2012年4月7日土曜日

フェルメールの秘密 - 藤田令伊『静けさの謎を解く』

4月某日

藤田令伊『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)を読了。

藤田 令伊
集英社
発売日:2011-12-16

ひと言でいえば、「フェルメールがなぜこれほど人気を博すのか」を考察した本。読みやすさとは裏腹に、内容は奥深い美術本だ。

意外なことではあるが、フェルメール(1632-75)が活動した17世紀オランダの頃からおよそ20世紀の初頭まで、フェルメールの絵は他の画家のそれと比べて特別高い値段で取引されていたわけではないし、最高の評価を与えられていたわけでもなかった。だが、20世紀のいつ頃からか、もっとも人気のある画家となった。

それには当然、理由があるだろう。つまり、他の画家の絵とフェルメールの絵とは、どこがどう違うのか。その「違い」を探るひとつの試論が本書であり、著者の藤田令伊はフェルメールの絵がもつ「静けさ」に注目している。(なお、以下の文章は本書の内容と私個人の素材・意見を交えて書いている。)

数回前のエントリーで書いたことと少しかぶるが、フェルメールの絵の特徴は次のキーワードに集約される。

1. 青
2. 構図の簡略化
3. 非現実性(創造性)
4. 静かな動作
5. 非物語性
6. オランダの光
7. エラスムス

これらの要素を盛り込むことで、フェルメールは他の絵にはない独特な「静けさ」を獲得することができたのだった。本人が意図したものと、時代・環境によるものと、どちらもあるのだけれど。



フェルメールは当時では珍しい「青」を多用したことで知られるが、なぜ珍しいかと云えば、それは、青色をつくる原料がごく僅かで貴重だったということもあるが、なによりヨーロッパの歴史上長らく「青」という概念がなかったことが大きい。

中世においては白・黒・赤が基本色で、青は認識さえされなかったのである(海は「白」であるとされた)。原料の工夫で青がつくりだせるようになってからも、青は特殊な色とされ、一部の人たちだけが使うことのできる色でしかなかった。青は日常にはない色だったのだ。

フェルメールと同時代の画家たちが実際に何色で描いていたかを見ればよくわかるが、「絵画の主調色は黒と褐色で、そこに赤や黄で描かれるのが主流だった」。

  テル・ボルフ / 眠る兵士とワインを飲む女 1659年

個人的にとても気に入っているテル・ボルフ(1617-81)のこの絵では、黒や茶色を基調色としたうえで赤と白がポイントとなっている。いっぽうのフェルメールの絵で、青が効果的に使われているのは次の2枚の絵だ。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃

  フェルメール / 窓辺で水差しを持つ女 1662-65年頃

絵のなかに青があるだけで、だいぶ違った印象を受けるだろう。もともとテル・ボルフの絵は暗いためフェルメールの明るさが目立つということもあるが、青を衣服に用いれば画面が明るくなり自然と落ち着いた雰囲気にもなる。どこか高貴な感じがするし、若々しさも伝わってくる。フェルメールの「青」は、つまりそういうことなのである。

構図の簡略化

フェルメールは一度描いた配置物を消してしまうことが多かったというのは有名な話である。

上の絵「牛乳を注ぐ女」でも、背景の壁に絵か地図を描いていたが途中で消してしまったという。当初の構図では、「窓辺で水差しを持つ女」がそうであるような感じだったのである。この2点の絵を比較すればわかるが、「牛乳を注ぐ女」のほうがよりシンプルになっているため、寂しささえ感じることができるだろう。それもまた「静けさ」につながる要因のひとつなのである。

フェルメールと同時代を生きたデ・ホーホ(1629-84)の絵を観てみよう。

  デ・ホーホ / 室内の女と子供 1658年頃

(これは先の「フェルメールからのラブレター展」にも展示されていた絵であるが、)床にも壁にも何も配置物はないのにどこか窮屈な感じがするのは、左側にタンスが置いてあったり左右両方に奥の部屋が続いていたりと、殺風景な部屋の中を描いた点では同じであるものの、「牛乳を注ぐ女」と比べて焦点の数がだいぶ異なっている。鑑賞者は特に右奥の部屋にある椅子や壁の肖像画にどうしても意識がいってしまう。もちろんそれが「悪い」というのではない。だが、フェルメールの場合は焦点の数をあえて絞ってさっぱりとした絵を描こうとしていたということだ。

それだけではない。

フェルメールと同時代の絵画を集めたラブレター展に足を運んだ人はすぐ気づいただろう(特に絵の素人である私のような人は)、当時の室内画の多くは大げさな身振りをする人間が描かれていることに特徴がある。酒を飲んでいたり、女性に云い寄っていたり、歌をうたっていたり、そういう場面だ。

  デ・ホーホ / 女と召使 1670-75年頃

同じくラブレター展に展示されていたもの。「牛乳を注ぐ女」と同じく女性が家事をしている姿の絵で、動作の少ない絵を選んだつもりである。それでも二人の女性が何を話しているのか、奥にいる男性は誰なのかなど気になるものだ。純粋に作業をしているだけの場面、とは云えない。逆に云えば、フェルメールの絵は純粋に作業をしているだけの場面でしかない。

  フェルメール / レースを編む女 1669年頃

その、純粋に作業をしているだけの場面を描いた絵のひとつが「レースを編む女」で、デ・ホーホの作品とは、女性が家事をしているという点では同じであるのに、汲み取られる意味の多さはぜんぜん異なる。これは、ただもう裁縫をしているだけの場面であって、余計な物語を想像することを拒否さえしているようだ。

デ・ホーホら当時の画家たちが人の動作や物の配置に暗示をこめるのは、そうでなければ「絵」ではなかったからだ。意味のない動作の一瞬を再現したところで価値のある絵にはならない。しかし、フェルメールは人の自然な動作としかるべく置かれた物だけを表現する新しい方法を選んだ。それが現代のフェルメール人気につながっているのは間違いない。現代は、形式を重視する美術思考だから。

非現実性(創造性)

絵が写真と異なるところは、創造性である。

けして見たままをカンバスに写すわけではく、写しとることができるわけでもない。そこに画家の主観が入るからだ。(写真にも主観が入る、だなんて野暮なことはここではなし。)

技術的な問題ではなく、画家が作為的に現実を歪めて描くこともある。現実に忠実に描いているように見せて、実はちょっとしたところで歪める。

しかし人間の身振りや表情を大袈裟にしてみたりすることに違和感はないが、空間を歪めてしまうのはいったいどうなのだろうか。フェルメールの時代にあって、それは異質なことであったに違いない。それとわからないようにしていたとしてもだ。

上で掲載した「牛乳を注ぐ女」では、左の壁とテーブルの位置関係が、よくよく見てみればおかしなことになっていることに気づく。

  フェルメール / 牛乳を注ぐ女 1658-60年頃 ※再掲

デーブルの右端の方向が壁の奥行きの方向と平行になっておらず、食べ物で見えないテーブルの奥の端は赤い坪と女性の間のどの位置にあるのかよくわからない。両者の間をうまく通すとすれば、テーブルは四角形ではなく五角形になっていなければならない。つまり、不自然なのである。

そうなったのは、テーブル上の置物をよく見せるためだったからに他ならない。つまり、部屋の構造とテーブルの配置は別個のものとして描かれたのであり、悪く云えばつぎはぎのようなものだ。

問題は、なぜフェルメールはあえてそうしたのか。そしてそれは絵画としての質を落とすことになるのではないか、という疑問である。

藤田令伊は云う。フェルメールは「現実からの乖離を恐れなくなった」のではないか。

現実にはこうあるはずという厳格性を無視して、「そのように見せたい」というフェルメール個人の考えがそこにはある。ではその考えが何かと云えば、フェルメール独自の「絵画芸術」がそれだ。「絵画芸術」については藤田令伊本人もこの本では詳細には明らかにしておらず、私もよくわからない。わかるのはただ、現実には囚われていないフェルメールの芸術観がそこにはあるということだけだ。

現実にとらわれない描写は、もちろん、のちの印象派を先取りするものである。

静かな動作

(やはり順番を間違えた)

非物語性

単に見たままを描いただけでは芸術にはなりえない。

むしろこう云った方がいいのかもしれない。描いただけで「意味」を、つまり「物語」を想像させるものが絵=芸術なのであると。

しかし、フェルメールはそれを拒否したのかもしれない。可能な限り「意味」を剥奪した絵、解釈を求めない絵――。

すべての作品がそうであるわけではないが、フェルメールがフェルメールらしさを存分に発揮したと評価されている作品はおしなべて、その目的を追い求めたものだったと考えられる。それが非物語性の意味だ。

「ルネサンス以来の伝統的な絵画には何らかの意味が込められているほうがふつうである」。いわゆる「寓意画」と云われるもので、宗教画や歴史画は云わずとも、日常を描いた絵にも教訓的なメッセージや人間の美しさ(あるいは醜さ)の表現といった意図が隠されている。室内画を多く描いたフェルメールはだが、そのような意図とは無縁であった(例外はもちろんあるが)。

トローニーという絵の様式がある。特定の個人を描いた肖像画とは違い、誰とはわからないある人物の姿(ときに架空の人物の)を描いた絵である。有名なのが「真珠の耳飾りの少女」。

  フェルメール / 真珠の耳飾りの少女 1665年頃

背景を黒一色に染め、描かれた少女は貴族でも神話上の人物でもないごくふつうの人物だ。実在の少女なのかどうかはわかっていないが、おそらく架空の人物であろうと云われており(いや、現在はフェルメールの娘ではないかとされている)、服装にも特別な意味はなく(当時流行のトルコ風の服であるようだが)、この絵がいったい何を表現しようとしたのかは不明、というより、一般的な絵画がもつような意味を何も表現していない。

それゆえなのか、ひとりの少女をそのまま描いただけなのにこの絵の現実感のなさはどういうわけだろう。青いターバンや黄土色の服が珍しいから、というわけではない。意味を剥奪された絵というのはある種の神秘性を帯びるものなのだろうか。

フェルメールは「現実の再現描写にとどまらない絵を探っていた」のではないかというのが藤田令伊の話。

それは芸術のための芸術である。フェルメールは芸術そのものを描こうとしたのかもしれない。

芸術がそれ自体「意味」をもち、「物語」性を獲得することができるとするならば。

オランダの光

(後日)

エラスムス



(後日)







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