2011年3月19日土曜日

フェルメールのデッサン

3月某日

今週の『週刊文春』をザッピングしていたら、ふだんは読まない福岡ハカセ(福岡伸一教授)のエッセイに目がとまる。フェルメールの絵が日本に一枚やってきたという。

福岡ハカセがフェルメールのファンであると聞いて意外な気がしないわけではないが、以前から多趣味で教養のあるところを見せてくれていたハカセだから、じっくり読んでみた。

フェルメールの「光」の表現の仕方のすばらしさはよく云われていて、絵筆の先の一点で立体感を表現する技術は他の画家にはないフェルメール独特の才能である。ではなぜフェルメールはそれができたのか。福岡ハカセが云うように、「カメラ・オブスクラ」をフェルメールが知っていたからだ。

カメラ・オブスクラというのは、小さな穴を開けた箱の奥に反対側の風景が天地逆に映し出される装置。今日のカメラの原型であり、映し出された像をなぞればリアルな絵を描くことができる。遠近法を利用した画期的な装置である。

この装置を使って、フェルメールは独特の表現方法を身につけたわけだが、ではこの装置をどうやって知ったのか。福岡ハカセは、あくまで「仮説」であるとしつつ、同時代・同都市を生きた生物学者のアントニ・フォン・レーウェンフックから教わったのではないかという。二人の交流を証明する記録はなにもないが、レーウェンフックが残したスケッチは画家が描いたとしか思えないような精緻さと陰影の巧みさがあらわれているらしい。レーウェンフックはまた、こう書き残してもいる。

「スケッチは知り合いの画家に頼んで描いてもらった」

そう、自分で描いたのではなく、画家が描いたものなのだ。だが、その画家の名前は一切書き残されていない(なんというミステリー!)。一方のフェルメールがデッサン類を一枚も残していない画家であるというのも、この逸話をさらに貴重なものとしてくれる。

このデッサンがフェルメールのものであれば――――それはフェルメールの唯一のデッサンであることになり、フェルメールがカメラ・オブスクラを利用していたという証拠にもなる。とても夢のある話ではないか。福岡ハカセに期待しよう。

羽生の苛立ちと山崎のふがいなさ

3月某日

うわさを聞いて紀伊国屋書店で買ってきた梅田望夫『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』阿久津主税の将棋の本を読む。

どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語
どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語

将棋のチカラ
将棋のチカラ



阿久津七段のほうは里見女流名人インタビューがおもしろかったけど、他はイマイチ。

梅田さんのほうは、山崎七段のインタビューをまっさきに読む。羽生とのタイトル戦で惨敗した山崎七段の声がおもしろいと評判なのだ。

まずは話題になった、山崎の突然の投了に羽生が叱責したというエピソード。全文を書き起こしてみよう。

 それから9手進んだ局面。羽生は23分の考慮で▲7一角と飛車取りに角を打った(局後の感想によれば、羽生はこの局面はまだ形勢不明と考え、将棋がまだまだ長く続くものと思っていた)。一分将棋の山崎も、羽生の長考中に態勢を立て直せたかに見えた。しかし将棋はこの10分後にあわただしく終わってしまったのだ。山崎の突然の投了の意思表示に対して、羽生は身体をびくんと震わせ、

「おっ」

と声を上げた。突然の投了に心から驚いている様子だ。そしてすぐに山崎に向かって、この将棋は難解なまままだまだ続くはずであったろう、そして自分のほうの形勢が少し悪かったという意味のことを、かなり強い口調で指摘した。山崎もすぐさま言葉を返したが、羽生の口調と表情は厳しいままだった。

数分後に関係者が大挙して入室したときには、穏やかないつもの羽生に戻っていたが、盤側で一部始終を観ていた私は、終局直後の羽生のあまりの険しさに圧倒される思いだった。羽生には勝利を喜ぶ、あるいは勝利に安堵するといった雰囲気は微塵もなく、がっかりしたように、いやもっと言えば、怒っているようにも見えたからだ。

羽生の見込みでは投了の局面以降も「長い将棋」が続くはずだった。しかし一方の山崎は、両者一分将棋となってしまってからも「長い将棋」を延々と指し続けて、羽生相手に勝つ自信がなかった。ある一手の読みに穴があったことに愕然としていたのである。それが突然の投了の理由だったという。

(再構成中)

羽生は「好きなおもちゃが取り上げられた」ように不満な表情をみせた。そのような棋士は、現在、若手にもたくさんいるのではないか。そんな棋士の将棋をもっとみたい。

山崎との対局ではいつも、山崎が不出来な将棋をさしてしまったときには羽生は怒ったような感じになるという。それは、羽生さんが山崎七段の力を、将棋を、楽しみにしているがゆえのことだね。

だからというわけではないが、山崎七段には、一度でもいいから、大爆発してほしい。つまり、タイトルをとってほしい。その姿がみたい。

(24.11.2.追記中)

2011年3月2日水曜日

「平成」もはや23年目に突入

3月某日

福田和也『現代人は救われ得るか』新潮社を、ふたたび読み始める。

3ヵ月前に60ページ程度を読んだところで中断してしまっていた。結構な時間を挟んだので、最初からページをめくる。

「平成」とはどういう時代かと問うならば、今上天皇はいかなる存在であるかという問いは避けられない。本書はその視点から「平成」を語る文章である。