2011年8月7日日曜日

京都のフェルメール 1

8月某日

〔 承 前 〕

さて、最初のブースに入る。正直、すこし緊張してしまった。フェルメールが飾られる空間に立ち入るという事実に若干萎縮してしまったといえるだろう。

 1章 人々のやりとり-しぐさ、視線、表情

あらためて、今回の展覧会のテーマは「フェルメールからのラブレター」となっている。

このタイトルをみたときはちょっとナイーブな感じがして、みょうちくりんなキーワードが所狭しと並んでいたらどうしようと不安もなくはなかったのだけど、一歩中に入って最初のブースのテーマ(上記)の解説を読み、最初の絵を目の前にして、その不安は杞憂だったことがすぐにわかった。そんな「ラブレター」みたいな言葉で表象できる展覧会ではないことは一目瞭然だった。

「第一章」の解説は次のとおりになっている。長いけれど、公式サイトからそのまま複写。

仕事や余暇を楽しむ民衆の姿を理想化せずに描く風俗画では、日常生活の親密な場面が主題となり、典型的な人物や衣装、場面設定などに鋭い洞察が向けられた。家庭や居酒屋、仕事場といった日常的な環境の中の人々が描かれたが、実際の様子を描いているように見えても大抵は画家のアトリエで考案された。これらの作品は楽しみのための作品という性格も強く、家庭の団らん、売春宿の情景、農民の食事、「もたれかかる女と兵士」といった主題が描かれた。

誘惑や罪の意識にかられながらも、飲み食いや会話を楽しみ、音楽を奏でる人々の絵は聖書の主題を描いた銅版画に由来する。そこでは道徳的な語句がそえられることによって、欲望のままに生きる安易な生活を避けるよう、鑑賞者に注意を喚起していた。

単に日常の正確な描写のように見えるこれらの風俗画も、その多くが、オランダの諺や格言、道徳的なメッセージを示唆している。画家も絵の購入者たちも道徳的な解釈をふまえつつ、散らかった家庭内の様子や売春宿の情景を楽しんでいたことだろう。

宿屋の主人でもあったヤン・ステーンの作品はその好例で、彼の作品のタイトルは「酒場」「宿屋」「売春宿」などと区別されているが、実際はすべて同じ建物であることが多く、「表は宿屋、裏に回れば売春宿」というオランダの格言そのものであった

長すぎた。要は、宗教画を脱した(と思われる)風俗画にも何らかの教訓的なメッセージが込められているということだ。その是非は別として、当時はありのままをありのまま肯定できる時代ではなかった。もちろんそこにはメッセージを読み解く楽しみがあるのだろう。

このブースで最初に掲げられていた絵は、ブレーケレンカム「感傷的な会話」。これは名画なのか?と首をかしげてしまったが、隣のボルフの「音楽の仲間」をみて「おぉ・・・」とうれしくなった。じっとみつめてしまう。背景は暗くぼやけていて、中央のヴァージナルを弾く女とヴィオラを奏でる男に光があたる。女のモノトーンのドレス、男のヴィオラが光ってみえる。しばらくボルフの絵の前で動かずにみていた。

そうして次々に絵をみていったわけだが、とても時間がかかる。こんなに長く絵の前に立つことになるとは自分でも予想していなかった。

時間がかかるということは、最後のブースに鎮座ましましているであろうフェルメールにたどり着くまであと数時間かかってしまうということ。10枚ほどの作品をじっくり眺めたところでしびれがきれ、我慢できずに最後の部屋まで直行した。

 〔 次 回 〕

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