2013年6月30日日曜日

谷崎潤一郎、美と構成

6月某日

急に谷崎潤一郎を読みたくなったので、人生で初めて読むわけだが、主な作品を一気にめくってみた。以下、手に取った順に。(あらすじは省略。)


春琴抄

新潮社
発売日 : 1951-02-02

谷崎始めはまず「春琴抄」から。

読み始めて意外だったのは、「春琴抄」が純粋な小説ではなく実際の出来事に脚色を加えた半小説であることで、直前に読んだ永井荷風「墨東綺譚」もまた小説というよりエッセイに近いものだったから、両作が書かれた昭和戦前期の文学の有り様、もっと云えば日本近代文学そのものがいかに明治末年に登場した田山花袋らの「自然主義」の影響のもとにあるのかを痛感させられた。

このふたつの作品が日本近代文学の傍流であるならば気になるものではないが、名作と云われるこれらがいずれも「自然主義」的な、つまり事実にほんの少し色づけをした小説であることに、日本近代文学の宿命をみないわけにはいかない。

さらに問題が根深いと思うのは、ふたつの作品が、それもとりわけ「春琴抄」があまりにも面白いからである。いくら知った者を驚かせるほどの「事実」をもとにして書かれた小説であるとは云え、それを淡々とかつ劇的に描ききった谷崎の力量には感嘆せずにはいられない。

無駄を省いた品のある文章を最後まで並べ、知られるわずかな出来事からそれらの背後で交わされる春琴らの無言の言葉々々をすくいとった谷崎とはいったい何者なのだろうか。日本文学とは、フィクションであることとないことの区分けそれ自体が無意味な世界なのかもしれないと、前言を反省しつつ思う。

小説中もっとも美しかったのは自分の目を針で刺した佐助が春琴に知らせにいった場面であった。私はめしいとなりました。安心してくださいと云う佐助に、春琴は「佐助、それはほんとうか」と云ったきりしばらく押し黙った。佐助は後年振り返って云う。「この沈黙の数分間ほど楽しい時間はなかった」。

子どもまで生まれ(もっとも里子にだして育てはしなかった)、四六時中いつも一緒にいる二人はなぜ結婚しなかったのか。(佐助は春琴のことを御師匠様と呼ぶがここは春琴とする。)

自分にとっての春琴はわがままで厳しい人であり、対等の関係になれば主従の関係がくずれ、春琴は自分の知っている春琴ではなくなってしまう。春琴の自信を取り戻すためにも以前と同じように、むしろ以前よりまして自分は春琴の従僕とならねばならない。――――――



新潮社
発売日 : 1951-12-12

「卍」は同性愛をあつかった問題作のように要約されるようだが、読中、そして読後の印象はそう単純なものではなかった。

既婚の園子が女子技芸学校で知り合った独身の令嬢、光子と同性愛の関係に陥り、園子の夫や光子の隠れた恋人(男)を巻き込んでさまざまな駆け引きを繰り広げ、なにが本当であるか、(登場人物だけでなく読者も)誰を信用していいのかまったく判然としない人間関係が展開される。結局、園子とその夫と光子の奇妙な同居生活から3人の薬毒自殺(園子は生き延びるが)へと至る破滅型のストーリーだ。

本書の白眉は、互いの騙し騙され、裏切り裏切られの複雑な物語構成である。そして光子の怪しく美しい性格とその魅力。読者が谷崎の手のひらの上で最後まで踊らされるこの小説は、一流のミステリ小説であると云いたい。同性愛だとかどろどろの三角関係だとか、興味本位の俗悪趣味小説ではまったくない。

陰翳礼讃

中央公論社
発売日 : 1995-09-18


痴人の愛

新潮社
発売日 : 1947-11-12



新潮社
発売日 : 1968-10-29

勘ぐりと思いすごし、嘘と虚栄、一人よがりと本音――――それらが交錯する物語である。

結局、夫は妻・郁子に敗れた。裏のかき合い、策略のかけ合い、そして性欲のぶつかり合いに敗れたのだ。

勝った妻は、夫が死をもって日記を書けなくなってからも日記を書き続け、そこで初めて「真相」を明かす。これまでの日記には多くの嘘があったこと、娘・敏子の恋人である木村との関係は貞節を守るどころか既に一線を越えていたこと・・・・・・。ここまでは明言していなかったが、郁子は木村に「本当の」恋をしていたということである。

だが、夫を欺きとおした郁子も娘の敏子と木村が何を考えていたのかはわからない。そこはどうしても見抜くことができなかった。

したがって最も巧みに振舞っていたのは敏子と木村なのかもしれない。とくに敏子の不気味さはカフカを思い起こさせる。結局、この2人自身の日記は(物語の表面上は少なくとも)書かれず、彼ら自身の言葉による「真相」は一切語られなかった。

敏子と木村こそ、この物語の差配者であるのかもしれない。

瘋癲老人日記

「鍵」に比べるとはるかに出来は劣るので特別書くことはなし。

それよりも、この小説にはストーリーとは離れたところで有名な一節がある。京都へ小旅行にいったときの、(日記に書かれた)爺の独白である。(以下、原文は漢字とカタカナだが、カタカナをひらがなに改めた。)

新潮文庫の339頁にあるそれは、いわゆる東京批判。自分は生粋の東京(江戸)生まれだが、最近の東京は面白くないという言葉で始まって、「今の東京をこんな浅ましい乱脈な都会にしたのは誰の仕業だ」などと延々と東京を愚痴っていく。1頁足らずのこの一節は物語とはほとんど無関係に唐突な形で登場する。

東京生まれの谷崎は関東大震災を機に関西に引越し、戦後10年経ってから熱海に移るまで京都・兵庫で暮らしていた。東京と関西と、両方をよく知る作家の一人なのである。「瘋癲老人日記」が書かれたのは戦後であるが、谷崎の云う「今の東京」はおそらく関東大震災(1923年)以降の東京のことだろう。そんな谷崎の東京論とでも云えるのがこの文章なのだ。

では、東京を「乱脈」な街にしたのは誰かと云えば、「田舎者の、ポット出の、百姓上がりの昔の東京の好さを知らない政治家と称する人間共のしたことではないか」。明治以前の江戸は江戸の人たちが作り上げた町だが、維新のそれからは地方から東京に出てきて立身出世を果たし、官僚や政治家、実業家になった人たちがもっぱら東京の街を作ってきた。その「悪趣味」に谷崎は我慢がならないのだろう。それでは谷崎の思う「東京」とはいったい何なのか。それは「陰影礼賛」に書かれている。

刺青

新潮社
発売日 : 1969-08-05

細雪

新潮社
発売日 : 1955-11-01

2013年6月15日土曜日

作曲者の苦しみを「体験」して、それから -コバケン「炎の7番」など

3月某日

ぜひとも姪っ子たちにクラシックを「体験」させてやりたいと思っていたら、大阪フィルハーモニーが地元の人向けの、バラエティに富んだプログラムを演奏するというので、連れて行ってみた。

場所はいわゆるコンサートホールではなく楽団が根拠地にしている「大阪フィルハーモニー会館」で、定員は300人ほどの小さなホール。ここは初めてということもあり、到着するまではそれなりの箱だと勝手に思っていたからその小ささに驚いたのだが、実は、このサイズがいろんな意味でよかった。オーケストラメンバーと距離3mくらいの近さで演奏を聴けるのは貴重な機会。そして、子どもらにもオーケストラの迫力が伝わっただろうから(たぶん)。

にしなりクラシック / 大阪フィルハーモニー交響楽団

-プログラム-
■ エルガーほか
「威風堂々」ほか全11曲
(encore)
■ 外山雄三
信濃追分、八木節
(「オーケストラのためのラプソディ」から)

指揮 : 船橋洋介
演奏 : 大阪フィルハーモニー交響楽団

SITE : 大阪フィルハーモニー会館
DATE : 2013.3.30.

楽曲は11曲もあったので曲名は省略するとして、印象的だった曲を少し書き残そう。


ボロディン / 交響詩「中央アジアの草原にて」

他に披露された曲が有名どころの、動きの多い激しいものが多かったため、この陰鬱なトーンが特に印象に残る。聴いていると中央アジアの静かで雄大な風景が自然に浮かんでくるようである。

高音のフルートが鳴り続ける部分が多いが何を表現しているのだろうと思った。


ブラームス / ハンガリー舞曲第1番

指揮者の船橋さんが曲の合間にそれぞれの曲の背景について解説してくれるのだが、その船橋さんの話によればブラームスはハンガリーのジプシーたちに伝わる原曲に自分は少しだけアレンジをしただけなのだと謙遜して云っていたという。チャイコフスキーがそうであるように、クラシックというジャンルにくくられる音楽は意外にも各地さまざまな民族音楽を取り入れているのだ。

冒頭、単一の旋律がごく目の前で数十の弦楽器によって奏でられる光景は、それはもう感動であった。

大阪フィルはブログの記事も充実していて、毎公演、練習風景を含め写真つきで紹介しているのだが、今回のエントリーにちらっと自分が写ってしまったのはご愛嬌か。

4月某日

ついで、関西フィルハーモニー管弦楽団が主催する「奈良定期演奏会 チャイコフスキー第五番」。

場所は「なら100年会館」というところで、JR奈良駅のすぐ隣にあるホール。会館の周辺には、正直、何もない。埼玉の熊谷駅よりずっと田舎である。奈良駅という奈良県の中心たるべきターミナル駅の周辺のなんと寂しいことだろうと、唖然としてしまった。天理とかそっちのほうが栄えているのだろうか。

  なら100年会館 / 異様な建物

わざわざ奈良まで電車で2時間近くかけてやってきたのは、チャイコフスキーの第5番が演奏されるから。

奈良定期演奏会 チャイコフスキー第五番 / 関西フィル

  なら100年会館 / 設計は磯崎新

なんともすごい建物だが、ホールはもっとアヴァンギャルド。

  なら100年会館 / 開演前のホール

はじまる前の様子だから、掲載しても大丈夫でしょう(演奏中はもちろん撮影してません)。当日券を買ったのだが、こんなよい席がとれてしまった。

反響板が特徴的で、貝殻のよう。2階席が宙に浮かぶような構造になっていたり、木版ではなく金属(パイプ)むきだしで全体が組みあがっていたりと、さすがは磯崎新か。

座席の傾斜がきつめなので、1階席のどの席に座っても舞台がよく見える。さすがは磯崎新と云うべきだろう。

-プログラム-
■ チャイコフスキー
ポロネーズ(「エウゲニ・オネーギン」Op.24より)
■ ピアソラ
アディオス・ノニーノ
バンドネオン協奏曲
(休憩)
■ チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 Op.64
(encore)
■ エルガー
夕べの歌

指揮 : 藤岡幸夫
バンドネオン独奏 : 三浦一馬
演奏 : 関西フィルハーモニー管弦楽団

SITE : なら100年会館
DATE : 2013.4.13.

実はこのコンサートでのメイン、一般によく知られており聴衆の多くがもっとも楽しみにしていたのは、若きバンドネオン奏者三浦一馬さんの演奏なのだろう。テレビにもよく出ていたと思う。

当代一流のバンドネオン奏者であるアルゼンチンのネストル・マルコーニの教えを乞うために、自作CDを売って彼の地への渡航費を稼いだという彼は、いまや製造さえされていないバンドネオンの優れた弾き手として世界でも期待されている。私はチャイコフスキーに気をとられてまったくノーマークだったが、文字通り幸運にも、彼のすばらしい演奏を生で聴く機会を得てしまった。== 三浦一馬さんを紹介する楽団公式ブログ ==


  アストル・ピアソラ / バンドネオン協奏曲 第一楽章

とりわけ2曲目のバンドネオン協奏曲のすばらしさといったら。ティンパニーとバンドネオンのかけ合いやヴァイオリンとの合奏は聴いていてうっとりとするほどである。タンゴが基本だが、クラシックやジャズの要素が盛り込まれているように思った。

さて、“メイン”のチャイコフスキー。演奏前に指揮者の藤岡幸夫さんがチャイコフスキーその人と、交響曲第5番について聴衆に語りかける。

この曲には同性愛ゆえの苦悩を感じていた頃の精神不安が色濃くにじみでていること、第一楽章の「運命」の主題がその苦しみの表現であること、冒頭に登場するメロディが繰り返し全楽章の中に形を変えてあらわれてくること、それを楽しみにしてほしい。そして、第四楽章はチャイコフスキーが勝利をつかもうとしてつかみきれない感情の昂ぶりが劇的に表現されている、という。初めてチャイ5の「意味」を知った気がする。最後に、チャイコフスキー自身が楽譜に「野獣のように」と注釈をいれている第四楽章のクライマックスの部分の「狂った」さまを表現できれば、この演奏会は成功だと藤岡さん。

個人的印象を先に語れば、全体的に意外にも上品な演奏だったように思う。だが、第四楽章の音の「高まり」はなるほど圧巻で、頂上まで一気にかけあがっていく迫力は感動的だった。

今回は第四よりも第二楽章が最高で、ホルンのソロ部分から叙情的メロディへと流れるあたりのすばらしさは言葉にならない。そしてオーボエの音の美しさ。第二楽章はチャイコフスキーの「恋物語」を聴いているかのようであった。

そういえば、事前に「何楽章が好きか」というアンケートを団員にとったら第二楽章が一番人気だったという(アンケート結果は公式ブログで公表されている)。

やはりチャイ5はいい。指揮者・楽団によって、受ける印象がぜんぜん違うのがまたいい。

6月某日

チャイコフスキーの有名曲では交響曲第6番ピアノ協奏曲をまだ聴いていない。とくに第6番を聴いてみたいのだが演奏するコンサートをなかなか見つけられないでいて、いっぽうのピアノ協奏曲はちょくちょく見かける。

平日の夜だが、コバケンこと小林研一郎指揮で大阪フィルハーモニーがピアノ協奏曲を演奏してくれる情報を見つけて早速行ってみた。場所はザ・シンフォニーホール。直前だったため、2階席の端のほうとあまりいい席はとれなかった。

コバケン「炎の7番」 / 大阪フィルハーモニー交響楽団

タイトルの「コバケン『炎の7番』」はちょっとダサい。「7番」はベートーヴェンの交響曲第7番のことで、メインである。私のメインはピアノコンチェルトだったのだが……。

〈 前回行ったコバケン指揮「炎のチャイコフスキー」レポート 〉

-プログラム-
■ ロッシーニ
歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲
■ チャイコフスキー
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.23
(休憩)
■ ベートーヴェン
交響曲 第7番 イ長調 Op.92
(encore)
■ ドヴォルザーク
ユーモレスク
■ (唱歌)
故郷(ふるさと)

指揮 : 小林研一郎
ピアノ独奏 : 小林亜矢乃

SITE : ザ・シンフォニーホール
DATE : 2013.6.12.

ピアノ独奏の小林亜矢乃さんは小林研一郎氏の実娘で、ケルン音楽院を首席で卒業したというから腕前は相当なのだろうけれど、少なくとも今回のコンチェルトは粗が目立ったように思う。特に最初のほうは音の粒がたっておらず雑音まじりのぼんやりした音が多く聴こえてきた。ギターで云う倍音がうるさく感じた。初心者なのでよくわからないが、このような大きなホールでピアノを奏でた場合はそういうものなのかもしれない。

全体としてみてみればそれはもう素晴らしいピアノ協奏曲であった。最初のホルン4つの鳴りから鳥肌が立ってしまい、タメのきいたピアノ(いつも聴いている協奏曲とはぜんぜん違った)、きれいな高音で大切な旋律を鳴らすフルート(あまりいい音はでていなかったが)、そして軽やかなメロディではじまる第3楽章はピアノの高音のリズムがなんともかわいらしく美しかった。フルートが特に重要な楽器の協奏曲なのだと知った。

印象的だったのは、ヴィオラとチェロがそれぞれ単独で旋律を奏でるパート。ふだん聴いていて気づかなかった部分である(いま聴いてもどこなのかわからない)。


  ミハイル・プレトニョフ独奏 / チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番

で、なぜかアンコールはなく休憩に入ったのだが、後半が始まる直前に小林研一郎氏が登場してベートーヴェンの第7番について話をしてくれた。

が、ちょうど遅まきのトイレに行っていたので半分しか聞くことができず、とにかくベートーヴェンの曲作りのこだわりを賞賛してやまなかったような感じだった。

始まったベートーヴェン交響曲第7番は、第1楽章はふつうのまま終わり退屈していたが、第2楽章のあのどんよりしたメロディが流れてくると身を乗り出す。ヴィオラ~コントラバスのゆったりしたパートからヴァイオリンも参加し始めて暗い陰鬱な旋律が、けして盛り上がることもなく、ただただ繰り返される。


  カラヤン指揮 / ベートーヴェン交響曲 第7番 Op.92

これがベートーヴェンか。

第3楽章はまたガラリと変わってアップテンポになり、そのまま第4楽章へ。第4はイマイチ好きになれないが一般的にはどうなのだろう。

とにかくベートーヴェンの交響曲はとても「作りこまれた」印象を受けた。無駄がなく、構成美に満たされ、しかし音楽の高揚とテクニックも十分に織り込まれている。超越性、非日常性というような言葉が似合う。第2楽章のあの苦しい、暗黒の力はどのように生まれたのだろうか。ベートーヴェンのなにがそうさせたのか。

万雷の拍手に囲まれてアンコールの曲に移る。曲はドヴォルザークユーモレスク。コバケン氏のリクエスト通り「む~ひょ~~」とヴァイオリンが鳴り響く。

さらにもう1曲。オーケストラを全員下がらせてからピアノを再度舞台の中央にもってきて、コバケン氏みずからピアノ伴奏を弾き毎年恒例になっているらしい「故郷(ふるさと)」を聴衆全員で合唱。これにはビックリした。

ピアノ協奏曲を楽しみにしていたコンサートだったが、ベートーヴェンに完全にもってかれた。技術の上でも曲の重みでも第7番の衝撃は忘れられない。

そしてコバケン氏は、指揮者とはどうあるべきかを身体で表現してくれたと云える。

今日のなによりの収穫は、ベートーヴェンの恐ろしさを垣間見たこと。ひとつずつ、交響曲を中心に聴いていきたい。