2009年7月6日月曜日

『森茉莉全集』の重さ


7月5日

昨日土曜日に図書館に行って来て、『森茉莉全集』の第6巻と第7巻、さらにシャラーモフ『極北コルィマ物語』を借りてきた。

『森茉莉全集』はあまりに分厚くて、こりゃ二冊も同時に借りるんじゃなかったかなと後悔しつつも、とりあえず森茉莉の連載エッセイ「ドッキリ・チャンネル」を一瞥したかっただけだからよしとしよう。適当なところをいろいろ読んでみたら、夢中になってしまった。

テレビ番組を茉莉流に料理するエッセイとはいえ、父鴎外の思い出や文人たちとと交流の話が半分くらい占めているような、そんな存在感。森茉莉は鴎外を心の底から尊敬し好きだったのだなと思わせる言葉がたびたびある(もっとも、小説では鴎外はイマイチで室生犀星のほうがずっといいとも書いているけれど)。

いつか古本で手に入れたいものである。

シャラーモフのほうは友人のオススメ本で、図書館で探してみたら珍しい本なのにあったので早速借りた。旧ソ連時代の収容所に17年間放り込まれたシャラーモフによる、体験的短編小説集。ドストエフスキーやソルジェニーツィンの収容所小説や北朝鮮の収容所ドキュメントが大好きな私に、新しい世界がやってくるかもしれない。というのは、本書の解題で訳者はソルジェニーツィンとシャラーモフを比較して、前者は収容所でも人間は人間的に生きられると考え、後者は人間的なものが根底的に脅かされると考えていると説明している。シャラーモフは性悪説なのである。

他にはこの数日で、保坂和志『言葉の外へ』とか10冊くらいの本を開いた。保坂和志の本は、開いて驚いた。もうすでに7割方読んだ形跡がある。このエッセイ集のいくつかのエッセイは読んだ覚えが確実にあって、しかも印象的な話(カフカとかベンヤミンとか)が多くていい本なのだけど、あと少し読めば読了感が得られるのにこんな中途半端なところでやめていたのはなぜだろう。これからたびたび読んでいこう。

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