2011年11月14日月曜日

少年A「矯正」の記録 - 彼の異常性はどこからやってきたのか

11月某日

「少年A」について、2冊読む。

まず草薙厚子『少年A 矯正2500日 全記録』(文春文庫)。

著者 : 草薙厚子
文藝春秋
発売日 : 2006-04

鑑定調書や審判調書のようなものを入手して執筆したのかどうか不明だが(2003年の発表当時、大問題になったような記憶がある)、あまりに詳細な少年Aの矯正(治療)の記録が展開される。この本で彼という人物の真相がほぼ把握できるといっていいだろう(後述するが、実はそう判断できないところもある)。少年Aが少年鑑別所での審理を終えて関東医療少年院に移送されてから退院するまでの内部の様子が、さまざまな証言、それも信憑性の高い証言をもとに描かれている。

彼の事件には他の少年犯罪とはまったく異質な性質があった。それは殺人と性衝動の異常な合一であった。彼は小動物(ひいては人間)を殺害し嬲る行為に性的な興奮を覚えた。アメリカの猟奇的事件では実例があったかと思うが、日本ではほとんどはじめての種類の事例である。そんな彼をいかに「矯正」するか――それが医療少年院の担当者たちに課された仕事であった。

精神鑑定その他の資料から、彼の病は幼き日に母から愛情を受けられなかったことに原因があると思われた。彼の「治療」は彼が赤ん坊の時代にもどったものとして、赤ん坊として母の愛情に包めることから始められた。入院初期の少年Aは「死なせてほしい」と強く願っており、「生きること」がそれ自体として自分自身にも認められることをまず教える必要があったが、存在そのものの肯定こそ赤ん坊の特権であるのだから、これは至極妥当な方法であった。担当教官や精神科医師が擬似的に父親役、母親役として彼に接し、粘り強い治療が続けられた。

治療のほかに必要とされたのは、退院したあと、彼は社会に殺されてしまうのではないかという懸念、そして矯正されていく中で芽生えた良心から、彼は自分の犯した犯罪の重大性に愕然として発狂してしまうのではないかという不安、それらにいかに対処するかであった。

社会の厳しい目線に耐えるためには強い精神力を備えなければならない。そのため、遺族の手記のみならず一般の報道にも目を触れさせ自分に対する社会の呵責なさを知らしめたうえで、そのなかで生きることの意味と力(つまり贖罪の意識)を教えている。事実、退院するころには、自分の罪の重さに応じた償いの気持ちを抱いていたように思える。

そして、担当教官らの真摯な取り組みによって(詳細は本書を読まれたい)、彼は発狂という精神病を患わずに済んだ。もっとも、人によっては、発狂しない程度にしか反省しなかったのではないかと批判されるかもしれないが、それは退院以後の彼自身にしか解消しえない問題であろう。

そうして退院した彼について、矯正にたずさわった関係者たちはみな、「再犯のおそれはない」と断言している。これを信じるか否かは読者に委ねられる。

個人的な感想を云えば、彼の犯罪は(というより猟奇的殺人を犯した彼は)他の少年犯罪とはまったく別の事案として考えなければならないと思うのである。猫を殺してしまう小学生は他にいるかもしれない。だが、殺すことに性的な興奮を覚えるのは少年Aしかいない。自慰行為に殺戮の場面を想起する少年は他にいないのである。その意味で、彼は異常である。その異常性は、親の躾けがどうのこうの、家庭環境が云々などと一般の少年犯罪を語る同じ言葉で語れるレベルのものではない。つまり、彼や彼の家族に根源的な原因の責任をもとめることは不可能なのではないか。

幼き時期に母の愛情を十分にうけられなかったというのは事実だが、同じ経験のある少年が同じ猟奇的性格を持つことはないとすれば、母の愛情だけに猟奇性の原因を求めることはできないのであって、彼の異常性は何より彼特有の本質的な病によるものである。それを彼本人の態度や家庭環境や躾けのせいにしてしまえば、彼の治療は表面的にならざるをえない。彼を矯正することにはならないのである。

たしかに少年Aの母は彼に厳しかったかもしれない。父はほとんど干渉せず教育を放棄していたかもしれない。だがそんな話は他にいくらでもある。似たような家庭で育った少年のなかに、殺害という暴力によって性的興奮を得るものがいるだろうか。彼は本質的に特殊であり、その特殊性は病だったのだ。

殺人(傷害)という結果責任を負うこととは別に、彼には病を癒すための特別な治療が必要だった。死刑にしたところで、遺族の悲痛な感情を多少なりとも癒し、社会の恐怖心を浄化すること以外に何もないだろう。それもひとつの方法であろう。だが、罪の重さを自覚しえないままの彼を処刑することは単なる復讐にすぎない。彼から病を取り去り、贖罪の意識を芽生えさせるには、「治療」が必須であった。その意味で、この「矯正」の日々は貴重なものであったと云えるのではないか。

それでは少年Aのかかえた「病」とは一体何だったのであろうか。いわゆる性的サディズムと呼ばれ、鑑定書にあるように性衝動と攻撃性の結合がもたらしたと考えられている。だが、そのような言葉をあてはめてみたところでそれは解釈であって、彼の精神(心)の流れを正確にたどったものではないのではないか。彼の「病」については、私はまだ納得しきれない。

最後に――本書の解説で有田芳生が記しているところによれば、事件から数年がたってからいまさら、少年Aの母は「いままで話せなかったことですが、実は・・・」と精神科医に話したそうである。生後半年くらいから体罰を加えていた、と。この事実は、父母の手記には記されていなかった。

まだまだ隠された事実があるのは間違いない。

<別稿>
2011.10.30. いまなお「少年A」について
2011.11.19. 少年Aの13年間の「懲役」について




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