2009年7月14日火曜日

魯庵と硯友社の「中坂」


7月13日

シャラーモフ『極北コルィマ物語』を読了。最近読んだ小説のなかでは一番よかった。今回は図書館で借りたので、いつか古本屋で購入したいものだ。

感動的な話、ちょっとした小話、伝記のようなもの、ユーモア小説などなど、盛りだくさんの内容である。収容所が舞台なのだから悲惨な話が多いのだけれど、ロシアの他の小説がそうであるように、どの短編にもちょっとしたユーモアが感じられる。これはロシア文学の伝統なのだろうか、ロシア人のひとつの特徴なのだろうか。もっと知られていい本だと思う。

ひとつ付箋をはさんだ一文を引用。一番使い物にならない作業班の、一番ダメな作業員である信心深い信徒はある日、管理者の配慮ではじめて腹いっぱいの食事を与えられ、労働作業に入った。すると突然、彼は霧のたちこめる暗闇へ歩き出し、警告を無視して銃殺される。
そのときわたしははっとして寒気をおぼえた。そうか、あの給食が、自殺するだけの力を信徒に与えたのだ。わたしの相棒が死を決意するのに足りなかったのは、一杯のカーシャだった。死の意志を失わないために、時には急がねばならないことがある。

魯庵『思い出す人々』を読んでいたら、一度読んだことのあるような文が何度となくでてきて、おやと思ったら、この間読了した坪内祐三『極私的東京名所案内』でまさしく引用されていた部分だった。

魯庵の本では、紅葉・美妙らの「硯友社」ができた頃の思い出を語る一節で、中坂というトポスが語られている。坪内祐三のこの本(つまらないのだけど面白い本である。面白いけどつまらない、ではない)には東京の文学スポットとしての中坂に一文が割けられていて、中坂での魯庵と硯友社の偶然の交錯が紹介されている。

私の気になったエピソードを書くと。硯友社の雑誌『我楽多文庫』の第一号には石橋思案(外史)という人の序文が置かれていた。魯庵は書店に並んですぐ購入するが、この石橋思案が、魯庵の知る、近所の都々逸をよくする青年だと知るのはしばらく後のことである。後に硯友社派の文人たちと対立することになる魯庵の面白い過去の話である。

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