンになってしまったのはアルフレッド・シスレー(1839-99)で、セーヌ川を描いた彼の作品のひとつが次の絵。

     シスレー / ヴィルヌーヴ・ラ・ガレンヌの橋 1872年

そして、セーヌ川ではないが、シスレーの傑作名高い「モレの教会」。

     シスレー / モレの教会 1893年

モネやセザンヌ、ルノワールのような刺激はないが、いかにも「印象」派的な絵であり、すばらしい魅力をもっている。夕日を浴びた、本来は白い壁であろう教会の黄色の温かみはどうだろう。屋外で、自然の感触を味わいながら描かなければ、実現しなかった絵に違いない。

最後の印象派=シスレー

シスレーは、一言で云えば、印象派に殉じた画家だった。というと唐突であるかもしれない。

この作品の制作年に注目してほしい。1893年は、実は印象派はすでに終わっていた年なのである。

第一回印象派展は1874年で、最後の印象派展は1886年。それから5年以上も過ぎている。1886年以降は集団としての印象派は存在せず、ルノワールやセザンヌなどがそれぞれ独自の絵画手法に挑戦していった頃だ。

だが、シスレーはひとり、印象派展の頃と変わらない理想を追いつづけた。印象派が理念として廃れていってもなお、彼は印象派でありつづけた。つまり、〈自分の目が見た光と影が織りなす自然の情景を、原色とそれに近い色彩で画面に定着することが「絵画の本道」である、という信念を疑わなかったのだ〉。

20世紀の美術史は内容よりも形式を重視するモダニズムに支配されたが、その泡をくってシスレーは過小評価され続けた。シスレーは現実に囚われすぎているというわけだ。しかし、形式にこだわるあまり抽象画の全盛を許した美術は、絵の本来の美しさを見失ったのではないだろうか。

筆触分割

印象派のもうひとつの特徴である「筆触分割」。

色彩の濃淡を表現するためには絵の具を混ぜなければならないが、そうすると明度が落ちてしまうという性質が絵の具にはある。そこで、あえて絵の具を混ぜずにカンバスにのせるのだが、それで微妙な色合いを表現できるのかと云えば、実は、絵に一定の距離を置いて眺めれば隣接する異なる色が見事に溶け合って見えることがわかった。人間の視覚をうまく利用した画期的な描法で、これが印象派の印象派たる所以だった。

     モネ / ラ・グルヌイエール 1869年

ルノワールも同じ構図で描いたことで有名なモネのこの作品がわかりやすい。一定の距離で(モニターで見るならば拡大しないで)みてみれば、水面の波の高低がリアルに、劇的に表現されていることに感動する。しかし、近づいて(拡大して)みてみればわかるとおり、結構大雑把だ。3種類ほどの色しか使っていない。だが、離れてみてみると現実がそうであるように絵もそうなってる。不思議だ。

これが筆触分割の効果で、印象派はこの手法を多用した。彼らの描き方は雑に思えるけれど、それは「見える効果」を狙ったものなのであって、けしていい加減な意識をもっていたからではない。むしろ、伝統的な画家たちより意識的だ。そしてこの手法は、太陽の光を直接浴びる風景画においてもっとも効果を発揮する。筆触分割は屋外制作と密接なかかわりがあるのだ。

モネの絵と同位置、同時期に描かれたルノワールの作品はこれ。

     ルノワール / ラ・グルヌイエール 1869年

ほかに水面の描き方がすばらしいと思った絵を、本書から2枚。

     モネ / アルジャントゥイユの橋 1874年

     モネ / セーヌ川の帆船 1874年


2012年4月29日日曜日

ミュシャとゴーティエ。あるいは坪内祐三の新刊

4月某日

アルフォンス・ミュシャの絵を観に、堺市まで出かける。これで二回目だ。

♯♯ アルフォンス・ミュシャ館 / 堺市立文化館 ♯♯

前回は人を連れていったためじっくり観ることはできなかったし解説文もじっくり読めなかったから、今回はすべてを堪能してみた。

〔前回〕
=  2012.3.23. ペダントリー - アルフォンス・ミュシャ館 =

詳細はあらためて書くとして、いくつか印象的なのを。

しばらく眺め続けたのは横幅が4メートル以上ある「ハーモニー」。壁のひとつを占領する大作である。

     ミュシャ / ハーモニー 1908年

絵だけの画像がみつからず、美術館の展示風景をそのまま掲載。とにかくでかい。いままで観た絵のなかで最もでかい。

近づいてよく観てみれば、細かく描いてある部分とおおざっぱに描いてあるところの違いがあって、にもかかわらず一定の距離をおいて眺めればうまく溶け合っている絵。力作である。

これは中央奥の神(のような人)の前に、無数の人々が集まっている図である。神は英知を表し、左側の人々は愛、右は理性を象徴し、愛と理性という二項対立に神なる英知が調和(ハーモニー)をもたらしている場面だ。あくまで宗教的(キリスト教的)なものであるから意味を深くとらえる必要はないだろう(それはミュシャ個人の思想に強く関わる話で、一般の私たちがそこまでとらえる必要はない)。

ただ気になったのは、中央の下にある「岩」のような黒い物体。どこにも書いていないし推測でしかないが、これは人のように見えた(耳らしきものがあった)。愛と理性の間に挟まれて屍のように横たわる人はいったい何を表しているのだろうか。

「白い象の伝説」

もうひとつ、ミュシャの挿絵で(いろいろな意味で)感動的だったのは、「白い象の伝説」の一連の挿絵。

     ミュシャ / 「白い象の伝説」挿絵 1893年

絵の解説文にはこうある。「白い象の伝説」は児童文学者ジュディット・ゴーティエ(1845-1917)の物語で、ミュシャはその本の挿絵を描いたという。

物語は、仲間はずれにされた白い象と人との間に生まれたちょっと感動的な話で、こんな筋書きだ。

――肌が白いというだけで仲間の象たちからいじめられていた白い象は人間のいる地域に迷い込み、捕らわれてしまう。しかし、白い象は人間にとって神のような存在だったため、厳かな歓迎を受けた(上の挿絵は白い象に人が平伏している場面)。

なんやかやで王の付け人となった白い象は王女にかわいがられ、王女の大切な友人となる。戦場では王子の命を助け、人々の絶大な信頼を得るようになった白い象だが、王女が政略結婚のため敵国の王子と結婚するとその王子に嫌われ、王国を去る。

すべてを失った白い象はサーカス団に連れられサーカスの象としてしばらく暮らした。しかし白い象にとってそれは不本意なことだった。そこにかつて自分を大切にしてくれた王女が偶然現われ再会を果たす。王女は涙を流しながら白い象を抱きしめ、白い象はふたたび王女と暮らすことになるのだった――。

この物語(小説)の挿絵をミュシャは数十枚描いたそうだが、そのうち堺市文化館が所蔵するのは22点で、そのすべてではないがいくつかが今回展示されていた。

なかでも素晴らしかったのは、白い象がサーカスで芸をしている場面を描いた絵と、王女と再会する場面の絵。

ネットでは見つけられなかったので紹介できないのが悔しいが、とても繊細で感動的な絵だった。墨で描いた水彩画なのに単色には思えない豊かな色彩で描かれていた。ぜひ美術館でちょくせつ観てもらいたい。

この「白い象の伝説」の物語が気になって本として出ていないか調べてみたが、出版されたものの、もう絶版になっているようだ。

アルフォンス・ミュシャ
ガラリエ・ソラ
発売日:2005-10-17

いちおう児童文学書であるから、子どもたちに読んでもらいたい本だ。もちろん、挿絵とともに、大人も楽しめる本だろう。

同日

アルフォンス・ミュシャ館の帰りにブックファーストに寄る。

目当ては坪内祐三の新刊なのだが、出荷が前日であると聞いていたのでまだ本屋には並んでいないかもしれない。実際、並んでいなかった。

かわりに、というわけではないが、吉本隆明の追悼コーナーで花田清輝の『復興期の精神』(講談社文芸文庫)をみつけたので購入。坪内祐三の文章でよく登場する本だから。

花田 清輝
講談社
発売日:2008-05-09

でも、買ったときに嫌な予感はしていた。その予感は帰宅してから当たってしまった。「復興期の精神」はすでに持っていたのだ。

私が持っていたのは講談社学術文庫版であったので、違うと云えば違う本である。文芸文庫版のほうは池内紀の解説があるので、それを買ったと思うことにしよう。

しかし今回「復興期の精神」を買おうと思ったのは、この本がタイトルからは想像できないことだが文学者や芸術家をそれぞれ取り上げた批評のパッケージだったから。なかにはマキャベリを語った文もある(帰りに読んだのはこのマキャベリのところ)。たぶん、いま買わなければずっと読まなかったに違いないのだから、買ってよかったのだ。

ブックファーストになかったので、あまり期待せずに紀伊国屋書店に寄ってみる。すると置いてあった。

坪内祐三
幻戯書房
発売日:2012-04-27


「あとがき」的な文章を読めば、この本は、かの名著(と個人的には思っている)『古くさいぞ私は』(晶文社)につづくエッセイ集第二弾だと云う。

これらのエッセイ集は雑誌や新聞に寄稿した短い文を集めたもので、このような文は(特に新聞のは)一度読み逃したらまず読むことはできず、すべての雑誌・新聞を網羅することはどだいできないのだから、当然単行本に収録されるまで待つしかない。

とはいえ、坪内祐三のエッセイは過去何度も単行本化されているのでは? と疑問がでてくる。(エッセイ風の連載の単行本化とは別に)書評・古本などひとつのテーマにしぼってまとめたものは確かに何冊かあるのだけれど、雑多な文のなかから雑多なまま収録するという形の本は、「古くさいぞ私は」以来ということなのだろう。

実際に目次を眺めてみれば、「訪書月刊」や「室内」(どちらも休刊)に書いた文も収められている。これは貴重だ。

本書はだが、一方で「en-taxi」に寄稿したものが多く含まれているので、個人的はすでに読んだものもある。あるのだが、発表当時に読むことと今読むことと、それはまた別の印象があるだろう。

ということで、目下、読書中。

そうそう、もう一冊忘れていた。

坪内祐三の本の隣にリービ英雄の新刊(『大陸へ』(岩波書店))も平積みされていたので、手にとって少し読んでみて、これも買ってみた。

リービ 英雄
岩波書店
発売日:2012-04-19

リービ英雄の本はいままで一冊も買ったことがない。興味がなかったわけではなく、ただきっかけがなかっただけだ。

このあいだNHKかなにかでリービ英雄が万葉集を語る番組があって(古今和歌集だったかもしれない)、その語り口に良いセンスを感じたことが大きかったかもしれない。先年、芥川賞を受賞した中国人作家が話題になったけど、外国人でありながら日本語で文を書く同じタイプの作家としてはリービ英雄のほうがずっと素晴らしいと聞いていたこともある。

本書は彼がアメリカや中国を訪れたときのエッセイ集のようなもの。彼は生まれはアメリカだが、子どもの頃に香港・台湾で過ごした経験をもち、その後日本にも住んでいたことがある。アメリカに戻ってからはスタンフォード大学などで日本文学の教授をつとめたが、それを辞めて日本に定住し、現在は日本語で小説を書いている。

おそらく3つの故郷をもつ人なのだろう。その彼が日本語によって今のアメリカと中国をどう描くのか、そこに興味をもったわけだ。

まだ20ページくらいしか読んでいないが、その感想としては、言葉の意識の強さをとても感じる文章(日本語)だなということ。て・に・を・はに若干違和感はあるものの、もの・ことをどんな日本語で表現すればいいか、苦心しながらも語りたい内容は読者に十二分に伝わってくる。つまり、とても文学的な文章だ(日本人でもなかなかこうはいかない)。

ひとつの場面を紹介。

オバマ大統領誕生のその日、​ワシントンを訪れていたリービ英雄は国会議事堂方面に向かう地下​鉄に乗り込む。同乗の客たちはみな同じ目的地を目指している。体​格の大きいアメリカ人たちはぎゅうぎゅう詰めなのにまったくいさ​かいを起こさずしずかにじっと立ち続ける(ふつうなら喧嘩沙汰になっているところだ)。

だれしも同じ感慨にふ​けっているのだ。「一人一人が歴史を意識しているの​が感じられた」。歴史、つまり黒人初の大統領の誕生という歴史的瞬間に立ち会っているという意識、数百年の間、社会のメインストリームから疎外されてきた黒人が社会のトップにたつという瞬間に、みなしずかな興奮をしているのだった。――

こういう感想は、その社会の内部にいた(いる)人たちにしかわからない実感だろう。最後まで読みとおすのが楽しみだ。






2012年4月15日日曜日

坪内祐三と福田和也の新刊3冊と印象派

4月某日

紀伊国屋書店に久しぶりに寄って、なにか新刊は出ていないかと棚をザザッと眺める。

まっさきに向かった文芸書コーナーに坪内祐三の新刊を発見。『文藝綺譚』(扶桑社)だった。

坪内 祐三
扶桑社
発売日:2012-04-14

少し立ち読みしてみると、雑誌『en-taxi』連載のエッセイ(批評)をまとめたもののようで、同誌からは『アメリカ』『風景十二』に続く単行本化だ。

その二冊はもちろん読んでいるので、今回も購入。

帰宅後に少し読んでみたが、連載中に読んだものもあり(例えば「第一夜 パーティー」)、つい読みふけってしまう。

「あとがき」によれば、タイトルの「文藝綺譚」は「ぶんげいきたん」ではなく「ぶんげいきだん」と読む、という。有名な永井荷風の「濹東綺譚」も、よく間違えられるが「ぼくとうきたん」ではなく「ぼくとうきだん」と読むらしい。私も間違っていた。

ところで「パーティー」だが、冒頭に川村二郎と出会う場面がある。野間文芸賞の受賞パーティーが開かれた夜のことで、川村二郎は選考委員の一人なのだ。

ここで整理しようと思う。いつも混同してしまうのだが、川村二郎と川本三郎は別人であり、しかも川村二郎は著述家で二人いるということだ。

ここに登場する川村二郎はドイツ文学者・文芸評論家で、日本芸術院会員もつとめた御大である。受賞パーティーの翌年、2008年に亡くなった。

もう一人の川村二郎は朝日新聞の編集委員のあと、文筆家としてフリーに。白洲正子の伝記も書いているが、基本的に文章術的な本を書く人。まったく自分には関係なさそうだ。

そして、川本三郎は、同じく朝日新聞を退職後、さまざまな著作のある評論家。「東京」や「荷風」についての本が多く、たぶん、私も(一部)読んだことがある。坪内祐三がよく名前をだすのは、この川本三郎のはずだ(『東京人』の編集委員をつとめたことがある、ということとは関係ないだろう)。

川本三郎が世間を騒がせたのは、指名手配犯のお手伝いをしてバレて有罪判決を受けた事件だろう。そのせいで朝日新聞を退職したのだが、その後の活躍は評価が高い。

ようやく三人の区別ができた。

この新刊のふたつ隣に、福田和也の新刊もあった。『村上春樹12の長編小説』(廣済堂出版)。WEBサイトで連載していたエッセイ(批評)の単行本化である。

福田 和也
廣済堂出版
発売日:2012-03-14

同じサイトで連載していたものとして坪内祐三の『父系図』(廣済堂出版)があるが、これはちょうど今日読み終わったところ。そのサイトはちょくちょく見ていたから、福田和也のこの連載も少しだけ読んでいて、単行本化を待っていたから購入。

あいかわらず「あとがき」がないが、最終章「1Q84」は書き下ろしということでよしとしよう。この本は当面、積読だ。

もうひとつ、本屋の新刊コーナーにチラッと目をやったときに見つけたのが福田和也の岸信介の伝記。これは待ちに待った単行本化である。

福田 和也
扶桑社
発売日:2012-04-07

あいかわらず「あとがき」がなく、でも最終章の後編は書き下ろしだ。これも、しばらく積読だ。

もうひとつ、新書も一冊購入した。

島田紀夫『セーヌで生まれた印象派の名画』(小学館101ビジュアル新書)。

このシリーズは(というより、第一弾の高階秀爾が)よかったので新刊がでればチェックするのだが(といいつつこの本がでたのは半年前)、この島田紀夫という人の名は美術展カタログで見たことがあるし、印象派ということもあるのですぐに読んでみたい。

島田紀夫について少し調べてみると、印象派だけではなく、アルフォンソ・ミュシャについての著作がある。そうか、ミュシャのカタログで見たのかもしれない(実際そうだった)。

※大阪府堺市にある「アルフォンソ・ミュシャ館」訪問記。

そんなこんなで、しめて6,615円也。まぁまぁの買い物だった。



2012年4月7日土曜日

フェルメールの秘密 - 藤田令伊『静けさの謎を解く』

4月某日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)を読了。

藤田 令伊
集英社
発売日:2011-12-16

ひと言でいえば、「フェルメールがなぜこれほど人気を博すのか」を考察した本。読みやすさとは裏腹に、内容は奥深い美術本だ。

意外なことではあるが、フェルメール(1632-75)が活動した17世紀オランダの頃からおよそ20世紀の初頭まで、フェルメールの絵は他の画家のそれと比べて特別高い値段で取引されていたわけではないし、最高の評価を与えられていたわけでもなかった。だが、20世紀のいつ頃からか、もっとも人気のある画家となった。

それには当然、理由があるだろう。つまり、他の画家の絵とフェルメールの絵とは、どこがどう違うのか。その「違い」を探るひとつの試論が本書であり、著者の藤田令伊はフェルメールの絵がもつ「静けさ」に注目している。(なお、以下の文章は本書の内容と私個人の素材・意見を交えて書いている。)

数回前のエントリーで書いたことと少しかぶるが、フェルメールの絵の特徴は次のキーワードに集約される。

1. 青
2. 構図の簡略化
3. 非現実性(創造性)
4. 静かな動作
5. 非物語性
6. オランダの光
7. エラスムス

これらの要素を盛り込むことで、フェルメールは他の絵にはない独特な「静けさ」を獲得することができたのだった。本人が意図したものと、時代・環境によるものと、どちらもあるのだけれど。

青

フェルメールは当時では珍しい「青」を多用したことで知られるが、なぜ珍しいかと云えば、それは、青色をつくる原料がごく僅かで貴重だったということもあるが、なによりヨーロッパの歴史上長らく「青」という概念がなかったことが大きい。

中世においては白・黒・赤が基本色で、青は認識さえされなかったのである(海は「白」であるとされた)。原料の工夫で青がつくりだせるようになってからも、青は特殊な色とされ、一部の人たちだけが使うことのできる色でしかなかった。青は日常にはない色だったのだ。

フェルメールと同時代の画家たちが実際に何色で描いていたかを見ればよくわかるが、「絵画の主調色は黒と褐色で、そこに赤や黄で描かれるのが主流だった」。

  テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女 1659年

個人的にとても気に入っているテル・ボルフ(1617-81)のこの絵では、黒や茶色を基調色としたうえで赤と白がポイントとなっている。いっぽうのフェルメールの絵で、青が効果的に使われているのは次の2枚の絵だ。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃

  フェルメール / 窓辺で水差しを持つ女 1662-65年頃

絵のなかに青があるだけで、だいぶ違った印象を受けるだろう。もともとテル・ボルフの絵は暗いためフェルメールの明るさが目立つということもあるが、青を衣服に用いれば画面が明るくなり自然と落ち着いた雰囲気にもなる。どこか高貴な感じがするし、若々しさも伝わってくる。フェルメールの「青」は、つまりそういうことなのである。

構図の簡略化

フェルメールは一度描いた配置物を消してしまうことが多かったというのは有名な話である。

上の絵「牛乳を注ぐ女」でも、背景の壁に絵か地図を描いていたが途中で消してしまったという。当初の構図では、「窓辺で水差しを持つ女」がそうであるような感じだったのである。この2点の絵を比較すればわかるが、「牛乳を注ぐ女」のほうがよりシンプルになっているため、寂しささえ感じることができるだろう。それもまた「静けさ」につながる要因のひとつなのである。

フェルメールと同時代を生きたデ・ホーホ(1629-84)の絵を観てみよう。

  デ・ホーホ / 室内の女と子供 1658年頃

(これは先の「フェルメールからのラブレター展」にも展示されていた絵であるが、)床にも壁にも何も配置物はないのにどこか窮屈な感じがするのは、左側にタンスが置いてあったり左右両方に奥の部屋が続いていたりと、殺風景な部屋の中を描いた点では同じであるものの、「牛乳を注ぐ女」と比べて焦点の数がだいぶ異なっている。鑑賞者は特に右奥の部屋にある椅子や壁の肖像画にどうしても意識がいってしまう。もちろんそれが「悪い」というのではない。だが、フェルメールの場合は焦点の数をあえて絞ってさっぱりとした絵を描こうとしていたということだ。

それだけではない。

フェルメールと同時代の絵画を集めたラブレター展に足を運んだ人はすぐ気づいただろう(特に絵の素人である私のような人は)、当時の室内画の多くは大げさな身振りをする人間が描かれていることに特徴がある。酒を飲んでいたり、女性に云い寄っていたり、歌をうたっていたり、そういう場面だ。

  デ・ホーホ / 女と召使 1670-75年頃

同じくラブレター展に展示されていたもの。「牛乳を注ぐ女」と同じく女性が家事をしている姿の絵で、動作の少ない絵を選んだつもりである。それでも二人の女性が何を話しているのか、奥にいる男性は誰なのかなど気になるものだ。純粋に作業をしているだけの場面、とは云えない。逆に云えば、フェルメールの絵は純粋に作業をしているだけの場面でしかない。

  フェルメール / レースを編む女 1669年頃

その、純粋に作業をしているだけの場面を描いた絵のひとつが「レースを編む女」で、デ・ホーホの作品とは、女性が家事をしているという点では同じであるのに、汲み取られる意味の多さはぜんぜん異なる。これは、ただもう裁縫をしているだけの場面であって、余計な物語を想像することを拒否さえしているようだ。

デ・ホーホら当時の画家たちが人の動作や物の配置に暗示をこめるのは、そうでなければ「絵」ではなかったからだ。意味のない動作の一瞬を再現したところで価値のある絵にはならない。しかし、フェルメールは人の自然な動作としかるべく置かれた物だけを表現する新しい方法を選んだ。それが現代のフェルメール人気につながっているのは間違いない。現代は、形式を重視する美術思考だから。

非現実性(創造性)

絵が写真と異なるところは、創造性である。

けして見たままをカンバスに写すわけではく、写しとることができるわけでもない。そこに画家の主観が入るからだ。(写真にも主観が入る、だなんて野暮なことはここではなし。)

技術的な問題ではなく、画家が作為的に現実を歪めて描くこともある。現実に忠実に描いているように見せて、実はちょっとしたところで歪める。

しかし人間の身振りや表情を大袈裟にしてみたりすることに違和感はないが、空間を歪めてしまうのはいったいどうなのだろうか。フェルメールの時代にあって、それは異質なことであったに違いない。それとわからないようにしていたとしてもだ。

上で掲載した「牛乳を注ぐ女」では、左の壁とテーブルの位置関係が、よくよく見てみればおかしなことになっていることに気づく。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃 ※再掲

デーブルの右端の方向が壁の奥行きの方向と平行になっておらず、食べ物で見えないテーブルの奥の端は赤い坪と女性の間のどの位置にあるのかよくわからない。両者の間をうまく通すとすれば、テーブルは四角形ではなく五角形になっていなければならない。つまり、不自然なのである。

そうなったのは、テーブル上の置物をよく見せるためだったからに他ならない。つまり、部屋の構造とテーブルの配置は別個のものとして描かれたのであり、悪く云えばつぎはぎのようなものだ。

問題は、なぜフェルメールはあえてそうしたのか。そしてそれは絵画としての質を落とすことになるのではないか、という疑問である。

藤田令伊は云う。フェルメールは「現実からの乖離を恐れなくなった」のではないか。

現実にはこうあるはずという厳格性を無視して、「そのように見せたい」というフェルメール個人の考えがそこにはある。ではその考えが何かと云えば、フェルメール独自の「絵画芸術」がそれだ。「絵画芸術」については藤田令伊本人もこの本では詳細には明らかにしておらず、私もよくわからない。わかるのはただ、現実には囚われていないフェルメールの芸術観がそこにはあるということだけだ。

現実にとらわれない描写は、もちろん、のちの印象派を先取りするものである。

静かな動作

(やはり順番を間違えた)

非物語性

単に見たままを描いただけでは芸術にはなりえない。

むしろこう云った方がいいのかもしれない。描いただけで「意味」を、つまり「物語」を想像させるものが絵=芸術なのであると。

しかし、フェルメールはそれを拒否したのかもしれない。可能な限り「意味」を剥奪した絵、解釈を求めない絵――。

すべての作品がそうであるわけではないが、フェルメールがフェルメールらしさを存分に発揮したと評価されている作品はおしなべて、その目的を追い求めたものだったと考えられる。それが非物語性の意味だ。

「ルネサンス以来の伝統的な絵画には何らかの意味が込められているほうがふつうである」。いわゆる「寓意画」と云われるもので、宗教画や歴史画は云わずとも、日常を描いた絵にも教訓的なメッセージや人間の美しさ(あるいは醜さ)の表現といった意図が隠されている。室内画を多く描いたフェルメールはだが、そのような意図とは無縁であった(例外はもちろんあるが)。

トローニーという絵の様式がある。特定の個人を描いた肖像画とは違い、誰とはわからないある人物の姿(ときに架空の人物の)を描いた絵である。有名なのが「真珠の耳飾りの少女」。

  フェルメール / 真珠の耳飾りの少女 1665年頃

背景を黒一色に染め、描かれた少女は貴族でも神話上の人物でもないごくふつうの人物だ。実在の少女なのかどうかはわかっていないが、おそらく架空の人物であろうと云われており(いや、現在はフェルメールの娘ではないかとされている)、服装にも特別な意味はなく(当時流行のトルコ風の服であるようだが)、この絵がいったい何を表現しようとしたのかは不明、というより、一般的な絵画がもつような意味を何も表現していない。

それゆえなのか、ひとりの少女をそのまま描いただけなのにこの絵の現実感のなさはどういうわけだろう。青いターバンや黄土色の服が珍しいから、というわけではない。意味を剥奪された絵というのはある種の神秘性を帯びるものなのだろうか。

フェルメールは「現実の再現描写にとどまらない絵を探っていた」のではないかというのが藤田令伊の話。

それは芸術のための芸術である。フェルメールは芸術そのものを描こうとしたのかもしれない。

芸術がそれ自体「意味」をもち、「物語」性を獲得することができるとするならば。

オランダの光

(後日)

エラスムス



(後日)